二次創作が好きだった話

~これまでのあらすじ~

1、色々あって二次創作をやめてから一年くらい経ちました。

2、ちょっとだけ斜視なので視界が恒常的にブレていてそれは普通ではないということが発覚しました。

 

~今回のあらすじ~

斜視おもしろくて遊んでたら小説が書きあがっていた。

 

人生いつ何がわかるかわからないものですね。

風と桶屋の関係のようにいろいろなことが複合的に絡み合っているんですよ。2月仕事がむちゃくちゃキツかったんです。なんでキツかったのかというとここに書けない理由プラス夏コミに申し込んだからで、夏コミに申し込んだのはわたしのことを松で覚えた人にいいかげん名刺を渡す機会のひとつくらい設けろよと思ったからなんですけど、仕事がむちゃくちゃキツくてめちゃくちゃ失踪したくなり、まあまあとりあえず落ち着けよということでとにかく部屋掃除をしたんです。極限までものを捨てたら(そこまでではない)かなりスッキリしてメンタルが明るくなり、よーしカラオケでも行くかと思いました。カラオケに行くというのは皆さんが思ってらっしゃるような楽しい娯楽ではなくて試練です。閉所恐怖症なんだよ。でもこう、テンションが上がっているときはいつもできないこともできるかもしれないですからね。それでカラオケに行って、まあ具合は悪くなったんですけど、でも一応三時間耐えきったのでわたしは超えらくて、超えらいのでウキウキしていて、眼鏡買お! と思いました。これもまあ試練なんですけどね。なんで服を買うとか眼鏡買うとかが試練だったのかということは眼鏡屋でその日発覚しました。

そうです。

斜視の話にここでつながるわけです。

人生とは物語性を孕んでおり伏線は回収される。

 

ここまでがこれまでのあらすじなんですけど、で、斜視だということがわかった、というか、これまで視界がボーっとしているとかものが二重に見えるとか疲れているとよく見えないとかっていう状況があった、さらに言えばそれを「目の周りの筋肉に力を入れて」修正し、かつ「脳内で重複している情報を整理して」修正して生活していた、そしてこれが大事なんですが、それはふつうのことではなかったということを理解しました。君の見ている世界とわたしの見ている世界は違う!

というのがわたしがオリジナル小説を書いていた頃の永遠の命題だったということは、書いてから思い出しました。

「うわスゲー面白い、超ずれる、知ってたけどそっかこれそういうことか! 一点を集中して見ていると二秒くらいで五個くらいに増える! 知ってたけどこれそういうことか! これみんなはないやつでわたしはあるやつか! えっもしかしてわたし画面見ないでも小説かけるんじゃない? ていうか、見てなくない? 書いてみーよっと。うわめっちゃおもしろいさすがに目をつぶると怪しいけどそれでも別に書けることは書けるわブラインドタッチの精度っていうかこれどうせわたしミスタイプしても気づかないのは見てないからじゃねーか! 校正下手な理由もわかったよ! 小説書けた~」

書けました。

二次創作を、最後に書いたのが、えーとおそ松さん10話のときだから2015年の12月頭かな。丸一年ちょっとくらいですね。それきり小説の書き方がよくわからなくなっていて、そう、小説技法の塾をやっているくせに(やっています)小説の書き方がなんかいまいちぴんときてない状態でダラダラ書いたり書かなかったりしていたんですが、書けました。

まあいろんなことのつじつまが合ったんですよね多分。これの一個でも足りなかったら、あと大阪で友達に眼鏡屋に連れていかれて眼鏡はいいぞと言われたとか、京都で友達と発病以降はじめてのカラオケに行ってちゃんと楽しく過ごせたとか、それ以前のこととか、いろんなことが絡みあって現在に至っていて本当に風と桶屋なんですけども。

小説を書きました。

これまでで一番うまく書けました。

というか、小説がうまく書けたと思ったのは生まれて初めてでした。

 

小説技法の塾をやってるんですが、基本的に小説技法の塾なんですが、まあ持ち寄られた内容によってはなんの話でもやります。ということで小説を書いたちょうど次の日、就活対策というか観念的な意味での「仕事について」をやって、その中で「創作を仕事にするということについて」に触れました。「と言っても別にわたしは創作を仕事にしているわけではないんですが、そうなれるかどうかはともかくどうしてそれをしようとしていないかというと、水準に達していないと思っていたからです」という説明をしました。

終わったあとで、「あれ? 水準に達しているような気がするな」と思いました。

商業的にどうこうなるかどうかはわたしにはわかりませんが、「わたしの書きたいものを書けているという意味では水準に達している」し、「わたしの書きたかったものがひととおり書けたんだから、商業的にどうこうなるかどうかちゃんと確認してみよう、ダメならまあ別にそれは仕方ないけど、送るからにはもちろん全力を尽くそう」と、生まれて初めて思いました。「小説を商品にしてみたい」と思いました。

 

で、「二次創作のこと、たぶんわたしはわからなくなるんだろうな」と思った、というのが今日の本題です。枕が長い。

 

ファンフィクションコミットメントという本をずっと作っていて、作り終わりました。内容はnote再録、腐女子寓話とそれにまつわるコラムをまとめた本です。紙媒体は金ができたらぼちぼち……。

なんだろうな、もうここに出てくる彼らのこと、よくわからなくなってしまったんですよ。

二次創作のことも、二次創作者のことも、忘れちゃうんだろうなと思った。

本に入れたエントリに、「嫉妬のこと」というのがあります。ここではオンラインの交流が難しくなった話をしていますが、ブログやTwitterに作品の感想を書きづらくなったこと、二次創作をやめたこと、における、「オタクを続けている人に対するなんとなく苦しい感情」がずっとあって、ああこりゃダメだなと思って、好きだったものや愛したものをくだらない理由で憎みたくないと思って、そういうものから自分を切り離した。オタクの友達とある程度距離を取って、アニメやゲームや漫画の情報を一時期ほとんどシャットアウトしていた。「感想を書きたくなったら嫌だから、やりたくないから、やりたくなりそうなものは見ない」を続けた。そしたら本当に興味がなくなった、というか、どうやって、どんなふうに、興味を持っていたのかわからなくなった。

そしてそのかわりに、小説が書けた。

 

二次創作とはどうして二次創作でなくてはならないのか」というエントリは、ファンフィクションコミットメントのためのテキストとして、最後に書きました。難しかったです。もう二次創作のことがあんまり思い出せなかったから。

創作全般ですが、ひとつの側面として、「架空の実在性を手に入れたい」とか「架空に接触したい」という感情、「そこにある何かを、『ある』と言いたい」という欲望、そういうものがあって、それはたとえば「可能性」を幻視するという行為だと思う。そしてその「可能性」は、「絶対にこのかたちをしていなくてはならない」ことがあって、だから「わたしが幻視した彼らの人生やその続き」は「たとえほかの可能性を裏切るとしてもそのかたちをしていなくてはならない」ということがありえる、という意味において、二次創作は二次創作でなくてはならない。そういう、「わたしは彼らの可能性を見ることができる」「彼らの可能性に触れることができる」という、なんていうんだ、確信? オリジナル書いててもそれはやっぱり「可能性を形にすること」には違いないんですが、この場合の「可能性」は「存在するかしないか自体を選択できる」であって「存在しているものそれ自体の別の可能性に触れる」ではなくて、なんかうまく言えないんだけど、体験として別個の部分はたしかにある、「彼らに触れることはできないけど、彼らの可能性に触れることはできる」をやっていたことを、間違っていたとか無駄だったとか思いたくないし言われたくないし、これから先忘れてしまったあとで言いたくもない。ので、完全に忘れる前にここに残しておきます。

ティム・オブライエン『本当の戦争の話をしよう』に、超雑に要約すると「俺は戦争に行ったかもしれないし戦友は死んだかもしれないしそれは全部起こらなかったかもしれないけど全部本当の戦争の話なんだよ」みたいなことが書いてあるんですけど、わたしにとって二次創作というのは(これはわたしの話でみんなそうだという話ではないんですが)そういう「これは起こったかもしれないし起こらなかったかもしれないけどどっちにしろ全部自ジャンルなんだよ」っていうのを超カジュアルに前提として体験できるもので、そこが好きだった。と思う。「可能性を体験する」っていうのはそういう話で、そのうえでその可能性を共有するっていうのはめちゃくちゃ贅沢なことだと思うんですよ、まあ共有できない(人がいないとかで)こともあるけど……。

