ジムに通い始めた。
これまで、人がいないか歩道が広いか、あるいはその両方の場所にしか住んだことがなかった。歩道が広いというのはたとえ歩道に駐車しても(してはいけないが)なお横をバイクが軽々駆け抜けられる(歩道なので、駆け抜けてはいけないが)程度のことを示す。
広い歩道では散歩し放題だった。
別に広くない歩道でも、というか、歩道なき道ですら、散歩は本来し放題である。気をつけてさえいれば。しかしわたしは散歩中考え込み、更には急に立ち止まってメモを取るため、狭い道は物思いに耽らないよう、気を散らさないよう、頑張っていなくてはならない。それはわたしの求めている散歩ではない。
メモのことは諦めてもいい。安全な散歩がしたいと思った。
これがジムに通う動機の一番である。
他にも動機はいろいろある。たとえば持病。一人暮らしを始めてから、身体の方の持病の加減が加速度的に悪くなった。自宅勤務で運動の機会が消滅したからである。というわけで散歩を始め、旧居ではうまくいっていた。旧居は「広い歩道」(定義前述)のに囲まれており、うろうろしていればよかったからだ。
今は広い歩道が懐かしい。新居に不満はないが旧居というか旧居まわりにあって新居まわりにはないものが色々ある。八百屋、ガストとロイヤルホストと丸亀製麺、そして広い歩道。
しかし移動してしまったので仕方ない。幸い、新居から少し歩けば駅がある。駅のそばにはモスバーガーとタリーズと本屋と甘味処とジムがある。
駅近のジムというのがすばらしかった。
ご存じだと思うが駅からはあらゆる場所に旅立てる。そしてあらゆる場所から帰ってくることもできる。「あらゆる場所に行って帰ってくるためにはまず駅に行かなくてはならない」と、「駅に辿り着いていさえすれば、そのあとはあらゆる場所に行ける」は大きな違いである。ジムに着いていると同時に駅にいるので、そのあとはあらゆる場所に出かけていい(仕事が詰まっていなければ)。
24時間使えるジムだ。新幹線の最終で帰って家までの道を踏ん張る前にひとまずシャワーだけ浴びることもできるし、太腿を鍛えることもできる。家を出て駅について5分プランクをしてからどこかへ旅立ってもいいわけである。おもしろそうすぎる。
しかも全国チェーンのジムであらゆるチェーン店が使い放題なので、日本中でこれができる。おもしろそうすぎる。
週に1~2回程度、駅まで遊びに行く口実を契約した。今のところ、おもしろがっているうちに日々が過ぎている。
ここ数年手帳にはまっていて、あわせて手帳にまつわるあらゆることをやっているのだが、そのなかのひとつにマインドマップがある。マインドマップについて詳細が知りたい人はググってください(最初にでてくるAIは無視するか、あいつを殺せる人は早く殺してください)。
そろそろ来年の計画を練りたい、というか12月になった時点で計画が完了しているべきだったのに何も終わっていないのだが、とにかく2025年の計画のためにマインドマップを書いていて、3箇所で「ジム」というワードが出てきた。それで、ああまあ行きたいんだろうなと思って行き始めた。理由のひとつが持病である。あとひとつは「やったことがないことを何かやってみたい」という理由だった。
最後のひとつは「本質」。
前回のブログエントリで指輪の話をしたが、あれはまだ手に入っていないのだが、その話はおいておいて、最近とみに、自分は「もっと本質的なことが知りたい」と思っている、と気づいた。あんまりいじらない料理が最近好きとか、学問の入門書だけ読むのがそういえば昔から好きとか、天然素材のものを触っているのが好きとか、そういうのの仲間か? と思ったのだった。「体を鍛える」のことである。
「本質」はおもしろい。手で触ってここちよく、理解すれば前に進めて、そんなに難しくないことが好きだ。
「自分の本質」も、もしかしておもしろいのではないだろうか?
というわけでジムに通い始めた。
いずれめんどうくさくなるかもしれないので、どんなにおもしろがって始めたかということを記録しておこうと思い、この文章を書いた。