もういいかげん松野カラ松に付き合っていくのがつらいがそれでも付き合っていこうと思う

フランドン農学校の豚とカラ松兄さんの区別がつかない。

 

もうなんか10話が大変な話すぎて頭がパーンしているので分析とか放り出して雑談をします。ていうかサンジ君がカムバックしないの人に深い薫陶を受けまして(まだ読んでらっしゃらない方はどうぞ、キャラクターを愛するということをアイドルを推すことに絡めて切なく歌い上げた名記事です)もっとなんか「わたしが」、「わたしがこのアニメを観て何を感じているか」という話をしてもいいんじゃないかと思いました。昨日ブログ記事読み返したんですけど緊張が伺えたり気負ってたり怯えてたりいろいろあったなあと思ったんですが、まあなんか、もう、ここまで来たら何も怖くなくなってきたよね……。というかわたしに連絡を取る方法今メールしかないので(時々メールありがとうございます、大変ありがたく拝読しております!)、あとこれ書いちゃったんでもう大分吹っ切れたという感じです。

10話の冒頭のカラ松兄さんなんだよあれさあ……!

 

※以下カラ松兄さんに対する暴言が含まれますので気をつけてね!

 

あのねわたしたしかにバブみ以外に特にとりえのないような残念なイケメンが甘やかし放題に甘やかした結果あらゆる意味で破滅を迎えるみたいな話が死ぬほど好きですけど、だからわたしおそ松さんのカップリングは最初からずっと一松×カラ松を推してて、そしてこないだ書いた通り倫理委員会に「いい加減にせえよ」と言われて心のちんこ(腐女子の心にいつもあるやつ)が再起不能になり、うつろな目でさまよった結果唐突に一松×チビ太にいま萌えてますけど、いや一チビの話はこないだ散々したから今はいいんですけど

カラ松兄さんが、空回ってるけどいつだって愛の人であることに萌えてるのはたしかなんですよ。ありていにいってシコリティが高いよ。五話であそこまでひどい目にあわされたのにそれでもやっぱり家族のもとに帰ってきて相変わらず仲間のひとりとして隙あらば弟を甘やかそう家族好きアピールしようと狙ってるんですよ。いいから早くして! 何をとか言わせんな! みたいな話ですよ。

しかしわたしは本来的にはそういう受が、カラ松受ですけどわたし、「破滅するのは自明だから好き」だったんですよ。だって破滅しないわけないじゃないですか、破滅しないほうがおかしい。スポイルする男(女もだけど)は殴る男と同じくらい有害です。悪いことをしてもいいことをしてもなんも関係なく俺は信じてるぜ一緒にいるぜ愛してるぜと囁き続けたら、たいていの人間は善人でいるのがあほらしくなって水が低きに流れます。というのを共依存と言います。クズ生産機ですよ松野カラ松。あいつの話をみんなろくすっぽ聞いてないからクズ生産機としてすら機能してないだけの話で、あと「心配だよね~でもこのままでよくなーい?」と言ってくれるおそ松兄さんのほうが更にクズ生産機として精度が高いので事実上クズ生産機としてすら価値が見出されてないだけで。

だったんですよ。

だからカラ松兄さんが五話でひどい目にあったときはもう完全に瞳孔が開いた状態で「勝訴!!!!!!!!!!!!!!!」つってたんですよ。あのエントリめちゃくちゃわたしのそういうアレなところを綺麗に押し隠そうとしたあまりちょっとカラ松兄さんとそのファンの方に寄せすぎているのは反動ですすいません、別に嘘は書いてないけど。

ですけどね。

 

10話つらすぎじゃない!?