そしてオリジナル小説を書けば書くほど「可能性を共有する体験」というものが何だったのかわからなくなっていく。たぶん、わからなくなろうとしてわからなくなっているから、必死で遠ざかるために、嫌いにならないために、憎まないために、書いているんだと思う。わたしの目に見えているものはわたしの目にしか見えないということを、書いてしまっている。あなたの見ているものをわたしが書くことができるという可能性を、見失ってしまった。たぶんわたしは「自分の戦争」の話は書けても「わたしたちの戦争」の話は書けなくなっていて、それをいつかまた書く日は来るのかもしれないけど、それはかつて信じていたものではない、んだと、思う。風が吹いたのでそうなりました。いろんな理由で。

 

わたしは二次創作が好きでした。

「どうして」好きだったのかは思い出せなくなるとしても、「好きだった」ということは忘れないでいたいと思う。

知覚と相談と人生とわたし

noteに去年の夏に投げた文章をスクラップしています(noteのほうのは消えています)。


わたしは、ある日唐突に自我が芽生えた状態で中庭に放り出されたように幼年期を始めました。

「誰もなにも教えてくれなかった」と言えばうそになりますが、「みんながあたりまえのように知っていることを、わたしは知らない」が、あたりまえの状態からスタートしました。

というわけで、わたしは彼らの「あたりまえのこと」をなにも知りませんでした。それを知らない理由も説明できませんし、それは何なのか説明してくれと求めることもできませんでした。なぜならそれを当たり前に知っている子供たちは、「それがあたりまえである」という以上の認識をできないからです。

そしてわたしがどうしたかというと、彼らの話をひたすら聞いて、それは「何」であるのか、自分で考えて理解して自分のものにしようとする、わからなかったらわかるまで考えるか、サブテキストになりそうなものを探す、ということをやっていました。

「打ち明け話」をされるようになったのはたぶん高校生くらいの頃からで、加速度的にされるようになったのが大学に入ってからでした。人生のこと、家族の問題、将来設計について、「聞いてほしい」と言われること、あるいは、遊んでいる途中でなんとなく始まること、泊まっていてなんとなく始まること、かかってくる電話、そういう日々を延々と経て、インターネットでQ&Aのサービスで遊び始めました。

めちゃくちゃたくさん質問が来た。

で、回答側としてもハマったし、こういうことをやるべきだった、とか、こういうことができたんだ、とか、いろいろ思うところがあったんですが、まあask.fmというサービスは匿名で質問ができるので、最終的に端的に悪意が寄せられる量が許容範囲を超えてしまい、なかったこととなりました。いまも質問は送れますが全然見てないので回答はしません。

で、代わりに萩の原というウェブショップを始めました。

唐突に発生した何も知らない子供から、知っていたはずのことが分からなくなった人や、知らないということそれ自体にはじめて直面して、出口がわからなくなった人へ。


こないだ斜視の話をしてわりと友人知人にウケたんですよね。「おまえは絶対目が悪いと思っていた、目が悪い人間の挙動だった」って言われてめちゃくちゃ面白かった。たしかにその指摘はずいぶん前から受けていました。でもわたし0.9と0.5のあわせて1.5とかなので(だったと思う)視力的には別にそこまで悪くないんだなということでみんなが訝しんでいたところが解決したわけです。みんないいやつだな。ありがとう。

で、面白いんで色々人に聞いてもらったり考えたりしてたんですが、そういや耳もあまりよくないというか、たぶんこっちはちょっと聞こえすぎというか聞くべき領域を選別するのが苦手なんじゃないかと思うんですが聴覚過敏で頭痛くなりやすくて、基本的に音がでかい場所があまり得意ではない。最近ある程度克服できないかなと思ってカラオケちょくちょく行くようにしているんですが、自分で歌ってない時はちょっとしんどい。

鼻はめちゃくちゃ悪い。それは知ってた。全く分からないわけではないけど微妙な匂いは何もわからない。

 

どうやって生きているんだ……?

大抵のものを触るか舐めてみる理由がわかりました。

それしか十分な機能がないからです。

 

で、冒頭の文章に戻りますが、つまり何もわからない何も知らない状態だったのは、そう、そういう、そういうことです。そもそも生育環境が他の子供と違う上に、そもそも他の子供と知覚できる情報の量が段違いに違ったということになる。

そして冒頭の文章に挙げたように、わたしは他の子供より注意深くなることで問題をクリアしようとしました。気配とか、速さとか、声のトーンとか、そういうものを重視してコミュニケーションを取ってきたし、それはうまくいくこともあればうまくいかないこともありました。というか基本的にはうまくいかないながらもそれでも生き延びてきたわけです。あと勘は鋭いほうだと思う。ぎりぎりのところで危険を察知したことはあるし、「なんとなくいやだから行かない」も多いし、よく知らない人の情報を「たぶんこうこうこうですよね」と当てることも一応できる(絶対にあたるわけではないにしろ)。

できないことが多いから勘が発達した、ということでしかないように思える。

そして、だからこそわたしの勘をみんな頼ってくるわけだ。古代人みたいだな。いや前から思ってたけど勘が鋭いから価値を見出されて頼られて生き延びることを許されているのマジ古代人みたいだよな……。

人生……。

 

ところでとにかく目が疲れやすいということを自覚したので日中サングラスをかけています。つまり視覚情報を意図的に減らしています。

よりいっそう勘と触覚で生きています。

部屋と疲れ目と人生とわたし

わたしの実家がナントカみたいな話はブログの過去ログあさっていただければいいと思うんですがそれにしたってストレス性のアレみたいなのが多くねーかとは思っていて、ストレス性のアレというのは子供のころから原因不明の腹痛、原因不明の嘔吐、強迫観念からくる失禁、みたいな症状があってまあそういう人間なんだなと自分では思っていたしたぶんそういう人間なんだなで済ませてる人多いと思います。でもこう、多くない? 子供のころからだから社会生活を経ての鬱とかでもないしなにゆえのなに? とは思っていた。

あと忘れ物が子供の頃からめちゃくちゃ多くて注意力散漫で鳴らしてきました。忘れ物も多いし、こう、「そこに置いてある」ものが「見えない」。あと窓が汚れてるとかが「わからない」。ものによくぶつかる。なぜそんなにぼんやりしているのかとずっと言われてきたんだけどでも別にボケーッと生きてるわけではないというか細かいことをめちゃくちゃ気にする方だしアニメとかだとむしろ細かいところをめちゃくちゃよく観ていると言われるほうなんだけど何なんだ? と思っておりました。

 

眼鏡のフレームが歪んじゃったんですよ。

視力1.5くらいなのでべつに眼鏡なくても全く支障ないんですけど、上記のような不備というか視覚上の困難が多いのはおまえそれは目が悪いからじゃないのか、悪くなってるんじゃないのかという説があり、でも眼鏡かけると頭痛くなるから眼鏡かけたくなくて抵抗していたんですが、まあどうせ眼鏡は要るので(1.5でも映画の字幕とかはちょっと困るので)そろそろ作るかーと思ってふらっと眼鏡屋に、本当にふらっと何も考えずに行きました。

いろいろ検査をしたあとで、「右目と左目の焦点が合ってないです」と言われました。

それは……

斜視というやつではないのかな……? ……というのがインターネットの有志のご意見です。実際そういう診断になるのかどうかは眼科行って確認します。眼科は眼鏡受け取ってから具合を見て適宜行きます。眼鏡は明日できます。プリズムレンズ入れてもらいました(斜視の補助をするレンズ)。

 

エッ世の中の目に異常のない人間は何かを見ようと思うときにぐっと目の周りの筋肉に力を……入れない! 手もとを見ていると疲れるので遠くを眺めていて不注意を叱られたりしない! 動いているものの動きが把握しきれないのでそのあとどこに動くか考えてから動いていない! 飛んでくるボールの軌道が見えている! 視界が二重にブレない! まじで。

わたし目の焦点を合わせていないと人相が悪くなるので人前に出るとき目にいつも力を入れて生活してて、子供のころから、家帰ってくると一時間でも二時間でも平気でボーッとしてるというか何もできないって感じだったんですけど、それを、みんなは、していない!

まじで!?

