知覚と相談と人生とわたし

noteに去年の夏に投げた文章をスクラップしています(noteのほうのは消えています)。


わたしは、ある日唐突に自我が芽生えた状態で中庭に放り出されたように幼年期を始めました。

「誰もなにも教えてくれなかった」と言えばうそになりますが、「みんながあたりまえのように知っていることを、わたしは知らない」が、あたりまえの状態からスタートしました。

というわけで、わたしは彼らの「あたりまえのこと」をなにも知りませんでした。それを知らない理由も説明できませんし、それは何なのか説明してくれと求めることもできませんでした。なぜならそれを当たり前に知っている子供たちは、「それがあたりまえである」という以上の認識をできないからです。

そしてわたしがどうしたかというと、彼らの話をひたすら聞いて、それは「何」であるのか、自分で考えて理解して自分のものにしようとする、わからなかったらわかるまで考えるか、サブテキストになりそうなものを探す、ということをやっていました。

「打ち明け話」をされるようになったのはたぶん高校生くらいの頃からで、加速度的にされるようになったのが大学に入ってからでした。人生のこと、家族の問題、将来設計について、「聞いてほしい」と言われること、あるいは、遊んでいる途中でなんとなく始まること、泊まっていてなんとなく始まること、かかってくる電話、そういう日々を延々と経て、インターネットでQ&Aのサービスで遊び始めました。

めちゃくちゃたくさん質問が来た。

で、回答側としてもハマったし、こういうことをやるべきだった、とか、こういうことができたんだ、とか、いろいろ思うところがあったんですが、まあask.fmというサービスは匿名で質問ができるので、最終的に端的に悪意が寄せられる量が許容範囲を超えてしまい、なかったこととなりました。いまも質問は送れますが全然見てないので回答はしません。

で、代わりに萩の原というウェブショップを始めました。

唐突に発生した何も知らない子供から、知っていたはずのことが分からなくなった人や、知らないということそれ自体にはじめて直面して、出口がわからなくなった人へ。


こないだ斜視の話をしてわりと友人知人にウケたんですよね。「おまえは絶対目が悪いと思っていた、目が悪い人間の挙動だった」って言われてめちゃくちゃ面白かった。たしかにその指摘はずいぶん前から受けていました。でもわたし0.9と0.5のあわせて1.5とかなので(だったと思う)視力的には別にそこまで悪くないんだなということでみんなが訝しんでいたところが解決したわけです。みんないいやつだな。ありがとう。

で、面白いんで色々人に聞いてもらったり考えたりしてたんですが、そういや耳もあまりよくないというか、たぶんこっちはちょっと聞こえすぎというか聞くべき領域を選別するのが苦手なんじゃないかと思うんですが聴覚過敏で頭痛くなりやすくて、基本的に音がでかい場所があまり得意ではない。最近ある程度克服できないかなと思ってカラオケちょくちょく行くようにしているんですが、自分で歌ってない時はちょっとしんどい。

鼻はめちゃくちゃ悪い。それは知ってた。全く分からないわけではないけど微妙な匂いは何もわからない。

 

どうやって生きているんだ……?

大抵のものを触るか舐めてみる理由がわかりました。

それしか十分な機能がないからです。

 

で、冒頭の文章に戻りますが、つまり何もわからない何も知らない状態だったのは、そう、そういう、そういうことです。そもそも生育環境が他の子供と違う上に、そもそも他の子供と知覚できる情報の量が段違いに違ったということになる。

そして冒頭の文章に挙げたように、わたしは他の子供より注意深くなることで問題をクリアしようとしました。気配とか、速さとか、声のトーンとか、そういうものを重視してコミュニケーションを取ってきたし、それはうまくいくこともあればうまくいかないこともありました。というか基本的にはうまくいかないながらもそれでも生き延びてきたわけです。あと勘は鋭いほうだと思う。ぎりぎりのところで危険を察知したことはあるし、「なんとなくいやだから行かない」も多いし、よく知らない人の情報を「たぶんこうこうこうですよね」と当てることも一応できる(絶対にあたるわけではないにしろ)。

できないことが多いから勘が発達した、ということでしかないように思える。

そして、だからこそわたしの勘をみんな頼ってくるわけだ。古代人みたいだな。いや前から思ってたけど勘が鋭いから価値を見出されて頼られて生き延びることを許されているのマジ古代人みたいだよな……。

人生……。

 

ところでとにかく目が疲れやすいということを自覚したので日中サングラスをかけています。つまり視覚情報を意図的に減らしています。

よりいっそう勘と触覚で生きています。

部屋と疲れ目と人生とわたし

わたしの実家がナントカみたいな話はブログの過去ログあさっていただければいいと思うんですがそれにしたってストレス性のアレみたいなのが多くねーかとは思っていて、ストレス性のアレというのは子供のころから原因不明の腹痛、原因不明の嘔吐、強迫観念からくる失禁、みたいな症状があってまあそういう人間なんだなと自分では思っていたしたぶんそういう人間なんだなで済ませてる人多いと思います。でもこう、多くない? 子供のころからだから社会生活を経ての鬱とかでもないしなにゆえのなに? とは思っていた。

あと忘れ物が子供の頃からめちゃくちゃ多くて注意力散漫で鳴らしてきました。忘れ物も多いし、こう、「そこに置いてある」ものが「見えない」。あと窓が汚れてるとかが「わからない」。ものによくぶつかる。なぜそんなにぼんやりしているのかとずっと言われてきたんだけどでも別にボケーッと生きてるわけではないというか細かいことをめちゃくちゃ気にする方だしアニメとかだとむしろ細かいところをめちゃくちゃよく観ていると言われるほうなんだけど何なんだ? と思っておりました。

 

眼鏡のフレームが歪んじゃったんですよ。

視力1.5くらいなのでべつに眼鏡なくても全く支障ないんですけど、上記のような不備というか視覚上の困難が多いのはおまえそれは目が悪いからじゃないのか、悪くなってるんじゃないのかという説があり、でも眼鏡かけると頭痛くなるから眼鏡かけたくなくて抵抗していたんですが、まあどうせ眼鏡は要るので(1.5でも映画の字幕とかはちょっと困るので)そろそろ作るかーと思ってふらっと眼鏡屋に、本当にふらっと何も考えずに行きました。

いろいろ検査をしたあとで、「右目と左目の焦点が合ってないです」と言われました。

それは……

斜視というやつではないのかな……? ……というのがインターネットの有志のご意見です。実際そういう診断になるのかどうかは眼科行って確認します。眼科は眼鏡受け取ってから具合を見て適宜行きます。眼鏡は明日できます。プリズムレンズ入れてもらいました(斜視の補助をするレンズ)。

 

エッ世の中の目に異常のない人間は何かを見ようと思うときにぐっと目の周りの筋肉に力を……入れない! 手もとを見ていると疲れるので遠くを眺めていて不注意を叱られたりしない! 動いているものの動きが把握しきれないのでそのあとどこに動くか考えてから動いていない! 飛んでくるボールの軌道が見えている! 視界が二重にブレない! まじで。

わたし目の焦点を合わせていないと人相が悪くなるので人前に出るとき目にいつも力を入れて生活してて、子供のころから、家帰ってくると一時間でも二時間でも平気でボーッとしてるというか何もできないって感じだったんですけど、それを、みんなは、していない!

