笑うことができなくなった芸人オタクだった頃についてとやっぱりおそ松さんについて

M-1グランプリ2015開催とトレンディエンジェル優勝おめでとうございます!

といってもうちにはテレビがないので一切観れてなくて、というかテレビがあっても観る勇気が持てたかわかんないのですが、「開催されること自体全然知らなかった」ままでなんとなく受け流して終われたこと自体に「ああ時間が過ぎたのだなあ」という気持ちになりました。麒麟のファンでした。というだけでわかる方には「ああ……」と思っていただけるかと思うのですが、麒麟という漫才コンビはM-1グランプリの歴史と共に注目され、そして一度も優勝経験のないコンビです。M-1グランプリが開催されていた十年間、おそらくわたしを含むあまたのファンが「今年こそ」と思いながら一年を過ごし、「せめて決勝に上がってきてくれ」になり、「今年もつらい顔を観るのか」になっていった歴史とともにありました。敗者復活戦をぼーっと眺めながら、「上がれんのかなあ、これむりじゃねえかなあ、○○は今年は堂々としてるなあちゃんと客席見てるし……」とか言いながら過ごすクリスマス(だいたいそのへん)。

そんでそれいい加減だめだこりゃと思ってわたしは彼らを追うのをやめたのでした。

だめなのは彼らではなく(もちろん彼らであるはずがなく!)、笑えなくなってしまったわたしのほうにあります。

 

文脈上麒麟の名前を出さざるを得なかったのですが(M-1グランプリと麒麟の因縁と、わたしのこじらせは全く切り離せないものです)これは麒麟の漫才がどれだけおもしろくて、どれだけ技巧的にも非技巧的にも優れていて、どれだけナイーブなものをナイーブでなく分かち合っていたかみたいな話をするためのエントリではないので、かつて大好きだった漫才コンビを褒めたたえる趣旨のエントリではなくてなんだか申し訳ない。というか「現在」の彼らが何をやっているのかわたしは全く知らないので、その立場でそのへんについて喋ることなど全くできないと思う。少なくともわたしの知る限り本当にすばらしい漫才をやるコンビでした。狂気と正気の区別がつかなくなる瞬間というものがあそこにはあったし、他人と他人がわかりあえないということもあそこにはあった、そしてにも関わらずコミットしてゆくことの幸福さがあそこにはあってそれこそが麒麟の笑いの真骨頂だと思っていたし、それを目撃できたことはとても幸福なことだった、いまだにわたしは風呂に入るときに「おーゆ、おーゆ」と言います。

 

なんの話をしようとしているかというと、「ギャグ」を生きていこうとする男たちを愛し続けることのなかにあった「つらさ」と、それを抱いてしまったらもうそれは愛ではないのではないかとまで思うに至った経緯の話です。そう、つまりおそ松さんの話を、というかおそ松さんを観ているわたしの話をしています。

 

2006年の冬だったかと記憶しております。わたしは気づかぬまま既に発症していたらしいパニック障害に苦しみながら卒業論文を全没にして書き直していました。スタバでへんなおっさんに声をかけられて「これを聞いている間は資料を読まなくていいから」という気持ちでボーっとおっさんの身の上話を二時間聞いていたこともありました(おっさんは何故かスタバのオリジナルブレンドを一袋買ってくれました)。なにもかもすべてがよくわからない世界に突入しており、わたしは元気よく就活から脱走しました。周囲の人々にはでかい口をいろいろと叩いていましたが、脱走したのは歴然とした事実です。ほんと何にもわかんなかった。いっぱい寝て家にいたかった。わけがわかるようになるまで何にもさせないで待っていて欲しかった。文章を書きたかった。自分のための文章を。

そのころわたしが行くべきだったのは会社説明会ではなく病院だということに気づいたのはフリーターになってから上司の前で泣き出したり扉の鍵をかけられた気がしてパニックになったりするようになって以降のことです。