 

それはあれじゃないですか。わたしが子供の頃から団体生活をしていると唐突に具合が悪くなってたのも人混みが苦手なのも情報量が多い映像を見ると具合が悪くなるのも忘れ物が多かったのも目が乾燥するとめまいで倒れてたのも花の名前は覚えられても種類は覚えられないのも学校から帰るとボケーと壁を眺めているうちに一日が終わって宿題ができないで泣いていたのも

疲れ目のせい……ということになります。

疲れ目ー!!

そして意識して生活してみるとたしかに痛いのは目だ。頭痛がするんじゃなくて目が痛いんだし吐き気がするのも目が痛いんだし肩に力が入っているのは目に力を入れているからだしサングラスかけると楽になるのは人相が悪くなるのを気にしないで済むからだ。というか閉所恐怖=窓がない建造物に対する恐怖は「近くに焦点を合わせると疲れるから焦点を合わせずに『遠く』を眺められないとだんだん具合が悪くなる」というすごく具体的な疲れ目の問題だったということではないかという疑惑も浮上します。もしかして精神疾患ではないのでは!? いや、躁鬱傾向にあることは事実ですが、躁病というのは要するに「目に力を入れている」状態を常態としようとした努力の結果なのではないか。最適化する人体! というか目の焦点を合わせるために背負っている疲れをどうにかするためにカフェインと糖分をどばどば摂っていたのではという疑惑も生じる。

まあ実際どうなのかわからないので眼科行こうかとは思うんですがとりあえず自分が「人相が悪いコンプレックス」を、意外とめちゃくちゃ持っていたことに気づきました、知らなかった、身体上のコンプレックスはそれなりにあるつもりではあったけど一番気にしていたのは「目」だったということを知らなかった。目をパッチリ開けろ(シャキッとせえ的な意味で)とそういえば子供のころからよく言われていたしたしかに目をパッチリ開けるとすごく人相がよくなるんですよね。疲れるとすぐ人相が悪くなるんですけど。

とりあえずサングラスをかけて生活していますが、サングラスをかけると楽になるメカニズムがそんなところにあったとは知らなかったよ……。サングラスをかけていると目をパッチリ開けなくていい(開けていてもどうせわからない)。まあものの色がわからないので写真撮りに行くときと作品製作をやっているときはサングラスかけられないんですけど。まあでも眼鏡かけてるとある程度ごまかせるよね。新しい眼鏡に期待。ていうか「眼鏡をかけると頭痛くなる」ってつまり「よく見えるので、よく見ようとがんばってしまう」ってことだと思う、多分……。というところが新しい眼鏡で多少改善されるといいなと思います。まあしくみがわかったら気をつけて生活できるしな。

 

しかし人生が、というか人間性が、もっと言うと人生観が、すごい勢いでひっくり返りましたよ。目の焦点を無理に合わせている! これこそが「生きているだけでえらい」というやつじゃないですか。

 

このエントリでは就活生のために人生の話をしようと思っていたのに枕だけで二千字も書いてしまった。

 

5歳 休日中出かけた諸々の話を幼稚園では黙っているように釘を刺される

6歳 忘れ物をしない日がない

8歳 疲れ目で倒れて運び込まれた保健室で『猫の事務所』を読み人生を知る

9歳 体重が増加し始める

10歳 小説を書き始める

11歳 父の死

12歳 中学校で喋らないことを決意

14歳 自分はおそらくろくな小説が書けないという天啓を得る

15歳 高校では喋ることを決意

15歳 交通事故の後遺症で倒れてる間にアニメにハマる

16歳 将来の進路を言語学者か民俗学者か図書館司書と定める

18歳 言語学を志すも、たぶん学者にはなれないっぽいことをなんとなく把握する

20歳 図書館司書のアルバイトを始める傍ら小説を書き始める

21歳 自動車免許の獲得に一年かかる傍ら小説を書いていた

22歳 就活をドロップアウトして小説を書いていた

23歳 書き上げた小説三作を仲良く全部燃やして工場労働者に

24歳 図書館司書非正規雇用の口にありつくも閉所恐怖のパニック障害の発作を起こして辞職

25歳 回転寿司屋で働きながら松尾芭蕉についての書籍を読みふける

26歳 BLエロ小説を書き始める

27歳 謎の社会福祉法人で謎の有償ボランティアを始める

30歳 同人誌を31種作る

30歳 自分の将来性についてもうちょっとまじめに考えたほうが良いのではないかと今更思い至り職業訓練校でofficeソフトの高度なとりあつかいを学んで事務員になりたいと思うも、教室が狭くて週5くらいで発作を起こし、人生が詰んでいることをしみじみとかみしめながらとりあえず就活条件を少しでも良くするために都会へ引っ越した矢先ブログがバズってよくわからないことになる

31歳 謎の稼業を始める

32歳 これまでの人生のうまくいかなかったことの大半が疲れ目によるものであるという疑惑が浮上←New!

 

なんでこんな赤裸々なことを書いたかと言うといろんな人生といろんな人生の破綻とそこからの再起があるというエピソードをみんな色々共有したらいいと思うんですよ。もちろん誰が正解とか誰のまねをしたらうまくいくとかいうことはないしできるもんならしてみろこっちは目をパッチリ開けながら生きてんやぞ! という感じだしいままともな企業みつけるのたいへんだと思うし(10年前だって十分たいへんでした)、モデルケースというわけじゃなくて、ただ、就職先が見つからないでべこべこにへこんでるとき「わたしの人生は22歳(±)で詰むのでは!?」という気持ちになる人けっこういるでしょう、不具合は山のようにあるけど意外とまだ詰んでないほうの人生をここに置いておきます。だから何ってわけじゃないんだけど。これ多分一個多めにミスったらドボンしてると思うし、実際人生の過程でドボンした人もいっぱい見たし。もちろん成功した人もほどほどになんとかクリアしてる人もいっぱい見たけど。

あと、わたしは「人生においてつらかったことがなかったら今の自分になっていないからつらいことがあってよかった」みたいなの大嫌いで、つらくないほうがよかったですよ!? つらいこと全然ないほうがよかった! と思うんですけど、目のことに関しては「指先の感覚や爪先の感覚ベースで生活する」能力を鍛えたのは目を補助しようという働きでしょう、と思うので、それに関してだけは「よいこと」の数に数えてもいい。だからって別に特にめちゃくちゃ役に立っているとかはないけど……。タイピングが早いとかくらいだと思うけど……(製作した作品が製作できない代わりに目を調整するよ! って言われても困らない程度の作品でしかないのが現状なので……)。

まあでももっと早いうちに、せめてはじめて眼鏡作った時に発覚してればちょっと楽だったかもしれないと思うとな。いやもちろん悔しいんですけど、それ以前に「わたしの30年がひっくり返る!」というアクロバティックな快楽のほうが勝ってます。過ぎたことをくよくよしてもしょうがないしな。自分の人生に伏線の回収によるどんでん返しが仕込まれていたなんて! 俺が、俺こそが信頼できない語り手だ!

 

新しい眼鏡たのしみです。

しかし人間はずいぶん視覚情報に頼って生きているんだな。そういや階段は段数を暗記して上り下りするので知らない階段苦手なんですよね。そいつもそれだよ。

オオソ~ジ2017spring

ものを捨てました。

 

わたしの部屋にはおそ松さん放送中のあらゆる雑誌があって、あと大量の日記帳と大量のネタ帳があります。ありました。これらを全部捨てました。

正確にはおそ松さん関係の記事はとりあえず切り取って残してある。整理がついたらもう半分くらいに減らせると思います(インタビューは残したいから)。

あと直近半年で買った服以外全部捨てて、かばんも捨てて、キャラグッズも捨てて、文房具も高額文具を残して捨てて、本棚の本を半分くらいこれは実家に送ったら読むかもしれないのでまとめて、そんなとこか。二十年持ってたものから去年買ったものまでとにかくひととおり捨てられる限り捨てました。なんだろうな。

ここんとこ「失踪したい」ってずっと言ってて、あらゆることがつらくなっていて、人間関係、仕事、物質、全部リセットしたいという感情が強くて、じゃあリセットできるところから、まあリセットはできないんだけど捨てられるものから捨ててみようと思ってまずSNSを整理して、それからとりあえず仕事を休んで、仕事を休んでなにしてたかって部屋掃除、とにかくひたすら「燃えるゴミ、燃えないゴミ、いるもの」って分けていく作業をやっていました。

 

