たかがアニメの感想だぞ

わたしは2015年に30冊くらい同人誌を作るくらい二次創作が好きで、忘れたけどpixivにも200件か300件くらい投稿をしていました。同人誌を刷るためなら薄給を削っても惜しくなかったし毎日楽しく暮らしていました。

 

二次創作をやめたいまも楽しく暮らしています。わたしは楽しく暮らす才能があるからです。

 

でもだからといって二次創作をやめたほうがいいんだろうなと思うに至った経緯のことは許してないよ。

 

面倒臭いので今回の件の火元に関してはリンクを張りませんが(当ブログは基本的に火元のリンクは貼りません)「舞台レポ漫画」は「ナマモノ」だから「漫画・アニメ作品(いわゆる二次元)を題材にしたスペースで頒布すべきではない」の話ね。

問題点は以下だと思います。

  • 「ナマモノ(いわゆる3次元)」の取り扱いが微妙であるとして、その微妙さに言及できるのは微妙さに日々さらされている当事者間の問題であり、第三者が注意喚起できるかどうかはそれもまた微妙な問題ではないか(この件に関しては本当に媒体によって微妙さの種類が色々に存在するのは知ってるのでこれ以上踏み込む気はありません)
  • 「ナマモノ」と「半ナマ(いわゆる2.5次元)」の取り扱いの問題はそもそも別のはずだし(これも媒体によって全く別とは言い切れない側面もあるらしいので全く別とまでは言いませんし部外者が踏み込む気もありません)、舞台は「2.5次元」では?
  • そもそも「ナマモノ」「半ナマ」という表現は「二次創作的フィクション」に対しての呼称であり、「レポート」「感想」の類は「評論」であって、ここまで挙げてきたあらゆる「微妙さ」とは全く関係ないのでは?
  • また根本的な問題ですが、「アニメ」スペースで「評論」を頒布しようが逆に「評論」スペースで「ジャンプFC」を頒布しようが(コミケのジャンルコードっぽく例えましたがコミケ以外のイベントでも)、イベント側が規制していない限り自由である

 

まあナマモノと半ナマに関しては微妙にこう十年間くらい聞き取りができるシーンがあれば「最近どうですか、どんな感じでやっていますか、若い人とはうまくいってますか」みたいな話をぼちぼちして、誠実な対話ができる人もいればできない人もいるし、べつに理屈が通らないわけでもないし、でも平和にやってきたので平和にやらせてくれというのがあるのはわかっているつもりなので別に踏み込まない。逆に言うと「ウワッめんどうくせえ!!」と言われるのを覚悟でやっている(やらざるを得ない)ということなんだろうな~という話はいっぱい聞きました。のでそれが「微妙」「繊細な問題」と言われること自体は頑張ってくれーッと遠くから言うことが友人として誠実な態度だろうと思っています。

でもそれは「ケガレ」の問題じゃないんですよ。

普通に具体的に障りがあるという理由があるわけです。たとえばわたしがほんの少しナマモノジャンルにいたころは妄想の対象である彼らの多くが男同士の同性愛に対する完全な偏見を持っているということは分かり切っている状態でやっていました。本人に絶対にばれたくない(ラジオとか舞台でネタにされたくない)ということがおわかりいただけるかと思います!!!!!

なので、「ナマモノは立ち入り禁止」みたいな言い方をするのは、どうなんだ? 「ケガレ」だから「近寄るな」という話になっていないか? というのが気になったポイントですがていうかその話もいまはどうでもいいんですよ。

 

他人の活動につべこべ口を挟まない!!!!!!!!!!!

 

わたしはブログに書いている文章を一貫して「感想」と呼んでいて、noteの有料エントリに上げているもののことは「評論」として書いていますが、それはそれとして全部コミケのジャンルコード的に言うと「評論」です。感想、考察、評論、なんでもいいですが、「データベース本」の話は今回はともかく、基本的に「評論」というのは別に「事実」ではありません。いいですか、「評論で扱われている言説は事実ではない」それこそ「個人の感想です」!

なにをうじゃうじゃ喚いているかというとですね。

かつてわたしは同人誌を月に三冊くらい作りながらpixivをぱかすか更新しながらアニメや漫画の感想をばかすかTwitterに書くタイプのオタクでした。アニメがあんまりおもしろかったのでアニメの感想をブログに書きました。なぜかめちゃくちゃバズってしましました。まあそれはいいです。ありがとうございます。

荒らしと粘着が付きました。まあそれもいいです。よかあないけどインターネットの風物詩ですからね。

捨て垢でもなんでもない普通のオタクアカウントから、「あなたに影響を受けた人たちから攻撃を受けてとても困っていたのにあなたは楽しそうにしていてわたしは泣いている」みたいなリプライを受けました。

この場合悪いのは誰でしょうか? わたしではありません。あってたまるか。

  1. わたしに影響を受けていて、わたしの考えたことを基準に何らかの発言をした人(※実在するのかは知らない)
  2. わたしに影響を受けていなくて、わたしの影響を受けた人の何らかの発言に傷ついた人

答えは両方です。

  1. 影響を受けるな。
  2. 傷つくな。
  3. おい冷静になれよたかがアニメの感想だぞ!?

まあね、でもおまえのせいで喧嘩をしてると言われたらさすがにどうかと思うよ。という理由でわたしは「俺のせいで喧嘩をするなよ」と言う完全な体制を整えるべく、二次創作を発表するのをやめ(かなむらさんはどうせ○○を書くような人だからと言わせる権利を奪い)、知的な発言を増やし(かなむらさんの影響を受けている人は悪い人だと言う機会をできるだけ削減し)、そのうえで喧嘩の火種になりそうな文章を有料課金制にし(金を払って影響を受けた人は別に影響を受けるくらい正当な権利では? そして金を払わないと読めない以上傷つけられた人がいたとしてもわたしのせいではないのでは?)現在のような状況があるわけです。

 

この件を受けてレポ漫画の件についてなんでこんなにとやかく言わないといけないと思ったかというと骨子はこう。

  • 人はイベントルールに則っていれば頒布したいスペースで頒布する権利があります。
  • それはそうと、人はダルいインターネットに出会ったら全力で逃げる権利があります。
  • 都合と判断はひとそれぞれです。
  • 他人の意見を鵜呑みにするな。自分の首の上に乗ってるやつを使って考えろ。
  • 他人の意見を鵜呑みにして攻撃的になった人間の攻撃性の責任は、わたしにはない!

 

もう昔の話なので書きましたが、おそ松さん二期が始まってわたしが同じ轍を踏むと思うなよ。お楽しみに! 夏コミ受かってたら評論で出ます! よろしくね!

思索のための手仕事、あるいは相談を受けるということについて

夏コミ申し込みました。で何冊出すんだっけみたいなことを考えたら四冊スタート本音としてはもうちょっと出したいみたいな状態になって、ウワッこれどこから手をつけたらいいんだって感じになり、結果として、考え事をしながらコイルを巻いていました。だいぶん上達をした……と思う……。

コイルを巻くとこういうものができる。これはモールス信号ネックレスです。モールス信号ネックレスの発展として短歌や俳句をモールス信号でネックレスにするというのも考えてるんですけどなにしろ長いのでデザインに難渋している。服飾デザインの勉強、全然関係ない世界すぎて知らないことばっかりで面白いし、模索しているうちに近代アメリカにするっと行きついてやっぱりなーと思った。わたしはデザイン関係はたいていアメリカに行きつく。

 

なんでアクセサリー作るようになったかという話はいろいろな理由があるんですが、なんでそれを続けているのかというと考え事をしているときにワイヤーをいじくりまわしているのが一番捗るというのがあり、次点ぼんやりしているときや目を通さないといけないけど特に何も考えないでいたいときは編物が捗ります。いえ、作るのが捗るのではなくて、思索が捗るのです。思えば子供のころからずっとそうだったような気がする。何かを考えるために歩き回り、泳ぎ、手仕事をし、料理をする。うっすらと考え続けるために。

