二次創作が好きだった話

~これまでのあらすじ~

1、色々あって二次創作をやめてから一年くらい経ちました。

2、ちょっとだけ斜視なので視界が恒常的にブレていてそれは普通ではないということが発覚しました。

 

~今回のあらすじ~

斜視おもしろくて遊んでたら小説が書きあがっていた。

 

人生いつ何がわかるかわからないものですね。

風と桶屋の関係のようにいろいろなことが複合的に絡み合っているんですよ。2月仕事がむちゃくちゃキツかったんです。なんでキツかったのかというとここに書けない理由プラス夏コミに申し込んだからで、夏コミに申し込んだのはわたしのことを松で覚えた人にいいかげん名刺を渡す機会のひとつくらい設けろよと思ったからなんですけど、仕事がむちゃくちゃキツくてめちゃくちゃ失踪したくなり、まあまあとりあえず落ち着けよということでとにかく部屋掃除をしたんです。極限までものを捨てたら(そこまでではない)かなりスッキリしてメンタルが明るくなり、よーしカラオケでも行くかと思いました。カラオケに行くというのは皆さんが思ってらっしゃるような楽しい娯楽ではなくて試練です。閉所恐怖症なんだよ。でもこう、テンションが上がっているときはいつもできないこともできるかもしれないですからね。それでカラオケに行って、まあ具合は悪くなったんですけど、でも一応三時間耐えきったのでわたしは超えらくて、超えらいのでウキウキしていて、眼鏡買お! と思いました。これもまあ試練なんですけどね。なんで服を買うとか眼鏡買うとかが試練だったのかということは眼鏡屋でその日発覚しました。

そうです。

斜視の話にここでつながるわけです。

人生とは物語性を孕んでおり伏線は回収される。

 

ここまでがこれまでのあらすじなんですけど、で、斜視だということがわかった、というか、これまで視界がボーっとしているとかものが二重に見えるとか疲れているとよく見えないとかっていう状況があった、さらに言えばそれを「目の周りの筋肉に力を入れて」修正し、かつ「脳内で重複している情報を整理して」修正して生活していた、そしてこれが大事なんですが、それはふつうのことではなかったということを理解しました。君の見ている世界とわたしの見ている世界は違う!

というのがわたしがオリジナル小説を書いていた頃の永遠の命題だったということは、書いてから思い出しました。

「うわスゲー面白い、超ずれる、知ってたけどそっかこれそういうことか! 一点を集中して見ていると二秒くらいで五個くらいに増える! 知ってたけどこれそういうことか! これみんなはないやつでわたしはあるやつか! えっもしかしてわたし画面見ないでも小説かけるんじゃない? ていうか、見てなくない? 書いてみーよっと。うわめっちゃおもしろいさすがに目をつぶると怪しいけどそれでも別に書けることは書けるわブラインドタッチの精度っていうかこれどうせわたしミスタイプしても気づかないのは見てないからじゃねーか! 校正下手な理由もわかったよ! 小説書けた~」

書けました。

二次創作を、最後に書いたのが、えーとおそ松さん10話のときだから2015年の12月頭かな。丸一年ちょっとくらいですね。それきり小説の書き方がよくわからなくなっていて、そう、小説技法の塾をやっているくせに(やっています)小説の書き方がなんかいまいちぴんときてない状態でダラダラ書いたり書かなかったりしていたんですが、書けました。

まあいろんなことのつじつまが合ったんですよね多分。これの一個でも足りなかったら、あと大阪で友達に眼鏡屋に連れていかれて眼鏡はいいぞと言われたとか、京都で友達と発病以降はじめてのカラオケに行ってちゃんと楽しく過ごせたとか、それ以前のこととか、いろんなことが絡みあって現在に至っていて本当に風と桶屋なんですけども。

小説を書きました。

これまでで一番うまく書けました。

というか、小説がうまく書けたと思ったのは生まれて初めてでした。

 

小説技法の塾をやってるんですが、基本的に小説技法の塾なんですが、まあ持ち寄られた内容によってはなんの話でもやります。ということで小説を書いたちょうど次の日、就活対策というか観念的な意味での「仕事について」をやって、その中で「創作を仕事にするということについて」に触れました。「と言っても別にわたしは創作を仕事にしているわけではないんですが、そうなれるかどうかはともかくどうしてそれをしようとしていないかというと、水準に達していないと思っていたからです」という説明をしました。

終わったあとで、「あれ? 水準に達しているような気がするな」と思いました。

商業的にどうこうなるかどうかはわたしにはわかりませんが、「わたしの書きたいものを書けているという意味では水準に達している」し、「わたしの書きたかったものがひととおり書けたんだから、商業的にどうこうなるかどうかちゃんと確認してみよう、ダメならまあ別にそれは仕方ないけど、送るからにはもちろん全力を尽くそう」と、生まれて初めて思いました。「小説を商品にしてみたい」と思いました。