小説を書き始めたのは小学校五年生の頃です。そのころの小説が取ってありました。

これを捨てたとたん堰を切ったようにほんとうに全部捨てた。次は在庫のパッケージをはがし終えたらエコサリオに送ろうと思ってて、さっき言った雑誌の整理を完遂させて、大型ごみがちょっとあるので出して、そしたら本当に仕事関係のもの(パソコン、編み物の道具とレシピ本、ビーズワークの材料と資料)と勉強の本(松尾芭蕉と赤塚不二夫と北欧神話と言語学と物語論)、あと少しの本と生活用品とトランペットと水着と万年筆が残ります。整理してもこれだけは残るわけだ。

 

 

別に断捨離を勧める記事ではありません。

ただなんか、これまでの人生が自分にしがみついていることにうんざりした、これまでの人生を、なかったことにできるとは思ってないしなかったことにしたいわけでもないと思うけど(たぶん)、せめて「思い出」にしたかった。物質として手元に置かないことでそれができるんじゃないかと思った。それでそうした。とりあえず部屋が広くなって、ああそうか、部屋が狭いのがいやだったんだなと思いました。面積の問題ではなくて。

人間が抱えられる荷物の量には限りがあって、でもその限界は人によって違う、というのが持論です。

わたしは閉所恐怖症なんですけど、閉所恐怖というのは「認識できる広さ」に対する恐怖症だと思う、少なくともわたしはそう、わたしは狭いところが怖いわけではなくて、その空間に入っている物量がこわい。なので、たくさんのものを持つのに向いていないのだと思う。だからわたしはコレクターではない。たくさんのものを持つのに向いている人もいて、コレクターの資質というのはそういう人に宿るのだと思う。

 

もうひとつ。

「ものを買う」ことが不得意で、それは「訓練をしていないから」、子供のころから大人になってもずーっとお金がなくて何かを買うということの練習ができなくて、だから買ったものを「捨てる」タイミングもよくわからなかったんだけど、「買わなかったら使えなかったもの」を「買って、使った」ら、それはもう「買った価値に対する行動はとった」んだなと最近思うようになった。

アニメキャラのグッズとか全く使わないわけなんですけどなんで買うのかというと「市場が動いている」ということを示したいから買うんですが、だから逆にいうとあれって「別にいつ捨ててもいいもの」なんだなというか、気が済むまで飾っておいて気が済んだら捨てる、でいいんだと思う。というわけで気が済んだ範疇から捨てました。

 

 

たぶん近々引っ越すので、引っ越すときにソファとソファテーブルと家電品は買い取りに出す予定で、書き物机は捨てていく。たぶん資材もそのとき半分くらい捨てるし、いまここにあるアニメキャラのグッズもそのとき捨てていくと思う。本も読み終わったら置いていく。断捨離を勧める記事ではないです。わたしの人生の尺に合ったものを持ち運ぶには「過去」は量が多すぎるという話です。

 

「生活の質を上げる」ということを最近考えるようにしている。生活の質を上げる、というか、生活のなかで死にたくならない、というか、そういうことについて。で、部屋を掃除すること(いらないものを捨てて掃除しやすくすること)、料理すること(料理のための買い物をすること)まで考えて、まあぼちぼち、といった感じです。ひとり暮らし一年半、ようやく「生活をする」ということができるようになってきたのかもしれないと思う。

あらゆるわたしの可能性の世界――こうの史代『この世界の片隅に』

※映画は観ていません。

というのは、わたしは閉所恐怖症を患ってそろそろ十年近いんですが、その結果として映画館は閉所で窓がないので基本的に行けません。時々行くけど体調は悪くなる。そして去年は閉所恐怖症の具合が極端に悪かったので全く映画を観ていません。という理由で観ていないのであって、なにか含むところがあるわけでは全くなく、逆に観といた方がブログ書くのもまあいろいろとアレだろうなとは思うんですが、逆に観ていないほうが書けるものもあるだろうと思って、迷ったんですが書いとくことにしました。

書こうかなーと思ったのは、映画観れないからという理由でこうの史代作品をしばらく封印していたのをそろそろいいかと思って解いたからです。なんで封印していたかというと「そこは原作ではこうで」とか言うめんどくさいオタクになりたくなかったからです! 映画観れないし!

やっぱり滅茶苦茶面白いし、あとわたしは(こうの先生が舞台にする広島は海寄りなので若干違うんですが)広島弁方言圏なのでまず音読ができてしまうしキャラクターの細かいメンタリティもすごくああ~という気持ちになるのでたぶん思い入れ方がちょっと違うだろうなと思う。ここで描かれる「戦争」とはいったい何であったのかを知っている、というより、「ここで描かれる戦争というものとおそらくあまり差分のない戦争教育を受けている」環境を知っている。広島の戦争教育はかなり特殊なものであり、かつ、ある程度抑圧的に「平和賛美的」なものです。それを踏まえて『夕凪の街桜の国』が生まれ『この世界の片隅に』が生まれたというのはこうの先生のある種の純粋な無垢さの表れだと思う。純粋な無垢さという言い方は妙にきれいであれですが、今年カープ優勝から連勝に至った際の広島県民の「純粋な無垢さによって永遠に興奮している」あれ、あれが広島の「平和教育的な側面を除いた」本来の県民性だと思います、多分。こうの史代という人物は極めて「広島っぽい」、そして、「ヒロシマ」、いわゆる戦争の跡地として平和の聖地として語られる方の当地のことです、「ヒロシマっぽくない」。

そういう人が稀有な才能を発揮して暴力もあれば幸福もあった、「不幸な」ヒロシマではなく「不幸にならされた」広島を描いた、「日常四コマ」の漫画家が描いた、というのは『夕凪』の頃大学生だったわたしやわたしの友人の間ではかなり話題になって熱心に読みふけっていたのを覚えています。こうの史代というのはわたしにとってそういう作家です。

 

※ネタバレがあります。

すずさんの「右手」の話をします。

『この世界』という漫画は「実際に起こったこと」と「すずさんの絵のなかで本当のこと」が繰り返し描かれる漫画です。その境界は、たとえば『長い道』で明確に扱われたペンタッチの違いで分けられているとはいえ、時として曖昧で現実をたやすく浸食します。人さらいは本当にあんな形をしていたのか。座敷童は本当に存在したのか。わたしたちはそれを見分けることができない。なぜならそれは「すずさんの世界において」本当のことだからです。

そういう意味で『この世界』はメタフィクションです。あれは『すずさんの見た世界」をそのまま映し出す「すずさんの右手」が描いた世界です。漫画の中で前置きなく何度も「たぶんこれはすずさんが描いた絵なんだろう」とわたしたちが認識できる、ペンタッチの違う絵は、しかしすずさんが「本当に」「帳面に描いた」絵なのかどうか、わたしたちは確認ができません。わたしたちはその瞬間、すずさんの絵(のようなもの)を通じてしか世界を認識できない。つまりそれはここで描かれる「この世界」とは「すずさんの右手が作っていた世界」だということを示します。

 

それが奪われるということは、すずさんが飲み込んで咀嚼し「描いた」「この世界」に、今度は「戦争」が侵食し、破壊したということです。

「世界の終わり」です。

 

すずさんの右手が奪われたことをすずさんが「知った」とき、すずさんが描いていた「世界」は「この世界」から切り離され「クローバー畑」という「架空」に行ってしまう。それはもう描かれることがない世界です。そしてすずさんに残されたのは「歪んでいる」「左手で描いた世界」。漫画の背景は実際に震える線で描かれ始める。

 

すずさんから切り離されたすずさんの右手、つまり「すずさんの世界」は、最初、晴美さんを象徴するものになります。つまり、「もう失われたもの」それは双葉館の死んだ娼婦に接続し、次いで右手が現れるのは「売られた子供」そして「座敷童」さらに「リンさん」を「右手が描いているという架空」。「思い出」「失われたもの」。そしてコマの隅に小さく描かれる楠木公に至り、「もう今は描くことができないけれど、かつて描くことができたもの」を取り戻します。架空の水原哲さんと軍艦を経て、そして、おそらくこれはかつて描かれたものではなく、しかし「すずさんの中ではいまでもありありと描くことができる」『鬼イチャン冒険記』はすずさんにとってはこれもまた「本当にあったこと」「起こるべきだったこと」です。

 

