誰が架空の鹿を殺したか、あるいはインターネットフォークロア「おそ松さんとインターネットとわたし」

そろそろTwitter(@bkyd)でおそ松さんの話をするとフォロワーが減るまでに至ったのでこれまでのあらすじです。

 

~これまでのあらすじ~

わたしの文章がうますぎたので馬鹿が爆釣れした結果、文章がうますぎる責任を取ってプロになりました。

以上。

 

長い一年でしたけどもう一年も経ったのに「鹿さん(※わたし)の文章がうますぎるので虎の威を借った人たちが迷惑です><」もクソもねえだろと思うので猫をかぶるのはやめましょう。どうも架空の鹿です。半年ほどきーわーめーてー静かに淡々と仕事をしていましたし別に今後も淡々と仕事をしていくつもりなんですが、いいかげんおそ松さん関係のnote更新してほしいッスとコメントをいただき、そうやなあ有料マガジンやしなあ止めてごめんなあと思いつつ、おそ松さんのことを考えていたら、まあ5話一周年ですし、どうしても当時のことを思い出して

腹が立って……

きたのでもうなんかブログでも書くかと思って書いている次第です。おひさしぶりでーす。きわめて感情的に文章を書いていますしそもそもきわめて感情的に文章を書いちゃいけない理由が何かあるのか?

 

当時もさんざん言ったけどもう一回言うけど、わたしに「ギャグにマジレス」って言った人全員に言いたいんだけど(そんな人もうここ読んでないと思うけど)、

じゃあギャグアニメの感想におまえはなんでマジレスしたんだ。

ギャグにマジレスしてるわたし自体はもちろんギャグだし、そしてそれを笑ってるおまえのその状況もギャグだぞ。

なにを俺のほうがギャグを理解してる面してるんだ。おまえがギャグだぞ。

 

アニメの感想を書くという罪のない遊びをしていただけでなんであんなにいろいろな目にあわされたのかいまだにあまり理解できていないんですが、この一年間いろいろなことを考えたし、もう二度とあんな目に合わないためにはどうしたらいいのか考えたし、「アニメ考察」という罪深いと言えば罪深い(しかしたわいのないといえばたわいのない)遊びがこの世に存在することをわたし経由でうっかり知ってしまった人の責任を取ったほうがいいのかもしれないと思ったし、ていうかもう面倒くさすぎるのでアニメとか漫画とかゲームとかの感想を書くつもりいまのところ一切ないし死んだ作家ないし友達の話しかしたくないしおそ松さんに関してnoteに掲載しているものも分析であり情報の整理であって感想じゃないしましてや考察とかでは一切ないし、ていうかわたし二次創作界隈で使われる考察という言葉の無責任さが松でバズって以降本当に嫌いなんですけどまあその話はいまはいいですけど、まあそれはいいんですけどわたしが言うべきだったのは

 

うるせえ馬鹿は死ね

 

の一言だったのではないかと思わないでもないです。

 

友達が「2016年にアニメの感想が炎上した人」ってわたしを紹介しているんですけどマジでそれ自体がギャグすぎてわたしも早く笑えるようになりたい。

 

 

応援してくださってた方とかわたしを好きでいてくれた人に対してこういうこと言うの本当に申し訳ないんですけどわたしはいまだにこういう形でアマチュアではいられなくなったことが悔しくて仕方ないしプロになればいい金を取ればいいって言った人みんなに

「これで満足?」

って聞いて回りたい。プロになるということは言えないことができるということだし守るべきものができるということだし責任を負うということだしもう二度とできなくなることがたくさんあるということだし、わたしがいまとても楽しく仕事をしているということとは全く無関係にわたしは、目が覚めたらなにもかもリセットされていて何かを好きでいることが端的にそれ以上の意味を持たない世界に戻れるのなら多分戻る。

 

仕事は楽しいです。夢がたくさん叶いました。

それはそれとして怖くてたまらないのも本当なんだよ。

 

むかしむかしあるところに、楽しく暮らしているオタクがいました。どうでもいいことを毎日言って、仲間たちと楽しく暮らしていました。ある日オタクのTwitterがたくさんリツイートされました。そうしてオタクはどこかにいる誰かに言われました。「もう帰ってこないで」

目覚めかける瞬間に「ああ、帰らなくちゃ」と思うことがあります。

どこに?

 

 

 

 

ていうかこの「誰が〇〇を殺したか」がマザーグースが元ネタでギャグアニメの文脈で引用するんだから当然パタリロだということもたぶん伝わってないんだろうなということに今気づいた。