松野十四松の恋人になることができなかった彼女の話

まず最初にお伝えしますが、十四松マジ天使ガチ勢の方はこの紅白まんじゅうを持って速やかに回れ右してお帰りください。ここから先に進んでもお互いのために良いことは何もありません。9話Cパートを美しいラブストーリーとして観ることができた人の分の紅白まんじゅうの用意もあります。出せる茶の持ち合わせもありませんので、まんじゅうは家で食ってください。

もともとこのブログには愛や幸福などという言葉は餃子を示すとき以外ありませんが、今回は特にそんなものはここにはないということを念頭に置いておいてください。ここにあるのは残酷とペーソスとつらみ、それだけです。

わかった?

 

ついにおそ松さんというアニメが、作中で既に言及された通り、「ギャグアニメ」の看板を放り投げて「自己責任アニメ」になりました、というエントリです。

 

おそ松さん9話、わたしはデリバリーコントでまず泣き、チビ太のおでんでハンカチ休憩をいただき、十四松お当番回である「恋する十四松」に至っては呻くこともままならないというようなテンションで視聴したのですが、これを観て「十四松はやっぱり天使であるなあ」とか「美しいラブストーリーだった、感動した」とか、逆に「なん……? おそ松さんに美談は求めてねーぞ? つまんなくね? クズどこだクズ笑わせろよおい」といった意見が相当量というか大多数なんじゃねえかなあということは理解しております。

ということはまあ把握してるんですが、わたしはわたしの観たアニメの話をします。

ついにやってきた栄えある十四松お当番回、9話Cパートの骨子はこうです。

  • 十四松が唐突にものすごくおとなしいふつうの青年になる
  • 十四松が撮った女とのプリクラ写真を目にした兄弟はびっくり仰天、出かけていく十四松を尾行、デート現場を目撃
  • しかしデート中、十四松はあまりにもいつも通りの十四松だった
  • 飽きて尾行を離脱したおそ松は、ビデオレンタルショップのAVコーナーで何かを発見
  • 十四松の恋を応援する兄弟たち
  • しかし十四松はふられてしまう
  • 彼女の自殺未遂と十四松が死にかけたことを通じて彼らが知り合ったことを語る十四松
  • 実家に帰るという彼女を見送りに行けというおそ松、走る十四松、新幹線のプラットフォームで十四松はいつも通り彼女を笑わせ、彼女は笑顔で去っていった

御覧の通りものすごくふつうのラブストーリーです。ほほえましいシーンはたくさんありますが、爆笑する要素は特にありません。笑わせることを完全に投げ捨てており、どちらかというと泣かせにかかっています。

そしてこの話では十四松はもとより五人の兄弟も全員、いつもの「クズらしい」ふるまいをしません。いつも通りだだ滑りのカラ松でさえ「今日よく喋るな」と一松に突っ込んでもらうありさまで、トド松の合コンを徹底的に破壊したときのような狂気的な執念はどこにもありません。皆まるであたりまえの常識的な青年であるかのように、そう、まるで「よいこ」であるかのように、十四松の不器用で奥手な恋をあたたかく見守り、支え、ああだこうだと相談に乗り、送り出し、失恋をして帰ってきたら迎え入れて一緒に酒を飲み、彼女に最後に会いに行けと背中を押します。なんていいやつらなんだ。十四松はなんて愛らしいんだ。今までの悪行はどうした。俺たちはいったい何の番組を見ているんだ?

しかしこれほどまでにすべてが美しいにも関わらず、ここにいるのは確実に全員クズです。

その話をします。

 

「彼女」の話をします。

彼女はあらすじから自明のとおりおそらくAV女優、「実家に帰る」と言って去っていくのでおそらく田舎の出身です。このアニメの舞台が東京である以上、そこがどこであろうと「ここ」よりは田舎です。そして彼女は自殺をしようとしていました。

彼女のバックグラウンドと生活について、我々に与えられた情報はこれだけです。名前すら知りません。我々はここに含まれるものを読み取らなくてはなりません。これだけしかない以上、なんとでも言うことができます。わたしが観た彼女はわたしが観た彼女であり、あなたが観た彼女とは違うかもしれない。

わたしが観た彼女はこうです。

彼女は夢を抱いて東京にやってきました。彼女の夢をかなえるためにはそれだけの都会が必要でした。彼女が目指していたのはアイドルだったかもしれない(その意味で彼女は弱井トト子の、そして橋本にゃーのIFです)。そうして彼女は夢に破れ、望まぬ職業に就くことになりました。イヤミが売れないアイドルであるトト子ちゃんに「AVで一儲けするザンス」と言ったのは先週の話です。つまり、ということになる。弱井トト子はその選択肢にNOを突きつけることができた。実家は金持ちでそのうえ自営業、アイドルで売れなきゃ家を継げばいい話です。そうして彼女は弱井トト子ではなかった。

