アリス松絵解きやるよ!

ぷりっしゅ おそ松さん トレーディングアクリルキーホルダー アリスver.

おそ松さん公式のアリスパロがどう考えても原作ガチ勢の犯行。

 

なおアリスパロは二回目だったっぽいんですが雑誌情報でそっちは確認できていません(雑誌が積まれています……)。そっちは「まあ妥当」という感じだったはず。

「わたしとアリス」の話をざっくりしますとファンタジー文学を志す人間として子供の頃から読み続けてきた上で大学で訳本を30冊くらい読んで文体比較してレポートを書くということをやりました(文体論をやっていたので)。ガチ勢を名乗っても問題ないはずだ。というわけで誰得だか知らんが感動したので書いておく。

 

まず、おそ松=赤の王はアニメ観てるだけでも「まあ要するに赤の王だよなこれ」とは思っていたんですが、アニメディアDELUXE+ Vol.1で示唆され、マーガレット3/5号付録でおそ松が王冠をかぶっていて補強され、おそ松市 in MIYAZAKIで確定になりました。なお松の描き下ろし絵はおおむね本編と噛んでいて描き下ろし絵間の小道具の使いまわしなどがちょいちょいあるので細かい指示が出ているものと考えるのが妥当です。具体的にはパッシュ二月号ポスターのエスパーニャンコぬいぐるみが養いシーツで再登場が一番わかりやすい例。

「赤」は赤塚先生から頂いた色でおそ松のキャラクターカラーであり、公式は明確に彼を「王」として扱っており、そのうえで赤の王って言ったらそんなもんアリスだよ。

赤の王というのは『鏡の国のアリス』に登場するチェスのキングであり、「この世界は全て、この眠りについた赤の王の見ている夢で、赤の王が目覚めたとき全ては終わる」というキャラクターです。と同時に『鏡』は実はアリスの見ている夢であり、最終的に「誰の夢だったのか? アリス? それとも赤の王?」という目覚めたアリスの問いかけには誰も答えず終わります。

まあおそ松さんというのはそういう話である。松野おそ松の見ている「一生遊んで暮らしたい」という夢の中で五人の兄弟が脱出口を探したり安寧を求めたりしてどたばたする話だ。「まあこれ赤の王だよね」は妥当な解釈だと思います。

しかしここでアリス松が突っ込まれた。これ赤の王じゃなくてハートの王です。

不思議の国のアリス』の方の、実権は妻に奪われ本人は何ひとつ持たないお飾り君主の、暴君になり切れずおろおろしているハートの王です。赤の王じゃなかった。単なるハートの王だった。24話!!!!!!!!!(※このキャラグッズは24話放送後にシルエットが公開され(ただけでおおむね何が何だかわかってわたしは死に、最終回直前に全貌が公開されて再度死に、最終回を観て見なおして再度死にました)

 

さくさく行きましょうカラ松はきちがい帽子屋。

トド松以外は全員『不思議』の方のキャラです。きちがい帽子屋は三月うさぎ・ねむりねずみと三人で延々とお茶会をしているメンツで、かつ、かつて王と女王の前で歌を披露するとき失敗して女王の処刑対象に入り、命からがら逃げてきた身です。なぜ歌を失敗したかというと「親友でかつては耳打ちひとつで自在にコントロールできた『時間』と仲たがいをし、歌の拍が取れなかったから」。おそらく「お茶会」をやめることができないのも「時間がわからないから」です。

「礼を欠いている、帽子を取れ」と言われたとき帽子屋は「商品なので脱げない」と答えます。つまり「帽子屋というアイデンティティは帽子に担保されているので、帽子を取ると彼は帽子屋ではなくなる」から脱げない。

カラ松のうかれポンチなポエムキャラがキャラづくりであってキャラを放り投げるとちょっとドスと気回りが利いてちょっと押しが弱いフツーの青年に過ぎないというのは16話以降明らかにされ、かつ、チビ太とふたりきりでいるときだけは単なる生真面目で脇が甘い等身大の青年というのは5話9話15話24話と一貫してずっとそう。つまりカラ松は兄弟の前では「帽子屋」で、帽子を脱ぐのはチビ太といるときだけ。売り物の帽子を被って、兄弟のために愉快なポエムキャラを演じている。もう彼の「時間」との友情は5話で死んだのに。

