はなまるぴっぴの歌詞を読んだらめちゃくちゃ本編まんまでなんかやけに焦った

今回は軽い雑談です。適当に笑い飛ばしてください。

 

遅ればせながらの言及ですが、おそ松さんオープニング曲「はなまるぴっぴはよいこだけ」がリリースされて歌詞が公開されましたね!

わたし作詞のあさき氏に関して「深読みするだけ無駄だよ」と散々友人に吹き込まれていたので、正直鼻くそをほじっていて完全に出遅れたのですが、先ほど「7話でおそ松さんという話の方向性が完全に固まった気配がするしいい加減歌詞読むか……」と言って読み始めて、

「深読みもクソもなく本編そのまんまのことがそのまんま書いてあるじゃねーか!!!!!!!!!!!!」

と叫んで何かやり場のない気持ちになったんですけど歌詞の話してもいいですか。駄目でもしますが。ちなみにやり場のない気持ちになったのは「深読みなんかする必要ないってあんなに言われたのに! クララの馬鹿! いやたしかに深読みもクソもないけど……」といった感情ですのであさき氏にはなんの咎もありません。良い歌詞でした。ありがとうございます。

しかし本当に本編の内容に即していて、わたしはもしや詞が先にあってアニメを合わせて作ってんじゃねーのかとすら思ったのですが、まあどちらにしろとても良い歌詞である。

 

 

ぴっぴはフルバージョンとテレビ版で歌詞がかなり違うのですが、まずフルバージョンの歌詞から。

 

タイトルが「はなまるぴっぴはよいこだけ」であるというのがそもそももともと疑問だったのですが、それは

  • なぜ「よろしくおあがりおそまつさん」というキャッチーなそれらしいフレーズが出てくるのにそれがタイトルではないのか
  • そもそも「よいこ」などというものは欠片も出てこない(べつに各自が良いやつとしての側面がないわけではないのだけれどもそれはそれとして基本的に脱落者とそれ以前の人間と真っ当な大人ではあってもリアリスティックに鬱陶しい人間ばかりが出てくるアニメです)のに「よいこ」とは何を指すのか

という点にありました。

 

というわけで歌詞からまず「よいこ」を見ます。

  • まず出てくるのが「明日は昨日のよいこだけ」です。
  • その次の「おしてもひいてもよいこだけ」に関しては難解なのでひとまず飛ばします。
  • 最後に出てくるのが「この世に要るのはよいこだけ」。

「明日は昨日のよいこだけ」と「この世に要るのはよいこだけ」という文章を統合すると、「明日」には「昨日のよいこ」しか存在しない、そして「この世」には「よいこ」しか要らない、つまり、「この世に要るのはよいこだけだが、よいこは昨日にしかいない、つまりこの世にはよいこはいない、よいこ以外はこの世には要らないので、この世には誰もいないあるいはこの世はよいこならざるすべてを拒絶している」ということになります。

「昨日」とはつまり「過去」であり、おそ松さんにおける過去とは、原作および旧アニメを指します。

つまり「はなまるぴっぴをもらえるよいこ」「この世に必要だったよいこ」とは、原作および旧アニメのキャラクターを示しています。

つまり「はなまるぴっぴはよいこだけ」というタイトルが示す意味は「よいこはもうどこにもいない」です。

そうですね、実にそうです。そういうアニメです。この世に絶対に必要なよいこなんて全然出てきません。今のところデカパン博士が最もそれに近い存在でしょうか、しかし発明している薬はかなり危険物です。チビ太は立派に成長して大人をやっていますが何分ちょろくて六つ子にしてやられてばかりだし、「この世に絶対に必要なよいこ」というほどの存在ではない、ささやかな人生をささやかに守ることに成功しているだけです。あ、ハタ坊がいた。ハタ坊ははなまるぴっぴをもらえるよいことして唯一承認されたから財を成したのかもしれない。しかし祝福を受けたハタ坊を除いた皆苦しんであがいて諦めて足を引っ張り合って時々良いこともあってもすぐ転落して、本当にそういうアニメです。

はなまるぴっぴをもらえるよいこなんて、もうどこにもいなかったのです。「そうだよ」という歌詞でした。「まあ、そうだよね」と思いました。

 