彼女はその職業を喜ぶことができなかったから死のうとした。なぜなら彼女の人生にはもう死以外の出口はどこにもなかったからです。

実家に帰るよりましだと思ったから、死のうと思ったのです。彼女がそう思ったという情報は、わたしに、彼女の「実家」やそれを取り巻く環境がどのようなものであるかを連想させます。彼女はおそらく実家で、自分がどのような職業に就いていたか語ることを、語らずとも突き止められることを恐れている。死んだほうがましだと思えるほどに、彼女は指さしてあれがそうだと言われ続けるでしょう。可愛い女の子がアイドルを目指して上京して、うちしおれて帰ってくると、指を指される、「田舎」というのはそういう場所です。「元AV女優」という職業を真っ当に評価してくれる人なんて、これっぽっちもいません。たとえそれをうまく隠し通すことができたとしても、夢破れて帰る場所として居心地のいい場所ではないだろうということは容易に想像がつきます。死んだ方がましだった。

でも彼女は死ななかった。

崖から海に飛び降りようとした彼女の目の前の砂浜に、愛らしい妖精のように軽やかに、野球のユニフォームを着た謎の男が現れて、元気よく素振りをはじめて、元気よく素振りを続けて、いつまでもいつまでも続けていたからです。

そうして唐突な波に青年が、松野十四松が飲み込まれて死にかけたとき、彼女は自分の死を忘れて十四松に駆け寄り、彼を蘇生させようとしました。その結果十四松は水芸(新ネタです!)を体得し、彼女はそれを見て、「笑う」ことを、たぶん、とても久しぶりに、思い出した。

彼女に生命を吹き込んだのは十四松です。彼女に生きる幸福を、笑うことを、人とともに過ごす喜びを、孤独ではないことを、楽しむことができることを、教えたもしくは思い出させたのは十四松です。彼女が彼をどんなふうに思っていたか内心は何も語られていません、けれど、彼女は彼と過ごしている時とても幸福そうにしていました。心からの笑顔で笑っていました。

でもたぶん、これは憶測にすぎないけれどたぶん、彼女は最初から最後まで、十四松に、自分の職業を告げることはなかった。

なぜそう推測するかというと、十四松の彼女に対する態度が、あまりにも屈託がなさすぎるからです。

十四松がAV女優という職業になんの偏見も抱いていないということはすでに4話で語られています。トト子ちゃんに無邪気に「AVに出てたの?」という十四松は、それが失礼な発言だという認識は毛ほども抱いていません(十四松は基本的に人を傷つける目的の発言をしていませんし、兄弟という群体での攻撃を除いて個人として攻撃的な行動を取ったこともないはずです)。

十四松が彼女の職業を知っていたら、十四松は彼女が「AV女優という職業が耐えられなくて死のうとしたのだ」ということを知っていたのだとしたら、彼はたぶんエスパーニャンコ回で見せたようなあまりにも素直な目で傷ついてみせたと思うし、わたしたちはたぶんそれを目撃することになったはずだと思う。十四松は「大切な人間が苦しんでいる」とき、恋に溺れて笑っていられる人間ではないはずだ。彼はもっと必死で彼女を救おうとしたはずだ、そう思う。あの時エスパーニャンコをおっさんの裏側のにおいになるまで探し回ったみたいに。

これはあくまでも推測にすぎません。

けれど彼女が自分の職業について告げ、自分がどうして傷ついていたか告げることができていたら、彼らの結末はもっと違うものだったのではないかと思えてならないのです。

十四松は彼女の命を救いました。十四松は彼女の目の前で陽気なピエロとして振る舞い続け、彼女はそれを見て笑い続けました。彼らは幸福な時間を過ごしました。

でもそこには幸福な時間しかなかったんじゃないかと思う。

彼女は自分が醜く落ちぶれた人間だということに自分が傷ついたと告げることができなかった。幸福な観客のまま、去っていった。彼女を愛することも受け入れることもないであろう実家に向かって去っていった。彼女の手首に巻かれた14の数字のリストバンドだけをよすがとして、彼女は彼女の生命そのものであった、陽気でやさしいピエロのもとを去ったのです。

そして彼女はもう二度と死のうとすることができないでしょう。なぜなら彼女の中に吹き込まれた生命は彼女のものではなく十四松の生命であり、彼女の手首には契約のしるしが残されているからです。

 

彼女に残されたのは呪いです。

彼女は孤独な現実を生き続けなくてはならない。誰もいない場所で。

 

そうして彼女が彼女のなかの闇を十四松に差し出すことができなかったのと同じように、たぶん十四松も、彼の問題まみれの人生を、彼女に差し出すことができなかった。

彼が文なしのニートだということは彼女はたぶんうすうす気づいていたでしょう。でも十四松が抱えている問題というのはその程度のことではありません。彼は家に5人兄弟がいて、全員ニートで、完全な依存関係にあって、おまけに両親は離婚するのしないのでいつ家を追い出されるかわからないという問題も特に解決していません。恋愛に家庭も兄弟も関係ないというのは一般論で、彼の置かれて環境は異常極まりないのです。トド松は「ニートだから振られたんでしょ」と言いますが、問題はそんな程度のことではありません。おまけにトド松がそれを言及するのは十四松が振られたあとです。遅い。