まじで!?

 

それはあれじゃないですか。わたしが子供の頃から団体生活をしていると唐突に具合が悪くなってたのも人混みが苦手なのも情報量が多い映像を見ると具合が悪くなるのも忘れ物が多かったのも目が乾燥するとめまいで倒れてたのも花の名前は覚えられても種類は覚えられないのも学校から帰るとボケーと壁を眺めているうちに一日が終わって宿題ができないで泣いていたのも

疲れ目のせい……ということになります。

疲れ目ー!!

そして意識して生活してみるとたしかに痛いのは目だ。頭痛がするんじゃなくて目が痛いんだし吐き気がするのも目が痛いんだし肩に力が入っているのは目に力を入れているからだしサングラスかけると楽になるのは人相が悪くなるのを気にしないで済むからだ。というか閉所恐怖=窓がない建造物に対する恐怖は「近くに焦点を合わせると疲れるから焦点を合わせずに『遠く』を眺められないとだんだん具合が悪くなる」というすごく具体的な疲れ目の問題だったということではないかという疑惑も浮上します。もしかして精神疾患ではないのでは!? いや、躁鬱傾向にあることは事実ですが、躁病というのは要するに「目に力を入れている」状態を常態としようとした努力の結果なのではないか。最適化する人体! というか目の焦点を合わせるために背負っている疲れをどうにかするためにカフェインと糖分をどばどば摂っていたのではという疑惑も生じる。

まあ実際どうなのかわからないので眼科行こうかとは思うんですがとりあえず自分が「人相が悪いコンプレックス」を、意外とめちゃくちゃ持っていたことに気づきました、知らなかった、身体上のコンプレックスはそれなりにあるつもりではあったけど一番気にしていたのは「目」だったということを知らなかった。目をパッチリ開けろ(シャキッとせえ的な意味で)とそういえば子供のころからよく言われていたしたしかに目をパッチリ開けるとすごく人相がよくなるんですよね。疲れるとすぐ人相が悪くなるんですけど。

とりあえずサングラスをかけて生活していますが、サングラスをかけると楽になるメカニズムがそんなところにあったとは知らなかったよ……。サングラスをかけていると目をパッチリ開けなくていい(開けていてもどうせわからない)。まあものの色がわからないので写真撮りに行くときと作品製作をやっているときはサングラスかけられないんですけど。まあでも眼鏡かけてるとある程度ごまかせるよね。新しい眼鏡に期待。ていうか「眼鏡をかけると頭痛くなる」ってつまり「よく見えるので、よく見ようとがんばってしまう」ってことだと思う、多分……。というところが新しい眼鏡で多少改善されるといいなと思います。まあしくみがわかったら気をつけて生活できるしな。

 

しかし人生が、というか人間性が、もっと言うと人生観が、すごい勢いでひっくり返りましたよ。目の焦点を無理に合わせている! これこそが「生きているだけでえらい」というやつじゃないですか。

 

このエントリでは就活生のために人生の話をしようと思っていたのに枕だけで二千字も書いてしまった。

 

5歳 休日中出かけた諸々の話を幼稚園では黙っているように釘を刺される

6歳 忘れ物をしない日がない

8歳 疲れ目で倒れて運び込まれた保健室で『猫の事務所』を読み人生を知る

9歳 体重が増加し始める

10歳 小説を書き始める

11歳 父の死

12歳 中学校で喋らないことを決意

14歳 自分はおそらくろくな小説が書けないという天啓を得る

15歳 高校では喋ることを決意

15歳 交通事故の後遺症で倒れてる間にアニメにハマる

16歳 将来の進路を言語学者か民俗学者か図書館司書と定める

18歳 言語学を志すも、たぶん学者にはなれないっぽいことをなんとなく把握する

20歳 図書館司書のアルバイトを始める傍ら小説を書き始める

21歳 自動車免許の獲得に一年かかる傍ら小説を書いていた

22歳 就活をドロップアウトして小説を書いていた

23歳 書き上げた小説三作を仲良く全部燃やして工場労働者に

24歳 図書館司書非正規雇用の口にありつくも閉所恐怖のパニック障害の発作を起こして辞職

25歳 回転寿司屋で働きながら松尾芭蕉についての書籍を読みふける

26歳 BLエロ小説を書き始める

27歳 謎の社会福祉法人で謎の有償ボランティアを始める

30歳 同人誌を31種作る

30歳 自分の将来性についてもうちょっとまじめに考えたほうが良いのではないかと今更思い至り職業訓練校でofficeソフトの高度なとりあつかいを学んで事務員になりたいと思うも、教室が狭くて週5くらいで発作を起こし、人生が詰んでいることをしみじみとかみしめながらとりあえず就活条件を少しでも良くするために都会へ引っ越した矢先ブログがバズってよくわからないことになる

31歳 謎の稼業を始める

32歳 これまでの人生のうまくいかなかったことの大半が疲れ目によるものであるという疑惑が浮上←New!

