群衆は石を投げるべきではない

トレパク疑惑とキチガイ判定は似ている。

それはおまえが決めることではない。

 

noteにトレパク疑惑にまつわるおとぎばなしを書きました

インターネットにはあらゆる悪い側面がありますが、いわゆるトレパク疑惑、ここでいうそれは主にイラストにおける無断トレス・構図等の剽窃に対する第三者からの問題提起を指しますが、これに関しては相当のワースト上位に食い込む問題だとわたしは思っていて、あらゆるトレパク叩きに対して否定的な態度を取っていますしこれからも取り続ける予定ですしそれはたとえば東京オリンピックロゴ問題のようなかたちのものであっても一貫して「間違ったことであり、品格がなく、暴力である」という観点を保っています。

なお東京オリンピックロゴ問題に関しては以下の記事が非常に有益ですのでご関心をお持ちの方はご覧ください。

よくわかる、なぜ「五輪とリエージュのロゴは似てない」と考えるデザイナーが多いのか?

警察や弁護士のように、本来は専門性の高い意思決定は、信任によりプロへ権限委託されるべきものです。今回の「類似」のようなテクニカルな問題の場合なら、デザイナ、弁護士などですね。しかしながら、日本においてはデザイナーの地位が低い上に、選出過程が不透明だったり、選考理由の説明が適切にされなかった点…などが重なり、国民の納得を得ることができず権限委託に失敗しました。そして盗用騒動(あくまで盗作ではなく盗用です)によって、基盤となる「プロへの信用」が破壊されてしまった…というのが、現状の認識かと思います。

専門家と本人に任せるべきなんですよ。

盗作が肯定され得ると言っているのではありません。「いろいろ微妙だから外野が首を突っ込んであまつさえ石を投げるな」と言っているんです。その辺の細かいことに関してはこちらのサイトに詳しいです。

ネットだから気をつけたい! 著作権の基礎知識
第4回 盗作しても著作権侵害にはならない?-「アイデア」と「表現」の分かれ目

パクリ・剽窃・盗作・盗用、どの言い方でもまあだいたい同じですが、それが著作権侵害になるかならないかは法的にもそもそも前提として「場合による」、これは前提です。それはともかく「パクられた! がんばったのにフリーライドされた! ひどい!」というという当事者の感情が(実際に盗作であったかどうかはともかく感情として)発生することは当然あるでしょう。こないだも書きましたが、少なくとも物語創作の世界において物語が類型的であることは前提として当然なので被ることはままありますし、二次創作に絞るなら同じ作品を題材として扱っているのにネタなんかそりゃ被るよという話です。話なんですが、「パクられた! やだ!」という感情が生まれるのはそれはまあわかります。

わかるし、「はじめてメッセージをお送りするんですが、わたしのこの作品と、あなたのこの作品、あまりにも似ているところが多すぎて(あるいは構図が完全に被っていて、あるいは文章がまじでコピペでしかなくて)、わたしとしては困惑しています、盗作を疑ってしまうのですが、少し話をさせてもらえませんか、もし盗作であるとしたら、それに対して抗議をします」くらいのリアクションを、水面下で。水面下でです。メール、pixivメッセージ、Twitterのダイレクトメッセージ、何でもいいけど、人目につかないところで、メッセージを送る。ここまではいい。

本人に関しては「お怒りごもっともです。でも慎重な行動を」までしか言えません。

そして、「申し訳ないのですがあなたの作品は全く目にしたことがありません、感情を害されたことはわかりましたがわたしとしてはこれは盗作ではありませんとしか言えません」もしくは「盗作でした、作品を下げ謝罪します」もしくは「盗作をするつもりではありませんでしたがあなたの作品は目にしていました、影響下にあったことで気分を害されたことに対して謝罪します」、が返って来たら、納得をして丸く収めましょう、そこから先まだ気が済まないと言って叩くのをやめず暴走したら今度は加害者はあなたです。

返信が返ってこない、あるいは真摯な対応をしてもらえない、してもらえたと思えなかった。ここまで至って表に持ち出す。これもまあ仕方がない。盗用をしてしれっと何の対話をする気もない人というのも残念ながら存在するのは事実です。しかしあくまでも慎重な行動を。

具体的に言うと鍵垢であってもTwitterで「パクられたかも」みたいなことは絶対言わない、フォロワーが暴走して凸ったり最悪wikiを勝手に立てるから。

あと友達に読ませて「これやっぱパクリだよ」と言われてもいい気になって怒りを暴走させない。友達なんだから冷静な第三者的な立場に立って読めないのは当たり前。

 

