松野兄弟という兄弟愛生産工場

現在9話時点で、チョロ松を除く松野兄弟全員のお当番回が放映されました。チョロ松は事実上のお当番回と言える回が何度かありますので、このあたりで松野兄弟各自と、彼らの関係、そして「松野兄弟」というチームがどのようなルールによって運用されているのか、ということについてまとめたいと思います。

これまでの情報を整理、列挙していきます。

 

・おそ松

「長男」を内面化しながら、おちゃらけて明るく子供じみたふるまいをし、少年のような率直さと「兄」の風格を兼ね備える松野兄弟のリーダー、おそ松。

2話で「兄弟のことを何も知らない」「疎外されている」と苦悩したおそ松は、その実居酒屋で発言権を担い、特に5話~7話において兄弟の中心としてリーダーシップを発揮していることが多い存在です。彼の発言に、六つ子の行動を推進する価値があるかというと、そういうことは全くなく、基本的に特に意味のない、もしくは「なにもしない」、もしくはヤケクソの思考放棄を選択する発言をします。実際の行動の内容自体はチョロ松が決定しています。

しかし彼は4話面接で発揮したように「状況に応じて空気を読んで対象に寄せる」技術があり、それが通じなければ別のアプローチから「寄せなおす」タフさがあります。

5話エスパーニャンコ、9話十四松の恋において、彼はそれぞれ弟に向かい「おれはなにもかもわかっているし、おまえの本当の気持ちをわかってやれている」という態度を取り、彼らの背中を押そうとしますが、ここに「実際何を理解しているのか」という発言は一切付与していません。彼は状況を整理して、微笑み、今後の展望について語るだけです。

彼は今でも「兄弟のことをわかって」などいない。ただ二度と疎外されないために、「頼りになる長男」をとてもうまく演じている。

 

・カラ松

空気の読めないイタいナルシストであり、この兄弟の中で最も発言力を持たず敬意を集めない次男、カラ松。

彼の行動はほぼ「ズレて」おり、兄弟は彼が何を思ってそれを行うのか理解することができません。そして5話でカラ松は兄弟にだれひとり顧みられることなく「いないもの」として扱われ、そのことに傷ついて泣いて喚いたにも関わらず、その後の展開においてなにごともなかったかのように元通りのふるまいを続けます。彼の発言は基本的にスルーされるか、スルーしきれないとき誰かが攻撃的に黙らせるか非難するか、と言ったところで、唯一十四松だけが一緒に歌を歌ってくれます。彼に発言権は一切なく、実際、重要なことを言うこと自体ほとんどありません。

しかし5話を境に、カラ松の「ズレかた」は少しずつ修正されています。6話は「ハタ」に引っ掛けた駄洒落を繰り広げ、7話ではスタバァの正当なお作法を披露、8話に至っては迷走を重ねるトト子ちゃんに「変なキャラ付けを捨てた方が良い」というきわめて真っ当な正論を告げます。彼は5話の追放を受け、彼なりに「合わせよう」としている。しかし周囲の彼に対する態度は変化していません。5話以前カラ松に一切話しかけず暴力的態度だけを取っていた一松が、カラ松に話しかけるようになった(罵倒という形で)のだけがある種の一歩前進です。

加えて、カラ松はコミュニケーション能力が極めて低く、「会話のキャッチボール」が基本的にできない。「元演劇部」という経歴とも関連するのでしょうが、彼は「台本に書かれた台詞」のようなものを口にする時だけ落ち着き払っていて、それ以外の雑談というものが一切できません。トト子ちゃんへ助言し、トト子ちゃんは自分なりに解釈して理解してくれたにも関わらず返事のひとつもできないし、チビ太が無理難題を吹っかけてきても伝わるように言い返すことも暴力行使で黙らせることもできない。2話でおそ松をぶん殴った時に見せた腕力で黙らせることはおそらく可能なのに。

彼は弟たちひとりひとりに目をかけているのですが、それが顧みられることはない。「存在しない子」あるいは「ノイズ」それが松野カラ松です。

 

・チョロ松

自称「常識人」、頼りにならないクズばかりの兄弟のツッコミ役を担う、兄弟の調停者であり代弁者、チョロ松。

兄弟に「大人になったのだから仕事をしよう」と宣告し続ける彼は、一見「真っ当な人間」のように見えます。しかしハローワークでなんの具体性もないビジョンを示した通り彼は「働くこと」ではなく「働いている大人というイメージになること」を求めているのであり、それは目標を下方修正して「アイドルのマネージャーという仕事をしたい」という方向に変化したあとも変わりません。目標とする「アイドルのマネージャー」も「孫」も、彼が「したいこと」であって「できること」ではない。彼が口にしているのは「現実」ではなく「希望」です。

