若干の面倒くささと愉快さを伴う今回の経緯

ゴシップで騒がれた芸能人が「どうして、このたびはお騒がせしましたと言うのかわからん」「お騒がせしたのはあんたじゃなくゴシップ誌だろ」と思ってきたがちょっとわかったぞ。

このたびはお騒がせしてすみません。

以外に口火の切り方がない。

 

「しばらく見てない間にかなこさんどうした」と結構言われたので書いておきます。なおわたしが「かなこさんさいきんどうしてんの」ってわりとしょっちゅう言われるのはインターネットに十四年いるわりに全く落ち着きがなくやってることが見るたび違っているせいだと思います。十四年前から「ジャンルとかとにかく眺めつづけている」人がそれなりにいるんだ……。みんなありがとう……。

 

デジモンアドベンチャーtri.の告知が出たのいつでしたっけ、もうそこから記憶があいまいですけど。内容に関してはとりあえず触れませんというか連作映画なのでこれから何が来るわからない以上なんともいえなすぎますが、次観なくていいのかどうか死ぬほど迷っているということだけ言います。現場からは以上です。

内容云々以前に「サイトや商業展開やイラスト、あまりにも前作への敬意がない番宣ではないか」ということにわたしは真剣に腹を立てて封切りまでを過ごし、まあ観て、観たので、逆にそれまで怒りすぎて番宣に関してはもう大分どうでもよくなるという現象が起こったのですが、まあ、その話はいいんだ。

去年一年間ものすごく追い込まれた精神状態で生活していました。デジモンアドベンチャーはわたしが青春を捧げた作品です。誇張なしに貯金残高と可処分時間の全てを捧げパソコンを買ってインターネットを始めいまここにいます。あのタイミングであのアニメにハマらなかったらたぶんなにひとつ始まっていないでしょう。それの続編の告知を見ても不安しかない。ていうか根本的なことを言うと、大輔さんはどうなったんだ。

時代はリバイバルブームでした。あとNARUTOが終わったような終わってないような続いたような続いてないような生殺しを続けていました。もうリバイバルとか続編とかいう言葉を見るだけでナイーブになるしかないような状況で一年を過ごしそしておそ松さんが始まりました。

最速組の反応を観て、「ああ赤塚アニメっぽいことやってるんだなあ、これは当たりのリバイバルかなあ、いい加減当たりのリバイバル観たいよなあ」と思って観て、前も言ったけど指さして笑っていいよ……。

「赤塚先生怒ってないかな」「ごめんなさい」

リバイバル作中のメタ作品としてこれ以上「欲しかった」言葉はなかった。号泣して、「なんかもう全部受け入れよう」と思いました。というわけでtriは比較的心やすらかに観ました。松がなかったら前後半年くらいダメージを引きずっていたことは想像に難くない。

あの頃の夢はもうここにはない。何をしたらいいのかわからないんだ。偉大な原作が最高のコンテンツだった時代はもう過去のものだ。先生は死んだのにキャラクターは生きてる。どうやって生きていったらいいんだろうね。なにをしたらいいんだろう。そうだね、わかんねーよな。わたしだってどんな続編なら観たいのかわかんないよ。老害になんかなりたくなかった。大好きだったものをずっと好きでいるためにもうなにも見せないでいてほしかっただけなんだよ結局。

 

というわけでおそ松さんには恩があります。誰が「おまえがおそ松さんを好きになってワーワー言ったせいでこんなんなってあんなんなったじゃねーか」と言おうがわたしはこれは言います。リバイバルとは何かということにたいして真摯に向き合い言及したおそ松さんに恩があるしあの作品が好きだし今週もめっちゃ面白かったし、ぎりぎりなところは多い作品なので全人類に観てほしいとは言わないが(不快な気持ちになってもなんの補償もできないので)できれば観てほしい作品としてこれからもずっと推し続けると思う。

 

さて、わたしの好きになる作品が、メタ視点とメタファとオマージュとミスリードに溢れている(ように読める)ディストピア作品である(ように読める)のはいつものことです。全部そうです。というか、全部そうだとわたしは思って読んできました。作者がどういう意図で書いたとか関係なく、わたしは「ディストピア作品として読めるから」好きなのであって、それはわたしの「自由な読み方」です。そしてわたしはフィクションがディストピアを描いてくれるとものすごく幸せなんだ。

いいですか。繰り返して言いますが、「どういう作品として受容されることを目的として提供されたコンテンツであっても、受け取り手が実際にどう受容するかは、受け取り手の自由」です。