「貴方などこの世界のほんの切れつ端にすぎないのだから」

「しかもその貴方すら 懐かしい切れ/〵の誰かや何かの寄せ集めにすぎないのだから」

そう語られる最終章はほとんどが「誰かによって描かれた」ものです。それを描いたのが「誰」であるのかはわかりません。

「いま其れも貴方の一部になる」

すずさんの人生にはいくつかの分岐点があります。「さらわれた子になる人生」と「ならなかった本当の人生」。さらわれたすずさんはもしかしたら浮浪児になっていたかもしれないし、娼婦になっていたかもしれません。「死んだ人生」と「死ななかった人生」。死んだのは晴美さんではなくすずさんだったかもしれません。「原爆にあった人生」と「あわなかった人生」。北條家に嫁いだのはすずさんでしたが、妹のすみちゃんである可能性だって十分あり得ました。そして嫁がなかったらすずさんは広島にいたのです。

すずさんの人生を通り過ぎていくあらゆる可能性。すずさんが描く「この世界」は「現実」を超えて「可能性」に接続し、「起こるはずだったこと」は「現実」の一部分に静かに収束していきます。その結実として最終章があり、鬼イちゃんの幸福な人生があり、そうしてここにいる「すずさんの可能性、すずさんの可能性たちの可能性」としての孤児が、すずさんと接続します。

「すずさんの可能性たちの可能性」たる孤児の目にうつるすずさんと周作さん、そしてベンチも電車も呉も、「右手で描いたような」線で丁寧に描かれています。すずさんとすずさんの可能性が静かにたどり着くその場所がまさしく「この世界」であり、それは「起こりえなかったこと」も含めて彼らの「現実」です。

「世界は回復した」のではなく、「終わらなかった」のです。

 

そしてその「現実」から書かれた「あとがき」に「のうのうと利き手で漫画を描ける平和」と書くこうの史代という作家は本当に胆力のある作家である。「世界は終わってなどいない、一度も終わってはいない」は『夕凪』でも強烈に打ち出されていたテーマでした。それはそもそも日常を描くことを主軸として漫画を発表してきた作家にしかできなかったことだと思う。

というわけで、漫画に絞ったレビューということでかなり今更なものでしたが、おつきあいいただきありがとうございました。

思索のための手仕事、あるいは相談を受けるということについて

夏コミ申し込みました。で何冊出すんだっけみたいなことを考えたら四冊スタート本音としてはもうちょっと出したいみたいな状態になって、ウワッこれどこから手をつけたらいいんだって感じになり、結果として、考え事をしながらコイルを巻いていました。だいぶん上達をした……と思う……。

コイルを巻くとこういうものができる。これはモールス信号ネックレスです。モールス信号ネックレスの発展として短歌や俳句をモールス信号でネックレスにするというのも考えてるんですけどなにしろ長いのでデザインに難渋している。服飾デザインの勉強、全然関係ない世界すぎて知らないことばっかりで面白いし、模索しているうちに近代アメリカにするっと行きついてやっぱりなーと思った。わたしはデザイン関係はたいていアメリカに行きつく。

 

なんでアクセサリー作るようになったかという話はいろいろな理由があるんですが、なんでそれを続けているのかというと考え事をしているときにワイヤーをいじくりまわしているのが一番捗るというのがあり、次点ぼんやりしているときや目を通さないといけないけど特に何も考えないでいたいときは編物が捗ります。いえ、作るのが捗るのではなくて、思索が捗るのです。思えば子供のころからずっとそうだったような気がする。何かを考えるために歩き回り、泳ぎ、手仕事をし、料理をする。うっすらと考え続けるために。

 

人生相談を受け始めてから何年になるのかよくわからない。このよくわからないというのは数が数えられないという意味ではなくてどれが相談でどれがスタートだったのか切れ目がわからないという意味です。でも子供のころからなんとなく長話を聞かされることが多くて、なんとなく聞く側に回ることが多かった。という話は前にブログに書いたんだったか。わたしの家庭環境においては「わたしから語り始めることが可能なこと」は少なくて、だから黙って聞いていることのほうが多かった、そうするとほかの子はみんな自分の話をしたいので聞いてもらえる相手を見つける、わたしが見つかる、わたしが聞く。という順番だったんだろうと思う。

わたしにも話したいことがないわけではなくて、でもわたしの話したいことはうまく説明できなかったので、聞かせる相手はいなかった。だからわたしは自分と話し合うことにした。自分と話し合うというのが思索ということで、思索をうまく行うためにコイルを巻いたり編物をしたりしているわけです。散歩と水泳ももうちょっとやってほしいものだと思う。特に水泳はここのところ体調が悪かったのでまる一か月ほどさぼってしまっていて……。

思春期の頃はほどんど緘黙症だったこともありました。今でも疲れているとよくどもる。別にわたしは喋るのは得意ではない。

 

たぶん人より、ものを考えている時間が長いんですよね。黙っていることも苦にならない。人の話を聞くのは本当は別に得意ではないんだけど、なにしろ訓練する機会はたくさんあったので、「重要な情報」と「聞き流していい情報」を切り分けることができるようになった。喋るのはいまでも別に得意ではない。よく黙るし口ごもる。口ごもっている間は待っていてもらう。喋るのは得意ではないけど、口ごもったりどもったりするのを恥ずかしいとはあまり思わなくなった、しょうがないので。思わなくなるまでにはいろいろなできごとがあったのもたしかです。

 

まあそんなわけで「相談を受ける」ということに人より慣れていて、いまのところをそれを収入源にしていて、いや別に聞くのはいいんだけど喋るのはそんなに得意じゃないんだよなあ、こんなこといつまでも続くかどうかとは思うんだけど、まあ今のところやっていて、そもそもここ五年くらい相談を受ける頻度がめちゃくちゃあがっていたのもたしかでした。そりゃそうで、インターネットで匿名の人から質問を受けるプラットフォームが流行ったのがきっかけでインターネットの不特定多数から相談を受けるようになって、その結果爆発的に増えたという経緯なんですが。ask.fmというサービス、そういうかたちで相談に乗るのが上手い人がどんどん可視化されているところ、かなり高頻度で見かける感じがする。

 

相談を日常的に受けるようになってようやく相談を受けるときのこつみたいなものが最近つかめてきました。最近かよって感じですけども。まあ長い間人の相談に乗ってきたとはいえこんな量の相談をさばくこともなかったから……。

・依存関係に陥らないこと

・相手は自分の話がしたいのであって「わたし」はできる限り「あなた」を理解することに注力する必要があること

・必要な助言は大抵パターンが決まっていること

悩みを打ち明けられて一番徒労に終わりやすいのが親身になって一生懸命最適解の助言を出そうとすることで、これは大抵の場合必要がない。それはもちろん「殴られたんだけど警察と病院どっちでしょうか」「おそらく警察です」みたいな、いや状況によると思いますがこれは喩えですが、具体的な助言が具体的に役立つシーンというのはあるんだけど、はっきりと割り切れない問題はめちゃくちゃ多くて、それに対して「こうでこうが正解だよ、これをやれば解決するよ」は、親身になっているのは確かなんだけどお互い別に何の役にも立たない、徒労、ということがけっこうある。ので、たとえば接客業とか、あとわたしのような相談に乗り慣れている人間とかの、「パターン化された回答」のほうが役立つというシーンのほうが、個別にいちいちちゃんと考えて対応するより相手にとっては受け止めて処理しやすい、みたいなことはわりとあるっぽいなと思う。

必要なのは「これが正解」じゃなくて「何が『あなた』にとって正解なのか」を理解すること、わからないなら「あなたはどう思う?」と問いかけることなんだろうな、必要なのはある程度マイルドに映る鏡であって他人じゃないんだろうなと思う。

「こんなことずっとやってられるのか?」と思うのはその点で、「相談を受けているとき、わたしはそこにはいない」をあんまりやっちゃうと「わたしとはだれか?」がきわめて曖昧になってしまうのでは? なりかけているのでは? ということで、たぶんバランスを取るためにコイル巻いてる(あるいは糸をいじってる)部分はあると思う。

 

ところで相談に乗るとわりと高頻度で「何か恩返しをしなくては」と言われることがあって、一方的に与えられて終わるということを受け入れるのは体力の要ることで、要ることだということはわかるけど頼ってしまったのは事実なので一方的に与えられて終わるしかないということをある程度は受け入れて欲しいと思う。「親身にしてもらったから恩返しをしないといけない」という感情自体はべつに否定しないけど、「自分も親身になる」以外ないし、申し訳ないけど普段親身になり慣れてない人が親身にしてもらったからといって自然に親身になれるかというとなれない人がほとんどだし、別に普通に感謝するだけでいい。感謝というか、わたしが親身になったという事実、そしてそこで親身になってもらったことで扱われた自分自身に対して、敬意を払ってほしい。

