鳥の名を持つ男、松野十四松のための仮説

来週というか数日後に十四松回を控えて今この話をするのも何なんですが、例によって見終わると何を言い出すか自分でもわからないのでさっさとまとめておきます。

前回「六つ子に生まれたよ」のデュエットの片割れ、カラ松について話をしましたので、十四松について現在考えていることを少し。

前回の「魚」に引き続き、作品のモチーフを象徴として扱い、意図するところを読み解くという目論見で展開しています。そういうのいいわという向きはどうもすいません、お茶飲んでお帰りください。今日のお茶は今年のセレッシャル冬限定フレーバー「クランベリーバニラワンダーランド」だよ!

 

前回のエントリにおいて「おそ松さんという作品において、魚とは「愛、もしくは愛されること、愛すべきものを意味する」という論を展開しました。

これを踏まえて敷衍すると、「川」「海」ひいては「水」とは、「愛の住むところ」すなわち「HOME」を意味すると考えていいのではないか。単純な「家」よりももっと温かく愛のある場所、「HOME」「家庭」です。

振り返ってみれば、このアニメは実に「水」にまみれています。

  • オープニング「大変だわ現場は火事-革命的なひと」まで六つ子と仲間たちは水中を漂っている
  • 続いて「宇宙から来た-やっこちゃん」まで、六つ子が浸水し浮上して水を吐く
  • 2話冒頭釣り堀
  • 2話カラ松ガールを待つカラ松が川に落ちる
  • 3話銭湯クイズ(銭湯はオープニング、4話にも登場)
  • 5話誘拐されたカラ松は海で磔刑にされる
  • 6話イヤミは川辺に居を構えている
  • 7話凍り付いたデカパンを切り捨てることにダヨーンが決意するきっかけが川と橋(なお「海を渡り」アメリカに行く)
  • 8話トト子ちゃんの「魚キャラ」のために繰り返される水辺のシーン
  • デリバリーコントはいつも水の中から提供される

彼らは「水の中」「水のそば」にあって「愛」を得て、もしくは求めて、もしくはともに暮らしている。「水」が「家庭」を示すのであれば、それはシンプルな連想を呼び起こします。すなわち「羊水」です。この物語に六つ子ときちんと関わることのできる「女」が、母を除いて、魚アイドルを夢見るトト子ちゃんであることともその連想は響いてきます。「水辺にあること」は「母や女の傍らにあること」は幸福のモチーフであり、反面「愛を喪う」場所も水辺にあります。

 

さて、オープニングラストカットにおいて「耳から魚を逃がす」カラ松と「魚」との関連性は既に述べました。

ここで気になるのは、同じシーンにおいて「口から鳥を吐く」一松の意味するところです。

「水」および「魚」がこれほどに強調される反面、「鳥」は作中に印象的なシーンはさほどありません。

  • 3話じぐ蔵が「鳥の糞」によっておそ松ではなくカラ松ではなくトド松に恨みを抱く
  • 6話飛んでいくイヤミの歯をキャッチした猛禽類が火山にイヤミの歯を落とす
  • 8話なごみ探偵を撃墜する

ざっと思い出せるのはこんなところです。細かいシーンでもっとあるかもしれませんが、物語の重要な部分を担ったのはこのくらいではないかと思う。そしてこれだけ列挙してみても、ここに付きまとっているのは完全に「災厄」の気配です。一松は「災厄」を口から吐き出して倒れ伏しているのか?

