人生について聞いている

ウェブショップを開いたのが2016年で、つまりウェブショップを開いてから5年の歳月が過ぎたのでした。なんとかぼちぼちやっております。

とはいえ記録を読み返していると2018年くらいから鬱がまた深刻になり(鬱は深刻になったり軽くなったりを繰り返しています)ウェブショップを頑張って更新していたのは2年間くらいの間ではないかと思われるのですが……言及したくない理由もあり、黙っていたいような気持もあり、仕事をしているということを文章に残さないままで数年が経過していました。文章を書いてなかったわけではないけど仕事についてはほとんど書いていなかったようにも思う、書いてないかな、書いてないんじゃないかな……。

特に目立った告知をしないまま数年、Twitterは止まっていてもショップは開いていたので、ショップ経由でぼちぼちご依頼いただいておりました。

アマチュアのための小説技法の指導をする(たまに漫画も拝見します)というのがメインのお仕事なのですが、結構高頻度で創作の話ではなく人生の話を伺うことがあります。5年間、細々と人生の話を聞き続けて、途切れず聞いていたのだなあと思います。

鬱の時期と鬱ではない時期を行き来し、ときおりごみを捨てられなくなり、ときおり食事が取れなくなり、ときおり入浴ができなくなるわたしの人生も、多分誰かに聞いてもらった方が良い人生です、多分、おそらく。でもそう考えると、あらゆる人の人生が、誰かに聞いてもらった方が良い側面を持っているのかもしれません。

分解しましょう、とわたしは言います。問題点を分解しましょう。たとえば入浴をしなくてはならないのは清潔でなくてはならないからで、入浴をせずに清潔さを保つ方法を維持できれば入浴できなくてもよいのです。入浴ができないからダメな人生なのではなくて、迷惑がかからなければなんでもよい。具体的で、わかりやすい、小さなことにものごとを分解する。髪の毛を洗えないなら水を使わないシャンプーを買ってくると良い。

もちろんそれでは解決しないかもしれない。でも次々に解決する方法を見つけ出すことはできるかもしれない。入浴後にアイスクリームを食べることが解決策なのかもしれない。毎日解決策は変わるのかもしれない。

停止しないで抗うこと。停止しないで抗うためには一人では難しく、誰かと話をする必要があるのかもしれない。そのために話を聞いています。人生の話をしている。自分自身とも話している。自分自身の人生の話を聞いて、解決したり、しなかったりする。