相談を受けて一番徒労感を感じるのが、「自分に向き合う」以外ないですよとお伝えしたのに「自分に向き合っていない」人を見るときで、依存というのは結局そういうことだと思っている。わたしが敬意を払ったあなたに対してあなた自身も敬意を払ってくれ。徒労に終わらせないでくれ。

 

それで結局わたしは夏コミで何冊出すんだろう……。

読書記録

前回が前すぎて最近もクソもないですけど曖昧に読み終わった本と読みかけの本がそのあたりに散らかり続けているので備忘録をつけておきます。再読も含まれる。

内田百閒『阿呆列車』1~3『百鬼園随筆』『続百鬼園随筆』

片岡義男『万年筆インク紙』

石井好子『東京の空の下オムレツのにおいは流れる』

川上弘美『真鶴』

村上春樹『遠い太鼓』『やがて悲しき外国語』『ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック』

施川ユウキ『鬱ごはん』※久しぶりに読んだらなんかハマりすぎてSkypeで何回も音読して聞かせてしまった

小林銅蟲『めしにしましょう』

清家雪子『月に吠えらんねえ』

アガサ・クリスティー『春にして君を離れ』※そういえばkindleでクリスティー半額フェアやってたのにうっかりしてて何も買わなかったのが惜しまれる、これはそれとは関係なく持ってたものです

東條チカ『幼女戦記』

スケラッコ『盆の国』

樫木祐人『ハクメイとミコチ』

こうの史代『長い道』『この世界の片隅に』※今年病状が悪くて映画館に行けなかったのですが映画化とてもおめでとうございます、書店でCMを観て「うおお、動いてる」みたいなリアクションをしてしまった

伊藤理佐『おいピータン!』※実家に全巻あるんですがkindleで買い直し中

柘植文『野田ともうします』

『野田ともうします』すごくよくて、百合漫画というわけではないんですけどたぶん百合の人も好きだと思うので読んで欲しい。地味かつ奇妙な野田という18歳の女の子が人間関係を構築したりいろいろなことにチャレンジしようと立ち向かうギャグマンガなんですけど、ほとんど喋らない重松さんという友達の女の子がいて、めちゃくちゃ野田にあこがれているんだけどそのあこがれているとあきれているのさじ加減のバランスのとり方がめちゃくちゃいい。ハードボイルド。「絶対に喋らない」というある意味病的な重松さんに対する友人や先輩の視線もフラットでよい。重松さんはめちゃくちゃいいんだけどほかのキャラクターもひとりひとり丁寧に描かれていてすごくいいです。ドラマ化したらしいけどどんな感じだったんだろう。群像ギャグマンガはいいものだ。

 

またSoftbankに丸め込まれてタブレット買ったんでkindleで本大量に買ってるんですけど、読み終わったものが意外と少ない。

あとタブレット買ったんで青空文庫も結構読んだんだけど青空文庫は冊子ごとになってないから何を読んだんだか全然思い出せない……。最近読んでるのは幸田露伴です。

資料とか勉強の本を全然読み終わってなくて読みさしているまんまなことに気がついて「これだから読書記録くらいたまにはつけないといけないんだよ!」と思いました。いま積んであったアニメ誌ひっくり返してるところだから埋もれてるだけかもしれないけど。あとは手芸のレシピ本を大量に買ってるんだけどこれ記録要るかな……とりあえず今回はいいかな……。

赤塚王国フラグメンツ(5.5)松野カラ松とチビ太の「終わらない昭和」

このブログを読んでる人は大抵経緯を知ってると思うし知らない人は過去ログ読んだらリアルタイムで色々あった様子がご高覧頂けるんですけど、とにかくギャグアニメの感想を書いたらブログが炎上した(事実をまとめただけで事実がアニメよりギャグになりかねないこの……)のでわたしは課金制に引っ込んでnoteはじめたんですが、金取るからにはどうせならこれまで手を抜いてたところをちゃんと書こうと思って積んでる資料(赤塚の他作品とか、過去に出た赤塚関連ムックとか、怒涛のように出たおそ松さんインタビューの雑誌とか)を崩しているうちに半年更新が止まっていました。本当にごめん。

というコンテンツがようやく軌道に乗ってきたのでお試し無料分をここに置いておきます。チビ太とカラ松の話です。マガジン買うかどうかの判断材料にしてください。なんで800円なんだっけって思い返したら「たぶんA5で作ったら100ページ超えるからまあ800円くらいで頒布でいいか」という理由だったことを思い出しました。購入された方はPDFデータをDLできるようにしようかと思います。物理冊子版は印刷費回収させてください。

 

いいかげんしつこいと思うけど再度断っておきたいんですけどいいですか。

・論述文というのは仮説があって検証があって結論がある文章のことをいうし、いま書いてここに置いていくのがそれ

・わたしがここでおそ松さんについてのたくりまわしていたのは感想っていうかもっと正確に言うと仮説に対する発想の飛躍と論理の省略を含むある種のエンタメであって論述文ではないし「考察」ではないので論拠が浅いと言われてもそういう文章ですとしか言いようがないし論述文を書いたつもりはない

・仮説を立てて立てっぱなしで論証しないものを主とした論拠の浅い文章を考察と呼ぶ言い方がこの件を通じてまじめちゃくちゃ嫌いになったと言ってもさすがにわたしは悪くないと思う

わたしがなんで「父さんな、腐女子やめてアニメ評論にまじめにとりくもうと思うんだ」してしまったかというと「論拠が浅いのでもっと努力しろ」と「どうせ腐女子は何を言わせても論拠が浅い」を同時に言われた上に「わたし自身論拠は浅いと知っている情報をロンダリングする人」までいたからだよ! 冷静になってくれよ! アニメ見た翌日か下手したら当日に書いた文章がちゃんと仮説を検証し切れてるわけないだろ! 自分の首の上に載せてるやつの使用方法を考えながら生きて!

父さんな、腐女子やめてアニメ評論やろうと思うんだ。でも正直不&毛って気持ちのほうが強いので料金前払いでもらったぶんを書き終わったらアニオタ自体から足を洗おうかなとは思わないでもない。料金前払いでもらってなかったら逃げてた可能性わりと高いなってくらいおもに去年の10月頃(あまりに進まない進捗に)追い込まれて死んでいたのでオッ読んだろと思ってくださった、そしていまだに時々新規で読みに来てくださるみなさんありがとうございます……。


月刊PASH!2016年3月号藤田監督&松原脚本インタビューにおいて、最初にキャラクターが固まったのが六つ子の象徴としてのおそ松、そしてそれに対するツッコミ役としてのチョロ松、との言及ののち、「役割のあと、最初にキャラが見えたのはカラ松です」との言及がある。「非赤塚的なキャラクターとしてテンポを変える要請」と語られる一松、「末っ子という立ち位置からスタートした」と語られるトド松、「最後まで決まらなかった、違うタイプのボケを用意するという点でキャラクターデザイン浅野原案によって広がった」と語られる十四松の、ある種のキャラクターとしての明瞭さに比べ、カラ松というキャラクターが「なぜ」あの形に決まったのか、しかも最初に決まったのかという点に関する言及は少ない。しかしこのインタビューにおいて特筆すべきは、カラ松のキャラクターは「立ち位置」でも「物語上の要請」でもない部分において成り立ったという点であり、逆説的にそれは「カラ松は『六つ子』という組織において『代替不可能な立ち位置』を持たない」、そしてそれがゆえに「カラ松は存在を疎外され、追い詰められてゆく」という物語構造と密接に絡み合っている。