そして歌詞は「一生全力モラトリアム/今日から明日は昨日の未来」とあります。「今日から未来」つまりおそ松さんというアニメ時間軸である「十数年後」の世界は、「昨日の未来」に過ぎない。

もう誰も彼らをよいことは呼ばない現在を、昨日という過去を引きずりながら生きていく姿勢として「一生全力モラトリアム」が宣言される。「一生全力モラトリアム」はほとんどおそ松さんというアニメの痛切なテーマのひとつですね、おそ松が喚く「一生遊んで暮らしたい」という言葉のリフレインである(しかしおそ松はひとりで遊ぶことすらろくにできないのですが)。どうせもはや彼らは世界から拒絶されています。よいこではない彼らはどうせこの世に求められていない。それなら一生遊んで暮らしたいのは当然です。

まあそうですよね。そういうアニメです。

 

全てに言及していると長くなるのであと二点重要な部分だけ。

 

  • 「これおあがりとくくりつけられ/逃げ腰 抱っこじゃん」
  • 「よろしくおあがり/おそまつさーん!」

に関して。

「おあがり」と「くくりつけられ」ているのは「おそまつさん」です。この場合のおそ松さんという呼称が「おそ松さんというアニメ」を指すのか「六つ子という群体」を指すのか「松野おそ松」という個人を指すのかはどの解釈でもよいと思いますし意味するところは同じだと思います。「クズニートとして未来のない生活をだらだら送るということ」がつまり彼らにくくりつけられた重荷です。

が、いずれにしろ「おあがりとくくりつけられて逃げ腰だけども抱っこをしている」。彼らは「おそまつさん」を重荷だと思っているけれど、それを荷物として背負わなくてはならない。アニメはもう始まってしまった。

歌詞はこう続きます。

「電源もう抜いちまうかもう/だって/もどれない? 嗚呼/かえれない? 嗚呼/時限式カラミティ」(※カラミティ=災厄、惨事)

ここで扱われている世界はアニメなので、電源を抜くという行為は「死」を意味します。電源を抜けば全部終わりにできる。

「時限式カラミティ」つまり「いずれくる災厄」とは六つ子の決定的な破滅を示すかもしれませんが、あるいは単にいずれ来る最終回を示しているだけではないかとも考えられます。

おそ松さんの放送は始まってしまった。始まらなければ彼らは永遠に子供のまま過去の名作として永遠に終わらない「よいこの時代」を過ごすことができたのに、彼らは引きずり出されて、「もどれない」「かえれない」。六つ子の、決して不幸とは言い切れないが煮え切らない未来のないいずれ来るかもしれない破滅におびえながら足を引っ張り合い続ける生活は、アニメが始まらなかったら存在しなかったのです。

どうせ「時限式カラミティ」はセットされています。それなら別にもう「電源抜いちまうか」。さっさと終わってまた永遠の眠りに戻ろうぜ。

実際彼らは1話で「1話ありがとうございました最終回です!」って押し通そうとしたんですよね。「電源抜いちまうかもう」は一回ほんとうに行われようとしていた。

 

ここまでは「本編に即した内容」の部分です。ここまではアニメ本編に一致してます。「もう誰もよいことは呼んでくれない、この世はおれたちを必要としてない、実際わりとこのアニメしんどいしアニメ打ち切った方がいいんじゃないか、まあ続けるならいっそ一生全力モラトリアムだよね」。

 

ここからは「アニメに特に出てきていない部分」です。

  • 新型ギミック
  • 革新的なひと/革命的なひと
  • ウン年前の宇宙から来た逸品
  • 最強無欠のぽぽん
  • 人類最後のギミック君
  • 謀反戦/おしてもひいてもよいこだけ

これまでの歌詞と比べてこの部分は前向きなキーワードに溢れています。

しかしこれらは7話現在本編において出てきていないか出てきたとしてもろくなことになっていません。

新型ギミック(ギミックの範疇に収まるかどうかは微妙ですが)としてはデカパン博士の発明品の数々が挙げられるかもしれませんが今のところ物語を推進する方向には動いていませんし基本的には悲劇的な側面の方が強いと思います。宇宙と宇宙船は3話で出てきましたが宇宙から「来た」ものはいません。革命も革新も特に行われていません。謀反の気配もありません(強いていえばトド松はよく頑張っていますが成功はしていません)。