 

で、「二次創作のこと、たぶんわたしはわからなくなるんだろうな」と思った、というのが今日の本題です。枕が長い。

 

ファンフィクションコミットメントという本をずっと作っていて、作り終わりました。内容はnote再録、腐女子寓話とそれにまつわるコラムをまとめた本です。紙媒体は金ができたらぼちぼち……。

なんだろうな、もうここに出てくる彼らのこと、よくわからなくなってしまったんですよ。

二次創作のことも、二次創作者のことも、忘れちゃうんだろうなと思った。

本に入れたエントリに、「嫉妬のこと」というのがあります。ここではオンラインの交流が難しくなった話をしていますが、ブログやTwitterに作品の感想を書きづらくなったこと、二次創作をやめたこと、における、「オタクを続けている人に対するなんとなく苦しい感情」がずっとあって、ああこりゃダメだなと思って、好きだったものや愛したものをくだらない理由で憎みたくないと思って、そういうものから自分を切り離した。オタクの友達とある程度距離を取って、アニメやゲームや漫画の情報を一時期ほとんどシャットアウトしていた。「感想を書きたくなったら嫌だから、やりたくないから、やりたくなりそうなものは見ない」を続けた。そしたら本当に興味がなくなった、というか、どうやって、どんなふうに、興味を持っていたのかわからなくなった。

そしてそのかわりに、小説が書けた。

 

二次創作とはどうして二次創作でなくてはならないのか」というエントリは、ファンフィクションコミットメントのためのテキストとして、最後に書きました。難しかったです。もう二次創作のことがあんまり思い出せなかったから。

創作全般ですが、ひとつの側面として、「架空の実在性を手に入れたい」とか「架空に接触したい」という感情、「そこにある何かを、『ある』と言いたい」という欲望、そういうものがあって、それはたとえば「可能性」を幻視するという行為だと思う。そしてその「可能性」は、「絶対にこのかたちをしていなくてはならない」ことがあって、だから「わたしが幻視した彼らの人生やその続き」は「たとえほかの可能性を裏切るとしてもそのかたちをしていなくてはならない」ということがありえる、という意味において、二次創作は二次創作でなくてはならない。そういう、「わたしは彼らの可能性を見ることができる」「彼らの可能性に触れることができる」という、なんていうんだ、確信? オリジナル書いててもそれはやっぱり「可能性を形にすること」には違いないんですが、この場合の「可能性」は「存在するかしないか自体を選択できる」であって「存在しているものそれ自体の別の可能性に触れる」ではなくて、なんかうまく言えないんだけど、体験として別個の部分はたしかにある、「彼らに触れることはできないけど、彼らの可能性に触れることはできる」をやっていたことを、間違っていたとか無駄だったとか思いたくないし言われたくないし、これから先忘れてしまったあとで言いたくもない。ので、完全に忘れる前にここに残しておきます。

ティム・オブライエン『本当の戦争の話をしよう』に、超雑に要約すると「俺は戦争に行ったかもしれないし戦友は死んだかもしれないしそれは全部起こらなかったかもしれないけど全部本当の戦争の話なんだよ」みたいなことが書いてあるんですけど、わたしにとって二次創作というのは(これはわたしの話でみんなそうだという話ではないんですが)そういう「これは起こったかもしれないし起こらなかったかもしれないけどどっちにしろ全部自ジャンルなんだよ」っていうのを超カジュアルに前提として体験できるもので、そこが好きだった。と思う。「可能性を体験する」っていうのはそういう話で、そのうえでその可能性を共有するっていうのはめちゃくちゃ贅沢なことだと思うんですよ、まあ共有できない(人がいないとかで)こともあるけど……。

そしてオリジナル小説を書けば書くほど「可能性を共有する体験」というものが何だったのかわからなくなっていく。たぶん、わからなくなろうとしてわからなくなっているから、必死で遠ざかるために、嫌いにならないために、憎まないために、書いているんだと思う。わたしの目に見えているものはわたしの目にしか見えないということを、書いてしまっている。あなたの見ているものをわたしが書くことができるという可能性を、見失ってしまった。たぶんわたしは「自分の戦争」の話は書けても「わたしたちの戦争」の話は書けなくなっていて、それをいつかまた書く日は来るのかもしれないけど、それはかつて信じていたものではない、んだと、思う。風が吹いたのでそうなりました。いろんな理由で。

 

わたしは二次創作が好きでした。

「どうして」好きだったのかは思い出せなくなるとしても、「好きだった」ということは忘れないでいたいと思う。

2016年にあったこと

ブログには何を書くんだっけ? という気持ちで机に向かっているところです。

 