 

M-1グランプリをいつから観ていたのかは記憶にありません。2005年は観たような気がするし、その前も観ていたのかもしれない。というのは麒麟のファンだったのはもともと姉で、彼女は色々な事情があって(プライバシー保護)必死でお笑い芸人の青田買いをするためにあらゆる手段を使ってお笑い芸人が出る番組をチェックしていた時期があり、わたしと姉は昔から今まで仲が良いのでしばしば一緒に観ていたわけです。でもわたしが暗い部屋で毛布をかぶって2005年のM-1グランプリの麒麟一本目を何度も何度も眺めたのは2006年、DVDでのことでした。コントDVDを観て、いろいろな番組の録画を観て、笑っている間だけ自分の置かれている環境が相当追い詰められていて未来の展望とかとくになく、とにかく何もかもが怖くなりつつあるだけだということを忘れていられたし、

同時にそのことをしみじみと噛みしめることもできたのです。

コンテンツ化された笑いにはいろいろな種類のものがありますが、少なくともわたしが当時愛好して心から笑っていたのは、「絶望に近い狂気」の匂いと、「演じているときが最も美しく、それ以外の時は内気な青年になってしまう」切迫感と、そして「そこにはとにかく相手がいて常に返事をしてくれる」という環境、承認のある小規模な世界でした。川島さんが真面目でおとなしそうでギャグを言う時だけ目が輝くような青年であることや、田村さんが純朴で一生懸命な青年であることや、彼らが若手の中では名前が売れているにしても別にまだ全然レギュラー番組の数も少ないようなところで必死にやっていることは、たぶんあの時全部不可分だった。「だからこそ」しみじみと笑うことができたと思っている。

絶望することと笑うことはとても近くにある、ことがあります。多分。

 

で、「そういう人たちがやってるからこそ」好きだということは分かっているにもかかわらず、「そういう理由で底上げして笑ってほしくない」というのが、彼らはどうだか知らないけれど芸人オタクとして彼らを眺め続けていると嫌というほど感じる「空気」でした。

彼らは学歴も職歴も関係のない、ただ空気を掴むことに成功することができた人間だけが勝者である世界に立っていて、そこにおいて、「ごちゃごちゃ言わんと笑たらええんや」(これ言ったの誰でしたっけ?)という言葉が真実であり全てであるというのはわたしは十分知っていたしそれを確実にあの頃内面化していた。田村さんのかなりひどい中学生時代が有名になったとしてもそれが笑うどころではない話であったとしても、それは最終的にはそれをネタにして笑いを取ることが目的にされなければ「彼の仕事」は完成しない。

「笑わせた人間が勝者」であるあの空間において、ファンがすべき行動は「笑うこと」であり、しいて加えるならば「笑えなかったらつまんねーぞと文句を言うこと」です。

M-1をろくすっぽ楽しむどころではなくなったのが何年ごろだったか思い出せませんが、「あ、やめよう」と思いました。

あのぴりぴりした緊張しきった空気の中で作られる漫才がめちゃくちゃ面白いことはわかっていて、知っているのにもう点数に一喜一憂してああここがだめだったんだなとか言いたくない。言いたくないにも関わらず言うようになってしまった、おなか痛いなと思いながら観るようになってしまった、のは「良いファン」ではないなと思った。やめようと思った。それから笑い飯が優勝するまで観たことは観たはずですが途中からかなり「無」になっていたような記憶があります。笑い飯が優勝できて本当に良かった、でももはやあれが「笑い飯がここで優勝しないと絵的にまずい」じゃなかったと本当に言い切れるかと言われたらわかんねーなと思いながら観ていた。しんどかった。

 

しんどくなってしまったのはわたしの問題なんですよ。トーナメントは実際つらいけど、あっちとこっちのどっちがいいかとかそんなんややこしいわと思うけど、とにかく若手がコネ関係なく自分の技術だけで場所を勝ち取れる公正な場所です。たぶん。