それはそれとしておそ松さんはギャグアニメとして非常によくできていて、たとえばわたしはカラ松兄さんのコメディアンとしての仕事のテクニカルさとそれが何故テクニカルであるがゆえに評価されずいじられキャラという立ち位置に立たねばならなかったのか実際の漫才やコントの作品を引いて賛美するエントリを上げたりしたほうがたぶんよかったんですが毎週エントリ一本上げるのがぎりぎりすぎて手が回らなくて、いやなんていうか、去年はtriに振り回されたあと冬コミでばたばたしてたし今年入ってからはずっと、ようやくそろそろ大分軌道に乗ったので(ライターの仕事が)逆に言うともうアニメエントリ書いてる暇もそもそもないのでこの状態でいいっちゃいい。いやこの話は今はいいです。それはそれとしておそ松さんはギャグアニメとしてよくできていて、というか、なんであの情報量を詰め込んでいるにもかかわらず「さらっと気軽に観られる一話完結ショートギャグアニメ」として成り立っているのかがわからない……。すごいお仕事だと思う……。毎週あんなものを観てこれから口が奢って何を観てもつまらなくなったらどうしたらいいんだと思って逆にほかの作品も一生懸命観るようになったし流行ってる作品を観ることを恐れなくなったしおそ松さんのおかげで朝6時に起きて20時に寝る生活ができるようになったし痩せたし背も伸びましたありがとうございます!

ところで松野カラ松新訳シリーズの続きわたし書いてもいいんだろうか……(カラ松兄さんのコメディアンとしての仕事がそもそもテクニカルであるというのはこういう話です……)。

 

違う。その話じゃない。

というわけでわたしは最高のギャグアニメであり良質なディストピア作品であり真摯なリメイクであるおそ松さんというアニメをめっちゃ楽しく観て、いつも通りの放言を繰り返していました。インターネットを始める前姉や友人を相手に、インターネットを始めて十四年、ずっとやってきた、いつも通りの放言です。いつものやつです。昔からの方はよくご存じだと思います。いつもやってるいつものやつです。

5話が来ました。

「あのな、父さん、これまでさすがにけいおんとかfreeとかに対して言ってたことはどう考えても本編に反映されない種類の放言だということはわかっていた。そしておそ松さんは先週までは社会風刺入り男けいおんだと思っていた。おそ松さん5話が来たんだ。いまからあらすじを話すぞ。これ、あのさあ、これ、先週言った。先々週も言った気がする。待って? なんで俺の言った通りなの言った通りだよねこれ? なんなの?」

「おめでとう鹿ちゃん!」

「鹿さん待って。鹿さん待って待ってTwitterタイムシフトさせて話が長いわたしまだ観てないから」

 

という経緯でめっちゃ久しぶりにブログエントリ書きました。なおわたしが旧ブログをぱかすか更新していた前回は、askが荒れすぎて(第一回ask荒れ時代、たしか黒バスです)めんどくさくなったのでaskで延々喋っていたようなことをブログに移動したのと、仕事が死ぬほど暇なわりにないわけではなく店にはわたしひとりしかいないので話し相手もおらずかといってわたしひとりの裁量で決めていい仕事の量が少なくひたすら確認案件を上げたあとは手帳を開いてうだうだ考え事をするくらいしかできることがなかったからです。今回は友達のために(あとカラ松ガールが慌てふためいていて気の毒だったので)書きました。

めっちゃ久しぶりにブログエントリ書いたら、エントリ告知ツイート4000RT。

アクセスログうっかり取り忘れましたが投稿日だけで25000ページリクエストされてたと記憶しています。

旧ブログでバズったときもそれくらいだったと記録がありました。RTはこっちのほうがされたんじゃないかな。みんな汀こるものを読もう! 新刊が出たぞ!

後者の方は全然荒れなかったんですよ。有益な情報をシェアします的な感じでどんどん広がって行ったけどわたし個人に対する何かみたいなのは良くも悪くも全然なかった。スッキリしたもんでした。

今回バズってまじ大荒れに荒れました。いやなんか意味わかんなかったしいまだに正直わかんないんですけどとにかく大荒れに荒れました。あらゆる悪口を言われているのでエゴサは当然しないほうがよく、すごい勢いでフォロワーが増えましたが増えすぎて誰が敵で誰が味方なのか、というか、解釈の合う合わないはともかくとして、誰なら友達になってくれるのかが分かりません。

わたしはもともと垢消し芸人です。しれっとブログを消し、一か月くらいTwitterアカウント消し、なにもかもなかったことにしたらほとぼりがさめるのはわかっていました。

でもですね!