他方チョロ松は、トド松の「勝ち」に対して、一貫して裁き手の側に立ってきました。「金を稼ぐ」ことができ、「就職する」ことのできるトド松の「ごく常識的で真っ当なふるまい」を、チョロ松は一切祝福しない。それどころか、「兄弟に金を隠すクズ」「兄弟を切り捨てて就職しようとするドライモンスター」呼ばわりです。しかもトド松はチョロ松のそれに抵抗することができず、チョロ松はいつもきっちりリンチを行使します。それは「常識的」な行為ではありません。

そして7話大判焼き回は事実上チョロ松のお当番回だったと考えていいと思うのですが、彼はあそこで六つ子のルール、「平等」について語ります。「ひとりが勝つのはいい、ひとりが負けるのもいい、しかし基本的にすべては完全に平等に分配されなくてはならない」。そして追い詰められた兄弟をチョロ松は調停し、争うなと言い、「平等」をもたらそうとします。チョロ松は兄弟に慕われ可愛がられており、彼の意見は結局のところ、通ります、このような「人生を左右しない」レベルのことであれば。

デリバリーコントやお誕生日会で示される通り、「不労所得」を嫌うチョロ松は、「兄弟からはみ出すこと」「ひとりだけ優秀であること」を、おそらく不労所得と同じようなものとして捉えている。だからそれは罪である。トド松に対する態度と対称的に、彼は「弱い存在」であるカラ松に対しては比較的親身です。「支えてやらないと平等ではないから」。そして同時にカラ松を「兄」であるとは扱わない。

そして彼にとっての唯一の例外は、彼がたったひとり「兄」と呼ぶおそ松であり、おそ松の「競馬での収入」は、トド松のときのように平等に分配されることなく、全く問題にされません。そしてチョロ松はおそ松に対して「長男なんだから」という圧力をかけ続けている。結局行動について案を出すのはチョロ松であるにも関わらず、おそ松に責任を取らせるかたちで。

 

・一松

自称「犯罪者予備軍」、兄弟の中で最もアンタッチャブルな存在として振る舞ってきた一松。

しかし5話で暴露された通り、彼の内実は「兄弟に依存することしかできない、孤独で内気なだけの青年」です。自分に自信がない彼は、過激な行動に出ることによってしか自分の価値を作り出すことができない。

そして彼はトド松のリンチの際、一度目は率先するチョロ松に同行し、二度目は誰よりも先んじて行動しました。彼の「過激さ」はチョロ松の望み通りトド松を「あるべき場所」に戻します。

それを踏まえて、彼が何故くりかえしカラ松に対して暴力的態度に出るのかを捉えなおします。

「兄弟がいるから友達は要らない」彼は、「松野兄弟というシステム」が円滑に運用されるために、過激さを行使します。つまり彼の過激さは「管理」のために行使されています。一松がカラ松に攻撃的な態度を取るのは、カラ松が「場の空気を乱している」時でした。2話居酒屋においては加えて「一松自身の仮面を剥がそうとした」からでもあったのですが、それ以降に関しては全て、「カラ松がノイズだったから、黙らせようとしている」。

それを踏まえて、彼がなぜ、嫌っているかのように見えるカラ松の傍らに座り、毎晩隣で眠っているのかを考えると、一松はカラ松を常に「監視している」と取ることができる。

チョロ松が「優秀さ」ゆえに特出してゆくトド松を見逃さずリンチするのとは対称的に、一松は「ノイズ」であるがゆえに特出してゆくカラ松を監視し、手綱を引き、必要とあらば締め上げ、そして何より、「カラ松自身は、一松には自分という理解者が必要で、信じてやって、酔っ払ったらおぶってやらなくてはらならない」と思わせている。実際は一松には十四松という兄弟を超えた友情でつながった相手がいますし、カラ松よりよほどほかの兄弟と親しくしているにも関わらず、カラ松は一松の「特別」を与えられ、おそらくそれゆえに、兄弟の中で、完全に孤独になれず、出て行くことができない。

一松がカラ松にキツくあたる理由をチョロ松は知らず、おそ松は現象としては理解していますがなぜそれを行うのかは言及しません。「松野兄弟」というシステムを完全に理解し掌握しているのはおそらく一松です。彼はかつてブラック工場で「終身名誉班長」に昇進し、兄弟たちの勤務を監視する立場にありました。ブラック工場を後にしてからも、彼の立場は変わっていません。彼にはほかに人間関係はありません。彼はここにあるものを完璧に保たなくてはならない。