 

そもそもが8話でトト子ちゃんにうまく返事ができなかった時も思ったし、9話のおでん回で確信したんですけど、カラ松兄さんってあれ結局コミュ障ですよね……。

カラ松がいい感じの台詞をカッコよく言うのは、「おれはいい感じの台詞をカッコよく言おう、いまだ、いま言うべきなんだ、よし、ここだ!」って挟んでるのであって、あいつつまり、「雑談」というものができない。ずーっと「言うべきこと」を考えてて、どうにかその一言で「全然喋れない」ということを挽回しようとしてる。何にも喋らなかったら空気になって埋没していないも同然の存在になってしまうだけですから、せめてぎりぎり自己主張をどうにかしていかないといけないので、とっておきの台詞を毎回出してきているんだけど、会話は全然できない。

ということをまあもともと考えてはいたんですが、「恋する十四松」で一松が「クソ松おまえ今日いっぱい喋るな」と言ったことで完全に補強されてしまいました。あれ一松掴みかかったり叱ったりする文脈じゃなくて、完全に「雑談のノリ」で「めずらしいな、いっぱい喋ってんじゃん」って言ってて、あのね一松くん、きみの、口から、それを、補強してくれなくていいから。その兄は一松くんの何だっていうのよ!

いやその話は今はいいです。

つまりカラ松は「いっぱい喋れない」。10話に至るまででカラ松がいっぱい喋るのは2話釣り堀で、でもあれ完全に「台本通りの台詞を喋っている」。トド松のツッコミポイントはカラ松の想定内であり、カラ松は用意した通りのいい感じの台詞をぽんぽん返せばいいだけだった。そのあともずっとカラ松は台本通りに喋り続けますし、面接に至っては台本が容易できてなかったので兄弟のコピーをする(そして失敗する)。

カラ松が「とにかく空気にならないためのいい感じの台詞」ではなく、「素」で喋ったのが2話ハローワークであり5話であり9話チビ太とおでんであり、そして「用意された台詞であるにも関わらず素の自分のための内心を吐露した」のが10話冒頭釣り堀でした。

 

2話のハローワークの「静寂と孤独、己との試練、終わりなき戦い、やがておれは立ち上がることもできず」というのは「静かな職場で個人業務希望です、ノルマとか残業は大丈夫なんですが、立ち仕事はちょっと」くらいの意味ですねという指摘が某所であったっぽいんですけど、わたしこれを目にした経緯が「アニメのニコニコ動画転載」の「更にスクショツイート」という何重にもあの、権利上あかんがなという経緯だったので、わたしの指摘ではないですということだけ言及しますが、つまりあそこで彼は「事務員志望です」って言ってるんですけども、それを踏まえて考えると、「地味にハードルが高い」。

「事務員でお願いします」ってちゃんと言ったのにカラ松はどうして追い返されたのかということがわたし疑問だったんですが、そもそもまず仕事を探すうえで「孤独」を第一要件に上げるのはその時点で完全にハードルが爆上げされています。「コミュニケーションを取らないで済む仕事がいい」って言っているということになる。そんな仕事は基本的にありません。

そしてそれを踏まえてカラ松が「会話できない」ことに立ち返ると、これはとんでもなくまずい。

 

おそ松が言いたいことをべらべらしゃべれて、しかもそれはコントロールされてすらいるということは「恋する十四松」まで行かずとも「みんなごめん!」が言えた2話で自明です。チョロ松は当然言いたいことが全部言えますし、意見が通らないこともあるにしろとにかく強気に出ることに関しては兄弟随一です。トド松は人心掌握術のエキスパート、誰を立てて誰に媚び、誰を馬鹿にして誰のフォローをしたらいいか、常に理解しています。この三人が言語コミュニケーション上何の問題もないことは自明です。

そして言語コミュニケーションに難がある、もしくは「難がある人格をあえて演じている」一松と十四松は、プロレスごっこおよび野球(の素振りの練習)という「肉体コミュニケ―ション」を取ることができます。アイコンタクトも取れますし、ほとんど意味のないコントを繰り広げることもできる。彼らは確かに他人と筋の通った会話をすることは困難かもしれない、あるいはそれを放棄して「演じる」ことしかできないかもしれませんが、「そいや」つったら「そいや」って言い返すだけでいい、「ウェーイ」つったらハイタッチすればいい、ということは理解しています。