向田くん(向田くんというのはわたしの非実在部下です)のask.fm経由で「もうブログは更新しないんですか?」と問われたのはずいぶん前なんですが、さてブログをもう更新しないのかというのは難しい問題で、そもそもこの場合求められている「ブログ更新」とは何のことなんだろう。

アニメの話をすると障りしかないということが現状まだ続いているので少なくとも向こう半年ほどはアニメの話はしません。夏になったら考えます。というわけで今のところアニメの話を求められても何もできません。以下(情報共有制限)と記述される項目に関しては以上の理由で向こう半年は言及しないと意固地になっている要件です。

あとTwitterをやめてしまったので話題の出来事についても特に情報が入ってこない。ここでいうやめてしまったのでというのは告知用のアカウントしか持っていないという意味です。年末まで一応交流用のアカウントがあったんですが年末に大掃除のついでに消滅しました。今はもう何もありません。正確に言うとLINEグループ的なものがひとつ生きていますがそれで終わりです。なお向田くんのask.fmもかつてのわたくしのask.fmと同じ経緯で閉鎖しております。さようなら、ハートフルなインターネット! というわけでわたしは世間様とのコミュニケ~ションをいまのところおおむねSkypeからの伝聞で成り立たせています。noteはみんな好きなことを好きにだるだる喋っている印象のほうがつよいのであまり情報入手SNSではないな。

 

このブログがアニメの感想と時事ネタでいちおう回されていたことを思うと(去年はほとんど告知しかしてないけど)ブログを更新するというのはそのへんを指すのではないかと思うけどそのあたりについては言及する気は全くないというかインプットをしていません。さようなら、ハートフルなインターネット!

 

去年は大量に買ってある(情報共有制限)関連書籍を徒に積み続けた以外の書籍の購入はアクセサリー製作関係と編物関係が中心で、編物関係に関しては執拗に「誕生日には編物の本をください」と言い続けたために17冊になりました、ありがとうございます。何らかの形でお返ししていきたい。というわけでアランニット関係の現行書籍をざっと買ったんですが特に良かったのはこの本。

Clooth-Na-Bare『アラン編みのちいさなニット: アイルランドの素朴な伝統模様を編む

アランニットの歴史と現在、いわゆるアラン諸島についての美しい写真、伝統ニットパターンとともに簡単な小物レシピがたくさん載っているという読み物として充実していて情報から手芸に入りたいタイプにはおあつらえむきの一冊です。読むところが多いレシピブックが好きなのでこれはとてもよかった。レシピもわかりやすい。

あとは積んであったロシア・フォルマリズム関係の本を崩したり買いなおしたり買い足したり、ロラン・バルトとかソシュールとか、大学生の頃に読んだんだか挫折したんだかというラインナップに再挑戦しつつ、そういや読んだんだっけ読んでないんだっけと言いながら日本近代文学をひっくり返しています。とりあえず漱石の短編の読み漏らしとかを浚ってる。なおわたしにとっての日本近代文学は「書いてある意味ぜんぶわかる」と泣きながら演習の準備の合間に読むもので学問としてちゃんとやったことは実はあんまりない(日本文学が専門だと思われることがちょいちょいあるんですが義務的にちょっと触れただけで別に専門ではない)。大学では言文一致をやっていたんですがそれも「日本近代文学・翻訳文学・新聞口語・落語」というラインナップでいちおう読むだけ読んだというだけで……。いちおう読むだけ読んだけど……。学問というのはいちおう読むだけ読む範疇がほとんどではないかという気もするけど……。

あと去年始めたのは、あまりにも「始めた」だけでろくにできていないので忘れていたけどホロスコープとトランペット。どっちも「音が出てすごい」とか「用語がちょっとわかる」くらいに留まってるけど。

 

こう書いてみると去年はずいぶん充実した年だったし、(情報共有制限)に言及するまでもなく書くべきことはいろいろあるという気もするな。どうせ動かないとわかっているのに押し続けていた石が唐突にごろっと向こう側に落ちたみたいな2016年でした。向こう側に何があるのかはまだよくわかりません。以下に去年あったことのまとめを書いていたら5月ごろまではすごくまじめにブログを書いていたことがわかり「なるほど、更新しないのかと言いたくもなるな」とちょっと思いました。

 

2月 観念してインターネットからお金をもらう手段を整える

4月 向田くんの誕生

5月 ウェブショップを開店

6月からゼミをはじめていろいろな進捗が爆発 勢いだけでトランペットを買う

8月 唐突にアクセサリーを作り始める(2012年に一瞬作っていたことがあるのでいちおう再開)

10月 唐突に編物を再開する(2011年ぶり)

11月 水泳を始める(たぶん高校生ぶりくらい)

12月 ジョギングを始める(十年ぶりくらい)