カラ松というキャラクターがどのように作られたのかを確定することはできないが、その要素をひとつひとつ考えていくことは可能である。その一考察として、「昭和90年」を意識したとの言及(spoon.2Di 10号 美術監督田村せいきインタビュー)前回の『おそ松くん』アニメ化である88年という年の「続き」を生きていると想定されるカラ松の好み(2話でカラ松の妄想のなかに登場する尾崎豊の活動期間は 1983年~1992年、妄想の対象となっている女性二人組の仮名アイダとサチコの元ネタと考えられるWinkの活動期間は 1988年~1996年)の関連性を踏まえると、「終わらない昭和」を最も先鋭的に生きているキャラクターとしてのカラ松が浮き彫りとなる。そしてその「昭和」は華やかで輝かしいものでありそしてスターたちの時代であり、古びて懐かしいものではなく、そのうえでカラ松はそのスターたちの時代としての昭和の申し子としての自分を生き続けることに何の疑問も抱いておらず、自分自身に対する確信が揺らぐことはあっても彼の中の「輝かしい昭和」としての「パーフェクトファッション」は最終回に至るまで終わらない。

「六つ子が平穏に生きていられた世界の終わり」が六つ子ひとりひとりに訪れていくという点に関しては『赤塚王国フラグメンツ』本論において述べた。それはいわば「現在が昭和90年ではなく平成27年であることを自覚する」作業であり、そのなかでおそ松は小規模な昭和を自分たちのなかで維持することを、チョロ松はおそ松に従うために平成を諦めることを、トド松は平成に順応するために六つ子から一度距離を置くことを選ぶ。一松と十四松はそれぞれ別のかたちで「現在」と「自我」からある意味で逃避する。トド松を除く五人の行動は「いまが昭和90年ではないことはわかっていても、なお昭和90年を維持しようとする」方向に向かいあるいは疎外せず、トド松は明確に組織としての六つ子の理念たる昭和90年を裏切ったが、それは明確な裏切りであったがゆえに対処は明確だった。

対してカラ松が「処罰」もされなければ「厚遇」されることもなく、ゆっくりと六つ子のなかで「いないもの」となっていった理由は、ここまで述べた論に準ずるなら明確である。彼は「昭和」を疑わなかったがゆえに、「今はもう昭和ではない」ことから目をそらす必要がなかった。それゆえに彼は四人が問題視しているのは何なのかもトド松が何から逃れようとしているのかもついに理解することはなかった。それは同時に「家族であること」「六つ子であること」が前提的に絶対的な事実であって離れたり別れたりすることはあり得ない、がゆえに救済は必ず来ると信じた、「カラ松事変」における彼の盲信ともつながる。彼は自己を、現在を、家族を、疑わなかった。それを怠慢と呼ぶことも信頼と呼ぶことも可能だが、いずれにせよカラ松は5話以降「自分の居場所」を模索した結果として、15話で結婚、24話ではチビ太の家に居候という、二回にわたる「別の家族を選択する」という結論に至っている。

「すでに昭和は終わっている」はすなわち、「すでに『おそ松くん』も『六人でひとつ』も終わっている」、ひいては「もう赤塚不二夫は死んだ」という事実を示し、カラ松を除く六つ子はそれぞれそれを突きつけられてゆく。そしてこの物語のなかで、既に「昭和が終わった世界」に順応しているのがイヤミをはじめとするサブキャラクターたちであり、ブラック工場やレンタル彼女をはじめとした現代的な手法での一獲千金を狙うイヤミ、近未来的な研究所を持つデカパン、アイドルを目指すトト子、高層ビルに君臨するハタ坊といったキャラクターは皆既に「平成的」なアイコンをそれぞれ手に入れている(ダヨーンは今作ではモブキャラクター的な存在であるため触れない)。そのなか、チビ太が流行らないおでん屋を続けていることと、トト子のライブへの招待およびレンタル彼女回を除き基本的にほかのキャラクターから「おでん屋の大将」以上のものとして顧みられることがないという点は、先に述べた「昭和を疑わないもの」は「取り残されて、忘れられていく」というカラ松の物語と密接に絡み合っている。「カラ松事変」は、昭和に取り残されたふたりが昭和に取り残されたと気づかぬまま彼らが顧みられないことを突きつけられるエピソードだった。

5話以降カラ松とチビ太は関連を持って描かれることが多くなり、24話では同居に至る。「終わらない昭和」を生き続けることによって物語から「浮いている」ことそれ自体を役割とされた彼らが「浮き続けること」を選んだひとつの結論、「終わらない昭和の続き」が、24話における彼らの選択であり、それはおそ松さんという「昭和の続き」を描いた物語のひとつの屋台骨だった。

小林大吾さんのこと、あるいは憂鬱な時に読むべき文章のこと

既知の人もしくは友人のように呼んでいますが単なるファンです。

小林大吾「小数点花手鑑

※アフィリエイター(年間二万くらいとはいえまあいちおう)のはしくれとして一応Amazonを貼りますが公式ホームページで買うとおまけがついてきます。なおAmazonのアフィリエイトプログラムは貼ったリンクから入ってほかのものを買ってもわたしの懐にシュッされますので良い意味でも悪い意味でもその旨ご了承ください。

※アフィリエイター、わたしがそこそこまじめにやると月間五千くらいで、真剣にやっている人の言によれは食えるくらいにはなるらしいですけど、わりとキツそうだし儲けようと思ったら反社会的な行動に結びつきやすいみたいだし業務上必要な反社会的な行動をとるとき(※取るべきではない)はせめて組織に所属していないとレッドカード即死なので、目指さないほうがよい職業のそれなりに上のほうには入ると思うと一応書いておきます

※わたしがまじめにやってないのは書影すら貼らないあたりから見てのとおりです

※収入源は指導とアクセサリーとライティング関係とそれ以外が4:3:2:1ってところで、2017年はせめて3:3:2:1:1になるのが夢です

※しょっぱい話は以上です、話が長くなったのでフリーランスで生活するとは何かというエントリを別で立てよう

 

一人暮らしをはじめてよかったことのひとつに、読みたい場所に本を積んでおけるというのがあります。今のところトイレには積んでいませんが、というのはうちはトイレのスイッチが変な場所についていてしょっちゅう消し忘れるので近頃トイレの電気をつけずに用を足しているので読むとすれば懐中電灯代わりに持ち込んだスマートフォンの画面で、SNSの類を眺めることがあるとすればこの時間で、つまりバックライトのついていないものは読まないということになります。

トイレ以外の場所にはひととおり積んでいて、といってもうちは狭いのでさほど積む場所はありません。玄関から入って、玄関にはゴミの日を待っているゴミと靴と傘と気に入って持って帰ってしまった電子レンジ(動かない、台としてはそれなりに有用だけど棚としては正直不便だけど気に入っているので一応しばらくそこにいる予定)があり、ここで寛ぐことはまあありません。ゴミを背にして椅子がひとつ置いてあってここは朝食を食べたり気分転換に座ったりするはずなんですが今去年出しそびれた資源ゴミが占拠しているのでいまのところここにも本は積んでありません。トイレには積んでないのは前述のとおりです。

さてここまできてどこに本を積んでいるのかというと風呂とキッチンとベッドと作業机です。もちろん本棚と本棚以外のところにも積んであるんですがそれは単に積んであるのであって、単に積んであるというのは現在進行形で読むつもりで積んでいるのではなく読む予定はなく徒に積んでいるのであって、今回の件とはあまり関係ありません。当ブログ用語でいうところの「情報共有制限」に類する本と雑誌がびっしりあって、あとは松尾芭蕉を中心とした日本史書がびっしりあって、あとは、えーと、おおむね読んだ本です。たぶん。買ったけど読んでない本がまだ実家にあると思うのでこんど拾ってきます……。

さて、風呂に本を積むと怒る人がいるのは知っているのですがそれは本に対する感性の違いの問題ですのでこの項目は飛ばすことをお勧めします。風呂に積んであるのが『銃・病原菌・鉄』と『泥棒日記』(再読)、わたしは風呂にいるとき一番コンディションがいいのである程度ややこしい本が読めます。ある程度ややこしいけど、でも風呂に入っているからメモが取れないので、メモを取らなくてもある程度書いてあることがわかる本がいい。風呂でぼけーとしているときにじゃあまあ読むかと手に取りやすい本がいい。あと文庫本なのでまあ濡れても大惨事にはならない。湿ってたわみますが。『銃』が終わったら積んでいる日本史料に戻る予定です。

風呂の話はこれで終わり。次はキッチンテーブルで、ここにはずっと伊藤比呂美と菊池成孔が置いてあります。ここに大野晋先生(日本語学を大学でちょっとやっていたころよく話題が出たのでわたしには大野晋先生はいつも大野晋先生です)が混ざっていることもあり、これはなんとなく「たましいのふるさと」というか、「実家」というか、そういうセレクトで置いてあって何回読んだかよくわかりません。伊藤比呂美で一番読むのは共著ですが『なにたべた?』、菊池成孔は『スペインの宇宙食』です。

