「きみがどんなクズだって、あたしはきみと一緒にいるよ」

これまでわたしのエントリを読んで「腐女子のバイアス」だの「CP厨の意見は結局偏向がある」だの言った連中はこれを読んで撤回しろ!

これが!

腐女子が腐女子として!

書く文章です!!!!!!!!!!!!!!!

 

というエントリを書かないとどうしても10話感想に入れないので悪いんだけど10話の分析の前に「チビ太がかわいい」という話をさせてください。チビ太がかわいい。本当にかわいい。切ない。かわいい。そして一松がかわいくてかわいそうで仕方がない。一松とチビ太の話をします。興味がない人も地雷の人もみんなさっさと帰って。一松とチビ太の話を! 腐女子が! します!!!!!!!!

 

いやわたしこれまでは極力冷静にバイアスをかけずに(おそ松兄さんに関してはバイアスがかかっているのは知っているのでかかっているよと言及したうえで)文章を書くように気を付けていて、たとえばわたしは腐女子なので(腐女子です、ちなみにここでいう腐女子の定義は、任意の男二人もしくはn人の間にあるものを愛好する上で(本編で言及がなくとも恣意的に、言及があればそのままに)恋愛や性愛を読み込む、またそのような創作作品を愛好する女性のことです、男性は腐男子)あいつらがゲイもしくはバイであるという前提において妄想をするわけですが、それと作品理解はまた別の問題であるというか、あいつらがバイじゃないとは言ってないです、「全人類がバイの可能性を秘めているように、その可能性はあるけど、本編で出てきていない以上、それを前提とした分析はしない」ということをやっていて、それはかなり気を付けてやっていて、そこをバイアスバイアスと言われたら脳天がブチ切れる。

いやまあ腐女子なのは確かなのでバイアスたしかにかかってるのかもしれないんですけど、だからまあ八つ当たりなんですけど、でも問題は、わたしの腐女子としての感性はおそ松さんを観ている間どんどん損なわれていく途上にあったということです。もはやわたしの脳内ではだれひとりセックスをしておらず、「カラ松兄さんがここまで追い込まれてしまっているというのにこの上性的搾取まで行うのはいかがなものか」という倫理委員会が幅を利かせていました。倫理委員会様のおっしゃる通りでございますと言って腐女子のわたしは小さくなって、どうしてこんなことになってしまったんだ……わたしはなにもセックスまでしてくれなくていいからそこまで高望みはしないからいやしてくれて一向にかまわないけど、わたしは別に愛し合う男が腕枕をしたりハグしてスヤスヤ寝ているところを想像するととても幸せな気持ちになるし世界はハートフルで安心していいんだという根拠のない確信を抱いて日々をやっていくことができる、おそ松さんというアニメがどんなに過酷な現実を描こうと、あれは六人もいる男が好きな組み合わせでキャッキャウフフをしているところを楽しく眺められるということだけは確かなアニメではなかったのか!?(腐女子の感想です) なんで「カラ松兄さん一松の隣に寝るのやめたほうがよくない……? だってその男カラ松兄さんに石臼投げたよ? 十四松と席替えしてチョロ松のとなりで寝たら? あっでもトド松を長兄ふたりの間という強固な壁から出すのはかわいそうだな……わたしなんの心配してんの!? 違うよ!!!!! ああっ全然世界がハートフルじゃない!」とか言いながら「一松はカラ松が好き」「そんなわけないのでは?」「一松はカラ松が好きかどうかはカラ松には関係ない」「もう一松とカラ松のことを考えるのをやめたい」「でもあいつら隣同士で寝てるんだよ!? 今日も! 今も!」みたいな生活を送っているのに

腐女子のバイアスがどうとか

やかましいわ!!!!!!!!!!!!! そんならわたしだって「なにがあろうと一松とカラ松の間には絶対に離れられない強固な絆がある、それが愛でも憎悪でも共依存でもなんでもいい、わたしは、それを、信じます!」ってエントリを! 書くよ!!!!!!!!!!!!! おそ松とチョロ松でも一松と十四松でも十四松とトド松でもチョロ松とトド松でもいいよ!

でも「何も信じられない、でも面白い」つってんだよ!!!!!!

来週も自CPの間に何らかの信頼関係(あるいは憎悪)がきちんと介在していると信じることができないというのにいったい何に萌えろというのか!?

 

 

(※今現在おそ松さんBLで楽しくやって盛り上がっている人を否定する意図はまったくありません、というか、pixivではお世話になっております……わたしの脳内にはないものがあそこにはある……)

 

 

って感じだったんですよね。

って感じだったんですけどもうむりチビ太がかわいい。

今後わたしがチビ太について言及する時はおおむね腐女子のバイアスがかかっていると思ってくださって結構です。結構です!

何故ならあいつは「可愛い女の子になりたい」と言ったからです!

