それはそうかもしれない、でも幸せになろう

いろんな人から人生相談が来るんですよ。

 

わたしのような肩書のない人間になんでこんなに人生相談が来るのかよくわからないんですが、来ることは事実です。いい加減肩書がないのもどうかと思うので夏コミが終わったらカウンセラーの資格取ろうと思っている……夏コミが終わったらなのは印刷費を捻出するために綱渡りの生活をしていて金がないからですが……印刷費が返ってきたらいいかげんカウンセラーの資格を取ろうと思う、それはともかく人生相談がたくさん来ます。いろんな人から来ます。病院に行ってる人も、行ったほうがいいのかわからない人も、行くほどじゃないのはわかってるけど誰かに聞いてほしかった人もいます。

 

メンタルの具合が悪い人というのは自己肯定度の低い人なんですよね、おおむね、多分。

で、なんで自己肯定度が低いのかというと、「否定されたから」というのはまあ多分多いと思う。

その否定されたタイミングが、「親から」だったり、「学校で」だったり、「職場で」だったり、まあ色々です、「趣味の場所で」の場合もある、何の話かというと、「家庭環境が精神疾患を作るわけでは必ずしもないでしょう」という話です。人生にはいろいろなタイミングで自分以外全員敵みたいな状況が生まれる可能性があって、それがたまたま人生の早い段階かもしれないし、遅い段階かもしれない。

そして否定されやすい(否定されたと感じやすい)性格なのかもしれないし、現代社会において否定されやすい要件が多いのかもしれない。疲れやすくて仕事がたくさんできないとか、太りやすいとか、逆におっぱいが大きくてその話ばっかりされるとか、お人よしすぎて騙されて周りの人が信じられなくなったとかもある。

そして「自分の身に起こったことは、つらいことだったんだ」と認識できるようになるのは、自己肯定度の低いグチャグチャの世界から抜け出す第一歩です。

だからそこで「わたしの人生はグチャグチャだった、なんでわたしだけがこんなひどい目に」という気持ちになるのは、それはまあ仕方ないと思う。

 

「わたしの人生はグチャグチャだった! おまえの人生もグチャグチャになればいいのに!」とか、「グチャグチャじゃない人生を歩んだ人がねたましい!」とか、思うのはまあ仕方ないです。思うのは仕方ない。そこで自分の感情を抑圧するのは良くない。でもそれを「伝える相手」は選ばないといけない。なぜなら「わたしの人生はグチャグチャだったんです!」と伝えることで成功経験を積んで自己肯定度を上げてしまうと、話を聞いてもらえなくなった時にまた自己肯定度が下がるだけだからです。

別の方法で、もっとゆっくり確実な方法で、自分の人生はどこから積み上げていけるのか、見つけないと、もっとグチャグチャになるだけなんですよ。

 

「失敗すると叱られるから」以外にも、「生まれつき神経質で、失敗するのが嫌」「完璧なもの以外作りたくない」という人はたとえばいて、でも「失敗したくない」人が必ずしも駄目な人かというと、「ミスが許されない仕事」においてはその人は「素晴らしい仕事をする人」です。そういう仕事に就くことは必ずしも可能ではないかもしれないけど、人生には仕事以外の側面もあって、ノーミスで幸せになれるたとえばゲームとか、自分の性格に適した余暇を持つことで幸せになれる可能性は高い。そういうかたちで積み上げた成功経験はなくなりません。それをやっている間満ち足りて幸せだったという事実は残るからです。

「失敗が怖い」は「仕事が正確」、「醜いと感じるものが多い」は「美意識が高い」、「疲れやすい」は「無理しない、させない」、「神経質」は「よく気がつく」、ストレス耐性が低い原因になっている要素が実はこれから先の人生よいほうに転じる何かかもしれない。

 

人生のどこかの時点で何かが起こって、つらいことばっかりの時期になる、まわりに敵しかいなくなる、そういうことは時々あります。もちろん許しがたいことはたくさんあるでしょう。戦って殴り合いになって苦しむばかりかもしれないです。親のほうも親をやるのに向いていなくて親をやっている間敵だらけでつらかったのかもしれない。単に親子の性格の相性が悪かったのかもしれない。上司部下でもそう、学校もそう、人生の一時期「いなくてはならなかった場所」が、相性が悪かっただけかもしれない。もちろん相性の問題では片付かないレベルで劣悪だったということもありますが。

人生における運が悪かった。それはまあそうだね、というしかないことはたくさんある。つらかった、療養して少しましになった。憎しみが湧いてくるようになった。体力が出てきた証拠です。いいことです。

そしたらどうしたらいいのか?

自分の人生を自分の手の中に取り戻す方法を探すしかない。

少し元気になって、「わたしが悪かったわけじゃない」に気づいたあとにできることは、「わたしにとってすばらしい人生はどうやったら見つかるのか」を考えるしかない。たぶんそれはめちゃくちゃ大変なことなんだけど、つらかったらもちろん誰かに八つ当たりするしかないときはあると思うけど、こっそり隠れて八つ当たりして、八つ当たりを成功経験に数えないように気を付けて、あとはなんとかして、幸福な成功経験を積む方法を探すしかないんですよ。たぶんそれはめちゃくちゃ大変なことなんだけど、幸福になる方法は、幸福になろうとすることによってしか始められないんです。

 

ところでこういう話を延々としていると本当にわたしは何なんだ? と思うよね。市井の市民です……。世界人類が皆幸せになることが非常に望ましいと願っているだけの……。市井の市民、単なる無職だったところじゃあ有料でいいから相談に乗ってくれやにはいはいと受けていたら気が付いたら人生相談で飯を食っていて全く意味が分からないんだけど、気軽に相談に来てね! メールでもSkypeでもいいよ!