 

なんでこんな赤裸々なことを書いたかと言うといろんな人生といろんな人生の破綻とそこからの再起があるというエピソードをみんな色々共有したらいいと思うんですよ。もちろん誰が正解とか誰のまねをしたらうまくいくとかいうことはないしできるもんならしてみろこっちは目をパッチリ開けながら生きてんやぞ! という感じだしいままともな企業みつけるのたいへんだと思うし(10年前だって十分たいへんでした)、モデルケースというわけじゃなくて、ただ、就職先が見つからないでべこべこにへこんでるとき「わたしの人生は22歳(±)で詰むのでは!?」という気持ちになる人けっこういるでしょう、不具合は山のようにあるけど意外とまだ詰んでないほうの人生をここに置いておきます。だから何ってわけじゃないんだけど。これ多分一個多めにミスったらドボンしてると思うし、実際人生の過程でドボンした人もいっぱい見たし。もちろん成功した人もほどほどになんとかクリアしてる人もいっぱい見たけど。

あと、わたしは「人生においてつらかったことがなかったら今の自分になっていないからつらいことがあってよかった」みたいなの大嫌いで、つらくないほうがよかったですよ!? つらいこと全然ないほうがよかった! と思うんですけど、目のことに関しては「指先の感覚や爪先の感覚ベースで生活する」能力を鍛えたのは目を補助しようという働きでしょう、と思うので、それに関してだけは「よいこと」の数に数えてもいい。だからって別に特にめちゃくちゃ役に立っているとかはないけど……。タイピングが早いとかくらいだと思うけど……(製作した作品が製作できない代わりに目を調整するよ! って言われても困らない程度の作品でしかないのが現状なので……)。

まあでももっと早いうちに、せめてはじめて眼鏡作った時に発覚してればちょっと楽だったかもしれないと思うとな。いやもちろん悔しいんですけど、それ以前に「わたしの30年がひっくり返る!」というアクロバティックな快楽のほうが勝ってます。過ぎたことをくよくよしてもしょうがないしな。自分の人生に伏線の回収によるどんでん返しが仕込まれていたなんて! 俺が、俺こそが信頼できない語り手だ!

 

新しい眼鏡たのしみです。

しかし人間はずいぶん視覚情報に頼って生きているんだな。そういや階段は段数を暗記して上り下りするので知らない階段苦手なんですよね。そいつもそれだよ。

オオソ~ジ2017spring

ものを捨てました。

 

わたしの部屋にはおそ松さん放送中のあらゆる雑誌があって、あと大量の日記帳と大量のネタ帳があります。ありました。これらを全部捨てました。

正確にはおそ松さん関係の記事はとりあえず切り取って残してある。整理がついたらもう半分くらいに減らせると思います(インタビューは残したいから)。

あと直近半年で買った服以外全部捨てて、かばんも捨てて、キャラグッズも捨てて、文房具も高額文具を残して捨てて、本棚の本を半分くらいこれは実家に送ったら読むかもしれないのでまとめて、そんなとこか。二十年持ってたものから去年買ったものまでとにかくひととおり捨てられる限り捨てました。なんだろうな。

ここんとこ「失踪したい」ってずっと言ってて、あらゆることがつらくなっていて、人間関係、仕事、物質、全部リセットしたいという感情が強くて、じゃあリセットできるところから、まあリセットはできないんだけど捨てられるものから捨ててみようと思ってまずSNSを整理して、それからとりあえず仕事を休んで、仕事を休んでなにしてたかって部屋掃除、とにかくひたすら「燃えるゴミ、燃えないゴミ、いるもの」って分けていく作業をやっていました。

 

小説を書き始めたのは小学校五年生の頃です。そのころの小説が取ってありました。

これを捨てたとたん堰を切ったようにほんとうに全部捨てた。次は在庫のパッケージをはがし終えたらエコサリオに送ろうと思ってて、さっき言った雑誌の整理を完遂させて、大型ごみがちょっとあるので出して、そしたら本当に仕事関係のもの(パソコン、編み物の道具とレシピ本、ビーズワークの材料と資料)と勉強の本(松尾芭蕉と赤塚不二夫と北欧神話と言語学と物語論)、あと少しの本と生活用品とトランペットと水着と万年筆が残ります。整理してもこれだけは残るわけだ。

 

 

別に断捨離を勧める記事ではありません。

ただなんか、これまでの人生が自分にしがみついていることにうんざりした、これまでの人生を、なかったことにできるとは思ってないしなかったことにしたいわけでもないと思うけど(たぶん)、せめて「思い出」にしたかった。物質として手元に置かないことでそれができるんじゃないかと思った。それでそうした。とりあえず部屋が広くなって、ああそうか、部屋が狭いのがいやだったんだなと思いました。面積の問題ではなくて。

人間が抱えられる荷物の量には限りがあって、でもその限界は人によって違う、というのが持論です。

わたしは閉所恐怖症なんですけど、閉所恐怖というのは「認識できる広さ」に対する恐怖症だと思う、少なくともわたしはそう、わたしは狭いところが怖いわけではなくて、その空間に入っている物量がこわい。なので、たくさんのものを持つのに向いていないのだと思う。だからわたしはコレクターではない。たくさんのものを持つのに向いている人もいて、コレクターの資質というのはそういう人に宿るのだと思う。

 

もうひとつ。

「ものを買う」ことが不得意で、それは「訓練をしていないから」、子供のころから大人になってもずーっとお金がなくて何かを買うということの練習ができなくて、だから買ったものを「捨てる」タイミングもよくわからなかったんだけど、「買わなかったら使えなかったもの」を「買って、使った」ら、それはもう「買った価値に対する行動はとった」んだなと最近思うようになった。

アニメキャラのグッズとか全く使わないわけなんですけどなんで買うのかというと「市場が動いている」ということを示したいから買うんですが、だから逆にいうとあれって「別にいつ捨ててもいいもの」なんだなというか、気が済むまで飾っておいて気が済んだら捨てる、でいいんだと思う。というわけで気が済んだ範疇から捨てました。

 

 

たぶん近々引っ越すので、引っ越すときにソファとソファテーブルと家電品は買い取りに出す予定で、書き物机は捨てていく。たぶん資材もそのとき半分くらい捨てるし、いまここにあるアニメキャラのグッズもそのとき捨てていくと思う。本も読み終わったら置いていく。断捨離を勧める記事ではないです。わたしの人生の尺に合ったものを持ち運ぶには「過去」は量が多すぎるという話です。

 

「生活の質を上げる」ということを最近考えるようにしている。生活の質を上げる、というか、生活のなかで死にたくならない、というか、そういうことについて。で、部屋を掃除すること(いらないものを捨てて掃除しやすくすること)、料理すること(料理のための買い物をすること)まで考えて、まあぼちぼち、といった感じです。ひとり暮らし一年半、ようやく「生活をする」ということができるようになってきたのかもしれないと思う。

思索のための手仕事、あるいは相談を受けるということについて

夏コミ申し込みました。で何冊出すんだっけみたいなことを考えたら四冊スタート本音としてはもうちょっと出したいみたいな状態になって、ウワッこれどこから手をつけたらいいんだって感じになり、結果として、考え事をしながらコイルを巻いていました。だいぶん上達をした……と思う……。

コイルを巻くとこういうものができる。これはモールス信号ネックレスです。モールス信号ネックレスの発展として短歌や俳句をモールス信号でネックレスにするというのも考えてるんですけどなにしろ長いのでデザインに難渋している。服飾デザインの勉強、全然関係ない世界すぎて知らないことばっかりで面白いし、模索しているうちに近代アメリカにするっと行きついてやっぱりなーと思った。わたしはデザイン関係はたいていアメリカに行きつく。