好きな商業作家さんにフォローされてな!(わたしは商業作家さんのTwitterを見てがっかりするのがいやなので「Twitterが面白い人として視界に入るタイプのTwitterが面白い作家」しかフォローしないことにしていますが好きな商業作家さんにフォローされてうれしくないやついるか!?)

ジャンルあんまり被らないし、なんならギャグアニメ観ないような友達にも、「鹿氏のエントリはおもしろいぞ。おそ松さん観よう」って言わせてな!

あとさあ、義侠心が一切なかったとは言わんよ、カラ松担あんだけのことされて「いやこれさすがに笑えない」つって喚く正当な権利あったよ、公式に凸リプした子がいてまとめサイトできたよねまあ公式凸リプはおまえやめとけ気持ちはメールかお手紙にしたためろまとめサイトくらいできるわ人目につくところでやるんじゃないという話なんですが、それにしたって、「おい、こじらせてるオタクを指さして笑うな、みんな頑張って生きてんだ」と、言いたい気持ちがなかったとは言わない。義侠心もありました。

あの時点でケツをまくったらなにもかもなかったことにできるのはわかっていました。おそ松さんというアニメを嫌いになりたくありませんでした。5話メッチャおもしろかった俺ワーワー言っててよかったって思い続けていたかったです。俺は松に恩があって松を嫌いになるっていうことは松にあの時救ってもらった俺の気持ちの時点でリセットするってことです。俺はそれは嫌でした。ていうか、ここで松にしがみつくのをやめたらガチで、フィクションを愛すること自体が困難になると思いました(繰り返して言いますがわたしは青春のデジアドが生き返ったのか殺されたのかよくわかんない状況に、いまでもいます)。勘弁してくれ俺からフィクション取ったら何が残るんだ。

 

逃げたら全部詰むと思いました。

アカウントは消しませんでした。

感想を続行しました。

 

昔話ばかりして恐縮ですがわたしのインターネットは2002年に始まりました。当時はキャラクターに対する悪口を言うのを……当初は……気を付けていました。しかしキャラクターに対する悪口というのはもうなんか出てくるものです。出てこない人もいるのは知っているが出てくるものだもうこれは、少なくともわたしにとっては。2002年のうちに諦めたような気がします具体的にいうと松田啓人おいこら松田啓人あと秋山(※自担)てめえ自重しろ!!!!!!!!!!

みたいな形で解禁せざるを得なくなったような気がする……。秋山は……秋山……うん……。なんかみんなごめんねあの時は(俺の自担が)(唐突に乱入した俺の自担が……)(※デジモンテイマーズ)

キャラクターを愛するというのはたいへんナイーブなことです。それは承知しております。

でもナイーブな人がいるからといって「この作品のこの部分が許されない、ここは本当に改善してもらいたい、もらえなければもういいかげん読むのをやめるしかないが好きな部分はあるので和睦したいんだ」とか「このキャラクターのここの部分が本当にどうしてもだめだし俺はここだけは間違っていたって言い続けるからな」とか、言うのをやめるのが健全なことだとは全く思いません。

というか、作品キャラクター批判を「する理由がないからしない」のはあたりまえですが、「したいけどしない」が当たり前になるのは不健全です。

いいですか。

 

  • 作品理解の上でキャラクターを分析してそのうえでキャラクターを批判をする自由な権利がありそれは作品への向き合い方としてひとつの誠実さの示し方でありえる
  • 分析上誤読があることは当然ある
  • 「俺の感想」は「俺の感想」であって「俺は誰にこの感想をシェアしてもらいたいとも皆がこう考えるべきだとも言ってない」、言ったことはないはずだ。これは「俺の感想」なんだ。「君の感想」じゃないんだ。「誰の感想」でもないんだ。「俺が自分で考えた感想」なんだ。正直それにフリーライドした人間がいたからといって「おまえが石を握らせた」と言われるのは不可解だ。
  • おい冷静になれよたかがアニメの感想だぞ!?

 

というわけで、わたしは言いたいことを言いたかったし、これは言うべきではないということは言わないようにしていたし、見えないふりをするのが困難なくらいわたしの意見を支持する支持しない(そもそもなんで支持する支持しないみたいな話になったんだ……)みたいな話題が上がっているのは観測自体はしてたんですが下手に首を突っ込むとなんていうか、逆に燃えると思ったし、そっちに割くリソースはなかったし、それはそれとしてわたしは批判をしないというわけにはいかないというか、というかですね、15話で兄弟が止めなかったことに関してうだうだべろべろ恨み言を言ったのはともかく(あれはモンペとしての発言なので、モンペなんだからモンペとしての発言くらいあの時くらいは許してくれよ……)、それ以外はわたしの定義によると批判というほどのことは別に言っていないんだ……。

キャラdisという言葉の定義があまりにも広がりすぎではないか!?