 

人生相談を受け始めてから何年になるのかよくわからない。このよくわからないというのは数が数えられないという意味ではなくてどれが相談でどれがスタートだったのか切れ目がわからないという意味です。でも子供のころからなんとなく長話を聞かされることが多くて、なんとなく聞く側に回ることが多かった。という話は前にブログに書いたんだったか。わたしの家庭環境においては「わたしから語り始めることが可能なこと」は少なくて、だから黙って聞いていることのほうが多かった、そうするとほかの子はみんな自分の話をしたいので聞いてもらえる相手を見つける、わたしが見つかる、わたしが聞く。という順番だったんだろうと思う。

わたしにも話したいことがないわけではなくて、でもわたしの話したいことはうまく説明できなかったので、聞かせる相手はいなかった。だからわたしは自分と話し合うことにした。自分と話し合うというのが思索ということで、思索をうまく行うためにコイルを巻いたり編物をしたりしているわけです。散歩と水泳ももうちょっとやってほしいものだと思う。特に水泳はここのところ体調が悪かったのでまる一か月ほどさぼってしまっていて……。

思春期の頃はほどんど緘黙症だったこともありました。今でも疲れているとよくどもる。別にわたしは喋るのは得意ではない。

 

たぶん人より、ものを考えている時間が長いんですよね。黙っていることも苦にならない。人の話を聞くのは本当は別に得意ではないんだけど、なにしろ訓練する機会はたくさんあったので、「重要な情報」と「聞き流していい情報」を切り分けることができるようになった。喋るのはいまでも別に得意ではない。よく黙るし口ごもる。口ごもっている間は待っていてもらう。喋るのは得意ではないけど、口ごもったりどもったりするのを恥ずかしいとはあまり思わなくなった、しょうがないので。思わなくなるまでにはいろいろなできごとがあったのもたしかです。

 

まあそんなわけで「相談を受ける」ということに人より慣れていて、いまのところをそれを収入源にしていて、いや別に聞くのはいいんだけど喋るのはそんなに得意じゃないんだよなあ、こんなこといつまでも続くかどうかとは思うんだけど、まあ今のところやっていて、そもそもここ五年くらい相談を受ける頻度がめちゃくちゃあがっていたのもたしかでした。そりゃそうで、インターネットで匿名の人から質問を受けるプラットフォームが流行ったのがきっかけでインターネットの不特定多数から相談を受けるようになって、その結果爆発的に増えたという経緯なんですが。ask.fmというサービス、そういうかたちで相談に乗るのが上手い人がどんどん可視化されているところ、かなり高頻度で見かける感じがする。

 

相談を日常的に受けるようになってようやく相談を受けるときのこつみたいなものが最近つかめてきました。最近かよって感じですけども。まあ長い間人の相談に乗ってきたとはいえこんな量の相談をさばくこともなかったから……。

・依存関係に陥らないこと

・相手は自分の話がしたいのであって「わたし」はできる限り「あなた」を理解することに注力する必要があること

・必要な助言は大抵パターンが決まっていること

悩みを打ち明けられて一番徒労に終わりやすいのが親身になって一生懸命最適解の助言を出そうとすることで、これは大抵の場合必要がない。それはもちろん「殴られたんだけど警察と病院どっちでしょうか」「おそらく警察です」みたいな、いや状況によると思いますがこれは喩えですが、具体的な助言が具体的に役立つシーンというのはあるんだけど、はっきりと割り切れない問題はめちゃくちゃ多くて、それに対して「こうでこうが正解だよ、これをやれば解決するよ」は、親身になっているのは確かなんだけどお互い別に何の役にも立たない、徒労、ということがけっこうある。ので、たとえば接客業とか、あとわたしのような相談に乗り慣れている人間とかの、「パターン化された回答」のほうが役立つというシーンのほうが、個別にいちいちちゃんと考えて対応するより相手にとっては受け止めて処理しやすい、みたいなことはわりとあるっぽいなと思う。

必要なのは「これが正解」じゃなくて「何が『あなた』にとって正解なのか」を理解すること、わからないなら「あなたはどう思う?」と問いかけることなんだろうな、必要なのはある程度マイルドに映る鏡であって他人じゃないんだろうなと思う。

「こんなことずっとやってられるのか?」と思うのはその点で、「相談を受けているとき、わたしはそこにはいない」をあんまりやっちゃうと「わたしとはだれか?」がきわめて曖昧になってしまうのでは? なりかけているのでは? ということで、たぶんバランスを取るためにコイル巻いてる(あるいは糸をいじってる)部分はあると思う。

 

ところで相談に乗るとわりと高頻度で「何か恩返しをしなくては」と言われることがあって、一方的に与えられて終わるということを受け入れるのは体力の要ることで、要ることだということはわかるけど頼ってしまったのは事実なので一方的に与えられて終わるしかないということをある程度は受け入れて欲しいと思う。「親身にしてもらったから恩返しをしないといけない」という感情自体はべつに否定しないけど、「自分も親身になる」以外ないし、申し訳ないけど普段親身になり慣れてない人が親身にしてもらったからといって自然に親身になれるかというとなれない人がほとんどだし、別に普通に感謝するだけでいい。感謝というか、わたしが親身になったという事実、そしてそこで親身になってもらったことで扱われた自分自身に対して、敬意を払ってほしい。

相談を受けて一番徒労感を感じるのが、「自分に向き合う」以外ないですよとお伝えしたのに「自分に向き合っていない」人を見るときで、依存というのは結局そういうことだと思っている。わたしが敬意を払ったあなたに対してあなた自身も敬意を払ってくれ。徒労に終わらせないでくれ。

 

それで結局わたしは夏コミで何冊出すんだろう……。

誰が架空の鹿を殺したか、あるいはインターネットフォークロア「おそ松さんとインターネットとわたし」

そろそろTwitter(@bkyd)でおそ松さんの話をするとフォロワーが減るまでに至ったのでこれまでのあらすじです。

 

~これまでのあらすじ~

わたしの文章がうますぎたので馬鹿が爆釣れした結果、文章がうますぎる責任を取ってプロになりました。

以上。

 

長い一年でしたけどもう一年も経ったのに「鹿さん(※わたし)の文章がうますぎるので虎の威を借った人たちが迷惑です><」もクソもねえだろと思うので猫をかぶるのはやめましょう。どうも架空の鹿です。半年ほどきーわーめーてー静かに淡々と仕事をしていましたし別に今後も淡々と仕事をしていくつもりなんですが、いいかげんおそ松さん関係のnote更新してほしいッスとコメントをいただき、そうやなあ有料マガジンやしなあ止めてごめんなあと思いつつ、おそ松さんのことを考えていたら、まあ5話一周年ですし、どうしても当時のことを思い出して

腹が立って……

きたのでもうなんかブログでも書くかと思って書いている次第です。おひさしぶりでーす。きわめて感情的に文章を書いていますしそもそもきわめて感情的に文章を書いちゃいけない理由が何かあるのか?