 

「昔やっていたこと」が多い人間だなあ。という感じです。まあ生活は完全に一変しました。2017年もこの風来坊同然の生活を続けるのか全てなかったような顔をしてインターネットから完全に姿を消すのかは神のみぞ知る。遊べるうちに遊びに来てね。

これまでのあらすじ

二次創作はもうしないんですかというようなことやそれ以外のことをちょくちょく聞かれるし、もう一年くらいになるので再度まとめておきます。

 

1、2015年11月におそ松さんの感想(感想です)エントリを上げたところめちゃくちゃ反響があってハートフルなインターネット(隠語)に色々な側面から話題にされた結果インターネットで書けないことがいろいろ増えた

2、2016年1月に限界がきて感想(感想です)エントリを上げるのと二次創作をするのを一切やめた

 

ポイント

1、二次創作およびリアルタイムのフィクションの感想は一切書かない、理由はハートフルなインターネットが面倒くさいことをたくさん言ってきてすごく面倒くさいから

2、わたしが書いていたのは感想であって「考察」じゃない

 

以上です。

リアルタイムコンテンツじゃなくなったと思っていいと思うし(先日特番ありましたけど)おそ松さんの話そろそろしようかなと思ってTwitterにもちょくちょく書いてたけど、まあこういうエントリを書いているという以上、お察しくださいって感じだ。

嫉妬について

おお ask.fmよ 君を泣く!

 

去年の10月にask.fmのまとめを作ろうと思った形跡をぼちぼちまとめなおしているんですが、当然ながら当時の文章を読むことになり、無邪気に永遠にask.fmを続けていられると思っていた(そしてやめるときはやめたいときにやめるのであってやめざるを得ないからやめるのではないと思っていた)頃をつきつけられて容赦なく落ち込むのですがわたしは最近ようやくask.fmをやっている人をみかけても嫉妬の炎に焼かれなくなりました。

最近ですよ!

わたしは嫉妬という感情をほとんど抱かないんですけど、というか抱かない種類の人間なんだと思っていたんですけど、それはたぶん人間に興味がないということと自分に特に確信を抱いていないということによって裏付けられているのではないかと最近思うんですけど、それはともかくask.fmのログを呼んでいると「嫉妬の炎に困っている」という質問ていうか相談がたくさん寄せられており、何の話をしているかというと、

 

ask.fmをやっていない今こそask.fmにきりもなく雨のように降り注ぐ、あの人がうらやましい、あの人になりたい、あの人がどうしてあんなに幸せでいられるのかわからない、といった質問に親身になってこたえられるのに!!!!!

 

というジレンマです。ask.fmをやっている人がうらやましい。いや最近ようやくなにも考えなくなれたのですがうらやましい。すごくうらやましい。無料で有象無象からしょうもない質問に答えたいが無料でしょうもない質問に答えるプラットフォームにはハートフルなインターネット(隠語)がやってくる人生になってしまったのでそれをやる日は二度と来ないのですがわかっているのはわたしが嫉妬という感情について答えなくてはならなくてはならなくなったときの答えはもうわかったということです。

どうでもよくなるまですごい勢いで別のことを考える。

しかない。

手慣らしのためのさみしいなにか 8/12

哉村哉子さんは涙のような雨のふる夕方、ウェディングドレスが飾られたショーウィンドウの前で星の一生について教わったことの話をしてください。
#さみしいなにかをかく
https://shindanmaker.com/595943

 

着てみたかった。

きれいな女の子に生まれたら、と言いながら、立っている背中を見ている。ちいさくて、どこもかしこも子供じみた曲線を描いている。女の子のものとは全く似ていないその曲線を眺めている。きれいな女の子に生まれたら、着てみたかったたくさんの服がある、という。漫画やアニメのなかのキャラクターのように変身ができたなら着たかったたくさんの服を着ない子供の死骸。傘をさして立っているわたしは君の反対側の肩を守ることができない。

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手慣らしのためのさみしいなにかたち

こういうところに入るのははじめてだと言った。こういうところに入ってはいけないような気がしていたと言った。なにを選んだらいいのかわからないと言った。なにをどうしたらいいのかわからないと言った。そこにいる男が唐突に別の人間に見える。あるいは花に見える。好きな色を言ってみろと振り返った男が言う。さほど花には似ていない(花に失礼だと思う)。オレンジ、と答える。月に似ている。あらゆる聖なるものは白く見える。

哉村哉子さんは満月がしろく輝いていた夜、高級志向のアイスクリームショップでお焼香の作法がわからなかった話をしてください。
#さみしいなにかをかく
https://shindanmaker.com/595943

 