仲の良い兄弟という「製品」を生産し、彼の居場所を確保するために。

 

・十四松

兄弟に愛され許容され続けている陽気な優しいピエロ、十四松。

どのようなときでも「笑いを取る」ことを最優先している彼は、「笑えないシーン」に直面したときはっきりと傷つき、それをなんとか修復しようとします。それが5話エスパーニャンコ回でした。彼はいつでも周囲の人間が笑顔であるべく奮闘しており、空回りしても滑っても、笑顔にすることを、ピエロであることを、決してあきらめません。

他方、彼は「笑顔を作る」ための行動以外の行動は自主的にはほぼ取らず、トド松のリンチに参加こそしませんが、兄弟の蛮行を止めることもありません。そして彼は笑い続けており、恋した相手を笑顔で送り出すことしかできませんでした。彼の人生に「自分と一緒に困ってほしい」「自分と一緒に傷ついてほしい」「あなたと一緒に傷つきたい」「あなたを守るために傷つきたい」といった側面はありません。彼の人生にあるのは笑うこと、それだけです。

彼が愛の人間であることは確かです。彼はとても優しく、周りの人間を傷つけないように振る舞っている。そして彼はそれ以外何もしません。

一松が兄弟愛の管理者であることに対応して、十四松は兄弟愛の生産者です。彼は兄弟たちが笑っていられるこの空間に、笑いをもたらすためにここにいる。そしてそれ以外のことが何もできない以上、十四松はここから出ていくことはできないし、出ていく必要もありません。ここには彼の求める全てがある。

にもかかわらず彼は「外の世界」に触れました。

彼の中に「兄弟愛生産者」としての自分以上の何かを求める飢えが存在する。おそらく。けれど彼はそれを手に入れることができません。相手を傷つけても一緒にいる、自分が傷ついても一緒にいる、そういう人生を選択することができないからです。

 

・トド松

要領の良い末弟、兄弟の中でいつも楽しそうに振る舞い適切な立ち位置を取り、松野兄弟を離れた外の世界でも人間関係を作れるトド松。

しかし繰り返した通り、彼の「成功」はリンチの対象となります。特出したコミュニケーション能力と自己アピール力を誇るトド松は、兄弟の中で最も優秀で、社会適性が高く、ここにいる理由はありません。しかし彼はリンチを繰り返す兄弟のもとに帰っていく。

7話で彼自身は「兄弟を嫌っている」と言及します。実際彼は「成功」しているとき5人の兄弟の存在におびえている。彼らがリンチをすることだけが理由なのではありません。彼らが社会不適合者で、自分と同じ顔をしていることがトド松は恥ずかしい、彼らの存在のせいで自分の人生は台無しだと考えている。

トド松はふだんそんなことはおくびにも出さず、「困ったら助け合えばいいじゃん」とまで言います。彼は兄弟を愛しているようなそぶりを取り続けている。彼が最も親しいのは長男でありリーダーであるおそ松で、しかしそれは親しさと言うより、「へつらい」です。トド松はおそ松の発言に常に同調し、話し相手を務め、持ち上げてやります。そしてトド松はカラ松の服装や言動を非難し、おそ松に同調していないときはチョロ松を立て、一松を怖がり、十四松にやさしくツッコミを入れます。「求められているとおり」に。

トド松の唯一にして最大の問題点は「虚言」であり、彼はバイト先で経歴を詐称し、同僚女性に嘘をついて気を引いています。彼が嘘つきになってしまった経歴は彼のおかれている環境から見ればはっきりとわかります。トド松は兄弟にずっと「嘘をついている」。自分が兄弟を嫌い、恐れていることを、ずっと兄弟に隠しながら、彼は笑って生活している。

彼は自分のコンプレックスである家族について、外の世界の人間に打ち明けることができません。「優秀さゆえに迫害を受けている」という異常さについて、誰かに助けを求めることもできません。彼は家で嘘をつき、外で嘘をついている。そして家族はトド松が嘘をつこうが関係なく、彼に居場所を提供します。だからトド松は家に帰る。

そして少なくともトド松はカラ松を罵倒する時だけ本当のことを口にできます。

 

 

ここにあるのは平等な世界です。

優秀な人間は引きずり落とされ、落ちこぼれそうな人間は縛って引きずり寄せ、兄弟愛を生産して管理し、リーダーに責任を負わせ、不平等を裁き、彼らは六人でひとつであり続けなくてはならない。

彼らはかつて「おそ松くん」で、彼らはかつて「おそ松くん」として成功しました。そして現在でも彼らは「六人でひとつ」であり続けようとしています。

 

 

ここには兄弟愛があり、彼らは愛し合っています。