松野カラ松リアクション気にしすぎ問題、あるいは効率の良い虐殺

※タイトルは村上春樹です(昔「誰が松野カラ松を殺したか」というタイトルを使ってパロディだといまいちわかってもらえなかったふしがあったので書いておきますがタイトルはパロディです)

 

おそ松さんにおける自担抑圧問題というのがあって、あってというか今勝手に名前をつけましたけど、おそ松がなんで長男と呼ばれなくてはならないのか(その抑圧は誰が与えたものなのか)とか、トド松はなんで家族から逃れることができないのか(なんで逃れるための適切な段取りを踏めないのか)という件について身に覚えがある人が自分の身に引き比べて「長男というのはそういう抑圧を受けて育つから」とか「末っ子というのは(略)」という認識をする、しやすい作りになっている、そして感情移入して苦しむことになる、そしてなんでわたしがそういう話をよく知っているかというとうちにはそういう「自分は長男/長女なので」という自分語りのメールが当時よく来ていたからです。別に送ってもいいですがそういうことをするとこうやってサンプル扱いされるけどいいの?別に送ってくれと頼んだわけではないので悪いけどメールをもらったということ自体は喋るよ……誰から何をもらったまではさすがに言わないけど……。

まあでもたとえばおそ松が「親から」そういう抑圧を受けてるかって言われたら別にそうじゃねえだろというのはこのあいだ書きました。彼が背負っている「長男」という言葉に内包されている言葉は少なくとも「長男というのは弟を守るべきだから」という教育を受けたからそうなっているわけではありません。おまえ長男だろと自発的に言及するのはチョロ松とトド松くらいだし(チビ太は「長男なので敬われたい」に対するカウンターとして言及しただけ)、トド松のそれは「末っ子だから」という理由で抑圧されている(これはほんとに末っ子だからという理由で抑圧されている)カウンターと取るのが妥当でしょう。なのでおそ松が長男なんだから云々といわれなき抑圧を行っているのはチョロ松だけということになりますがそのチョロ松にしたって長男しっかりしろと言及したのは(これちゃんと確認してないんだけど多分)2話だけじゃない?チョロ松が2話で長男しっかりしろ的言及をしたこととそれ以降しなくなったことに関しても色々書きたいんですけど今回はまあいいです。ていうかそもそもおそ松はチョロ松の長男しっかりしろを気にしている形跡はありません(2話の当該のシーンにおいては)。

何を問題にしているかというと、おそ松が「長男だから」という設定に自分を追い込んでいったのは、本人の問題であって、特に誰がそうであれと抑圧したからではないんじゃないのということです。

おそ松が問題にしている(そしてチョロ松も問題にしている)のは「ニューおそ松兄さん」に見られる、「この話は『おそ松さん』なので、『おそ松』という名前の人間だけは欠けるわけにはいかない、けど別にそれは松野おそ松という個人である必要は全くないので代替品は用意可能」という状況の恐怖であって、むしろおそ松はあそこで「長男である自分」を全うしないと自分はこのアニメから追放される可能性があるということに向き合ってしまったからそれ以降自分が長男であるとことあるごとに言うようになるわけじゃないですか。それは「おまえはいなくてもいいから」という話であって「おまえが長男でいてくれないと困る」という話じゃないんですよ。「俺が長男でいないと俺が困る」のはおそ松のアイデンティファイの問題です。

 

トド松の話もしようと思ってたのに長くなっちゃったじゃないか。こんどします。

 

何の話をしようとしていたかというとカラ松くんの「え?」の話です。カラ松くんの発言が無視されたときにカラ松くんが発するあの「え?」ですが、初出は3話です。3話なのでカラ松くんというと発言が無視されるのを嫌がる人みたいな印象があるんですが、これは印象操作だよ! という話をしようとしていた。「長男長男言われ続けて育つの嫌じゃん!?」は「別に(チョロ松くんくらいにしか)言われ続けてないですよ」なわけですが、「無視されたら嫌じゃん!?」という感情移入を誘うカラ松くんの「え?」に関しては「5話で追放処分を受けてしまったので自己改革をしようと思ってるんじゃないですかね」と思うわけです。

というのは3話というのは時系列的に2話と4話の間ではないんじゃないのというエピソードのほうが多いんですよ。

3話のおそ松さんのメインストーリーと乖離してないエピソード(変な言い方だな)というか、まあメインストーリーの一部なんじゃないですかねと思えるエピソードは

  • キラキラネーム
  • パチンコ警察
  • 寝かせてください
  • 10月31日
  • 銭湯クイズ

なんですけど、このうち「キラキラネーム」「パチンコ警察」に関しては特に矛盾するところはないです。しいて言えばパチンコ警察のトド松は14話でひとり富士山登頂を果たしたトド松と同じトド松なのか? という感じはしますが14話に関しては「本人談」の域を出ないのと21話「麻雀」や24話の一人暮らしの様子とパチンコ警察での対処の甘さは重なるので、14話のほうが嘘じゃねという気はします。トド松というのは笑顔で嘘をつく生き物(5話、7話)だし……。