 

なんでアクセサリー作るようになったかという話はいろいろな理由があるんですが、なんでそれを続けているのかというと考え事をしているときにワイヤーをいじくりまわしているのが一番捗るというのがあり、次点ぼんやりしているときや目を通さないといけないけど特に何も考えないでいたいときは編物が捗ります。いえ、作るのが捗るのではなくて、思索が捗るのです。思えば子供のころからずっとそうだったような気がする。何かを考えるために歩き回り、泳ぎ、手仕事をし、料理をする。うっすらと考え続けるために。

 

人生相談を受け始めてから何年になるのかよくわからない。このよくわからないというのは数が数えられないという意味ではなくてどれが相談でどれがスタートだったのか切れ目がわからないという意味です。でも子供のころからなんとなく長話を聞かされることが多くて、なんとなく聞く側に回ることが多かった。という話は前にブログに書いたんだったか。わたしの家庭環境においては「わたしから語り始めることが可能なこと」は少なくて、だから黙って聞いていることのほうが多かった、そうするとほかの子はみんな自分の話をしたいので聞いてもらえる相手を見つける、わたしが見つかる、わたしが聞く。という順番だったんだろうと思う。

わたしにも話したいことがないわけではなくて、でもわたしの話したいことはうまく説明できなかったので、聞かせる相手はいなかった。だからわたしは自分と話し合うことにした。自分と話し合うというのが思索ということで、思索をうまく行うためにコイルを巻いたり編物をしたりしているわけです。散歩と水泳ももうちょっとやってほしいものだと思う。特に水泳はここのところ体調が悪かったのでまる一か月ほどさぼってしまっていて……。

思春期の頃はほどんど緘黙症だったこともありました。今でも疲れているとよくどもる。別にわたしは喋るのは得意ではない。

 

たぶん人より、ものを考えている時間が長いんですよね。黙っていることも苦にならない。人の話を聞くのは本当は別に得意ではないんだけど、なにしろ訓練する機会はたくさんあったので、「重要な情報」と「聞き流していい情報」を切り分けることができるようになった。喋るのはいまでも別に得意ではない。よく黙るし口ごもる。口ごもっている間は待っていてもらう。喋るのは得意ではないけど、口ごもったりどもったりするのを恥ずかしいとはあまり思わなくなった、しょうがないので。思わなくなるまでにはいろいろなできごとがあったのもたしかです。

 

まあそんなわけで「相談を受ける」ということに人より慣れていて、いまのところをそれを収入源にしていて、いや別に聞くのはいいんだけど喋るのはそんなに得意じゃないんだよなあ、こんなこといつまでも続くかどうかとは思うんだけど、まあ今のところやっていて、そもそもここ五年くらい相談を受ける頻度がめちゃくちゃあがっていたのもたしかでした。そりゃそうで、インターネットで匿名の人から質問を受けるプラットフォームが流行ったのがきっかけでインターネットの不特定多数から相談を受けるようになって、その結果爆発的に増えたという経緯なんですが。ask.fmというサービス、そういうかたちで相談に乗るのが上手い人がどんどん可視化されているところ、かなり高頻度で見かける感じがする。

 

相談を日常的に受けるようになってようやく相談を受けるときのこつみたいなものが最近つかめてきました。最近かよって感じですけども。まあ長い間人の相談に乗ってきたとはいえこんな量の相談をさばくこともなかったから……。

・依存関係に陥らないこと

・相手は自分の話がしたいのであって「わたし」はできる限り「あなた」を理解することに注力する必要があること

・必要な助言は大抵パターンが決まっていること

悩みを打ち明けられて一番徒労に終わりやすいのが親身になって一生懸命最適解の助言を出そうとすることで、これは大抵の場合必要がない。それはもちろん「殴られたんだけど警察と病院どっちでしょうか」「おそらく警察です」みたいな、いや状況によると思いますがこれは喩えですが、具体的な助言が具体的に役立つシーンというのはあるんだけど、はっきりと割り切れない問題はめちゃくちゃ多くて、それに対して「こうでこうが正解だよ、これをやれば解決するよ」は、親身になっているのは確かなんだけどお互い別に何の役にも立たない、徒労、ということがけっこうある。ので、たとえば接客業とか、あとわたしのような相談に乗り慣れている人間とかの、「パターン化された回答」のほうが役立つというシーンのほうが、個別にいちいちちゃんと考えて対応するより相手にとっては受け止めて処理しやすい、みたいなことはわりとあるっぽいなと思う。

必要なのは「これが正解」じゃなくて「何が『あなた』にとって正解なのか」を理解すること、わからないなら「あなたはどう思う?」と問いかけることなんだろうな、必要なのはある程度マイルドに映る鏡であって他人じゃないんだろうなと思う。

「こんなことずっとやってられるのか?」と思うのはその点で、「相談を受けているとき、わたしはそこにはいない」をあんまりやっちゃうと「わたしとはだれか?」がきわめて曖昧になってしまうのでは? なりかけているのでは? ということで、たぶんバランスを取るためにコイル巻いてる(あるいは糸をいじってる)部分はあると思う。

 

ところで相談に乗るとわりと高頻度で「何か恩返しをしなくては」と言われることがあって、一方的に与えられて終わるということを受け入れるのは体力の要ることで、要ることだということはわかるけど頼ってしまったのは事実なので一方的に与えられて終わるしかないということをある程度は受け入れて欲しいと思う。「親身にしてもらったから恩返しをしないといけない」という感情自体はべつに否定しないけど、「自分も親身になる」以外ないし、申し訳ないけど普段親身になり慣れてない人が親身にしてもらったからといって自然に親身になれるかというとなれない人がほとんどだし、別に普通に感謝するだけでいい。感謝というか、わたしが親身になったという事実、そしてそこで親身になってもらったことで扱われた自分自身に対して、敬意を払ってほしい。

相談を受けて一番徒労感を感じるのが、「自分に向き合う」以外ないですよとお伝えしたのに「自分に向き合っていない」人を見るときで、依存というのは結局そういうことだと思っている。わたしが敬意を払ったあなたに対してあなた自身も敬意を払ってくれ。徒労に終わらせないでくれ。

 

それで結局わたしは夏コミで何冊出すんだろう……。

2017年の抱負

1、大都会に引っ越す

2、積んである資料を引っ越すまでにひっしこいて読む

3、断捨離(ダイエットを含む)

 