しかしここで思い出したいのが、このオープニング映像の全体図です。

おそ松さんオープニングラストカットは、おそ松とチョロ松とトド松(前述しましたが、この三人は言語コミュニケーションを取ることができ、このチームの方向性の決定権を担う存在です)がちゃぶ台を囲み、その前に転がっているカラ松が「耳から魚を逃がし」て死んだ目でうつむき、膝を抱えた一松が「口から鳥を吐き」倒れて見切れ、そして一松の反対側画面奥で、バランスボールに乗っていた十四松が「バランスを崩して」一松と同じく見切れます。

「魚と鳥が出て行く」に気を引かれて一松とカラ松、魚と鳥の関連性ばかりを考えていたのですが、このカットにおいて、同じように画面から顔が見切れてしまう一松と十四松が対応していると考えるのが自然ではないか。

そしてここで挙げたいのが「十四松」は「十姉妹」の当て字であり、「十姉妹」は鳥の名であるということです。

 

「おそ松」が「お粗末」、チョロ松は現在使われない言葉ですが「とろくさい子供」といった意味の罵倒語のようです(複数ソースがあるので確定でいいと思うのですが、今度図書館に行く便があったら調べてきます、なおネットのソースはこちらこちら、あとTwitterでも言及してる人がいたと思う)。トド松とカラ松はそれぞれ実在の松種の名前、材木としても使われます。

罵倒語由来の「おそ松」と「チョロ松」はおそ松くんという作品においては「働きたくない」「でも働かなくては」「このままでいい」「ちゃんとしなきゃ」という「内面」を担っています。

対して、松種・材木由来の「カラ松」と「トド松」は「外見を装うこと」そして「仮面をとりつくろうこと」ひいては「嘘をつくこと」つまり「外面」を重視しているという共通点を持って描かれています。

ここまで名前との関連性が描かれているのだから、残りの二人についても考えても良いのではないか。

 

一松と十四松の物語上の、または六つ子というチームの上での立ち位置は「危険人物」と「ピエロ」という好対照でありながら、それは同時に「狂人」という共通点のなかにあります。

残りの二人の名前は「数字」という共通点があり、しかしこれは当て字の上での共通点に過ぎません。「十姉妹」は鳥の名前、「一松」は「市松模様」から(ちなみに市松模様の「市松」とは何かというと人名だそうです、ウィキペディア情報ですみませんが。今度辞典当たってきます……しかしよりによって一松の名前だけが人名というのは示唆的である)。上記の四人がそれぞれ名前の上で対応する相手を持っており、また対応する形で振る舞っているのに対して、一松と十四松の、当て字の上ではこんなに近いのに意味はこんなに遠いことは、彼らの関係そのもののようでもあり、また切なさも呼び起こします。

 

話がそれましたが、ここで言いたいのは、おそ松さんというアニメにおいて、彼らの名前はキャラクター設定にどうも対応しているようだ、ということです。

ならば鳥の名前を持つ十四松は「災厄の象徴」なのか?

しかし、少なくともこの物語のなかにおいて、十四松はほぼ「平和の象徴」とすら呼べる働きを担ってきました。

 

遅ればせながら、松野十四松という男の話をする番がついにやってきました。

焦点の合わない目をして、パーカーの袖を余らせ、ひとりだけ半ズボンを履いて、いつも「野球?」「野球!」と野球の期待ばかりをし、(「AVに出てたの!?」を除けば)無邪気の極みといった発言をくりかえし、いつも明るく元気でハイテンション、「兄弟の知らない一面」として「野球のユニフォームを着て川を遡上」という、いったい何を意図しているのかさっぱりわからない行動を取る十四松が「本当に狂人」なのか「ピエロを演じている」のか「演じているなら演じているで何を意図して演じている」のか、ずっとわたしは謎でした。

しかし振り返れば(お蔵入りになる幻の旧)1話の「フルカラー部分」だけを取っても、一番にしっかりとしたコメントを述べていたのが十四松です(というかそこから唐突に2話デリバリーコントで再会したと思ったらああでその後ハローワークで触手、そして川の遡上だったので、全く何が何だかわからなくなったのです)。旧1話のことはなかったことにするとしても、「触手」で「なーんかウケなかった」ことを自覚し、イヤミの車の助手席で「右よーし左よーし前歯よーし!」ときっちりウケを取りながら方向指示役をこなし、ブラック工場にたどり着けば引き笑いをし、2話だけ取っても十四松はこんなにも「狂っていない」。つまりあれは全部「ウケ狙いでやっている」と取ったほうが自然であると思います。