カラ松それどっちもできないんですよ。

「なんかいい感じの台詞」を一生懸命考えて、視線を集める努力をするので精一杯だし、しかもその「なんかいい感じの台詞」も「いっぱい喋れない」んです。トト子ちゃんにせっかく正論を伝えられて、トト子ちゃんはきちんと自分なりに解釈して理解して返事をしてくれたのに、それに引くことしかできないし、チビ太が想定外の行動に出たらチビ太の行動をどうにか止めることは一切できずに「できるわけない」を繰り返すことしかできず泣いて逃げる。

カラ松が仕事に「静寂と孤独」を求めるのは当然で、話しかけられたくないし話したくないし、働くのがいやなんじゃない、でもコミュニケーションが取れない。家族とすら取れない、幼馴染だって無理なのに職場で「できるわけない」。なんとなく察したハローワーク職員が引きこもり支援プログラムとか面接セミナーとかの資料を渡して「まずこのあたりから検討してみては……」つってるのが見えます。あああ。

 

あいつコミュニケーション取れないんですよ……。

コミュニケーション取れないなりに頑張ってるんだけど、頑張れば頑張るほど目障り扱いされてるんですよ……。

それを踏まえたうえで10話冒頭ですよ……。

 

カラ松めっちゃ喋った……。

 

発言内容こそ「言葉のあやというものがわからないカラ松」なのですが、あそこで扱われているのはつまり、「カラ松は自分が加害者であるという自覚をするに至った」です。

「違うよ!?」っていう話なんですが、まあそれは措いておいて。

「おれが『イタい』から、みんなを傷つけていて、おれは加害者なんだ。でもおれはみんなを愛しているし、加害者になんかなりたくない。どうしたらいいんだ、教えてくれ、助けてくれ」って言ってるんです。上手く喋ることも、兄弟や幼馴染に自分から話しかけることも、会話することも困難なカラ松が、自認のと環境認識のゆがみはともかく、非常に整頓された、冷静な自己分析を行って、率直に、「おれは変わりたい」と言った。

しかし選んだ相手が完全にミスっています。

松野おそ松がこの手のシーンで「おまえはそのままでいいよ」「ほんとはいい子なんだよね?」「大丈夫だよ」以外のことを口にしたことがあったか!? 変革への反逆児、自立へのNO、安寧の象徴!

かくしてカラ松が気付いた加害者としての自認は「そのまま」肯定され、「加害者だっていいじゃん、みんな慣れるよ」という結論をカラ松は微笑んで受け入れました。

トド松全部聞いていてくれてありがとう! 一緒に叫ぼう! 「なにがいいの!?」

 

つらすぎるだろこれ。

もちろんカラ松は加害者ではありません。だだ滑りである以外にはおおむね害はない男です(一松を庇うのが一松を傷つける可能性のことは措いておいて)。女子をチラ見するのはほとんどセクハラなのでやめましょう、あと女子の家にバスローブ姿で来るのもセクハラなのでやめましょう、でもそのシーンで都度カラ松はそれなりの制裁を受けていますし、なにしろ「加害者になるなんていやだ」って言ってるんだから「そういうのは人を傷つけるのでやめよう」と言われたら猛省するでしょう。あとは別にだだ滑りなだけです。そして滑るのはコミュニケーション能力に難があるからであり、コミュニケーション能力に難があるのは、おそらく、あまりにも長い間兄弟に足蹴にされてきすぎて、それと要領のいい兄弟のなかで振り回されすぎて、わけわかんなくなった結果です。カラ松には冷静な分析力と、深い愛情と、なにはともあれ発言を諦めない誠意があり、松野兄弟という環境に縛られてさえいなければ、何かしらの方向性を見つけて、落ち着いて会話してもらえる相手を見つけて、それなりに良い男になることができる素材です。残念ながら完全に迷走しているように見えますが(あるいは方向性はしっかりしてるがその方向性ではウケないわけですが)、少なくとも加害者ではありません。カラ松が革ジャン着てる如きで一緒に歩いて傷つくような繊細な人間は松野兄弟にはひとりもいません。加害者ではないんだよ!