あとは喋る仕事と書く仕事と作る仕事のバランスを取って息をするようにするするやっているうちに一年が過ぎるんじゃないのかなと。

昨年中に始めた新しいこと(あるいは微妙にやったことはあったけどちゃんとやりはじめたこと)はオミセヤサンをすることと人前に出て講義をすることとジョギングとアクセサリー製作、再開したことはスイミングと編物。継続しているのはまるっきりノンフィクションの文章を書くことと短歌、あまりできなかったのは小説を書くこと、例年よりできたのは架空の男の演技。やめたのはask.fmとTwitter、はじめたのはnote。

こんなもんかしらね。去年は万年筆は頂いたものも含めて6本でした。

専門店での買い物についての簡単なメモ

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カメラ買いました(これは一枚目に試しに撮ったうちのミニバラ)。OLYMPUS XZ-10。バーゲンになっていて、そろそろカメラを買わないと諸々不便だなと思っていたので。うちのiPhoneはどうもカメラの調子がおかしかった。

まださほどいじってないのでカメラの話はまた今度。

 

久しぶりに専門店で大きめの買い物をしたので、スムーズな買い物についてのメモです。

  1. 事前に何が欲しいのか何がしたいのかのイメージをはっきりさせておく
  2. 店に入ったらひととおり売り場を眺めて自分をその空間になじませはっきりものが言えるように気持ちを整理しつつどんなものが売られているのかなんとなく把握する
  3. 「こういう条件(の中でできれば安いもの)」とはっきり伝える、もしくは「どれがいいのかわからないので教えてください、こういう条件下で使います」と伝える
  4. 高価格帯の商品にも手を出したい気持ちがある場合、そのむねをはっきり伝える(低価格帯の中でも機能の良いものを勧めてもらいやすい)
  5. 判断がつかなかったら、「少し考えてみます、ありがとうございました」と言えば大抵それ以上押してこない

最近覚えたんですが、「これいいですね、買えないけど……」と予算外の商品について言及すると、店員さんの勧め方がかなり変わってくるというか、高額商品が売れるかも? みたいな意味ではなくて「そういうのがお好きならこれがおすすめです」って感じで低価格帯のなかでもイメージに沿ったものを勧めてもらいやすいように思います。高額の商品はやはりお金をかけて開発しているので細かいところに手がかかっており、その「細かいところ」の、いわばジェネリック的なぎりぎり予算内の商品を店員さんも考えやすいということではないかと思います。

なおXZ-10はざーっと眺めて予算内の商品でデザインのよいものに目星をつけたあとで、店員さんに「仕事で使う、印刷に耐えるレベルのものが撮れればなんでもいい」「カメラを買うのははじめてでよくわからない」と言って予算を伝えた上で、「いかにも家電っぽいてかてかしたデザインのものはちょっと、できればカメラっぽい黒い感じのか、マットな仕上げのものがいい」と「今見ていて、一眼も楽しそうだなと思ったんだけども、さすがに今は手が出ない」を伝えた上で第一希望だったこのカメラについて聞いて、「展示品なので傷がありますが」「あ、それは別に全然」でお買い上げでした。

あとで気が付いたんだけど、「仕事で興味を持ったけれども、カメラ自体にも実は興味があるが、初心者なのでさほど背伸びはできない」に対して「それなりに高機能だけど予算内に収まる商品」のセールスポイントをさくさく聞いてはいはいじゃあ買いますねとさっさと買えたという流れになっており、なんていうかコンパクトにうまくまとめて伝えられたなと……。引っ越しで家電を散々買って家電量販店でのやりとりに慣れたからかもしれませんが。あと今回に限っては相互に条件が合いすぎて「呼ばれた」感じがする。

 

あと、郊外はその限りではないけれど、少なくとも都市部や繁華街のなかにある家電量販店の店員さんは結構オタク率が高い気がするというか、業務を超えたレベルで商品に対する把握力が高い印象がある。やっぱそういう意味で優秀な店員さんが配置されてるのかなあという気がする。郊外の家電量販店は商品知識より接客それ自体に相当注力してる印象で、まあそりゃ電化製品触り慣れてない層にリーチするのが目的だからな……。というわけで買い物には地域性も関係あるっぽいなーと思いました。「安くてできれば機能が充実しているもの」をピッと買うには都市部の家電量販店でピッと買った方がいいんだなーと。わたしいつも買い物を都市部で済ませてしまうので、そういえば徒歩十分のところにある家電量販店に行ったことがない、今度行ってみよう……。

「今は買えない」をはっきり伝えたうえで、おすすめをごり押しせず、それでも機能について聞いたらきっちり答えてくれる専門店の店員さんはいいもんだなーと思いました。

いい買い物をした。

生理用ナプキンにまつわるあれこれ

そろそろ話題も一段落したかなと思うので生理用ナプキンの話をします。しんみりしたエントリを流した後に唐突に生臭いけどずっと書きかけにしてあったんだ。

 

生理用ナプキンをここ数か月買っていません。

どうしているかというとフツーのタオルをパンツの間に挟んでいます。衛生上問題があるのかどうかまではよく知らないんですが、というか(小鳥の鳴き声)的な(小鳥の鳴き声)が多くて調べる気になれないんですが、

  • 別にどうせ自分の体液
  • パンツについたときだって洗って使うんだから問題ないはず
  • フツーのタオルと布ナプキンの間にどれほどの違いがあるのか

という理屈です。

 

わたしは驚異的に生理(このあいだ男性はそもそも生理という言葉をよく知らないという話も聞いたので付記すると生理というのは月経のことです)が短く、1日か2日くらいで終わります。痛みはあるときとないときがありますが、日常的な不調と比べると生理中のほうがむしろ不定愁訴は少ないです(鈍感になっていてわからないのかもしれない)。短くて軽いかわりにおそろしいほどの量出ます。

何が起こるかと言うと九割九分の確率で漏れます。この量の経血に世の中のナプキンは対応していません。

わたしはタンポンを入れると気分が悪くなるたちです。

どうしていたかというと、尿漏れパッドを使っていました。当然生理中はおしりのラインが分かる服は着られません。

 

フェイスタオルでもかわらんやんけ。

 

もちろん洗わないといけないのでかわらんやんけって問題ではないし、布ナプキンでもかわらんやんけという話がしたいわけではありません。非常時はもちろん使い捨てナプキンが衛生的だし、ていうか勤め人の方は当然薄手のナプキン使うのがベターなのはもちろんです。単に

  • 在宅労働者だしそもそも尿漏れパッド時代からぴちっとしたズボンとか履いてないし
  • 量がめちゃくちゃ多いのでどうせパンツも洗ってたし
  • じゃあろくに役に立たないものに金を払う意義がない