トレパク疑惑の問題点は当事者ではない。

問題はパクられた当事者にあることはほとんどない。

問題はそれを見ている外野の人間にある。

 

「オリジナルであること」に対するインターネットの、あるいはこの国の、異常なまでの、ほとんど信仰心ともいえる感情はいったい何なんだ。「あいつパクラーらしいよ」が広まった瞬間、その人のインターネットライフが唐突にぶっ壊されるのはなんなんだ。根拠もなにも必要ない、それっぽい素材をそろえてそれっぽいことを言ってそれっぽい検証をして、パクリ疑惑をかけられた人どころかパクられと判定された人すら関係なく、そのどちらかの知名度さえある程度高ければ一瞬で燃やせる。なんで外野が「その事実があるかないか」を、そして「その事実があったとしてそれが罪であるかないか」を決められるんだ。そしてなんでそれを信じて「あーあ」と言って離れていったり叩くことに加担したりするんだ。

これは単なる多数派による個人の抹殺でありいじめ、ハラスメント、暴力です。

トレパク疑惑に限りません。わたしは今回「おまえは統合失調症だし、統合失調症であることを否定しているが、精神病には病識がないものだから否定する根拠に欠ける」と延々と言われていますが、否定する根拠としては「わたしは七年精神科に閉所恐怖症で通院しており、閉所恐怖症とそれ由来の躁鬱および不安神経症以外の診断は下りておらず、七年通ってわたしのそれ以外の症状に気づかないというのはわたしの主治医に対する誹謗中傷であるし、精神病には病識がないということが精神病であることを担保できるとしたらこの世の精神科に通っていないあらゆる人間は精神病であり、逆説的にわたしは病識を持って精神科に通っているので健常であるが、わたしは健常ではないと医学的に証明されているので、その論理は破綻している」とはっきり言ったのですがまあ別に納得してくれてないっすね。

もう一度言います。「それを決めるのはおまえではない」。

トレパク疑惑、誹謗中傷、あいつは間違っている、あいつは在日韓国人だ統合失調症だ知的障碍者だ(それが悪口として成り立つと思っている驚異的な人権意識の低さにはいつも新鮮な驚きと絶望感があります!)、「嘘だ」「違う」のみならず「そうであるとしてだから何なんだ」というような種類のことに対して延々と悪意をぶつけられることによって人間がどれだけ疲弊するか、人生がどれだけ追い詰められるか、友人だと思っていた人に裏切られることが、昨日まで味方だったはずの人が敵になってしまったこと、気が付いたらまわりに誰もいなくなっていたこと、みんなに囲まれておまえが悪い謝れ謝れ謝れと喚かれることが、どれだけの恐怖に満ちているか、考えたことがあるのか。「わたしは一言馬鹿だねって言っただけだった」かもしれない。「あなたのような人が百人でも千人でもいたらあなたが千の言葉を費やしたのと同じことなんですよ」。

悪意の内容なんて関係ない。大量の悪意をぶつけることはそれだけで人を殺せる。

弁護士ドットコムによると、名誉棄損罪は三年以下の懲役もしくは五十万円以下の罰金です。いじめ総合対策サイトといういまいち準備中すぎるサイトにも、いじめというかるい言葉で糊塗されているがそれは単に犯罪であるという種類の言及があります。

 

怒るのは気持ちがいいよね。おいしいお酒を飲んでるみたいに気持ちが良くて全部自分が正しくて相手が間違ってるって言いきれて楽しいよね。いじめは楽しいよね。おまえは間違ってるねって言い続けるのは楽しいよね。おまえが加害者だから俺たちは悪くないんだよって言い続けるのは楽しいよね。泣きわめく人間を見るのは楽しいよね。怖がって震えたり泣きながら言い返したり怒り狂っている人間を指さして笑ってちょっと面白いからもっとやろうぜと言うのは楽しいよね。ほとんどの人に悪気なんてないのは知ってるよ。ほとんどの人がなにも考えていなかっただけなのは知ってるよ。ほとんどの人が傷つけるつもりすらなかったのも知ってるよ。だって君の人生から人がひとりログアウトしたからって痛くもかゆくもないもんな。

君の番が回ってきたときはみんなのために上手に泣き喚くんだよ。みんなちょっとだけ楽しんでくれる。ほんのちょっとだけだけどね。そして君は死ぬ。誰も泣かない。君のことなんてみんなどうでもいい。みんなの手に石がひとつ渡されたから投げた。石の行方なんて知らない。あったから投げただけだもん。

誰か死んだっけ?

名前も思い出せないな。

あなたの手の中の石に気をつけて。それを渡したのが誰であるとしても、その石はあなたの自由意思で投擲される。