 

当時もさんざん言ったけどもう一回言うけど、わたしに「ギャグにマジレス」って言った人全員に言いたいんだけど(そんな人もうここ読んでないと思うけど)、

じゃあギャグアニメの感想におまえはなんでマジレスしたんだ。

ギャグにマジレスしてるわたし自体はもちろんギャグだし、そしてそれを笑ってるおまえのその状況もギャグだぞ。

なにを俺のほうがギャグを理解してる面してるんだ。おまえがギャグだぞ。

 

アニメの感想を書くという罪のない遊びをしていただけでなんであんなにいろいろな目にあわされたのかいまだにあまり理解できていないんですが、この一年間いろいろなことを考えたし、もう二度とあんな目に合わないためにはどうしたらいいのか考えたし、「アニメ考察」という罪深いと言えば罪深い(しかしたわいのないといえばたわいのない)遊びがこの世に存在することをわたし経由でうっかり知ってしまった人の責任を取ったほうがいいのかもしれないと思ったし、ていうかもう面倒くさすぎるのでアニメとか漫画とかゲームとかの感想を書くつもりいまのところ一切ないし死んだ作家ないし友達の話しかしたくないしおそ松さんに関してnoteに掲載しているものも分析であり情報の整理であって感想じゃないしましてや考察とかでは一切ないし、ていうかわたし二次創作界隈で使われる考察という言葉の無責任さが松でバズって以降本当に嫌いなんですけどまあその話はいまはいいですけど、まあそれはいいんですけどわたしが言うべきだったのは

 

うるせえ馬鹿は死ね

 

の一言だったのではないかと思わないでもないです。

 

友達が「2016年にアニメの感想が炎上した人」ってわたしを紹介しているんですけどマジでそれ自体がギャグすぎてわたしも早く笑えるようになりたい。

 

 

応援してくださってた方とかわたしを好きでいてくれた人に対してこういうこと言うの本当に申し訳ないんですけどわたしはいまだにこういう形でアマチュアではいられなくなったことが悔しくて仕方ないしプロになればいい金を取ればいいって言った人みんなに

「これで満足?」

って聞いて回りたい。プロになるということは言えないことができるということだし守るべきものができるということだし責任を負うということだしもう二度とできなくなることがたくさんあるということだし、わたしがいまとても楽しく仕事をしているということとは全く無関係にわたしは、目が覚めたらなにもかもリセットされていて何かを好きでいることが端的にそれ以上の意味を持たない世界に戻れるのなら多分戻る。

 

仕事は楽しいです。夢がたくさん叶いました。

それはそれとして怖くてたまらないのも本当なんだよ。

 

むかしむかしあるところに、楽しく暮らしているオタクがいました。どうでもいいことを毎日言って、仲間たちと楽しく暮らしていました。ある日オタクのTwitterがたくさんリツイートされました。そうしてオタクはどこかにいる誰かに言われました。「もう帰ってこないで」

目覚めかける瞬間に「ああ、帰らなくちゃ」と思うことがあります。

どこに?

 

 

 

 

ていうかこの「誰が〇〇を殺したか」がマザーグースが元ネタでギャグアニメの文脈で引用するんだから当然パタリロだということもたぶん伝わってないんだろうなということに今気づいた。

収入がホニャララみたいな額になったのでみたいなお知らせ

わたしは知っている……! こういうとき具体的な額を出すと燃えるもとだということを……!

 

何回か書いたお仕事進捗のおしらせの続きです。フリーランスで在宅でなに……何かを……できるかぎりのいろいろなことをやっています。

最近は生活パターンがぐちゃぐちゃなのでそのへんうまいこといっていません。朝は七時に起きてはいますがよく昼前後くらいに床で死んでいます。夜はなんだかんだで二時ごろまでいろいろ終わらないことが多い。ゼミを始めてしまったので夜遅くなるのはもうどうしようもない側面があり(別に毎日やってるわけではないはないんですが)床でぶっ倒れてないでちゃんと昼に昼寝の時間を作ることで調整しようと思います。朝は起きたいんだよ。というか、朝起きるようになっちゃったから、もう今更変えられないんだよ。まあ夏の真昼間なんて寝るためにあるような時間ですからフリーランスをせいぜい楽しむ形で昼寝昼風呂しようと思います(夜はなんかぶっ倒れてるうちに風呂を忘れる)。

 

noteは投げ銭フォーマットとしてよくできてるんですが、そしてみなさんさくさく投げ銭してくださるのとわたしがぱかすか更新するので実を言うと生活費くらいさらっと頂けているのですが、noteは結局フォーマットに依存していることになるわけで、そこでライフラインを担保するのはかなりまずいだろう、しかしブログで稼ぐという感覚がよくわからんし広告収入はギャグでやるんじゃない限りあんまり真剣にやればやるほど泥沼って感じするんだよな、などと思っていたところ、「鹿さん(※わたし)タイトル考えるやつやめちゃったんだっけ」と誰かが言いました。

ask.fmやってたころ、あらすじ投げたらタイトル考えるよという遊びをやっていたんですね。

無料でやるとまあめんどいのがまた来るかもだし、百円でいいよ一応有料ねとか言って、ショッピングカートサービス借りてきて、開業しました。

購入には住所登録が必要なので、「じゃあどうせ住所登録してもらうんだからそれ有効活用しよう、手紙書くよ」ということになって、タイトルと手紙で開業しました。あとおはなしもあったかな。あれはなんで置いたんだったかな。小説が書きたかったのかな。今扱ってないですがそのうちまたなんか執筆依頼フォーマットは用意するようにします。

 

「そんならあれもやってくれよ」

「これも前やってたじゃん、金取っていいからやってよ」

がめちゃくちゃいっぱい来て、今の状態になりました。今再構築中でいくつか下げてますがそのうち戻します。

君にジュースを買ってあげられるくらいの額になりました。おめでとうございます。こっちはショッピングカートさえあればできるので、BASEが沈んでも最悪自分で構築するか人に金を払って構築してもらえばよくて、体力の限り続けられると思います。というわけで毎日のようにSkypeをしたり一日に手紙を十通書いたりしながら暮らしています。

 

わたし多分人生相談やさんとしての能力が一番金銭的価値があって芸術や文学のほうはおそらくたいして金にならんだろうなと思ってはいたんですが、まじそうだな、と思いながら日々人に寄り添うことを考えて生きたりその裏で必死に埒もない芸術やったりしています。なるほどなあ……自分で人生相談やさんを開業したらよかったんか……まあでも萩の原ってフォーマット自体がインスタレーションアートじみてるところはある。体験型アトラクションていうか。

 

そのうち「おはなしランダムガチャ」を設置するよ。

 

 

床でぶっ倒れるのをやめたいです。二次創作同人やってた頃もよく床にぶっ倒れてたな……。

まあでも、あと、店に客が来ない時はnoteやればよくて、店が忙しいならそれでよくて、みたいなところでいまバランスが取れてるのでありがたいこってす。

塾を始めました

まあいつか始めるだろうとは思っていたよね……。

そもそも小説技法の話を一問一答ではじめたのは、ask.fmがきっかけだったと思うんですが、なんか延々と二年間くらい一問一答を続けまして(途中もう無理だと思ってブログでやろうとしてなかなかうまくいかず)、諸事情あって匿名のやりとりにうんざりし、撤収した結果、金銭の絡む形でやるしかないだろうという結論に達して、今に至ります。金が欲しくてやってるわけじゃなくて、いや、金は欲しいけど、インターネットの有象無象のノイズがやかましいからだよ!!

わたしがだれのせいでインターネットで金の話しかしなくなったと思っているんだ!