冷蔵庫のない生活を考えたことがある? 貰ったアイスをすぐに食べられなかったらそれはなくなってしまうってことなんだよ。はじめて冷蔵庫にアイスを入れたときとてもうれしかった。勝ったんだと思ったよ。そこはおれの私有の空間ですらなくて皿を洗っている間に溶けてしまったアイスを冷蔵庫に入れて笑ったのを覚えている。とても笑ったのを覚えている。うれしかった。うれしいと思っていたはずだった。

哉村さんは私的な記念日に、大人なら32歩で一周できる小惑星でハーゲンダッツをうっかり溶かしてしまった話をしてください。
#さみしいなにかをかく
https://shindanmaker.com/595943

 

半分をゆっくりとつついているあついあつい夏の日に吐いている繰り言。

芸術をやり直そうと思ったんだよね

人の文章を読んで懇切丁寧に褒めるという商品を、お店でやってるんですけども(いつでも請けてますのでお気軽にどうぞ、お店の収入はわたしのお小遣いの範疇なのでお小遣いが増えます)(お小遣いの範疇なのは単純に支払いが早いから便宜が利くという理由です)、「インスタレーションアートですね」と言っていただいて、

ああー

みたいな、

これまで全部腑に落ちたというか、

ああー

みたいになったんですよね……。

 

インスタレーションアートというのはざっくり言うと展示方法と空間それ自体を芸術として扱う芸術手法です。

htmlでやっていたことにしろ携帯サイトでやっていたことにしろ同人誌にしろ即売会でパワポ流すにしろTwitterbotにしろnoteにしろ、もちろん萩の原も、そうじゃないですか。

 

わたし幼年期の愚痴ばっかり延々と言ってる気がするけどなんかわりとあんまりだった気がするから延々と言わせてくれ。貧乏だった話をよくしていますが、貧乏だったのかそういう教育方針だったのかよくわかりません。とにかく時代が子供に習い事をさせるように要請していたのはたしかです。というわけで我が家にはピアノがあり、兄と姉は習っていました。そして子供に家で復習させるのがすごくめんどうだった母は、絵画関係の賞をふたつ取ったことがあったわたしを絵画教室に入れました。絵画教室なら絵画教室内で完結するはずである。多分。

劣等生でした。

8歳から16歳までやっていたのに、特に何も描けるようになっておらず、身についたのは色相環がそらで言えることだけという、わたしはいったいなにをしにあそこに行っていたのだろう。ものを子細に見るということがうまくできないのでデッサンができず、小説の書きすぎで腱鞘炎で細かい作業ができなくなり色がうまく塗れなくなってますます劣等生の一途をたどりました。先生はデッサンがすべての人でした。ピカソはデッサンができるという話をよくされたものだ。わたしが好きだったのはキュビズムとマグリットとゴッホです。そりゃデッサンできないとなれないだろうけどなりたいってんじゃなくて好きなのはブラックとマグリットとゴッホです……。

広島には現代美術館があって、高校生の頃にはもうどうにかして金を捻出してなにかっちゃ行ってた記憶があるから好きだったんだと思います。市立美術館も県立美術館も行きましたがそれは「教養」の範疇で、現代美術館は「救い」でした。自由になれる気がしたからです。

でもそのころにはもう自分の絵筆を全部捨てたあとだったんだよな。

デッサンができないことに疲れた。描いても描いても褒められないことに、自由な題材を選べないことに、金に気を使って油絵どころか透明水彩もねだれないことに、中学で美術部に入ったら上下関係がやたら厳しいポスターコンクール専門部だったことに、精密でリアルな絵がよくて商業主義も抽象画も違うみたいな権威主義に、美術の専門の高校に通っている子が絵がうまいだけではなく気も使えるみたいなことで比べられるのに、全てに疲れた。何を描いても褒められなくて展覧会に間に合わないから先生がどんどん手を入れた。わたしの絵ではなかった。

中学では技術工作の授業がわたしの創造意欲を満たしてくれて、高校の授業で抽象画っぽいものを一枚だけ描けた。あとは編み物をしていた。編み物は編み上がったらほどけばよかったから材料費がかからなかった。編み物だけは誰にも叱られないし自由にできるからよくてわたしはひたすら編みぐるみを作って欲しがる人にはあげたので何も残っていない。

 

いやだね。

どこかで掛け違った。わたしは最近まで自分の文章にすら自信がなかった。7歳の時雑誌の賞をもらって学年で一番良い絵を描いたと表彰されたときのわたしはそれが楽しくて仕方なかったはずだ。そして絵が好きだから絵を習いに行けばいいだろうと母は言った。好きだったんだと思う。もう思い出せない。

何が好きだったのか思い出せないんだ。

あれだけ劣等生だったのに先生はやめますと言ったとき引き留めてこういったのをずっと覚えている。「創作を多方面に続けることは視野を広げる、小説のためにも絵をつづけた方がいい」