 

はなまるぴっぴはよいこだけフルバージョンのの歌詞を読んで感じた率直な感想は「思ったよりも前向きな歌だった」ということです。

総合すると「六つ子はよいこではない、この世に必要とされていない、それなのにおそ松さんという重荷を背負って生きていかなくちゃならない、モラトリアムする以外にどうしろって言うんだ、しかし負けるな六つ子!新型ギミックとか革命とか革新とか逸品とか最強無欠とか人類最後のギミック君とか、とにかくすごそうなものがこれから君たちを待ち受けている!雨ニモ負ケズ風ニモ負ケズやっていこう!」といった意味の歌詞なのではないかとわたしは思いました(作文)。

しかし後半のとにかくすごそうなものの部分に関しては原作に出てきていない以上「すごい気休め臭」という顔をしています。うん。だといいね。

 

 

さてテレビ版の歌詞を見てみましょう。当然ながら大分あっさりしています。

注目してください。一読してわかる通り、先ほど挙げたカッコイイ前向きなすごそうなものは「革命的なひと」以外一切ありません。それどころか「逃げ腰 抱っこじゃん」もありません。

 

テレビ版の要約はこうだとわたしは解釈しました。

「よいこは昨日にしかいなくてこの世に要るのはよいこだけなのでこの世には誰もいなくてみんながいるのはこの世ではないかこの世から要らないと言われている、今日から明日はどうせ失われたよいこがいた昨日の未来にすぎないのでやることないし一生全力モラトリアム、せいぜいへらへらおどけてやるよ」

 

つまりわたしのはなまるぴっぴはよいこだけの解釈はこうです。

  • フルバージョンは六つ子およびあの世界におけるよいこならざる人々へのエール
  • テレビ版は六つ子の偽りなき本音であり高らかな宣言

 

ということでわたしのなかではものすごくつじつまが合ったのですがいかがでしょうか。

あたりまえなんですが作品読解とくに詩歌の類の解釈が一種類で済んだらこんなつまんないことはないので(だから先のエントリに関してもあれがすべてではもちろんないです)、ひとつの放言としてご笑覧いただければ幸いです。しかし「ほんまそれ。ほんとそう思う。まじそれ。わかるわー」って言いながら歌詞を読むことになるとは思わなかった……。

対応しているオープニング映像についてもいろいろ考えたいものですが、これに関してはまあ、せめて1クール終わるまで保留ということで。

 

以下おまけです。

蛇足かつだいぶん牽強付会なのですが(これまでだってそうだったよと言われれば返す言葉もない)、フルテレビ共通の「カミカゼ―革命的なひと」に関しては、六つ子それぞれを指していると言えなくもないかなーと思いました。

  • カミカゼ十四松(足が速い、あとまだ十四松回がないのでもっと関連してくるかもしれない)
  • 虫の息トド松(こっそりと怯えていて二回も処刑された)
  • 火事カラ松(火あぶり)
  • 憂いなおめめ一松(そのまんま、あとオープニングで鳩を出している)
  • 新型ギミックチョロ松(未来に対して焦りながら方向性を提示しようとする)
  • 革命的なひとおそ松(一番どこがだよという感じなんですが、ドタバタギャグだったはずのおそ松くんからおそ松さんをニートアニメという方向性にはっきり導いているのは結局のところおそ松ではないか)

まあ、つじつまは合うっちゃ合う。でも新型ギミックを提示してるのは「革命的なひと」だよね多分と思うとまあこじつけすぎじゃねーかなー(あと「革命的なひと」とは赤塚先生のことでは? という意見が多いようだということを書いた後で知りました。なるほど)。

 

あと「べろ出し」キャラはダヨーンしかいないですよね……いないよね……? ダヨーン、量産型人造人間だし、主役回もばっちり貰ったし、もしかしてめちゃくちゃ重要なキャラクターなんだろうか。

ここだけは伏線の可能性に期待してます!