まあでも「金くらい払いたかった、今の状況は素晴らしい」と言ってくれる方だけ相手にしているのはたいへん楽でいいです。

 

ということでコースが松竹梅とあります。

Skypeセッション 一時間2600円

マンツーマンでお話を伺って色々相談に乗るコースです。人生相談とかなんでも可。事前予約制。

萩ゼミ 一時間1500円

Skypeが落ちない範囲内で(うちの回線だと何人で落ちるのかまだ不明)何人か集まって創作技法関係二次創作関係の講義やら軽い演習やらというのを想定しています。安いのは団体割引ですが、当面マンツーマンしか集まらなくても開講予定です。希望の時間帯を教えて頂ければ他に集まらないかどうかアナウンスします。

原稿督促メール 月額648円

わたしが忘れているか死んでいないかぎり毎日メールマガジンが届きます。メールフォームからご連絡いただくとだれそれさんは締切もうじきですね白紙何枚ですかとかアナウンスします。用事がない日はどこそこの印刷所のこのプランが気になるとかワールドトリガーのオンリーイベントがどうとか適当な雑談とウェブショップの広告が届きます。

あとメルマガ会員特典として自習室を開けています。他の予約やゼミの予定がない限り、メールに記載したSkypeの専用アカウントに13時~22時までログインしてますので、適当に声をかけてください。これは自習室なので特にアドバイスとかはありません。打鍵音と外国語のラジオと鳥の鳴き声が聞こえるだけです。どうせわたしはそこにいるんだから別に遠慮しなくていいよ……。

 

以上です。特にメルマガに関しては人が集まらないとコンテンツとしていまいちおもしろくないところがあるのでできればたくさんの人に登録していただければと思っています。

あとえーとなんだ……講師の紹介をしなくてはならない……哉村哉子(かなむらかなこ)と申します。20年くらい小説を書いています。去年同人誌を30冊くらい出しました。最短記録個人誌8時間合同誌5日。現場からは以上です。

インターネットに善なる時代などなかった

べつにこれはインターネットの話ではありません。抑圧の話です。

個人のホームページをやっていたころ世界は「すべて」明るかったという認識は誤りです。それは「あなたの界隈が」個人サイトに向いていたのであり、「たまたま」抑圧を受けなかったか、受けても処理する能力があったのです。

 

まず、SNS社会である現在には明確な闇があります。

携帯電話で、メールのやり取りをするようになったころから、いや仕事にメールが導入されて以降言われつづけている「レスポンスが早い人間が信頼される」問題、電話なら不在で済んで、できるだけ早い方がいいもののこちらの都合のよいときに返せばよかったものを、メールという文化が始まったときから、来た瞬間返せるフォーマットが整ってしまったせいでレスポンスそれ自体に信頼がおかれるようになりました。それがパソコン通信やインターネットホームページに結び付いた結果、「メールの返事してないのに更新してる」みたいになり、SNSはその一極として、「リプライ返してくれてないのにツイートしてる」が目に見えるようになってしまった、リプライを返す返さないひとつで悩みはじめればきりがないほど悩むしかなくなってしまった。

それは事実です。これを皮切りに、インスタントに知らない相手と連絡が取れるために生まれる軋轢、インスタントに「ファン」を集めてしまうことによって「第三者が代理戦争に参加してしまう」現象、インスタントに粘着し攻撃するためのアカウントを作って嫌がらせを繰り返すというTwitter特有のタイプの「荒らし」、そして、「まわりのみんなと同じリアクションをしなければ」や「わたしとみんなの意見が違いすぎる」や「みんな楽しそうなのが見えるせいでとてもさびしい」、そして、あらゆることが数字で見えてしまうために見える格差に対する精神的ストレス、といったあらゆる問題と隣り合わせにTwitterを、あるいはpixivを、あるいはSkypeやLINEを、十年くらいログインしてないけどmixiを、アカウントだけ取って放置してあるけどfacebookを、やっているわけです。

これは事実です。オタクに限った話ではありません。やってる人はみんなそう。還暦を超えたうちの母はメールになんて返信したらいいかわからなくて困ったという内容で電話をしてきます。

 

他方、ブログサービスや、自分でhtmlを書いてサーバーにアップロードした個人サイトは、(はてなとかほとんどSNSじゃないのかという気がなんとなくするんですが雑感だから聞き流してくれ)、コミュニケーションをある程度コントロールできます。メールアドレスはインターネットリテラシー上記載したほうがいいと思いますが、それ以外の連絡手段はコントロールできます。

今、少なくとも二次創作同人サイトを作ってわざわざ見に行く人はほとんどいない状態ですが、なんせpixivで見た方が早いし、TwitterならTwitter内で検索してインスタントに仲間っぽい人を探せるし、とにかく全部インスタントですから、いちいちGoogle検索なり使う必要がないわけです。

そしてここがポイントですが、腐女子向け同人サイトはGoogle検索に引っかからない努力をそもそもしてきたという歴史的な経緯があります。

というわけで読者とリアクションをコントロールしたい場合、というかリアクションが要らない場合、個人サイトは最適なフォーマットです。

そしてたくさんの人がpixivに移動しました。

リアクションが欲しいからです。

 

もちろん現在個人サイトやブログではなくTwitterとpixivが腐向け二次創作同人(とりあえずそこに限定するのはそれ以外のオタク界隈のことをよく知らないからです)に移動したのは、「更新が簡単だから」「アップロードが簡単だから」はあると思います。tumblerに上げてる人もいる、楽だから。でも個人サイト時代リアクションがあまりに貰えなくて心が折れた人は多いはずだぞ。

個人サイトに掲示板を置き一言メールフォームを置きウェブ拍手を置き、レンタル日記がブログになってブログにコメント欄が付き、そのすべてを使って何か伝えてもらうより、Twitterで心臓を殴って何らかのリアクションを伝えるのは楽です。いいねである必要すらありません。わたしの界隈では「いつか殺す」という意味でいいねを押している人もいます(favologと連携しておけば言質が取れるし……)。

 

個人サイトが何故二次創作腐向け同人で閑古鳥が鳴くようになったかというと、「リアクションが貰えないから」がひとつ。

付け加えておきますが別に今でも個人サイトやってる人はいます、リアクションが特に要らないなら自分で全部管理できるんだから最適なフォーマットです、ていうか、わたしも二次創作やってた間個人サイトずっとやってました、ログを取るペースが書くペースに追いついていなくてろくに収納できてなかったですが……。

少なくとも腐向けに関しては(いわゆる夢界隈にも似たようなあるいはもっとキツい問題があるようですが、そちらにはあまり明るくないので言及のみに留めます)、もう一つ問題点があります。

望まざる読み手からの嘲笑です。

 

以下はきちんとしたログを取っているわけではなくわたしの記憶によるものにすぎないので、各自リアルタイムをご存知の方は脳内補完して実際はこうだったああだったと情報更新なさってください。

わたしがインターネットを始めたのは2000年です。それより前もいじったことはありましたがなにぶんダイアルアップ接続の時代ですからろくに触ってない。怒られるし。

当時はBL二次創作を扱っているサイトでも平気で公式サイトにリンクを張っていました。

それが「二次創作をやっているサイトはアクセス解析をつけたほうがいい」、アクセス解析自体はおもしろいおもちゃなのでそういうのが好きな人はどんどん導入していた時期でしたが、「つけたほうがいい」なぜなら「2ちゃんねるに晒されてるかもしれないから」。なぜ晒されるのかというと「腐女子というものが存在することが、彼らの文化圏に入ったから」です。腐女子というか男同士の感情のやりとりにときめきを抱く女は森茉莉を代表としてたぶんもっと前から、平安文学とか漁ったら出てきそうなもんだけど、とにかくフツーにずっと大量にいるわけですが「めずらしいのでいいおもちゃになる」という判断をされることになったのが、インターネットが始まって文化衝突が発生した結果です。

アクセス解析というものを理解したのでみんな公式サイトへのリンクをはずすようになります。「二次創作をやってることがバレるから」「わたしの存在がバレるから」。やがて、「公式サイトにリンクを張るのはリテラシーがなってない」まで発展するのにそう長い時間はかかりませんでした。その他にも、公式サイトとのいわゆる「二窓」(ウィンドウをふたつ出すこと、当時タブ機能はありませんでした)、「公式サイトを見たあとブックマークから同人サイトに飛ぶ」のも禁止。

「BL二次創作は検索除けメタタグを入れた方がいい」が「常識」になっていったのが2003年ごろではないかと記憶しております。

当時オンラインブックマークというサービスが結構はやってたんですが(今でもやってるサービスはありますがでもクラウド化以前の文化って感じだな……)、これは公開ブックマークにすると検索にひっかかる、検索除けしてるのにやめてくれというのがひとつ、そして出先にアクセスログを残さないでほしいのでそもそも非公開であってもオンラインブックマークはやめて個人の範囲でアクセスしてくれというのがひとつ。