中学でわたしの美術部から演劇部への転部を蹴った先生はこう言った。ずっと覚えている。「ひとつのことを続けられない人間はどうせすぐやめる」

絶対に忘れないんだよ。

わたしはひとつのことをつづけた。絵は描かなかったけどたくさん見に行った。上京するときはなによりも美術館に行くことを優先していた。執念のように絵を見ていた。

全部忘れていた。

言われた言葉は覚えているのに、そこに付随する感情を忘れていた。

 

そして(笑うところ)わたしの人生に閃光のように松野カラ松くんが表れて、「芸術とは理解されないこと!」と言いきったのです。

厳密には違うな。

「芸術を理解するかどうかは受容する側の問題であって芸術が芸術であるということは誰かに規定されるものではない」って言ったんだと思う。多分。

 

 

絵筆を買うかーと思いました。インクは(万年筆用が)いっぱいあるしなー。編み物も再開しようと思いました。

あと最近こういうのやっています。

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これはお友達の待ち受け画像を作ったやつ。短歌をグラフィックにしています。tumblrに上げてるよ。

楽しい。

本を作りました。来月展覧会があります。楽しい。ただいま。

帰ってきたんだ。

五時起きとtodoistとバランスボールの話

最近は朝五時に起きていて、いくらなんでもちょっと早すぎる(昼前後さすがにめちゃくちゃ眠い)んですが、7時くらいまで家事やって(二時間家事に費やせると楽しい)、8時からメールチェックとか昨日の売り上げメモしたりとかタスクリスト眺めるとかして(todoist使ってます、便利)、8時とかに味噌汁作ってあさごはん食べて、9時からちょっと出歩いて、10時くらいからお店の対応して合間に内職やってブログ記事書いてnote更新してGoogle検索を掘り返す作業(※Googleの日付指定でおそ松さんの放送初期の情報チェックをしています)やって、夜は19時くらいに食べて23時くらいに寝て、みたいな生活をしています。

フリーランスになってからどんどん健康になっていく……。でも先週ファミチキ2個食べたから多分肉を欲しているのでお金が入ったらまず肉を買おうと思う……。

でも一日何時間労働になっているのか直視したくない。でもそろそろ直視しないと時々床に倒れて寝ていることがあるので直視しないといけない……。我が家は床に倒れて寝るのに最適の住空間なんだ……でもせめてソファで寝ろと思うよね……なんのためのソファだよ……。

 

最近朝起きて窓開けてお茶わかしたら、とりあえずDVD専用機になってる旧ノートパソコン開いて、おそ松さんの1巻をエンドレスリピートしています。確認したいところあるから確認するまで1巻流しておこうと思っていたらもう二週間くらい一巻聞いている……。そして聞きながら家事をしている……。この生活……秋頃も……してたな……。

とりあえず一巻分終わるまで押し入れのなかをひっくり返して夏冬入れ替えて服を捨てて、シーツをひっぺがして洗って、そろそろカーテンも洗わないといけないし、カビも定期的にどうにかしないといけないし、冷蔵庫と風呂とトイレをいい加減ちょっと徹底して洗わないといけない。あと無限にあるネタ帳を読み返して整理したい。おそ松さん関係の雑誌が読めていない。今月のYOUすら読めていない。

というエンドレスに続く作業のタイムキープに使うにはアニメDVDの一巻分というのは手ごろだなと思いました。まあおそ松さんは3話入ってるんだけど。

 

 

「なにをやるにもやりつづけてしまう」というのがわたしの悪癖で、とにかくぶっ倒れるまでやってしまうので、チャイムが定期的に鳴るようにしておかないとまずいというのがあって、これはニート時代(あいまいな言い方だけどずっとニートだったようなところあるんだよな……)からずっとiPhoneのアラームにセットしてあります。朝九時におはようオーパーツ、十時半にノルニル、十二時に黄金の月、十三時に運命の人(スピッツ)、十四時半にBeautiful World(宇多田ヒカル)、十六時に夕暮れ(アナログフィッシュ)、十七時半にナイトフィッシングイズグッド、二十一時にJAMというラインナップで設定してありました、いま見たら。まるえつがかぶってるな……。

あとポアロ氏も若干時報することになっている。そうそうTwitterbot久しぶりに作りましたよわたしは常にTwitterbotを作っていないとさびしくて死ぬのかというくらい常に作ってるよね……。そういえばポアロ氏を作ったので寂しくなって、相方のほうも作ろう、と思い、「チュウレンジバチと手紙」というメールマガジンを始めたのですが、別にこれ100円とかでもよかったかなーと思わないでもないんですが、何人かお付き合いいただいてるみたいなのでだらだら毎日何かを投げています。日付の設定もミスった、毎日配信にしておけばよかった。(変更がとても面倒)※チュウレンジバチと薔薇という小説のキャラクターです

