クトゥルフ神話TRPGのシナリオを5年間で63シナリオ書いたこと(TRPGの話は特にしてないです)

ブログ(やnote)を頻繁に書かなくなった理由にはいろいろな……ことがあり……いろいろなことがあったのですがここ2年は「世情由来」でまとまってしまうこと自体が嫌ですが、疫病が嫌なのではなく(嫌ですが)政策が嫌、もっと言うと「誰だって嫌だと思うような日常が続いている折イライラに任せてうっかり間違った発言をしてしまうこと」が嫌なのですが、その話は今回はまあいいです。とにかくすっかりクサクサしており、書けるものも書けずに何年か過ごし、しかしそれは人生の片面に過ぎないので、今日はクトゥルフ神話TRPGの話をします。


クトゥルフ神話TRPGというのは無電源ゲーム(アナログゲーム)の一種です。TRPGというゲームはゲームは有志のファンがゲームシナリオを書いて各々の友達(など)と一緒に遊ぶのが一般的であり、わたしは2017年5月末にはじめての自作シナリオを書きました。

というわけで、5年が経過し、書いたシナリオは5年間で63本になりました。

63本シナリオを書いていると、シナリオのテスト(テストプレイとかテストセッションとか言います)だけで300回くらいになります。テストを300回くらいやるということは300回自分ではない相手とお話をし、意見をもらうということで、いろいろと知見がありました。

わたしはけっこう色々思うところがあり、「個人が個人として、個人のままでも頑張れる創作活動」ということに意義を見出していたのですが、人と話し、ダイレクトなフィードバックがあると、上手くいくものであるなあ! という事実に直面して、5年間色々悔しいと思ったり割り切れないと思ったりもしたのですが……。

「仲間がいてチームがいたほうがよりよいものを早く作れる」「なぜならフィードバックがあるからである」というのは多分ものすごく自明のことなのですが、うるせーというか、そんなことは百も承知でそれを願えないシーンというのはすごく多いはず、一人でやるしかない人はすごく多いはずなのだが、そういうとき「チームを作れば解決する」と言うのは傲慢だよね……ということをずっと考えていました。

一人でやることの限界があるとして、それでも一人でやるしかない時、できるだけフィードバックを拾うように気をつけた方がいいんだろうなーというのが最近考えていることです。フィードバックをしたほうがいいというのは単純に感想を大事にするということでもありますが、必ずしもそうではなくて、周りの人はどういうやり方をしているか? ジャンルの違う人(絵なら文章、文章なら絵、それ以外にも様々なジャンルがあると思いますが)のやり方を取り入れられないか? と考えながら生活するということ。

わたしは今はなんとなくチームっぽい感じ(と言っていいであろう)でやっていて、完全な個人作業ではないのですが、個人でも「個人ではない」をやる努力があったほうがよく、そのほうが作品がよりよいのになるであろうという、まあ当たり前のことなんですが、そういうことを近頃考えています。

TRPGシナリオを書くようになって学び、よかったもうひとつは、「相手にわかるように書くことの意義」でした。

わたしは「考えていることを形にする」のがきわめて困難な種類の「まとまりのない頭の中」なのですが、それならば「最低限わかってほしいこと」はどこか、「伝わらなくてもいいこと」より「伝わった方がいいこと」を多めに書いた方がいいのではないか、ということを強く考えるようになり、よかったと思います。

シナリオを書くのと同時に絵の練習もしていたのですが、絵を描くことで「ノイズなく仕上げる」能力を身に着けることに注力したほうがいい、「ノイズのないものにノイズをかける」ことはあとからできるけど逆はできない、ということを学び、いろんなことがそうであるなあと思っています。

「伝わってほしいこと」を「ノイズなく書く」ことで、逆に「ノイズまみれで、伝えづらいこと」がどうして伝えづらいのかの理由も、伝えづらいまま伝えた方がいいのかそれともそれは伝えないほうがいいのかの判断もできるので。

今日はこんな感じかな。また書きます。