そう、「学校や職場やインターネットカフェからのアクセスはご遠慮ください」もあった。

 

どうしてここまで問題が肥大化してしまったのかわたしにはあまりよくわかりません。もっとマシな対処があったのでは? という話はいまはいいです。

でも文化衝突が起こってBLという文脈を知らない人間からおもちゃにされるようになった結果、選ばれた結論が「隠れるために相互に抑圧しあうこと」だったのは事実です。それが視界に入らなかった人は、それが視界に入らなかった文化圏に住んでいた人であり、それが視界に入っても適応した人は、適応できた人です。

わたしの知る限りにおいて、ここまで苛烈に彼女たちが「自分たちはいけない存在で、隠れるべきなんだ」と主張したのは、このインターネットにおける苛烈な抑圧の歴史以降のような気がしています。もちろんそれ以前も自罰意識と自重圧力はあったのかもしれませんが、わたしの記憶する限りの話にすぎませんし当時わたしはまだ学生ですしそもそも腐女子当事者ですらありませんでしたので全く内実はわからないんですが、でも

「ここまでじゃなかったことない?」

と、部外者として一連の流れを見ていて思いました。

なおわたしはこの歴史の間ずっと「BLも読むし、腐女子の友達もいるし、話にも基本的に付き合えるけどエロい話はちょっと難しいかなという、オールキャラ健全の人」でした。なぜこの問題をずっと観測していたかというと、わたしからBL二次創作のサイトにリンクを張ったりご挨拶に伺ったりするのはご迷惑なのかな? と思って眺めていたからです。BLを書くようになったのは2008年からで、当時は携帯サイトであればそのへんのルールがゆるい雰囲気だったので、携帯サイトで書いていました。

 

今なら晒されたらアカウントを消すか作品を限定公開にするか非公開にしてTwitterに鍵をかけてあるいは鍵垢を作って引っ込んでしまえばあらかた片付きます。

もちろんSNS時代の二次創作者には別の抑圧があり、pixivのタグを分ける問題であるとか、なにしろあらゆることがカジュアルなせいであらゆるリアクションが送りやすすぎて炎上は日常茶飯事であるとか、いろいろ問題点はありますが、少なくとも今pixivにふつうに投稿している人は検索除けには気を使っていないはずです。なぜならpixivは限定公開にしない限り全部Google検索にひっかかるからです。Twitterやニコニコ動画ではいわゆる検│索│除│けが行われていますがこの手の検索除けは検索除けとしての用をなさないので検●除けがお勧めですというかマシです。まあtipsのことはともかく、少なくとも検索除けは形骸化しつつある。

喜ばしいことです。別に避けたい人は避けりゃいいし隠れたい人は隠れりゃいいんですが、それを人に押し付けて回って常識がどうネットリテラシーがどうというのは抑圧である。あと別に腐女子じゃない人も悪い人ばっかりじゃないし混ぜてくれない? わたし今BLも書くから仲間にカウントしてもらえてるけど、男女恋愛やってる人ともBLやってる人とも仲良くしたくてさびしかったよ?

 

 

あとさー、SNS時代、コミュニケーション取るために相互フォローがどうとか構ってタグがどうとか鬱陶しいはわかるけど、昔は良かったみたいになると、キリ番リクエストとか、バトンとか、昔だってろくにかわんなくなかった……?

さびしいんだ……。昔も今もずっとさびしいんだ……。

まあでもTwitterめんどくさいよね、即時性の高いサービスは全部めんどくさいよ、わたしも事実上いまTwitterやってないよ、いや、やってないっていうと語弊があるけど……。生存確認用の身内垢と、TLとリプライとダイレクトメッセージという機能が存在しない告知と軽い感想用のミニブログがありますけど……。

このおそ松さん公式がえぐい六つ子の誕生日直前スペシャル

一回書いた記事が飛びましたのでローテンションに行きます。わたしはいま絶好調に死にたいです。

 

まずこれを見てほしいんだ。

【グッズ-ストラップ】トイズワークスコレクション にいてんごむっ! おそ松さん そのに | アニメイトオンラインショップ

二次創作見ない方は「あたらしいグッズ出るんだね」とお思いでしょう。

これはpixivで「宗教松」というタグで投稿されている二次創作設定のパラレルのモチーフの公式採用です。

 

三行でまとめますが、

  • 原作準拠とパラレルのごった煮のパラレル設定があって人気がある
  • その設定準拠の公式グッズが出る
  • ネタの料理が二次創作よりよほどうまい

 

元気がないって言ったろさくさくいくぞ。

宗教松というタグは

  • 女神チョロ松―2話準拠、デリバリーコント本当は怖いイソップ童話における「泉の女神」のコスプレ
  • 悪魔おそ松―12話準拠、トト子ちゃんとふたりで悪だくみをしているいわば「イメージ映像」

以上二点を起点としておそらく今年の1月ごろ発生し(記憶で喋っています、pixivのアーカイブは初投稿の人消えてるかもしれないしさらしあげみたいになるのもなんだし)

  • ゾンビトド松―ゾンビ以外のこともあるんですが公式採用がこれなので。なお公式採用の聖歌隊トド松はモチーフがゾンビトド松と被っているので要するにクリスマスキャロルの聖歌隊でありゾントドを限りなくマイルドにしたものと思われます。これは11話準拠。なおゾンビ化は全員してるんですトド松だけ絶大な人気があります。体が半分にちぎれててかわいいからじゃないですかね(雑な見解)。

原作準拠はここまで

  • 神父カラ松―二次創作設定。5話がキリストの受難を連想させる説が一定量の層を持っていたのが発祥かと思ってましたが2話3話からカラ松まじ聖母勢が一定量いるので5話より古いのではないかという指摘を頂きましてまあそんな感じです。
  • 十四松マジ天使―十四松の人外性をポジティブに捉えたインターネットミームです。

一応根拠があると言えなくもないというかまあ言いたいことはわかる二次創作設定がここまで

という設定が各クラスタにばらばらばらっとあってそれぞれ楽しんでいたところ、デビめが(カップリング名称)を起点としてすごい勢いで習合し、ひとつの共通世界観ということになって「宗教松」というタグが付きました。そのタグでいいのかよという話(ゾンビ……)(天使を宗教と呼ぶとそれはちょっと意味が変わってこないか……)(悪魔と女神はどちらもある種の土着信仰では……)(唐突にいるキリスト教徒……)はまあいいです。わたしは趣味が二次創作のテクスト形成を追うことで、おもしろいことやってるなーと思いながら眺めてたんですが、ポイントは人間がカラ松しかいないことじゃないかと。カラ松って16話からフツーにしゃべるようになるまでおもしろポエム吐きクリーチャーみたいな雰囲気で処理されることが多かったと思うんですが(幼女か聖母かおもしろクリーチャーって感じ)、この設定は逆にカラ松だけが人間で、つまり「カラ松から見たおそ松さん」みたいになっているなあと思いながら楽しく拝見しておりました。「宗教とは……」とは言ってたけど。

 

お気づきでしょうか。

一松くんがいません。

一松くんは宗教松において固定の役が振られておらず(猫又か童貞ゴッドじゃだめなのかよって思うんですけども)、書き手の解釈によって変化します。シスターイッチはたしかに人気がありますが別にそれ固定ではありません。

 

公式の採用が来た……。

シスターイッチ、なんの脈絡もないのに……。

シスターの格好させたいのはすげえわかるけど、脈絡がないという意味では本当に脈絡がないのに……。

 

まあこれ、「これが以降公式設定」ってガチガチになる必要ないと思うんですけど(二次創作見てる人にしか通じない話だけどそもそも保険医は聴診器使わないし)、要するに海賊版グッズ対策のハイスペック釘刺しっていうか、普通公式というものは海賊版対策に「作るなよ、怒るよ」って言うわけですが、おそ松さん公式は「うちはもっといいのを出しますからうちから買いなよ」をブッこんできているのではないかと思います。つ、つよーい! まねできない~!