 

アラームとタスクリストが人生に必要なタイプの人間なんだ。

というわけでtodoistが便利なので有料に上げてアラームもつけたほうがいいのか? と思わないでもないんですが、iPhoneの公式のアプリはできる限り使いたいとも思っていて(どうせ消せないから)、まあアラームはそれでいいんだけど、タスク管理これ本当に便利。

詳しいことはググってもらったほうが詳しい記事ばかすか引っかかるんで早いんですが、UIが使いやすいのが一番よくて、視認性が高いのもいい。

あと、「タスクを延期する」というのが超簡単に操作できて、終わると「素敵な夜をお過ごしください」みたいな画面が出る。これはかなりサイコーだと思います。

「一週間ごと」とか「三か月ごと」とかルーチンの日付指定もさくさく入れられるので忘れがちなことを入れるのにも便利で、使うのが楽しいタスク管理サービスなのでずっとこれいじっていて、簡単なアウトラインが作れるので最近はプロットまでこれでやりはじめました。いや電波悪いところでもオフラインで使えるから便利でさあ……うちの風呂とトイレ電波悪くてさあ……。

 

 

あと最近の変化としては、机を三つ使ってます。

うち狭いのとロフトベッドの関係でデスクが入れづらくて、引っ越してきてからずっと無印の折り畳みパイン材ローテーブル使ってたんですが違うそうじゃないこれもう8年くらい使ってるんだ。パイン材が好きなんだ! そうじゃない! いやその話はいいんですが、ソファに座ってローテーブルがちょっと合わない、追加で買ってみたサイドデスクも微妙に合わない(というか物欲に負けて会わないことはわかってて買ったしこれサイドデスクじゃなくてサイドチェストなの知ってる)、そもそもソファ置かなきゃデスク置けたんですが、ソファ置かなかったらうちがどれだけ殺伐とするかはわかりきっていました。原稿用のタコ部屋になるんだろ。知ってたよ。ソファは人間性を守る最後の砦として導入しました。そして今のところ部屋らしい部屋を維持しています。

なんですが、いい加減座机は腰がやばい。

ということはわかっていて実家にも机と椅子を二万かけてセッティングしたんですがそれは運送費用がたるいということで全部置いてきました。

で、部屋の狭さに対して無駄に広いキッチンスペース(どうもそもそもキッチンスペースが必要な人向けに建てられたアパートらしい)にワゴンでも置こうかと思って、こういう感じの……これじゃないんですけど、構造としてはこういうやつを買いました。

デスクにもなるから使うかなーと思ったんですが、最近結局こっちで作業しています。キッチンで。

バランスボールに座って。

バランスボールのいいところは疲れてくるとバランスとれなくなるから立つかバランスボールで運動するかをするしかなくなるところだ!

キッチンで作業する利点は嫌でも皿が目に付くからさくさく皿洗いをしているところだ! うちは洗濯機もそのとなりにあるので(ほかに置くところがないんだよ)おおむね基本的な家事が作業中に終わる。

なお三つ目の机は人が来た時に出す用の折り畳み式ピクニックテーブルだったんですが、そういやうちの机全部折りたたみ式だな……。好きなんだよ折りたためるものが……狭いし……だったんですが、お手紙の資材が散らかるので出しっぱなしになっています。というわけでパイン材テーブルのほうでめでたく万年筆がいじくりまわせるようになりました。今フル稼働です。

 

 

ということで生活がようやく完成されつつあり、良いのですが、五時起きで床に倒れるのだけはどうにかしたい。

 

 

ライフハッカーみたいなエントリ書いてる……。

これで安心! セックスしないと出られない部屋に閉じ込められた時の対処法

誰がいつ言い出したのか、そもそも腐女子が言い出したのかそれ以外の人が言い出したのかすらもはやわからないのですが、セックスしないと出られない部屋という定番のモチーフがあります。この世には様々な危機的状況があり、巻き込まれないようにどんなに気をつけていても巻き込まれる可能性は残っていると言わざるを得ません。あらゆる災害と同じように、そうなってしまってからは遅いのです。いつセックスしないと出られない部屋に閉じ込められても困らないように、しっかり考えておきましょう。

 

まず、セックスしないと出られない部屋を出る方法は、セックスをすることです。

しかしこの場合、セックスとは何を指すのでしょうか。挿入でしょうか、オーガズムでしょうか、それとも別の定義があるのでしょうか。それは「部屋」ないしその部屋を管理する「誰か」に問うよりほかにありません。そのことをまず部屋に問うべきと考えられます。また、性交渉を行いたくないと考えている場合、「これは当方の定義ではセックスである」と主張することによって、性交渉以外の方法でクリアとなる可能性があります。