「寝かせてください」に問題のカラ松の「え?」があって、で、この回で気になるのは「いびきをかくのは十四松」という言及で、十四松がいびきをかくエピソードが入るのは9話。あと一松と十四松のプロレスも9話。まあ矛盾てほどの話ではないんですけどちょっと気になる。

「10月31日」に関してはこの間も書きましたが、イヤミが文無しになったのは4話と6話の間と考えるのが妥当で、そう考えるとこのハロウィンのエピソードのあとにトト子ちゃんのライブに行くような余裕がイヤミにあったか? と考えると微妙。

「銭湯クイズ」ではハタ坊に「ずいぶん成長したね」と言ってるわけですが、六つ子は6話でハタ坊に「ずいぶん会ってない」ので、これは明確に銭湯クイズのほうが6話よりあとだと考えるのが妥当。

そしてそのうえ「3.5話」という存在があります。円盤収録の3.5話は「4話と5話の間」をふいんきで観てね! みたいなアナウンスが入っているんですが、じゃあなんで4.5話じゃないのかというと、そもそも「3話」が「こぼれ話集」つまり「どこで起こったいつの話だかははっきりしない話を集めたもの」だという前提があるからでしょう。多分。

 

つまり逆に言うと3話+3.5話「以外」のエピソードは「どこで起こったいつの話だかはっきりしている」ということになるのでは?

 

とはいえ2話と4話はエピソードごとに完結していると考えることは不可能ではありません。じっくり見ているとトド松が2話で「働きたくなーい!」しかし4話扶養面接を経て「自立しよう」と決意し7話で働き始めるという経緯があるんですが、それでも4話までなら文脈は発生していません。4話までは別にこれは一話というかエピソードごとの完結で設定は更新されないし彼らの心の傷はその場で終わると信じていられたのです。

問題は5話ですよ!

5話が衝撃的だったのは、エピソードが明確に全然まったく区切られていなかったところです!

つまり、5話Aパートで痛手を負ったカラ松の痛手はBパートまでキャリーオーバーした(ので今後もずっと傷ついたあとのカラ松に付き合っていかなくてはならない可能性が発生した)という点です!

です! って得意げにいうようなことでもないんですが、なんで5話があんなに大騒ぎになったのかというと4話までの「エピソードごと完結だからひどい目にあったとしても来週は関係ないでしょ」という見方と「少なくとも今回はAB繋がってたわけでABの間はそのひどい目にあったという設定は引き継がれているわけで」という見方がごっちゃになった上に「そもそもなんでこんなひどい目に合わないといけないのか」「ギャグアニメだからでは?」という意見が交錯したせいだったので……

つまり、3話で「話はつながってないです」というミスリードを食らったせいで、「こんなのありかよ!」とわめくことになったわけです。

効率の良い虐殺ですね。

 

さて、カラ松の「え?」問題の話をすると言っていたんでした。話を戻しますけども、カラ松が「え?」を言い始めた、というか、なにか言ったらリアクションがもらいたいという態度を取るようになったのは、3話を除くと、6話でフラッグ社社員に対してのものが最初です。だと思う。

4話ではカラ松は「まともじゃない、か……褒め言葉だ」が完全に滑っているのですがまったく気にしていません。

なぜならカラ松は自分の周囲の人の声を適宜補完する能力があるからです。2話でカラ松ガールの声を幻聴しているようすに基づくならば。あるからですというか、あったからです。だから5話で兄弟が迎えに来ることを確信できたわけで、細かいことを言うと2話で一松に「俺は信じてるぜ」を言ったのもそういうことで、それまでカラ松の世界は「俺が愛している世界に俺は愛されている」は前提的にあたりまえだったわけです。だからリアクションを求める必要は別になかった。

それまでというのがいつまでかというと5話までです。

というか、5話オチまでですね。多分。

5話のオチで「扱いが全然違う」と喚いたカラ松は、その後どうしたかというと、待遇の改善を求めたわけではありません(最終的にダヨーン相談室に苦言を呈すけど)。カラ松が始めたのは自分の「テコ入れ」です。具体的には6話では「ハタ」に合わせた小粋なジョークを披露、7話ではスタバァの正しいお作法を披露、8話ではトト子ちゃんに具体的な助言。そして10話では「自分の何が間違っているのか教えてほしい」とおそ松に尋ねる。そう、カラ松がリアクションを気にし始めたのは、「どうも自分が悪いようだから」という理由で「寄せはじめて以降」のことです。「努力の成果が出ない」から「え?」なんですよ!

その「努力の成果」は全然実らない結果兄弟より自分を評価してくれる花の精とのなかば駆け落ち的な結婚に至り、帰ってきたカラ松くんは憑き物が落ちたように他人の評価を気にしなくなるわけです。そもそももともとは気にしない人だったわけで、5話で受けた傷が15話で癒えたということに、まあ、なると思う。15話における花の精、わたしはチビ太とカラ松のそれぞれの願望がそっくりそのまま具象化しただけだと思っているんですが、そういう前提でここまでの話を考えるとカラ松は5話の件をほぼひとりで自分で消化して自分でケアして自力で元に戻ったわけで、まあ、タフな人ですね。見習いたい。