あとまあ二次創作設定を公式が、言ってみりゃアイデアの剽窃じゃねという側面も、今回は誰が言い出しっぺとも言いづらい、自然形成されたみたいな話なので、どうとも言いづらくて、う、うまい……。

 

で、その上で、「宗教 is 何」みたいなところの処理がめちゃくちゃきちんとしています。そもそもが寄せ集めの宗教松をこんな辻褄のあった話にできたのかよ! って感じです。

 

  • まず「神父」「シスター」「聖歌隊員」の後ろにあるステンドグラスが「松」なので、このグッズで「人間」の役が振られている彼らが信仰しているのは「松」
  • その上でチョロ松が「梨」と「林檎」を手にしており、梨は5話準拠で家族愛の象徴(文脈的に家庭の安寧を選んでノイズを切った話で出てきたモチーフで、梨の花言葉は愛情)、林檎はおそ松(参考1公式Twitter、参考2藤田監督Twitter)。そして彼女(彼女です)は泉の女神なので、「梨も林檎も選ばないのが正解」。
  • おそ松は「振り返っている」。
  • 十四松は大天使ミカエル(たぶん)(ちがったらごめん)、松という宗教に属していない。

チョロ松にとっておそ松がどういう存在かはいちいち言うと長くなるので割愛しますが、13話で喧嘩中にもかかわらずおそ松をセンターに据えている点だけ挙げても十分ではないかと思います。「おそ松さん」というアニメの「主人公」であり、「林檎を取る」は「おそ松の弟であること、ギャグアニメのキャラクターであることを取る」も「松野家の一員であることを取る」もしなかった、つまりこのチョロ松は24話「手紙」における自立。

それに対応して、「振り返るおそ松」は24話手紙ラストのおそ松、「弟たちと向き合うきっかけを得て振り返った」おそ松。

「シスター」一松は首を垂れてひれ伏し(まあいわば)頭上に松を戴き、「おそ松の神格を担保するための女神」であったチョロ松(参考:この世界では女は女神の姿をしている)の位置を担う形でおそ松に寄り添い、おそ松の口癖であった赤塚史上最も有名な台詞「これでいいのだ」を言って去っていった24話の一松の静かで無力な献身と対応しています。

対して神父カラ松は松を背に立ち、鏡のなかの自分を見つめています。鏡および彼の顔プリントグッズは彼のほぼ唯一にして絶対の武装であり、その上で彼が見ているのは「何か」ではなく明確に「鏡の中の自分」であり、松を戴く神はおそ松ではなく自分でありカラ松は自分自身のための宗教のなかにいるとしていると取れる。カラ松はおそ松の支配を必要とせず気を使わず、必要とあれば仲裁として武力行使に出た24話と対応しています。

トド松も立っていますが見上げて歌っているのでおそ松を見ているのかもしれません。が、彼はおそらくゾンビ、死体です。「もうここに生きて存在してはいないが、歌うことだけはできる」死体です。外の世界に実質的に出て行っているが、兄弟の未来を思って涙ながらに歌っている22話「希望の星トド松」と対応しています。

そして十四松はひとりだけこの「松」という宗教とは全く関係なく武器のようなものと玉のようなものを手にしています。大天使ミカエルだとしたらその名の意味は「神に似たるものは何か」。「十四松が誰にもわからない」「おそ松爆発のトリガーを引いたのは十四松」

 

つまりこれは24話-25話における、おそ松が松の名のもとに赤塚先生の赤を戴く神の子であることから失脚し「悪魔」となり、チョロ松が全てを捨てて自立した24話の宗教画である。

ようやるわ!

 

で、「悪魔」が「神父」を支配しようとし、それを背後に座って見ているだけの「女神」、そして「シスター」を背に載せ「聖歌隊員」をさらってどこかへ行こうとしている「大天使」。

ボックス購入特典(各店舗別)はオープニング由来の「極寒の地から火(=文明)を得た人類」、これは直球で原作準拠の神話。

ここんとこずっとおそ松さん二期やってんだよ! って喚いてるんですが、つまりそういう話なんじゃないの、次は……おそ松さん二期やってんじゃないのみたいな話をするマガジンをnoteで売ってるから気が向いたら買ってね(有料にしてるのは信者乙って言われるの飽きたからです)。

 

 

おそ松さんすげえなあ……。

なにがすげえなあって、このグッズ作るのにどれくらいの人員と企画会議が割かれたのかなあ……。

すげえなあ……。

以上です。消えたエントリを取り戻す作業はとてもつらい。ご清聴ありがとうございました。

ファンフィクションコミットメント索引(更新随時)

noteで連載している腐女子寓話が増えてきたので索引を作りました。


腐女子とコミュニケーション

 隠れたい腐女子と隠れない腐女子と隠れたくない腐女子

神とふぁぼ魔

斜陽ジャンル

神の虐殺のためのプラン

回顧厨

読者

作者


腐女子と二次創作原作

隠れたい腐女子と隠れない腐女子と隠れたくない腐女子

斜陽ジャンル

二度死んだ嫁

嫁の蘇生

あのころチョコエッグがあった

悪役


腐女子とカップリング

総受厨になりたくなかった腐女子

固定過激派になりたくなかった腐女子


腐女子と二次創作

 隠れたい腐女子と隠れない腐女子と隠れたくない腐女子

ジャンル撤退

地雷という概念のない世界

地雷という概念のない世界 二人目

地雷という概念のない世界 三人目

地雷という概念のある世界

オリジナルでやればいいのに

承認欲求

メアリー・スー


その他

男の子とライオン

男の子なんて大嫌い

絵を描く

おかあさんたち

昔話「感想とわたし」

同人作家に感想を送るということの続きですが、とりとめもなく自分の話をしてしまった。もっと「作家の方は感想とどう向き合うべきか」みたいな話をしようと思ったのに。まあいいや。ケーススタディだと思ってください。

 

ところでわたしはオンライン小説を読むのがメチャクチャ好きです。

オンライン小説に限らず素人の書いた文章を読むのがメチャクチャ好きで延々とググって延々とブログを読んでいることがあります。気に入ったオンライン小説はその作家のぶん全部読みますし、ブログはさかのぼれる限りさかのぼります。Twitterも文章が気に入ったらさかのぼれる限りさかのぼります。

別に「名文家」ではない人がほとんどです。内容にも共感できないこともある。でも好きです。

文章が文章であるというだけで結構好きなのです。そして文章に含まれる湿度とか体温とか呼吸感とかそういうものに惹かれて読んでいる。うまい文章が読みたかったら死んだ作家の本だけ読めばいい。わたしはうまくない文章、うまくないと言ってしまうと語弊がありますが、商業的にパッケージングされていない、むきだしの、本人が選んでそれを書くのを是としている、あるいは是とすらしていない自然のまま吐き出しているだけの文章が好きです。普段文章を書かない人の文章がずるずる読めるというだけでTwitterは存在する価値があるのでいいかげん金を払わせてくれ。

 

今も大概な量のブログやオンライン小説(pixivを含む)を読んでいますが、高校生くらいから二十代前半くらいまでは暇だったこともあり、めちゃくちゃな量読んで、めちゃくちゃな量の感想を送っていました。そしてある日唐突に同人作家に対して感想を書くことを諦めました。以降親しい友達にすら詳細な感想を伝えていることはあまりないと思います。

 

先のエントリでも何度も言いましたが、「送るな」とは一言も言っていません。

「人間は分かり合えない」って言ってるんだ。

分かち合うことはできるかもしれない。でも分かり合えない。

 

