1911年に描かれた機能不全家族『ピーター・パンとウェンディ』

ディズニーアニメやハウス界名作劇場で著名な『ピーター・パン』は初演1904年の戯曲を下敷きとした小説であり、児童文学として受容されてきましたが、どちらかというと風刺的な側面の方が強い作品です。

まず主人公であるピーター・パンは乳母車から落ちたままはぐれ、帰る家に帰ろうとしても「閉ざされた窓の向こうの母親」に拒絶されたと感じ帰る家をなくしたまま、妖精に保護され、『永遠に大人になることのない国』ネバーランドへ移住します。そこでピーターは同じように家を出たあるいは出るしかなかった子供たちでファミリーを形成します。

そこに招かれたのがウェンディ、彼女は子供たちの「母親役」を担いますが、次第に望郷の念に駆られ、結局ウェンディは元の世界に帰り、大人になります。そしてウェンディが結婚し子供を持ち、ある日自分の娘が、「あのころと全く変わらない」ピーターと夜ごと会っていることに気づきます。というエンド。

そしてそのピーターとウェンディのラブロマンス(のようなもの)の背景には、子供じみた我儘勝手な振舞いをするウェンディの父(ピーターに似ています)や、ピーターを取り戻そうとしてくれなかった(あるいは諦めた)ピーターの母という機能不全家族的側面が描きこまれています。

敵役であるフック船長もまたマザー・コンプレックスをこじらせており、そのほかのキャラクターたちもコンプレックスまみれ、ウェンディは幼い母として扱われる抑圧とピーターへの愛の間で揺れ動き、その関係は共依存的とすら言え、パーソナリティ障害の観点から類型として指摘されています。

「永遠に大人になることのない国」においてピーターはそれでも「どちら側でもない中途半端な存在」「境界にいる存在」と呼ばれ、だからこそ割り切れず「どこかにいる彼の母」を求め続けている。

 

ちなみにティンカー・ベルを代表とするこの世界観における「妖精」は、「赤ん坊が生まれて笑ったとき生まれ、成長した子供が妖精を信じることがなくなり妖精なんていないと言ったとき消える」存在です。『ピーター・パンとウェンディ』作中においてティンカー・ベルという妖精はピーターの相棒でありピーターに尽くし続ける恋人的存在とすら描かれていますが、その死の描写すらなくあっさりと「そんなやつもいたっけ、妖精はすぐに死ぬ、あたりまえのこと」とピーターに切り捨てられます。

 

だから何だっつーわけではない。