という理由で最近ずっとタオルで済ませているという話です。

 

布ナプキン礼賛みたいな誤読を受けそうなエピソードなのになんでこんな話をしたかというと、生理というのは日常でありハレでもケガレでもない、という話がしたかったからです。

経血のついたタオルをざっと水で流して洗剤を少し溶いた水を張った洗面器に突っ込んでしばらく放っておいてざっと洗って洗濯機に突っ込んで回して、そしてそのタオルを別に普通に顔を拭くのに使う、ということを、しかしみんなできるかといわれたらできないのが現実であって、わたしも一人暮らしじゃなかったらこれ洗濯機に回さないしそれ専用のタオルを用意すると思うし客には出さないと思います。ケガレの感覚があるんだよねそこはやっぱり。まあ、「パンツで顔拭くか?」って言われたら拭かないわけなんだけど、でもパンツ、もっとも不衛生であってはならない場所を覆ってるんだから、清潔なはずだと思うんですけど……。

でも感覚としてできない。できない限り緊急時いちいち分けて洗ってられるわけないじゃないですか。っていう話がしたかった。なおわたしのふとんは経血が染みているので誰にも貸せません。固定です。そんなに不潔なのかと言われたらそんなわけないんだけどさああ。わたしは本当にすぐ漏らすので不潔であってたまるかと思うんですがそれでなくともボーッとしてるか腹痛いかなのに経血漏れを延々と気にしないといけない生活まじめんどいので生理のとき家から出たくない。家に血痕がついても最悪別に……わたしの家なんだから宿命だよ……。

五時起きとtodoistとバランスボールの話

最近は朝五時に起きていて、いくらなんでもちょっと早すぎる(昼前後さすがにめちゃくちゃ眠い)んですが、7時くらいまで家事やって(二時間家事に費やせると楽しい)、8時からメールチェックとか昨日の売り上げメモしたりとかタスクリスト眺めるとかして(todoist使ってます、便利)、8時とかに味噌汁作ってあさごはん食べて、9時からちょっと出歩いて、10時くらいからお店の対応して合間に内職やってブログ記事書いてnote更新してGoogle検索を掘り返す作業(※Googleの日付指定でおそ松さんの放送初期の情報チェックをしています)やって、夜は19時くらいに食べて23時くらいに寝て、みたいな生活をしています。

フリーランスになってからどんどん健康になっていく……。でも先週ファミチキ2個食べたから多分肉を欲しているのでお金が入ったらまず肉を買おうと思う……。

でも一日何時間労働になっているのか直視したくない。でもそろそろ直視しないと時々床に倒れて寝ていることがあるので直視しないといけない……。我が家は床に倒れて寝るのに最適の住空間なんだ……でもせめてソファで寝ろと思うよね……なんのためのソファだよ……。

 

最近朝起きて窓開けてお茶わかしたら、とりあえずDVD専用機になってる旧ノートパソコン開いて、おそ松さんの1巻をエンドレスリピートしています。確認したいところあるから確認するまで1巻流しておこうと思っていたらもう二週間くらい一巻聞いている……。そして聞きながら家事をしている……。この生活……秋頃も……してたな……。

とりあえず一巻分終わるまで押し入れのなかをひっくり返して夏冬入れ替えて服を捨てて、シーツをひっぺがして洗って、そろそろカーテンも洗わないといけないし、カビも定期的にどうにかしないといけないし、冷蔵庫と風呂とトイレをいい加減ちょっと徹底して洗わないといけない。あと無限にあるネタ帳を読み返して整理したい。おそ松さん関係の雑誌が読めていない。今月のYOUすら読めていない。

というエンドレスに続く作業のタイムキープに使うにはアニメDVDの一巻分というのは手ごろだなと思いました。まあおそ松さんは3話入ってるんだけど。

 

 

「なにをやるにもやりつづけてしまう」というのがわたしの悪癖で、とにかくぶっ倒れるまでやってしまうので、チャイムが定期的に鳴るようにしておかないとまずいというのがあって、これはニート時代(あいまいな言い方だけどずっとニートだったようなところあるんだよな……)からずっとiPhoneのアラームにセットしてあります。朝九時におはようオーパーツ、十時半にノルニル、十二時に黄金の月、十三時に運命の人(スピッツ)、十四時半にBeautiful World(宇多田ヒカル)、十六時に夕暮れ(アナログフィッシュ)、十七時半にナイトフィッシングイズグッド、二十一時にJAMというラインナップで設定してありました、いま見たら。まるえつがかぶってるな……。

あとポアロ氏も若干時報することになっている。そうそうTwitterbot久しぶりに作りましたよわたしは常にTwitterbotを作っていないとさびしくて死ぬのかというくらい常に作ってるよね……。そういえばポアロ氏を作ったので寂しくなって、相方のほうも作ろう、と思い、「チュウレンジバチと手紙」というメールマガジンを始めたのですが、別にこれ100円とかでもよかったかなーと思わないでもないんですが、何人かお付き合いいただいてるみたいなのでだらだら毎日何かを投げています。日付の設定もミスった、毎日配信にしておけばよかった。(変更がとても面倒)※チュウレンジバチと薔薇という小説のキャラクターです

 

アラームとタスクリストが人生に必要なタイプの人間なんだ。

というわけでtodoistが便利なので有料に上げてアラームもつけたほうがいいのか? と思わないでもないんですが、iPhoneの公式のアプリはできる限り使いたいとも思っていて(どうせ消せないから)、まあアラームはそれでいいんだけど、タスク管理これ本当に便利。

詳しいことはググってもらったほうが詳しい記事ばかすか引っかかるんで早いんですが、UIが使いやすいのが一番よくて、視認性が高いのもいい。

あと、「タスクを延期する」というのが超簡単に操作できて、終わると「素敵な夜をお過ごしください」みたいな画面が出る。これはかなりサイコーだと思います。

「一週間ごと」とか「三か月ごと」とかルーチンの日付指定もさくさく入れられるので忘れがちなことを入れるのにも便利で、使うのが楽しいタスク管理サービスなのでずっとこれいじっていて、簡単なアウトラインが作れるので最近はプロットまでこれでやりはじめました。いや電波悪いところでもオフラインで使えるから便利でさあ……うちの風呂とトイレ電波悪くてさあ……。

 

 