なのにカラ松は「直すところがあるなら直すから」って言っているのです。

「直すところがあるなら直すからおれのことを好きになってくれ」って、ついに、言ってしまう次元まで到達してしまったのです。

そしてそのアンサーがこうです。

「変わらなくていいよ大丈夫。みんな慣れるから」

 

「なにがいいの!?」

 

フランドン農学校の豚とカラ松兄さんの区別がつかない。

フランドン農学校の豚というのは宮沢賢治屈指の鬱作品で、ほとんど精神的ブラクラなので読まなくていいですけど(名作ですしわたしは賢治でこれが一番好きですが)、「大切に育てられている豚が、自分は殺されるのだとうすうす気づいて怯えて暮らしていたら、上の人間がやってきて、おまえを殺すことの許可証にサインをしろと言う、豚は拒否するが結局は押し通されサインをし、殺される」という話です。「家畜であることは、生殺与奪の権利を、他人に握られるということであり、それを承諾するしかないということである」という話です。

もうカラ松兄さんの置かれた環境と区別がつかねーよ。

わたしは別にカラ松兄さんのモンペのつもりはないんですけど(何かのモンペであるとしたらチビ太のモンペだと思いますけど)おまえモンペ化してるよと言われたら別にそれでいいですと言わざるを得ない。「家畜はなにも考えずにおれたちが殺したいときに殺すために何も考えずそこにいればいいんだよ、そして殺したくなったらおとなしく死ね」と言われているようにしか見えない。

 

カラ松って、大家族の子供としては繊細すぎるし、愛情深すぎるんだと思うんですよ。兄弟を出し抜いてやろうとか騙そうとか、おれの意見をここでは絶対通そうとか、そういうのがない。2話で一回おそ松を殴れたのは完全に奇跡、あれ何だったんですかね。とにかくすごく気が弱くてコミュニケーション能力がすごく低い。一人っ子だったらたぶんここまで追い込まれる必要はなかった。自分が自分であることは確かだったし、わけわかんない方向に滑る前に、落ち着いて自分が本当は何を言いたいのか考えることができた。でもカラ松はそうじゃなかった。

そしてカラ松がたとえば女の子だったら、たぶんカラ松の「愛情深さ」だけは評価されたと思う。カラ松は外見に気を使っているし(つまり女の子だったら美人でしょう、女の美しさというのは手間暇かけて作り出すものである)、やさしくて甘やかしてくれる。やさしくて甘やかしてくれる「兄」はこの兄弟においては完全におそ松にお株を取られていますが、カラ松のやさしさ(と表裏一体の木の弱さ)はおそらく女の子だったらもっと「機能した」。つまり彼女は、兄弟の「レンタル彼女」を演じて「都合のいい女」として扱われることによって、少なくとも居場所を得たかもしれない。でもカラ松はそうじゃなかった。

カラ松は六つ子のひとりで、みそっかすで、「自分が愛されないのは、自分が加害者だからだ」というところまで追いつめられてしまった。

 

 

しんどいんですけどねえ。

マジしんどいんですけどこれすごく「正しい」よね……。

カラ松が女の子じゃなくてよかった。兄弟のなかでぼろぼろになるまで消費されてにこにこ笑いつづけることを求められなくてよかった。そんなひどいことにならなくてよかった。そっちのほうがカラ松は幸福だったかもしれないけど、それでも、カラ松がひとりの男として無価値な存在として扱われる方がずっとましだった。そしてあそこで傷ついて傷ついて傷つき続けて必死でそれでも生き続けてどんな形であっても自分の頭で考えて、考えて、考えて、言葉にした、カラ松は偉い、とても偉いと思う。

きみが死ぬ権利はきみが持っている。

生きる権利も。

 

 

トド松あいつをなんとかしてやってよーーーーーートド松だって現状納得してないでしょ!? おまえの溢れかえった才能こんな底辺に収まるもんじゃないはずだよ!? 革命だ! 革命!