 

以前も少し触れたと思うんですが、わたしが旧アニメ(平成版)観てたのって、ちまちました絵柄がかわいいとかボーっと観れる昭和のギャグが気持ちいいとかそういうのを凌駕して、「チビ太がかわいい」でした。たぶん8歳か9歳くらいだと思うんですが、そこで感じていたのはたしかに「リビドー」だったと思う。旧アニメのチビ太にはわたしのリビドーがめちゃくちゃに詰まっている。

で、原作最近読んで、原作もまあめちゃくちゃにかわいいんですよね、チビ太が。いや、原作ではチビ太というのは「あの外見をした人間」全員につく名前なので(子供ですらないこともある)、全部好きなわけではもちろんないんですけど、ママになりましたとか金庫破りとか、そういうやつ、「六つ子に往々にしていじめられ、もしくは絡もうとしてこっぴどくやり返され、家庭ある六つ子と比べて孤独でというか明らかに孤児である描写も多く、独立独歩の生活を営んでいて、孤独で辛いとはあまり言わないけど代わりに、愛するものが欲しい、家族が欲しい、愛し合いたいと願っていて、真っ当な人間として生きたいという願望すらあって、それをかなえようと必死で生きている」「甘えん坊だけれども、甘え方すらろくすっぽわからない」「六つ子と遊びたいけれど、どうやったら一緒に遊んでもらえるのかわからない、たいてい喧嘩になる」「イヤミには騙される、ときには優しくしてもらえるけどなかなか信頼関係が築けない」「ハタ坊にもさっくり裏切られることの方が多い」。

全話把握しているわけではないし原作も実は全部読めてないので、大分恣意的な話をしているとは思うんですが、少なくともこれが「わたしの好きだった」チビ太です。真っ当に生きることも、愛される方法もわからないまま、孤独な人生を、せめて明るく強く生き延びていこうとするけなげな男の子です。わたしはぬくぬく暮らしてやろうと思えば六人がかりでタコ殴りにできて無邪気に群体を生きてる六つ子が嫌いでチビ太が好きで、イヤミのことは好きだったしとてもセクシーだと思っていたけど信頼できない大人であることが切ないなあと思いながら観ていました。

「チビ太が切ない」、おそ松くんというアニメはわたしにはそういうアニメでした。

 

で、おそ松さんです。

おそ松さんにおいて、チビ太という青年は、おでん屋の主人という一国一城の主となって、おそ松に「人生」を語ってみせる、「立派な男」に成長していました。わたしは寂しさと嬉しさの寂しさの方が多いくらいの感情で、「ああ、こいつは、大人になれたんだなあ」と思っていた。チビ太が至った世界観はマッチョ極まりないけれど、かつてあのナイーブな少年がカエルや猫や時には赤ん坊を愛することで表現しようとした「愛されたい」という甘やかな切なさはもうほとんどどこにもなくて、ただ松野兄弟に夢を仮託するという形でしか口にできなくなってしまったけど、「少年が大人になること」として、とくに「孤独な少年が孤独な青年になること」として、こういう形で結論を出すのは、自然な流れだし、そうなるしかないよなあと思った。

何よりチビ太が、かつて「憧れの象徴」「せめて夢見ることのできる範囲の温かなともしび」であった「おでん屋の屋台」の主人になっていることがとても嬉しかった。たぶんチビ太はかつてのチビ太のような子供を見つけたら(平成の世におでんに憧れる小学生なんてたぶんいないんですが)飯を食わせてやるんだろう、9話でカラ松にやったのは、つまりそういうことだったんだと思います。チビ太にとっておでんは家庭の象徴で、家なき子にも温かなものを与えてくれる場所だった。

チビ太は大人になれた。あらゆる意味で最も完璧なかたちで大人になれた。下手したら六つ子より年下かもしれないチビ太(設定によって年齢にブレがあるのでわかりませんが)が、カード払い可Wi-Fi完備の「ハイブリットおでん」をやっているのは相当のやり手と言って良いと思う。なんだかんだと言いつつ六つ子に好き放題に飲み食いさせて食い逃げされても経営に支障はない程度の財力がある。

 

にもかかわらず、10話でチビ太は、「女装」をし、そして「変身」をして、「レンタル彼女」になります。

彼はおそらく金に困ってはいません。六つ子に踏み倒されれば腹を立てますが、それはやり込められたことや馬鹿にされていることに憤っているのであり、困っている様子を見せたことは一度もありません。誘拐の際に求めた「100万円」はおそらく金の問題ではないという話は以前しました。「レンタル彼女」という業務が性風俗と呼ばれる範疇なのかわたしは把握していないんですが、少なくともおそ松さん10話においてあれは完全に「売春」です。チビ太はもう独立して生きている一人の立派な大人であり金もあり生活ができていて自分の店があり、ゴザを引いて座って春をひさぐ、完全にあれ「春をひさぐ」という構図でしたが、必要は全くないのです。