別に恋愛をすることが、即座にお互いに対する責任を負うことであるわけはない。でも「自殺志願者」と知って自殺志願者と恋愛をすることは、少なくとも自殺志願者の希死念慮も含めて付き合っていくということです。そこには何らかの責任が確実に存在する。

嘘こそついていませんが、やっていることはスタバァのときのトド松とほとんど同じです。彼らは彼らの抱えている問題ごと突き進むしかなく、そこには美しい要素は全然ないということをありのまま受け入れるしかない。笑っている場合ではない。

そうして十四松は、彼女の希死念慮に自分の立場や自分の家族が関係するかもしれないということを、たぶん、考えなかった。彼女が笑っていてくれればそれでいいのだと思っていた。兄弟も同じです。ふたりで幸福に過ごしていればそれでいいのだと思っていた。笑っているのだからいいのだと思っていた。

「恋愛をするな」と言っているのではありません。もちろん。

彼らは笑顔以外のものを分かち合うべきだった、と言っているのです。

そうして彼らが、自分たちの抱えている問題を、ひとつひとつ差し出して分かち合うことができていたら、彼女はやりたくもない仕事からすっぱりと足を洗い、帰りたくもない実家に帰ることもなく、別の道を探し、そして十四松もどうにかして仕事を見つけ、兄弟から離れて彼女と共に新しい家庭を築くことができていたかもしれません。彼女の帰る家に、十四松がなれていたかもしれません。

彼らは分かち合わなかったのだろうと思えてならないのです。そうしてそのことがとても悲しく残酷であると思う。

なぜなら、それこそが、松野十四松という男だからです。

 

前回のエントリでも十四松について触れ、彼はバランサーとして松野兄弟の中で機能していると書きましたが、その憶測はおおむね正しいと思います。

しかし9話を観たうえで付け加えるならば、彼の望みは「皆が笑っていてくれること」です。

誰もがいつでも笑っていて幸福な顔をしていて、その状態が彼は望ましいと思っている。それはとても心優しいことですが、同時にとても残酷なことです。なぜなら誰しも笑いたくない時間はたくさんあるからです。笑うべきではない時間も、笑うほうがつらい時間もある。いつも笑っているということは、何の問題もないか、何らかの問題に蓋をしているということであり、そして十四松の周囲は十四松本人も含め笑っている場合ではない状況にまみれている。

十四松のピエロは逃避です。エスパーニャンコの際に一松のためにあれほど奮闘した彼は本当に心優しい青年で、でもだからこそ、「辛い現実」に蓋をしている。だからトド松のリンチを止めない。彼はいつもやさしくて、兄弟に同調する形以外で傷つけるために行動することはない。つまり誰を守ることもない。誰かを守るために、戦うこともない。

十四松は良い奴です。でも同時に、途方もなく残酷なことをしている。

 

けれど彼はそうやって生きてきたし、そうやって生きていく以外、どんな方法の持ち合わせもないのです。

六つ子というファミリーカーストを賭けたサバイバル・ゲームにおいて、「目に見えない子」は敗者であり、「出来の良い子」はスケープゴートです。前者がカラ松、後者がトド松であることは、これまでのエントリを踏まえればご理解いただけると思います。彼らは「そこにいる」と告げながら、「そこにいて問題はない」とも告げなくてはならない。実際十四松は六つ子というチームのなかでとてもよくやっています。

トド松が処刑されるのは、嘘をつき、兄弟に隠れて成功しようとするからです。十四松には嘘はない。十四松は公平です。誰にとっても平等に優しい。だから十四松を処刑する必要は全くありません。

みんな十四松のことが好きです。彼の繰り出し続けるギャグに笑ってやることこそないにせよ、十四松と過ごす時間を楽しんでいる様子をしばしば示し、優しく接します。彼は成功していて、成功し続けてゆくでしょう。この未来のない小規模な世界においてだけ。

でも十四松は彼女が笑ってくれて嬉しかったんですよ。ずっとそばで笑っていて欲しかったんです。

でもそうはならなかった。

 

そのようにして松野十四松は、ひとりの女の命を救い、救い続けることとなりました。何の責任も負わず、彼女の人生に重い枷だけを与えて。

 

ギャグアニメの体裁のなかで「ギャグという生き方を選択した男」を描いた話です。

このアニメはとても面白くてたくさんの笑いをお茶の間にご提供いたしますが、あなたの現実がそれによってどのように歪むとしても、笑えなくても、傷ついても、全部、自己責任です。