というのは「じゃあ感想送るのもうやめよう」みたいな意見を散見したからです。別にそう結論してもいいけどそうじゃないんだって。

 

好きな作家さんには更新即日長文のメールや掲示板の書き込みをするのが当然だったころのわたしは、当然自分のところの掲示板の書き込みやメールにも同じだけの熱量でレスを返していました。めっちゃ感想ほしかったし、今日の更新分どう思われるかなと思ってドキドキしてました。一個一個のやりとりが楽しかったです。当時オールキャラギャグをやっていたのでそれなりに舐めた書き込みもあったというか、「こいつ喧嘩売ってんのかな……」みたいな書き込みも頂きましたが、しれっと受け流して腹芸をかますのもそれはそれで楽しかったです。掲示板のレスでどれだけ面白いことを書くか姉と競い合うみたいにしてわいわいやっていたし(共同サイトでした)、ウェブ拍手が始まったらウェブ拍手のフォーマットでどれだけ遊べるかを考えるのに熱中しましたし、ウェブ拍手リリース前だったと思うんですが「通りすがりのものです! 大好き!」みたいなことがデフォルトで書いてある一言メールフォームをサイトに埋め込んで遊んだこともあります。インターネットが双方向で、どこかの知らない誰かとやりとりをしているということ自体が超楽しかった時代です。

受験生になって、大学生になって、忙しくなって、そういう熱量をキープするのがまず難しくなりました。掲示板いつ外したっけな。なんとなく、「ちゃんとやりとりできてない」ことと、「自分がだんだん気難しくなってきてて、というか、本来気難しいのに明るいキャラを装ってることの無理が来てる」ことが悲しかった。「メールを貰っても疲れててあんまり喜べない、疲れてるのにが先立ってちゃんとお返事ができない自分」が嫌で、性根が腐っていっているような気がしました。

「メールボックスを開く」こと自体が辛くなったのは同人とは関係なく友人と世にも凄惨なやりとりがありメンタルがずたぼろになっていたからでしたが、それに加えてものすごくささいなきっかけでウェブ拍手が荒らされて、今思うと別に全然幼稚な手口だったんだけどいろいろ疲れててぷつんとインターネットが無理になりました。20歳くらいの頃だったかな。サーチエンジンの登録を全部切って、日記とか作品分析とか全部消して、ブログのリンクをサイトに貼らなくなりました。そのうち貼るようになった気もするし、22歳くらいの頃にもう一回サイトをやるのが盛り上がっていた時期があって、長文メールのやりとりをしたりしてた時期もあったけど、それも個人が相手で、だんだん、「いろんな人がいるインターネット」が怖くなった。

24歳でBLを唐突に書き始めて、BLを書いている間はTPOがあっているかわからなくてめちゃくちゃ怯えていた。萌えましたと言ってもらえると村の一員にしてもらえた気がして嬉しくて、でも「一員にしてもらうために」書いてるだけのような気がしてきてどんどんよくわからなくなった。「書きたい」と「書くべき」と「書いたら褒められる」の境界があいまいになっていった。頑張ったら「正しい答え」が貰えるような気がしていたし、もう何を言われるのもなんだか怖かった。自分で合ってるか書きたいかわからないのに人に褒められてそれで嬉しいのかどうかもわからない。

 

歴史があるんですよ。

17歳の頃のわたしなら、どんな感想でも嬉しくてはしゃいだと思います。煽ってんのかな馬鹿にしてんのかなと思ってもヒュウと言って煽り返したでしょう。齢を経るごとに、自分の書きたいものが明瞭になっていけばいくほどに、だんだん「相手の文脈に則って感想を読み解いて返事をする」のがキツくなってきた。ギャグを書いていたときは少なくとも「笑ってもらえればそれでよかった」。そしてそれができなくなった自分がなんだか恥ずかしかった。でも自分にはギャグのセンスはないと思った。ラブコメのセンスもないと思う。でもギャグやラブコメを書くと褒められるし自分でも結構よくできているのではないかと思う、「優等生」だと思う、でも、「勉強しただけ」じゃないか、とも思う。なにが「良い作品」なのか自分でもわからない。誰に何を言われてももう全部ノイズに聞こえる。

 

という時期があって……28歳くらいかな……。

まあ今それほどこじらせてないですし、勉強して書いて何が悪い立派な才能だと思いますし、褒められたらアザースと言って笑い返すけども、28歳くらいの頃はわたし本当に「わたしを褒めるな、とくに、小説を褒めるな」ってずっと喚いてたし、今思うと自分に自信なかったんだなあと思う、逆に言うと今なんでこんな益体もないことばっかりやってるのに堂々としてるのかよくわかんないけど。

 

「わたしが書いているもの」に確信が持てていたころ、あるいは確信は持てないけど何かやりたいことがあることだけは誰かにわかってほしいと思っていたころ、「あなたはわたしにとってこういう人間だ」「あなたの作品をこう読んだ」と言われるのはすごく気持ちいいことでした。

たぶんそれが怖くなったのは、「わたしはわたしだ、ということを、わたし自身が決めないといけなくて、ほかのだれもそれを認めてくれないかもしれない」と思い始めて以降だと思う。「変な子」になんかなりたくなかった。みんなが面白いって言ってくれるような、誰が読んでも笑ってもらえるようなものがもっと書きたかった。でもそれを書けば書くほどわたしが遠ざかっていく気がした。そうしてある日疲れて泣きわめいて、「そんなに頑張る必要なんてないのに、やりたいことをやればいいのに」と言われて絶望した。「やりたいことをやっていたらわたしの書くものに興味なんかないくせに、意味もわからないくせに」と思った。「意味が分からない」と言われすぎていた。

 

どれだけ言葉を尽くしても意味が分からないと言われるのが怖くてたまらないので意味が分からない文章だけをいっそ書きたい。

つまり感想を書くことはできません。書き手に言いたいことが伝わらない感想を書くことは大抵の場合無意味だからです。

そしてわたしは作者相手ではなくインターネットにほそぼそと感想を垂れ流し、そしてばっちりその感想に対して第三者から「意味が分からない」と言われたのでありました。

 

 

伏線の回収……。

 

 

たぶん今でもわたしはわたしのことをわからない人に怯えていますよ。感想を貰って嬉しくないわけではないけど、怯えてはいる。誰のせいでもないんだ。

意味がわからないだけなんだ。

同人作家に感想を送るということ

まずはじめに、この話に正解はありません。テンプレもありません。

なぜならコミュニケーションに正解はないからです。

 

同人作家に感想を書いて送ることが迷惑なのかそんなことはないのか、という話をします。

何故同人作家に限るか、専業作家は別問題として扱うかは後述します。

先に行っておきますが、「送るな」と言っているわけではないんです。「何気ない一言のつもりだったのにそれが最後の一撃となって心が折れて筆を折る人はいる」「ましてや熱量のこもった言葉を浴びせられたら」「そして同人作家のメンタルを守ってくれるマネージャーはいないんだ」という話です。そして感想を送られたい人は「送られたい人です! むしろ何も褒めるところがなくてもわたしを褒めろ!」みたいなことをばんばん言うべきだと思います! 逆に感想を送られたくない人はそういうオーラを出す練習をしよう……。

そして感想を送られたくない人に高尚乙とか何被害者ぶってんのとか言うのやめてやさしく見守ろう……いろいろあるんだよ……。

 

まず第一に、同人作家というのはひとつのカテゴリの生き物ではありません。それは単に「作品を発表している人」にすぎません。

インターネットに何故文章を置くかというと大抵読まれたいからですが、それは大抵そうでしょうが(もちろんそうではない人も少数であってもいます、覚えやすい場所にアーカイブしておくと忘れないからとか)「読まれたい」ということの先に「そしてリアクションが貰いたい」があるとは限らない、というのが第一原則です。