何故カラ松がキャラを演じているのかを突っ込むと話が長くなるので切り上げますが(またそのうち)、そのうえでこの帽子屋は「薔薇を塗った」。

「ペンキで塗られた薔薇」はハートの王国のために植えられた薔薇。赤薔薇を植えなくてはならなかったのに白薔薇を植えてしまったトランプ兵が慌てふためいてペンキで赤く塗ります。白薔薇を植えてしまったのは本人の不始末、つまりこのグッズにおいては「帽子屋が白薔薇を植え、それを赤とピンクイコールハートの王おそ松とアリストド松のために塗っている」「ここにあるのは白薔薇でしかないということを彼らの目に触れさせないために」。

23話で「昨日も一昨日も俺が灯油を入れた」と胸中で言っているカラ松はおそらく灯油切れの前に毎日毎日注ぎ足していたのではないか。そして兄弟の態度から察するに切れたらアイコンタクトで促しさえすればカラ松が入れてくれていた、ガソリンスタンドの場所もうろ覚えのチョロ松はもちろん灯油を買いに行ったことはおそらくない、それもカラ松が黙ってやっていた。「薔薇を塗っていた」のです。薔薇を塗る人間がいなくなったら単なる白薔薇が残るということを、そして23話でついに教え24話はペンキが剥がれ落ちていく世界だったわけです。その上で彼25話でしれっと「帽子を被って」帰ってきてわたしは悲鳴を上げましたがもう話長くなるからこの辺にするわ……。

なお帽子についてる10/6は10シリング6ペンスをしめしていて原作通りですが、10/6はおそ松さん放送開始日。あのさあ!

 

あとはまあだいたい見たまんまです。

チョロ松は時計を持った白うさぎ、ハートの王の忠実な配下にしてその生き方に少し無理を感じながらも忠実な配下であり続けている。「狂っていない時計」を持っている白うさぎは延々と時間と仕事に追われて汲々としており、いつも少し怯えている。それでもやっぱりチョロ松はおそ松の忠実な部下で、呼ばれたらあらゆるものを投げ捨てて帰ってくるのです。

一松はチェシャ猫であり同時に芋虫、どちらも世界を俯瞰し理解する観測者で、同時に世界のどこで行われているパーティーにも観測しかできず参加することができずただにやにや笑ってアリスに処世術や世界の真理を教えてやることしかできない。一松は結局人間の人生において主人公になることができない自分を自覚し、独り立ちの選択肢として「野良猫」の生活を経て「猫転換手術を受けたい」という結論を出し、チェシャ猫の生をその孤独も含めて全うしようとしている。

十四松は三月うさぎ、うかれて気が狂っているが、帽子屋の「狂った時計」に「最高のバター」を塗ることで修繕してやろうとする。寄り添い、与え、導こうとしてきた十四松が選んだ職業は「工場労働」、17話で「自我の本質とは何か」を考え、麻雀回でメンツの心理状態と行動を延々と分析してみせた十四松の本質は「知」であり、そして一松に「友情とは何か」「死とは何か」「自我とは何か」「動物を愛するとは何か」最終的には「灯油の買い方」まで導いて寄り添った十四松は結論として「最高のバターを作るために知と技術を結びつける」ことを選択した。個人に向き合うのではなくもっと大きなものに向き合うために。ところで十四松のほうは最終回辞めたとは一言も言ってないのでセンバツ中も普通に働いてた可能性も休職して戻れるようにしてあった可能性も大いにある……。

 

で、トド松がアリス。

アリスだけチェスの駒があるので『不思議』『鏡』両方踏まえた上でのアリス。アリスは主人公であり、冒険者であり放浪者であり迷子であり、地底や鏡の国といった反転世界における正しい振る舞いが分からないまま必死で歩き回ってあらゆる住民と対等に渡り歩いて謎めいた出来事を経験するストレンジャーであり、そして「全てを夢見ている現実そのもの、彼女の少女時代が終わるとき不思議の国は消える」存在です。「現実」への出口を必死で探してきたトド松はアリス。

でもおそ松さんは脱出したアリスが帰ってきて「不思議の国やっぱ楽しいね!」というところまでやったわけですが。

 

 

というわけでよくできたアリスパロでした。こんな原作設定に突っ込んだアリスパロなかなか見ないぞ……ありがとうございました……。

赤塚漫画の根底には「常識に向こうを張ってひっくり返す」があるわけで、アリスとうまくかみ合うのは確かなんだけど、これ誰が考えたんだ……いいアリスパロでした……。ボックス買います……。

 

というわけで松は描き下ろし絵もかなり攻めたものを突っ込んできていてよく悲鳴を上げていたんですがそういう話もそのうち……したほうがいいのか? 誰得なんだ?