にもかかわらずチビ太はそれをしました。

イヤミが「チビ太の女装はきっとかわいい」と言ったからです。

あの男は、「男らしい男」として生きることを選択したように見える、いつも「男らしく」格好良くきっぷの良い兄貴のように振る舞っている、そのようになったチビ太が、それなのに「きっとかわいい」の一言で、簡単に「かわいくなりたい」と思うということ。

すごくないですか。わたしはすごいと思う。

これはフォロワーさんから指摘を受けたんですが、おそ松くんのチビ太の女装回ってたしかにアニメでも原作でもけっこう多かったんですよね。そして女の子のふりをしたほうがかわいいって言ってもらえる。というか男の子のチビ太をかわいいと言う酔狂な人は基本的にいません。

つまり彼は子供の頃から、「女の子になったらかわいがってもらえる」という世界を生きてきた。

すごくないですか。わたしはすごいと思う(二度目)。

 

チビ太にはもう誇れる職業も自分の城も金も思想もあって、でもチビ太のそばには相変わらず誰もいません。トト子ちゃんは呼んでくれたけどどうせ頭数だし金は毟られるし、ハタ坊の誕生会には呼ばれなかったもしくは行かなかった。昔たびたびつるむことがあったイヤミは一度も飯を食いに来たことはないし別に頼めばおでんの少しくらい分けてやるのに頼みすらしない、六つ子はただ飯は食いに来るけど一緒に遊びに行こうとか誘ってくることは絶対にない。彼の人生はいまでもとても孤独です。

そうして彼は「かわいい女の子」になろうとした。「かわいいって言ってもらえるから」。格好良い大人の男になっても、だれも彼を愛することはない。でも女の子なら?

そして「女装」と「売春」を六つ子に侮辱されたチビ太がイヤミとともに行きついた先が、デカパン博士の提供する薬による「変身」です。

「変身」している間だけ、彼は六つ子(のなかの三人、おそ松と一松とトド松が彼を選びました)のためのアイドルになれました。彼らはチビ美ちゃんに夢中で、好きで好きでたまらない、有り金を全部払って一緒にいたいと言った。そうしてチビ太は彼らを弄んで金を思うさま巻き上げ心を蹂躙し、その後、その報いを受けました。

 

 

さて「男たち」の話です。

詳細は次のエントリに回しますが、「男たち」のなかで「女」を今まで求めたことのない青年がひとりいました。松野一松は兄弟と、兄弟共通のマドンナトト子ちゃん以外の人間に心を許したことがありません。というか兄弟やトト子ちゃんを「好き」だとしても「気を許して」いるかどうかは微妙なところです。「他人が怖い」「友達なんていらない」一松は、兄弟がそばにいてくれればそれでいい、そして兄弟と一緒だから、トト子ちゃんにだけはおもうさまきゃあきゃあ言うことができた。

そんな一松が「女」と「ふたり」で「デート」をしたのは、たぶん、チビ美がはじめてではないのか。

それどころか、兄弟以外の「他人」と、望んで関係を持とうと願ったのは、チビ美がはじめてではないのか?

 

「千円払うと一センチ近くに来られる長いストロー」は、一松をあしらう方法として完璧です。一松は「近くに行きたくない」けれど「近くに行きたい」、「ひとりは寂しい」「友達が欲しい」。一松は「長いストロー」を介して彼女と向き合うことで、「短いストロー」について考えることができた。それを渇望することができた。そうして彼は勤労し、「短いストロー」の距離に他人を置いた。たぶん学生時代ぶりに。もしかしたら学生時代だってそんな距離に他人を置いたことはなかったかもしれないくらいの距離に。

 

彼の夢の女神は彼の幼馴染です。松野一松という男をよく知っています。だから彼女はこう言うことができた、言わないにしても態度で示すことができた。

「きみがどんなクズだって、あたしはずっと一緒にいるよ」

 

そしてチビ美ちゃんなんてものは存在しないとしても、そこで一松が欲しかったものとチビ太が欲しかったものは、本当に存在していて、彼らは、それを差し出して、孤独を埋め合うことが、できたんですよ。

少なくとも夢を共有している間だけは。

 

そして今でもやろうと思えばそれは不可能ではないのにすべては終わってしまって圧倒的な不信だけが残りました。

 

 

ヴァー。

 

 

ということで10話を観てから放心状態ですというご報告でした。次からは元通り冷静なエントリを書くようにがんばるぞい。

ところで変身願望と言えば赤塚不二夫不朽の名作「ひみつのアッコちゃん」なんですがなんかうまいこと繋がったりすんのかな、ていうか「カラ松の手鏡」との関連性とかも引っ張っていいのかしらん、みたいなことをぼんやり考えているところですがひみつのアッコちゃんなんて4歳くらいの頃に観てただけなので(コンパクトが欲しかったのですがうちは貧乏なのでそんなものは手に入らず母の使い古しのファンデーションを使ってテクマクマヤコンと唱えていました)、なんか言おうと思ったら原作買うとかアニメ観るとかしないといけない。