あと最近の変化としては、机を三つ使ってます。

うち狭いのとロフトベッドの関係でデスクが入れづらくて、引っ越してきてからずっと無印の折り畳みパイン材ローテーブル使ってたんですが違うそうじゃないこれもう8年くらい使ってるんだ。パイン材が好きなんだ! そうじゃない! いやその話はいいんですが、ソファに座ってローテーブルがちょっと合わない、追加で買ってみたサイドデスクも微妙に合わない(というか物欲に負けて会わないことはわかってて買ったしこれサイドデスクじゃなくてサイドチェストなの知ってる)、そもそもソファ置かなきゃデスク置けたんですが、ソファ置かなかったらうちがどれだけ殺伐とするかはわかりきっていました。原稿用のタコ部屋になるんだろ。知ってたよ。ソファは人間性を守る最後の砦として導入しました。そして今のところ部屋らしい部屋を維持しています。

なんですが、いい加減座机は腰がやばい。

ということはわかっていて実家にも机と椅子を二万かけてセッティングしたんですがそれは運送費用がたるいということで全部置いてきました。

で、部屋の狭さに対して無駄に広いキッチンスペース(どうもそもそもキッチンスペースが必要な人向けに建てられたアパートらしい)にワゴンでも置こうかと思って、こういう感じの……これじゃないんですけど、構造としてはこういうやつを買いました。

デスクにもなるから使うかなーと思ったんですが、最近結局こっちで作業しています。キッチンで。

バランスボールに座って。

バランスボールのいいところは疲れてくるとバランスとれなくなるから立つかバランスボールで運動するかをするしかなくなるところだ!

キッチンで作業する利点は嫌でも皿が目に付くからさくさく皿洗いをしているところだ! うちは洗濯機もそのとなりにあるので(ほかに置くところがないんだよ)おおむね基本的な家事が作業中に終わる。

なお三つ目の机は人が来た時に出す用の折り畳み式ピクニックテーブルだったんですが、そういやうちの机全部折りたたみ式だな……。好きなんだよ折りたためるものが……狭いし……だったんですが、お手紙の資材が散らかるので出しっぱなしになっています。というわけでパイン材テーブルのほうでめでたく万年筆がいじくりまわせるようになりました。今フル稼働です。

 

 

ということで生活がようやく完成されつつあり、良いのですが、五時起きで床に倒れるのだけはどうにかしたい。

 

 

ライフハッカーみたいなエントリ書いてる……。

たのしいスーパーマーケット

スーパーマーケットに行かなくなった。

 

いろいろなことを考えていたら「余白の美」という言葉が超ツボに入ってしまいゲラゲラ笑って眠れないので、ブログでも書きます。

わたしは子供の頃お金がなかったので、あと多分当時から閉所恐怖症あったのではないか疑惑もありますが(いま電車もバスもとてもつらい)、まあともかく二時間以内で行ける場所なら全部歩いて行ってたんですけども、自転車にあまり乗らなかったのは当時から離人感がひどかったので危なかったからもありますがそれ以前に、どこにどう自転車を停めても盗まれるからです。地獄かよ。そして警察に登録したところでよくわからないところから「君の自転車だよ」と連絡が来てわざわざそこまで取りに行くのもわたしである。地獄かよ。地元の中学生はこれを窃チャと言います、今でも言うのかしらん。当方では一般名詞でした、わたしはしたことがありませんがクラスメイトはフツーにしていたのであった。地獄。コンビニは万引きで潰れたし警報機は鳴らすし爆竹は鳴らすし先生の給食にチョークは入れるしコンクリの上でたき火をやって爆発させるし山の中で煙草を吸って枯葉の中に捨てて山火事になったらどうするんだよどうもしないんだろうな学校行かなくてよくなるしな……この話たしかまえもしましたね……。

その話じゃないです。自転車の話じゃない。いや自転車の話でもいいんだけど。なにしろ地元は山のど真ん中なのでそもそもが自転車に乗るのも一苦労なんですが、こっちは平らな土地なので、自転車買うべきで、自転車買ったら大都会まで即って感じなんですが、自転車まだ買えてなくて、なんでかってなんとなく気が進まないんですよね幾度となく盗まれたから……。

いや自転車は買いますが……いい加減買いますが、それはそれとして、よく歩いていたという話です。

本当に子供の頃は本当に何もありませんでした。近所のおばさんがやっている個人商店が、一軒、あいだをおいてもう一軒。そこからずーっと歩くと小学校をすぎてようやくスーパーマーケットそして個人商店がちらほらと並ぶようになり、そこからまたずーっと歩くとようやく我々の大都会、チュウレンジバチと薔薇でモデルとして扱った半死半生の街へたどり着くことができます。

 

あの頃はスーパーマーケットによく行っていました。

文明の象徴だったからです。

 

歩き疲れるとこうこうとあかるいスーパーマーケットに入って、何時間でもうろうろしていました。スーパーマーケットで考えた小説が数限りなくあります。ここに住みたいとすら思いました。明るくて広くてなんでもあって、小さな動物になってここに隠れて過ごせたらどんなにいいだろうと思いながら、スーパーマーケットをうろついていました。

最近あまり行かなくなりました。

昔ほど出歩かないというのはあるんですが、スーパーマーケットが情報量多すぎてびっくりしてついていけなくなっていることに気づいた。最近野菜と肉と魚を個別にしか見ていません。あとコンビニとドラッグストアと郵便局、時々用事があると大都会(徒歩20分)まで歩いて行って銀行。徒歩十分のところにスーパーマーケットは三軒あるんですが行くとめまいがする。ので、元気があるときしか行かなくなりました。

「何にも買うつもりはなかった」頃は全部、きらきらした夢のようにしか見えなかったから、そこで何も関係ないものを見るように見ていられたけど、

今は「どれでも買おうと思えば買える」から、高いの安いの、これは近所では売ってないの、と言いながら迷うので、めまいがするようになったのだと思います。

そこに置かれているのが宝石ではなくて食べ物だとようやく気づいた感じ。

 

というわけで昨日だっけおとといだっけ、久しぶりにスーパーマーケットに行きました、なんで行ったんだっけ、そうだカツ丼食べたかったんだよ。カツ丼なかったので、おかめ納豆のしそ海苔というやつを、おお、これは、近所には、ないぞ、とか言いながら買って帰りました。納豆二年ぶりくらいに食べた。

去年の秋にオクラが投げ売りになってたやつ冷凍してあったのが、食べても食べてもなくならないのでまだ冷凍庫にあったんですが、刻んで納豆と混ぜて子持ち昆布(これも一緒に買った)と攪拌して食べています。とてもおいしい。ここまで来たら山芋も買ってくるべきではないかと思うので明日買おうと思います。

 