広がりすぎではないか!? とは思うものの、まあ、disってるわけじゃないよって言っても担キャラについて他担が言ってる言葉が攻撃的だったらてめえ! みたいになるのはわかるし、悪意のあるなし関係なくいやなもんはいやだろうし、俺をブロックしても第二第三の俺(俺ではない)みたいになると不毛だろうし、なんかもう見てないふり不可能になってきたんで、ていうか、直リプが来たんで、もうまあ……「誰がここまで燃えろと言った!? 俺が拡散してほしいと言ったか!? 言ってないとは言わないよ……『ここまで来たらどこまでも拡散させてしまいたい』とは思ったよ……松の話題性が上がれば上がるほど松がおもしろいということをみんなが知るから……でももはや俺が何を言う必要もないよなみんな知ってるよなここまで来たら、カラ松兄さんも一区切りついたみたいだし潮時だな、さよなら俺の本垢」

という経緯でした。

今回ミスった点は、「5話エントリを上げる前に松垢を分けるべきだった」です。そしたら本垢に鍵かけるだけで本垢は本垢として残せました。でも正直600フォロワーの時点(2年くらい前)で多いなと思ってたんだよね……まあ垢移動潮時かなって……。

アカウントを宣伝用に切り替えて(あとホットな話題を時々流して)鍵垢に引っ込んで、友達になってもらえそうな人を引きずり込んでうだうだしております。毎週何を言ってももう叱られません。誰に対する影響力も考えずに喋れます。うれしくて24時間ぶっ通しで松の話をしました。みんなに寝ろと叱られました。うれしかったです。みんなが遠い目で眺めてくれて「いっぱい喋るな……」「大将やってるね」「おいいい加減にしろ追えない」「楽しそうで何よりだよ」と言われてうれしかったです。「俺は……まだ……話すことが……」と言いながら息絶えました。たのしかったです。百回くらい「俺は自由だ」って言いました。

 

で、前職のなんだかよくわからない社会福祉法人をやめてからえーと一年半? ついに無職ではなくなりました。とりあえず今のところ、ウェブライターで食えています。いや入金来月だからまだ食えてないけど。頑張りたいと思います。

わたしのブログエントリが拡散されてたくさんの人に好意と悪意を持たれたこととは、たしかに現在わたしがウェブライターでやっていけている理由なので、それが全てではないですが、確実に一歩を踏み出せたのはそのおかげなので、おそ松さんと、それを取り巻く言説、わたしに対する悪意も含めた言説すべてに感謝があります。ありがとうございました。その意味で松にフリーライドしてる部分は確実にあるんですがわたし生活費ぎりぎりまで削って松のグッズ買ってるんでWinWinということにならないだろうか。

おそ松さんという作品のことを毎日毎日考えて物語を作るとは何かおもしろさとは何によって担保されるのかということを考えていることと、松野カラ松というひとりの人間の選択を追いかけることも、大げさな言い方をすると逆に嘘くさいのはわかってるんだけど、わたしの人生に起こった最も良いことのひとつだと思います。ありがとう。これはなにをどうしてもWinWinということにはならないと思う。フィクションは尊い。ありがとう。

わたしが影響力を持ってしまったことによってうだうだ喚いて結果として死人がもし出たのだとしたらその件に関しては謝りますし、キャラdisと取れる内容が感想に絶対含まれないとは絶対言えないし、そしてキャラをdisって戦争をしたい人の火種を提供するのは勘弁なので、感想は上げませんが、それは「火種を提供するのは勘弁なので」というだけの理由であって、だからと言ってわたしは絶対におそ松さんを好きでいることをやめないからな! わたしは5話のときにインターネットからのリアクションに追い込まれて友達や家族との連絡すらつかなくなってた時期があった上でインターネットに帰ってきてこういう流れになったけどまだそれでもおそ松さんを好きでいることをやめないからな! 絶対やめないからな!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

神様ごめんなさい、俺はもしかしたら間違ったことをしたかもしれませんが人生を詰ませないことからだけは逃げたくなかった。比喩的にずっと言っていくと思います。「赤塚先生ごめんなさい、来週もやります」そして俺が俺の人生においてミスったことを謝る相手は赤塚先生(概念としての神)だけだ。だれかの人生に対してやらかしたことがあったらそれは都度謝るけど俺の人生や俺の好悪や俺の愛に関しては俺が謝るべきなのは神だけだ。

The show must go on!