キッチンテーブルの向こうに作業スペースがあって、まあ本は散らかってるんですが、読みかけだから積んである本は『物語論』『魔法昔話の研究』『はじめて考えるときのように』、あと情報共有制限、これは仕事の合間に疲れたときに読んでいるのと、仕事の一環で読んでいるのがごっちゃになっています。

ベッドサイドには『夜の果てへの旅』がずっと置いてあって、これは読んだんだか読んでないんだか正直よくわかりません。寝る前に本なんか読んでも内容は全然覚えていないのでただ美しい文章が美しいなあ~と思っているだけです。読み終わったらもうちょっとまともな状況で読みたいと思います。正直フランス人が書いた文章(の翻訳)を読むとほっとするので内容はなんでもいいんじゃないかという気はするんですが、そういう扱いをするべき本ではないことは重々わかっています。すいません。

家の中ではこんなところで、家の外ではkindleでアガサ・クリスティーを読んだり青空文庫をあさったりしています。

 

CDの感想を書くんじゃないかという話なんですけど、何の話をしているかというと「これだけ並列で読んでいて、ゴハンを食べるとき読む本の持ち合わせがない」ということです。ゴハンを食べているときはややこしい本は読みたくありません。文章の美しさでゴリゴリ来るものも正直食欲が失せる。食欲をかきたてるような文章もそれはそれで実際ゴハンを食べながら読むと気分が悪くなる時がある。

ゴハンを食べるという作業、そう、作業ですが、作業があんまり好きじゃないんだろうなと思うんですよね。だからゴハンを食べながら文章を読みたい。できるだけ罪のない、風のような文章を。

ということでそのような本の持ち合わせがない時、そう、今まさにそうですけど、ムール貝博士言行録を読んでいます。2013年の夏からみたいだからもう3年半くらい読んでいることになり、最新のエントリから読み始めて初投稿まで読むということをたぶん五回はやっています。という経緯でわたしはおもしろいブログないですかと聞かれたらこちらをずっと勧めてきたんですが実をいうとCDを持っていませんでした。

という話をしたら友達が誕生日にくれました。

 

小林大吾さんがCDというメディアを使ってどういうことをしてらっしゃるのかは正直説明がむずかしいのでブログをごらんになってくださいというかんじなんですけどもブログをごらんになってもわからないかもしれませんが、なにをやっているのかわからないという意味ではわたしも人のことはまったく言えないのでなんとなく全体的に把握してくれとしか言いようがないし全体的に把握するのが一番正しいのではないかと思います。ので説明はしないんですけど、CDとてもよくて、誕生日(11月)からこっち毎日聞いていて、気が付いたらほかの3枚のCDもどうにかして手に入れており、毎日聞いていて、ほんとうにいいんですがなにがいいかというとやっぱり「罪がない」だと思う。わたしの普段読む文章の中でこれだけ罪のない文章をこれだけの量書いている人はいまのところほかにふたりしか知りません。武田百合子と内田百閒です。

わたしが普段読んでる本、あるよね。罪が。

 

YouTubeで聞ける範囲だと「コード四〇四」を聞いたときはなぜか涙ぐんでしまってたいへんでした。

2016年にあったこと

ブログには何を書くんだっけ? という気持ちで机に向かっているところです。

 

向田くん(向田くんというのはわたしの非実在部下です)のask.fm経由で「もうブログは更新しないんですか?」と問われたのはずいぶん前なんですが、さてブログをもう更新しないのかというのは難しい問題で、そもそもこの場合求められている「ブログ更新」とは何のことなんだろう。

アニメの話をすると障りしかないということが現状まだ続いているので少なくとも向こう半年ほどはアニメの話はしません。夏になったら考えます。というわけで今のところアニメの話を求められても何もできません。以下(情報共有制限)と記述される項目に関しては以上の理由で向こう半年は言及しないと意固地になっている要件です。

あとTwitterをやめてしまったので話題の出来事についても特に情報が入ってこない。ここでいうやめてしまったのでというのは告知用のアカウントしか持っていないという意味です。年末まで一応交流用のアカウントがあったんですが年末に大掃除のついでに消滅しました。今はもう何もありません。正確に言うとLINEグループ的なものがひとつ生きていますがそれで終わりです。なお向田くんのask.fmもかつてのわたくしのask.fmと同じ経緯で閉鎖しております。さようなら、ハートフルなインターネット! というわけでわたしは世間様とのコミュニケ~ションをいまのところおおむねSkypeからの伝聞で成り立たせています。noteはみんな好きなことを好きにだるだる喋っている印象のほうがつよいのであまり情報入手SNSではないな。

 

このブログがアニメの感想と時事ネタでいちおう回されていたことを思うと(去年はほとんど告知しかしてないけど)ブログを更新するというのはそのへんを指すのではないかと思うけどそのあたりについては言及する気は全くないというかインプットをしていません。さようなら、ハートフルなインターネット!

 

去年は大量に買ってある(情報共有制限)関連書籍を徒に積み続けた以外の書籍の購入はアクセサリー製作関係と編物関係が中心で、編物関係に関しては執拗に「誕生日には編物の本をください」と言い続けたために17冊になりました、ありがとうございます。何らかの形でお返ししていきたい。というわけでアランニット関係の現行書籍をざっと買ったんですが特に良かったのはこの本。

Clooth-Na-Bare『アラン編みのちいさなニット: アイルランドの素朴な伝統模様を編む

アランニットの歴史と現在、いわゆるアラン諸島についての美しい写真、伝統ニットパターンとともに簡単な小物レシピがたくさん載っているという読み物として充実していて情報から手芸に入りたいタイプにはおあつらえむきの一冊です。読むところが多いレシピブックが好きなのでこれはとてもよかった。レシピもわかりやすい。

あとは積んであったロシア・フォルマリズム関係の本を崩したり買いなおしたり買い足したり、ロラン・バルトとかソシュールとか、大学生の頃に読んだんだか挫折したんだかというラインナップに再挑戦しつつ、そういや読んだんだっけ読んでないんだっけと言いながら日本近代文学をひっくり返しています。とりあえず漱石の短編の読み漏らしとかを浚ってる。なおわたしにとっての日本近代文学は「書いてある意味ぜんぶわかる」と泣きながら演習の準備の合間に読むもので学問としてちゃんとやったことは実はあんまりない(日本文学が専門だと思われることがちょいちょいあるんですが義務的にちょっと触れただけで別に専門ではない)。大学では言文一致をやっていたんですがそれも「日本近代文学・翻訳文学・新聞口語・落語」というラインナップでいちおう読むだけ読んだというだけで……。いちおう読むだけ読んだけど……。学問というのはいちおう読むだけ読む範疇がほとんどではないかという気もするけど……。

あと去年始めたのは、あまりにも「始めた」だけでろくにできていないので忘れていたけどホロスコープとトランペット。どっちも「音が出てすごい」とか「用語がちょっとわかる」くらいに留まってるけど。

 

こう書いてみると去年はずいぶん充実した年だったし、(情報共有制限)に言及するまでもなく書くべきことはいろいろあるという気もするな。どうせ動かないとわかっているのに押し続けていた石が唐突にごろっと向こう側に落ちたみたいな2016年でした。向こう側に何があるのかはまだよくわかりません。以下に去年あったことのまとめを書いていたら5月ごろまではすごくまじめにブログを書いていたことがわかり「なるほど、更新しないのかと言いたくもなるな」とちょっと思いました。

 

2月 観念してインターネットからお金をもらう手段を整える

4月 向田くんの誕生

5月 ウェブショップを開店

6月からゼミをはじめていろいろな進捗が爆発 勢いだけでトランペットを買う

8月 唐突にアクセサリーを作り始める(2012年に一瞬作っていたことがあるのでいちおう再開)

10月 唐突に編物を再開する(2011年ぶり)

11月 水泳を始める(たぶん高校生ぶりくらい)

12月 ジョギングを始める(十年ぶりくらい)

 

「昔やっていたこと」が多い人間だなあ。という感じです。まあ生活は完全に一変しました。2017年もこの風来坊同然の生活を続けるのか全てなかったような顔をしてインターネットから完全に姿を消すのかは神のみぞ知る。遊べるうちに遊びに来てね。