 

コンテンツ化された笑いのなかには、「それを笑い飛ばすことができるチキンレース」をやっている側面が、すべてではないが確実にあって、そしてレースをやっているのは演者だけではなく客席の人間もそうだ、という状況がある。「笑わせることが格好良い」世界に彼らは住んでいて、それを共有するこちらも「笑わせている彼らは格好良い」と承認する形で笑い返す。そのやりとりがあってはじめて「笑いというコンテンツ」は成り立つのであって、そこで「笑えなかったけどでも面白かったよ」は、掛け違っている。

ギャグを観て笑うことの裏側には、ギャグを演じている彼らの人生があって、その人生に思いを馳せながら笑っているうちはいいんだけど、その人生を笑うしかなくなってしまった経緯についてふと思いを馳せてしまうと、うっかり笑えなくなる瞬間がある。それはでも「ダサい」ことだと思う、わたしも思うし、そう思う人はたぶんすごく多い、少なくともあの頃目にする言説はみんな「白ける」のは「ダサい」と思っていて、わたしは「良いファン」でいたかった。だから彼らを、関西吉本若手芸人を、baseよしもとを追っかけるのをやめました。うまく笑えなくなったから。

 

という経緯を経ていまおそ松さんにハマっているわけです。

 

わたしはおそ松さんを「笑ってないファン」として注目を浴びて、いろいろなリアクションを貰ったわけですが、「ダサい」というのは相当印象深くて、そして、「ああ知ってる、ギャグを観て笑わないのはダサいことなんだ、わたしもそれをよく知ってるよ」と思った。それはかつてわたしが内面化してわたしが自分で自分を裁いて自分で自分を追放した言葉だったから。笑うべき場所で笑わないのは実際にスタイリッシュではないことなんだと思う。そういう世界観は確実にある。

でもわたしはあのアニメはそんなことわかっていてやっている、と、思って観ています。

おそ松の孤独もチョロ松の恥ずかしさもトド松のリンチもカラ松の追放も一松の恐怖も十四松の思考停止も、全部、相当ぎりぎりのことをやっていると思う。「笑うか笑わないかを決める」のはこっちで、「笑えるか笑えないかを試している」のがあっちです。そしてそれはどちらにも、常に、残酷な側面が含まれている。十四松が笑わせ続けた彼女を十四松が引きずりよせて抱きしめて肯定することができなかった残酷、笑い続けることによってそこにある涙や痛みや苦しみに蓋をする残酷。おそ松さんというアニメはそれをいつもきちんと突きつけている。それは確実にあのアニメのひとつの側面です。そしてそれは「クズニートという社会的弱者」を高みの見物で笑い飛ばすアニメのスタンスとして誠実だと思う。彼らがどれほどクズであってもそこに恐怖や絶望や孤独がないわけではない。

そしてそういうファン、かつて笑えなくなった自分を裁くことしかできなかったようなわたしすら、取り込んでしまった、笑うことは残酷なことだと思いながら笑ってもいいのだと差し出してくれているとわたしは思っているし、そのことにとても感謝をして毎週笑ったり、笑えなかったり、これひどすぎるだろと喚いたり、しています。

 

そして重要なことなのですが、おそ松さんというアニメは、「残酷であるからこそ呻きながら楽しんでいる層」「残酷であることを平気で笑える層」から「残酷であるなんて何も思わない層」まで、きれいに全部取りこぼしなく取り込んで、そのどこに向かっても面白い話を作ろうとしていて、実際成功している。

それは驚くべきことだし、あのアニメをどのような形で楽しんでいるファンもどちらが悪いどちらは正道ではないということはなくて、全部、受け入れられているのだと思っています。凄いことだと思う。

 

というわけでわたしは楽しくあのアニメを見て呻きますので、あんま指さして笑わないで、ほっといてくださいな。

わたしはギャグと和解できて嬉しいのです。