そのためには「部屋」と交渉する必要がありますが、おそらく「部屋」はわたしたちを監視していると取るのが妥当ですので、虚空に向かって取引を喋ることで伝達は可能であると類推できます。ただし、返答があるとは限りません、というより、おそらくはないでしょう。そのため、「今からするこれはセックスである」と宣言したうえで、任意の行動を取り、部屋の鍵が開いたかどうかを確認し、ダメだったら次をチャレンジする、というワンセットを繰り返すことが推奨されます。「部屋」が何を求めているのか、どこまでやればいいのかを探り当てることに注力したうえで、自分と相手はどこまでなら引けるのかということを冷静に判断して行動しましょう。

反抗的な態度は「部屋」の難易度を上げるだけではないかと取られる危険性がありますので、脱出手段を探す、部屋の破壊を目論む、等は「一応やってみる」程度に留めておくべきでしょう。それで脱出可能な「部屋」もあるかもしれませんから、状況に応じた適切な判断力が求められます。

セックスしないと出られない部屋とはニーズにこたえれば出られる部屋であり、逆にいうと「どこまでやったら出られるのかという定義は明確にされていない部屋」でもあります。まず定義を問うことはお互いのために最も幸福な近道であると言えるでしょう。健闘を祈ります。

定番! セックスしないと出られない部屋2016夏コーデ!

誰がいつ言い出したのか、そもそも腐女子が言い出したのかそれ以外の人が言い出したのかすらもはやわからないのですが、セックスしないと出られない部屋という定番のモチーフがあります。「自CPがセックスしません」という相談を持ち込まれるといつもきまって「セックスしないと出られない部屋に突っ込むといいですよ」と言います。そのくせ自分ではさほど使ったことがありません。うちの子はわりと勝手にセックスするから……。

さて、セックスしないと出られない部屋とは具体的にどのような部屋なのでしょうか。

 

セックスしないと出られない部屋に任意のふたり(ないしn人)を放り込んだ犯人(書き手です)は彼らにセックスすることを求めているのであり、死ぬまでそこにいることを求めているわけではありません。それ故に、部屋の条件としては、まず、「殺人事件が起こらない要件を満たしている」が挙げられます。凶器になりそうなものはすべて排除し、当然そこにあるであろうベッドの寝具も裂くなどして首を絞める用途には使えない素材、当然ベッドを持ち上げたり壊したりすることは困難であると考えていいでしょう。また、椅子や机はベッドと比べてその用途に適していると考えられますので、はじめから置かないのがベストチョイスです。そもそもセックスをする以外のためのものは何ひとつ必要ありません。デスクは要りません。

逆に言うとセックスをするために必要なものがそろっている部屋をイメージするべきであり、つまりそこはラブホテルをモデルにしているべきです。

しかし風呂はハイリスクすぎるのではないでしょうか? 風呂は溺死の危険性があります。シャワーで首を絞めるかもしれないし、自殺目的ではないとしても滑って転ぶかもしれません。セックスをできない状態になってもらっては困るのです。風呂も消しましょう。彼らを拉致してくる間おそらく彼らの意識を失わせる必要があるでしょうから、その間を利用して彼らを必要十分に洗浄しておくことが選択肢としてはマストです。他人に体を触られたことで彼らのセックスへのモチベーションはさらに下がるかもしれませんが、そもそも低いせいでこんな部屋に入れられたのだから考慮する必要はありません。

逆にトイレは必須条件であると考えられます。セックスまでの期間が長丁場となった場合、入浴に関しては一日一回のことですからまた意識を失わせて定期的に洗浄を行うことで解決しますが、トイレに関しては頻度も多いことですし、そこまで管理されると彼らのモチベーションが下がるばかりでしょう。溺死そのほかの死因に充分留意し鈍器の材料になるものが決してないトイレを用意しましょう。

そのほかの調度および食事、そして嗜好品等の供給に関しては、彼らの趣味嗜好を分析し、「彼らの中でセクシャルなムードとはどのようなムードか」「逆にモチベーションが下がるムードはどのようなムードか」「食事の好み、食事を摂ったときの体調、精神的な効能」等に配慮し、いわゆるラブホテル調にするかそれとも意外と監獄風のほうが良いのか、煙草や酒、あるいはいっそ媚薬を食事に盛るべきか空腹状態のほうが効果が高いと取るべきか、十分な分析を行うべきで、一概にこれが正解といえるものではないでしょう。

 

本日は夏コーデということで、ひとひねり加えて「セックスしないと出られない無人島」を提議いたします。生命の危機に瀕して高まる性欲を見込んでのことですが、暑すぎて共寝がつらいというほどの無人島を選ばないように気をつけましょう。ハッピーセックス!