一杯飲み屋と大道芸と賃仕事と小説

こうやって書きだしてみるとなんか「それっぽさ」はあるね。

カラ松タンクトップ君を着てうかれて過ごしていたらさすがにタンクトップ一枚では寒かったみたいでまんまと風邪を引きました。人生のなかでも上位に食い込む馬鹿っぽい風邪の引き方だと思います。これ書いたら資材買い出しがてら大根とはちみつ買ってきます。頭がボーッとしているので住所を書き間違えそうでこわいんですがいいかげんそんなことを言っている場合ではない。

 

5/1に上げたお仕事の話の経過報告。

べつにそういうのが目的のブログではないのでどれがいくらくらいみたいな話はしませんが、いまわたしの収入の基盤はnoteで、ただnoteってプラットフォーム自体が投げ銭しやすいフォーマットになっていて、わたしみたいな九割無料で書いてても(九割無料にする戦略というのも考えたうえで書いてはいるわけだけど)毎日ぱかすか書いていれば塵が積もってってところはあります。クレジットカード支払いしかできないんですが、逆に言うとクレジットカード情報しか渡さなくていいし、書き手と読み手の間の個人情報のやりとりもない。投げ銭フォーマットとしてよくできている、他でちょっとこういう文章を書いて帽子を回すコンテンツをやるフォーマットなさそうなので続いてほしいんですけど、つまりあそこ文章書きが大道芸をできる珍しいフォーマットなので、他にないよねと思うし他にないということはnoteがサービスとして沈んだらこの収入は消えるということです。

今月は通販処理しそびれていた古い同人誌の在庫をひっぱりだしてきて買って頂いたので(ほとんどフリーマーケットのノリ)それの収入が結構あってよかったよかったという……過去の自分からおこづかいを貰った状態ですがこれ返ってきただけなんだけどね……(うちの同人誌が赤字ではなかったことがあったかどうか……)。

 

というわけでいま収入源がnoteととらのあなとboothとアフィリエイト広告と、お店と、それ以外の以来のお仕事、って感じなんですけど、収入源を分散させるのは少なくともわたしの場合は精神衛生上良くて、一個詰まったり伸び悩んだりしても、まあでも細々とあのへん……とかあのへん……が売れてるからいいか……って思うので、よかったなーと思います。

あとまあ二次創作時代の自分に相当支えられてる部分はあると思う。

 

お店なんですが、

通りすがりや合わせ買いで買いやすい価格帯のものを多めに、それなりの値段だけどまあそんなもんかという価格帯のものをいくつか、要交渉の大きい商品を少し、というラインナップで揃えていて、住所入力必須はある程度の「会員制」で、大きい商品の細かい価格表を出そうかどうしようか迷ってるんですが「相談したらやってもらえるけど相談しないとどうなるのかわからない」くらいのほうが、「小さなお店」の身の丈に合っているのではと思っていて、

というのは、小さな料理屋で「パーティー料理を作ります、応相談」の内容の内訳が常に書いてあるのは何か違うのではないか、細かい買い物をする人が「これがメインなのかな」と思うような店がやりたいわけではない、みたいなことを考えていて、自動見積もりフォームとか作れないわけではないんだけどどうしようかなあ……と思っています。

高価格帯の商品がなんで高価格かというと手間がかかるからで、おそらく本数こなせないし疲弊度も高いと思う、が、やってみたいし、やってほしいと言ってくれる人がいるのはありがたいと思う、という感じなので、メニュー表には載っています、あとは相談してください、って感じです。

結構定額商品の枠の中でフリーダムな指定をくださって一緒に遊んでくださるお客さんもいらっしゃるので、なんかみんな、てきとうにくつろいでね。できないことはできないし、「思った通りのものが上がってくる」ようなタイプの店ではないけど。

 

ウェブライターなりブロガーなりとしてやっていこうと思って色々調べていたとき、「わたしは、こういうものが常に生産できます、という確約ができるタイプの物書きではない、フォーマットが決まったものを書けないわけではないけど書いていたら多分潰れる」と思って、「それよりもっと、その時にある材料で、自分にできる味付けの料理しかできない、その日仕入れた材料でありあわせのものを出す居酒屋みたいな場当たり的な文章しか書けない」と思って、うまいことnoteのプラットフォームがハマったのでこのやり方でもどうにか軌道に乗って、いまあの地に足のつかない埒もない店をやってそれなりにお客さんがぽつぽついらしていて、って感じで、それはすごくラッキーなことだと思うんですが、なんかしみじみと「誰かと一緒に足並みをそろえる」に向いてなかったのかなあと思います。前職が続いたのだって給料そのほかのことはともかく七割くらいワンオペで裁量を任されてる部分が大きかったからだし……。

たぶん今結構焦っていて、まあ焦るべきタイミングではあるとは思うんですが、朝七時に起きて夜九時ごろまでぶっ通しで働いたり企画を毎日三本とか立てて予定を更に逼迫させたり徹夜で仕事して体調崩したりしているのでたぶんぽきっと折れたら折れるだろうとは思うんだけど、おそ松さん観たので、またその話かよですけど、まああれ観たので、必死で死ぬまで生きればいいし、ダメだったら諦めて次行けばいい、って思いながら生活しています。

 

まあでも本当にラッキーだったと思うしこんなにうまくいってて大丈夫だろうかって思う。つぶれない範囲で頑張りたいし周りの人を大事にしたい。

 

二次創作の在庫なんですが、

登録し忘れた本が三種……………あるんですけど今更出しづらいので来月くらいにまた載せます……そのころには新刊が出ている予定です。なんと。頑張ります。

あと、食用臨也読本の一巻があるっちゃあるんですが、あれ「二巻以降はどこかで読めますか」というお問い合わせを頂いたまま上げる段ではなくなってしまっていて、どうしようかなと思ったんですが、二次創作を電子書籍で有料配信するのはわたしの倫理に反するし(わたしの倫理であって全否定するものではないです)、さりとて無料で置くとやめるっつったのにズルズルになっちゃうし、どっちにしろクローン人間生産工場の話は繰り返し扱ってるテーマでもう一回書かないといけないとは思っていたので、オリジナルでそのうち書き直そうかと思います。オリジナルで書いたからそれで埋め合わせになるってものでもないとは思うけど。あとあれとは全く違う話になるのはそれはそうだと思うというか、ならなかったらおかしいと思うけど。

循環とか野ばらあたりも再版するくらいならもう一回書きたいなというのはある。とても。

ああ小説が書きたいな。文章がたくさん書きたい。おもしろいことがしたい。してるんだけど。あといい加減それなりにちゃんとしたカメラが欲しい。楽しいですが風邪は治します。

 

最近あったうれしかったことは、にびさんがSkype中リアルタイムでチュウレンジバチと薔薇を読んでくすくす笑っていたことと、依頼原稿をいくつか書いたことです。楽しかった。