やりなおしが苦にならない

去年末からの半年間、あまりにも色々な事をやった。たしか誕生日の前後くらいに、一念発起して、「もう40になったんだし、ここらで、やったことないことをやろう!」と思ったんだった気がする。

結果、今年は結構いろんなことをやっている。新メンバーも旧メンバーも取り混ぜてこんな感じ。シナリオ執筆、手帳と文具、短歌、イラスト、インテリア、デザインの勉強、歴史の勉強など、ずっとやっているものも別途ある。

  • ジムに通う
  • 玄米魚菜食
  • 動画作成
  • 作曲
  • 経済学の勉強
  • 小説を書いて同人誌即売会に出る
  • 国立民族学博物館に通うために大阪に連泊する
  • 創作百合
  • 語学学習
  • 編み物
  • ニードルフェルティングでマスコットなどを作る
  • 数学の勉強
  • 語学学習
  • ココフォリアクリックアクションルーム形式でシナリオを書く
  • ドット絵

ハマったものもあるし、続いているものもあるし、あんまり得意ではなかったものもあるし、楽しかったが優先順位が低くてできてないものもあるし、イヤになっちゃったもの(経済学のことですが)もあるが、とにかく何でも良いので新しいことをガンガンやっていくと、「やったことの中でも特に自分が得意なこと」という手がかりで自分の輪郭がはっきりする感じがする。

すくなくともわたしにとって「自分」というのは、外的な評価や自分自身の思い込みによって「徐々に曇って覆い隠されていき、輪郭が不明瞭になる」もので、その輪郭を明瞭にするためには、感情的な好悪よりも実際に自分の手に取れる具体的な得意不得意を確認する必要があるのかもしれないな、と思った。自分というヴェールを剥がして、輪郭を明瞭にし、核の位置を探しているのだと思えば、いろんなことに手を出してみるのはトータルで繋がったことなのだろう。

ところで、編み物をしばらくやりこんでいたおかげで、自分の核と呼んでも良いような根底のところに「それが進捗になるのであればやりなおしが苦にならない」がある、ということがわかった。いや、全然苦にならないわけではないが、思想としての「やり直すと、綺麗になる」がある。編み物は、ラフの方が良かったとか、下描きのほうがよかったとか、1回目の方がきれいだったとかいうことはあまりなく、どんなシチュエーションでも大抵、間違ったらやり直した方がいいから。これは掘った穴を埋めるのが苦にならないという意味ではなく、役に立つならやりなおしを厭わないという意味です。

そういうこと、まっすぐに良い方に進むことって、特に創作をやっていると意外とない。シンプルな努力でまっすぐに良い方向に進むタイプのおこないを増やした方がよく、向いていて、人生が安定するのだろうな、と思った。何か思いつくといいな。

今のところ、ゲームを作るのは自分に向いているように思っているが。まっすぐ良い方に進むかどうかはともかく、ある程度のよさが生まれるまで人の意見を聞きつつやりなおし続けるのはそうだから、やりなおしがつらい人は向いていないだろう。