たとえばpixivにはデフォルトでリアクションを返す機能が満載ですが、それをオフにする機能がない以上、pixivに投稿するということは感想を貰うリスク(あえてリスクと表現しますが)が切り離せません。が、「pixivに投稿しているのはそこに置かないと読まれないから」であって「別にリアクションが貰いたいわけではない、その機能はオフにしたいのだが、できないのだ」という人もいます。現在二次創作を作る女オタク(男性向けはもうちょっと違う場所もあるようだ)は大抵pixivに投稿します。感想が欲しくなければ「見ないふり」をするしかありません。

本を作るに至るともっと話がややこしくなります。食事を出すのは好きだがおいしいとかおいしくないとか言われたくない飲食店の店主がいるように、お店屋さんごっこはしたいがリアクションが欲しいわけではない同人作家は往々にして存在します。イベント会場ではそういう人はそういうオーラを出しているのでそもそも滅多に感想を言われることはありませんが(それでも言われる人は残念ながらオーラの出し方が下手な人なのであきらめるか頑張るしか……)、通販に流通した結果、まあいろいろなことがありますね。という理由で通販に流通させない人を何人か知っていますしわたしも一時期そうでした(だからうちに妙に古い在庫が余っていたわけです、それより前のは捨てました……)。流通に乗せると感想が来るんですよ……。ということは感想が来てほしくない本は流通に乗せたくないのです……。

 

別に「人に読まれる」ということはイコール「たくさんの人に読まれる」ではないし、もっと言えば「たくさんの人からたくさんのリアクションを貰う」ことではありません。

そうだと思っている人のほうが大多数でしょう。でもだからといってそれが「すべて」ではありません。

「ひとりで隠しておいたり友達と回覧したりするだけにしないで誰にでも見える場所に出す」のは、「知らない人なんだけど、これを読んでもらえたらうれしいなと思える人」が「インターネットのどこかにいる可能性がある」からであって(もちろん違う理由も人の数だけあるでしょうが)、「誰にでも見てもらいたい」し「誰のどんな感想でももらいたい」わけではない。こともある。

こともあるのです。

 

第二に、プレゼントと同じで、貰ってうれしい感想と、うれしくない感想が、人の数だけ存在します。

プレゼントに正解はありません。定年退職する先輩に金券を渡すのが正解か不正解か。出産祝いにはベビー用品を渡すのが本当に正しいのか間違っているのか。誕生日ではないタイミングで意中の相手にプレゼントを贈るのはアリかナシかあるいは誕生日でもナシなのか。お得意様からもらった手作りのティッシュケース、もらったからには使っているところを見せるまでがサービスだろうか。

親しい友達同士なら(あるいは親しい恋人同士なら、親しい家族なら)多分さほど問題はないでしょう。親しくなかったらプレゼントのちょっとしたタイミングで全てが瓦解する可能性すらあります。

感想はプレゼントの一種で、プレゼントとは、好意や感謝という感情を伝えるためのシステムです。繰り返して言います。「送り手の感情を」伝えるためのシステムです。

受け取り手のためのシステムの側面はその次に用意されています。「送り手のための」システムです。それが入りくんだかたちで冠婚葬祭でいくら包むかとか謝礼として何を贈るかお歳暮はお中元はお餞別はという「義理」の展開を見せるのでわけのわからないことになりますが、そのへんは「プレゼントを贈り合うことによって担保される社会性」の問題で、それも「あなたへの義理をきちんと果たす準備があります、我々は友好な関係ですよね/でしたよね」ということを確認するためにやるわけです。「送り手側の」感情を示すための行為です。

もちろんそれを「受け取ることがうれしい」人が大多数です。それは事実です。そうでなければこんなにプレゼントのやりとりが発達するわけがありません。わたしもプレゼントをもらうのは基本的には好きですしとてもわくわくします。お得意様に貰ったティッシュケースは申し訳ないけどたぶん捨てたと思うけど……。

そして冠婚葬祭に手作りのプレゼントを贈る人はいません、金を包むものです(金を包んだうえで手作りのプレゼントがありがたいシチュエーションもあると思う、父が死んだとき近所のおばさんがおにぎりを持ってきてくれてありがたかった)。誕生日プレゼントに金券を贈るのは関係性によっては喧嘩売ってんのかという話になりかねません(金券の方がありがたい関係性もあります)。「TPOと関係性と相手の属性に合ったプレゼント」が存在するのであって、「感想は送らないのが正解」でも「送るのが正解」でもないのです。義理の絡まないプレゼントにルールはないのです。残念ながら。

ましてや感想は物でもお金でもありません。「熱量を持った解釈違い」という「攻撃」になる危険性すらあります。物は最悪捨てればいいし、お金は最悪寄付するなりあぶく銭としててきとうに使い捨てることもできますが、貰った言葉はけっこう重たいものです。返事をしたほうがいいだろうなと思うと猶更、「返事をするためにちゃんと読んでダメージを受ける」人もいるわけです。

それがすべてではありません。でもいるわけです。

 

第三に、「感想を送ることでどうなりたいのか」が送る側にはっきりしていないのに送るのはリスキーです。

「あまりにも溢れ出るパッションが止まらないのでどうにかして何かを伝えたい」のか、「伝えたうえであわよくばワンチャン仲良くなって語らいたい」のか、「語らうまでいかないにしても好意くらいは持たれたい」のか、「傷つけるかもしれないくらいなら黙っておくべきだと思うくらい逆にもう好きすぎるけどパッションが(略)」なのかということ、自分が「何を理由に感想を送るのか」つまり「どうしてその感想を胸に秘めておくことができず、相手にはっきり伝えないではいられないのか、伝えるべきだと思うのか」ということを理解したうえで送るべきだと思う。

そして望み通りのリアクションが返ってこなくてもそれはそれでしょうがないじゃないですか。

専業作家は読者のパッションを受け止めるか、明言するにしろ暗に示すにしろ読者のパッションを受け止めませんという態度を取るか、マネジメントをしてもらえる人に間に立ってもらうかするまでが専業である責務に含まれてると思います、個人的には。だからわたしも時々しょーーーーーーーーもないお手紙を作家さんに送るわけですが、なんで送るかって作家さんへのお手紙じゃなくて出版社への圧が本星なんですが、でも同人作家はそこまでの覚悟を決めて作品を問うているわけではないじゃないですか、おおむね、たぶん。そして手紙が来たから部数が伸びるわけでもないし。部数を伸ばすのは同人作家の財布だし。モチベーションアップにはつながるかもしれないけど(つながらない人もいるという話をいましてるわけだけど)。

 

以上です。

 

繰り返して言いますが「送るのはアウト」じゃないんですよ。「好きなんでしょ? 好きだって言いたいんでしょ? リスクくらい負えば?」って話です。意中の相手に好きだって言うのが必ずしもポジティブな反応ではない可能性は大多数の人が考慮するのに好きな作家に好意的なリアクションを送ったら絶対喜ばれると思いこんでいる人が大多数なのはなぜなんだ!

 

わたしは「文章が読みやすいけど書いてある内容は難解すぎてよくわからないけど熱意はすごく伝わりました」と「雰囲気のあるかわいいお話ですね」と「心のきれいな方が書かれた文章なんだなと思いました」は、申し訳ないけど言われ飽きました。哉村哉子の解釈違いです。最初のに関してはわたしの技術不足を反省するところですが、後半二種に関しては喧嘩売ってんのかと(売ってないのは知っています)思います。悪意はないのは知ってるんだけど……。こういうこと言うと超性格が悪いの知ってるけど、容姿の美しい方が時々「おきれいですね」「存じ上げております」ってやりとりするよね……。

時間を取って感想を書いて頂くのはどんな内容であっても嬉しいですが、その内容がすべて嬉しいわけではないです。でも時間を取って感想を書いてくださってありがとうございます。コミュニケーションは難しいよね。正解はないんだよ。