なぜ彼が「ウケ狙いの行動を取る」のか、まだ担当回が放送されていないことでもありますしはっきりと言い切ることはできないのですが、少なくともトド松との関係性、パチンコ警察やスタバァにおけるふるまいにおいて、仮説を立てることはできる。

十四松はパチンコ警察において、他の兄弟に同調する形で同席してはいますが、トド松を撃つ=リンチに参加してはいない。なぜなら十四松はあそこで「犬のコスプレ」をしていたからです。

そしてスタバァコォヒィにおいても、十四松はトド松に対して罵倒の言葉をひとことも口にせず、ただトド松を「トッティ!」と呼んだだけ(8話でなめらかにおそ松が「トッティ」と口にし、トド松も全く気にしていなかったので、おそらくこのあだ名で呼ばれることをトド松は気にしていない)。「せっかく来たのに」と言い、パフェを一松とともに絶賛し、兄が汚した床をせっせと拭きます。

十四松はトド松のリンチに参加しない。しかしトド松を守ってやる方向に動くかというとそんなことはなく、トド松の踊り(=処刑)を涙を流すほど楽しみますし、犬だから発砲はしないにしろ兄たちを止めないのは事実である。

つまり十四松の行動は、「兄弟の空気が悪い時には良い方に傾く方に引っ張り、チーム内のバランスを取って、総合的にだれの傷も深くならないように振る舞っている」と取れる。少なくとも今のところは。

 

十四松が六つ子のバランサーであると仮定するなら、「川の遡上」が何を示していたのかやっとわかります。十四松は「松野家」と「松野兄弟」という、いやトト子ちゃんのフォローも(方向転換したらどうかという形で)しようとしていたのでもっと広い空間においてかもしれませんが、とにかく「バランスを取ろう」としている。「川の流れ」に抵抗して遡上するというかたちで、誰も見ていないときでも。

おそらく十四松の私物であろう黄色いバランスボールや子供部屋のロードコーン、十四松の趣味が規律と人間関係の世界である野球であること、そして「なごみのおそ松」回においてはもはや個人というより「警察組織そのもの」のような存在であったこと、すべてが示唆的です。

 

 

「災厄の象徴としての鳥」と「鳥の名を持つ十四松」との関連性に戻ります。

十姉妹という鳥は人工的に作出された愛玩用の鳥で、飛翔力が弱く、野生では生きられないと言われています。

十姉妹の起源ははっきりしておらず、東南アジアに分布するコシジロキンパラと、その近縁種を品種改良して作出されたと考えられている。“十姉妹”という名は、一緒の鳥かごで複数飼育をしてもケンカが少なく、何十羽の親子・姉妹・兄弟が仲よくしていることから名付けられたとされている。

十姉妹 | ペットショップのコジマ

多くの日本人に馴染みのある十姉妹ですが、実は十姉妹には野生個体がいません。十姉妹は、何世紀も前に中国でコシジロキンパラを品種改良して作られた鳥で、野生種ではないのです。

ペットの鳥類図鑑 – 十姉妹 [小動物] All About

これまでのおそ松さんにおける「鳥」がもたらす災厄は、「飛んでいる」からこそもたらされるものでした。

「飛べない鳥」の名を持ち、実際人間に過ぎず飛ぶ能力を持たない十四松にできるのは「泳ぐこと」つまり「自分を守っている家庭が家庭として維持されていくために、ムードメーカーとして、バランサーとして振る舞うこと」だけです。彼は「飛ぶことができない」からこそ何の力もなく、ただ全力で組織の一員として「泳ぐ」ことしかできない。

彼は「飛ぶこと」つまり「攻撃」のできない「川の中を泳ぐ鳥」です。十姉妹は人の手で愛されるために生み出された。野生ではたぶん生きられない。

 

 

おそ松さんにおける象徴は、今のところ「水」「魚」「鳥」そして「猫」があると思うのですが、ひとまず今日はこのへんで。

9話楽しみにしています!