おそ松さん最終回ありがとうございました!

松感想のエントリはもう二度と上げないと言ったが最終回があまりにも面白かったので、ギャグの解説という超野暮なことをやります。

うちのエントリで基本的にあのアニメのギャグについて触れなかったのはギャグの解説は野暮だと思っていたから(大阪吉本の追っかけをやっていた頃鍛え上げられた品格です)なんですが、あまりにも面白かったのでギャグの解説をやります。いい茶番だった!

 

兄だという理由でしか尊敬してもらえないしモテたいし俺が主人公なんですけどという絶望、石臼までぶつけられたし話全然聞いてもらえないのになんで兄弟のために黙って灯油入れてやんなきゃいけないんだろうもうヤダという絶望、せっかく恋愛して結婚までこぎつけたとしても相手に養われるだけの自分が無価値すぎるし推してたアイドルも引退したという絶望、2話から一貫して生きる気力のない燃えないゴミのままなんとなくやりすごして生きてきた絶望、いうほどの絶望というほどのことはないがいつも通り暴れてたらアッ僕でもキレられることもあるんすねすいません……、そして「兄さんたちに任せてちゃだめだ、みんな一緒に勝ち組になるために、とにかく合コン成功させなきゃ」というわりと的外れな救世主志向にめたくそに追い詰められた六つ子たちが選んだ選択、それはばらばらになって人生を見つめ直し、独り立ちしようと努力することだった――

そして奇跡の瞬間。

ひとり松野家に残ったおそ松が赤塚先生の遺影を見つめていたその時、

五人の弟たちは全員同時にオナニーをしていたのだった!

 

という理由でセンバツされたものと思われます。多胎児の共感覚ですね。

そして、六つ子という人数の多さと関係性、13話で示された彼らの大家族のくせに意外と潔癖な「オナニー見られたくないしオナネタばれるのもちょっと」という姿勢、あと別に広くもない住環境から、彼らが同時多発的にオナニーをしていることはおそらくこれまでなかったのではないかと思われます。

つまり別居しないとこれは成立しなかったのです。

超くだらない。最高。24話もかけて抑圧的な青春の逍遥を描いた壮大なオチがこれ。あとチョロ松は職場でオナニーなんかしてたら辞めなくてもクビになるのは時間の問題だよ! むしろ松蔵の体面は保たれたよ!

 

ラストで流れる第四銀河大付属高校校歌が、あからさまに「エロへのあまりにも純朴な憧れ」を歌い上げている通り、おそらくセンバツの理由は「魂のレベルで童貞であること」ではないかと推察できます。でも22話でおそ松が流れるような見事な手腕で女(※トド松)を押し倒して脱がせにかかった手管から見てあいつが童貞であってたまるか。譲って素人童貞ではあるかもしれないけど。というわけでこのアニメにおいて既に「童貞」という言葉は「セックスをしたことがない」という意味ではおそらくありません。

多分「少年であること」みたいな意味だと思います。

青春を生きること、未知への恐れと憧れを抱きながらそれゆえに怯えそれゆえに戦いあるいは全力で逃げること、それがここで言われるニートであり(ていうかあいつらはちょくちょくバイトしてるので厳密に言うと大分前からニートですらありません、だから定義が違うんだ)、童貞であり、純粋無垢であるということであり、つまり「大人になっても、やっぱりバカ」ということです。細かい話は長くなるので省きますが彼らは24話かけてあまりにも子供じみた純粋さで必死になっていたがゆえにお互いお互いの首を絞めあって出口のない迷宮に迷い込んでいたのであり、そしてそこからどうにか脱出できたからこそ帰ってこられた。バカとして。

本物のバカとして!

 

そしてずっと謎だった十四松の野球キャラの意味が解き明かされます。

選抜高校野球は青春のイコン。

野球は青春のメタファ。

 

そして最後の最後に明かされるさらに突っ込んだ野球の意味。

 

男根のメタファ

 

(※みんな大好きフロイト先生の、みんな大好きすぎて手垢にまみれ切ったミームです。分からない人は適当に調べてください)

ここまで精緻にメタファにメタファを重ねて自我の崩壊をテキストレベルで描いたり自意識の具現化をやったりしてきたアニメのオチが男根のメタファ!

超くだらない。最高。23話で口唇期から肛門期までやったのでこれでついに男根期まで到達できたのではないか! うるせーよ!

 

話としては、「兄弟仲が別にさほど良くないし支え合う気とか実は全然ないことも受け入れた。身内や好きな女子に頭を下げて頼って仲間になってもらった。やりたいことは暴力で解決した。憧れのあの子と一発やりたい、見るだけでもいい。そして暴力と暴力がぶつかり合って普通に負けた。青春は美しい!」って話なんだけれどもこれべつに勝っても負けても童貞なんですよね(四銀の校歌完全にそういう内容だもの……)。そして「トト子ちゃんとセックス」というのは「いわゆる性行為」を指しているわけではなくて、じゃあ何なんだって言われたらあれですけど、幼馴染の憧れの女の子の肉体の神秘に触れるとか、なんていうか普通の意味での肉体交渉じゃないのはわかりきってるだろ! なんか……向こう側に行けるんだよ! それが成熟ということかどうかはともかくとして! そしてそれは永遠に完遂されない夢であったほうが絶対にいいんだ! そして成熟であるかどうかはともかく彼らは確実に成長をしたんだよ! 成長譚なんだ! 王道アッパレ!

 

いい話だった。

 

観おわったあとぽろっと「これでいいんだ」と言っていて、言ったあとで爆笑しました。これでいいんですね、赤塚先生、藤田監督。人生なんて酒飲んで笑ってムカついたら喧嘩してエロいこと考えて欲しいものがあるなら全力出して勝っても負けても死ぬまで生きるだけ!

 

25話最高だったし、おそ松さんは最高だったし、全部最高で、めちゃくちゃいいアニメだったんだけど、ひとつだけ挙げるなら、アイダとサチコが延々と準レギュラーみたいな顔してしれっと出続けてくれて結局最後は野球やって宇宙まで付き合ってくれたことが本当にうれしかったです。

アイダとサチコはカラ松が井の頭公園で逆ナン待ちしてチラ見して「キモッ」って言ってた女子で、ていうかアイダとサチコという名前自体カラ松が勝手につけた名前で多分本名じゃないんですが、彼女たちがあの話の中でアイダとサチコとして定義されている(18話でメタ的に呼ばれていた)以上、彼女たちは(本人は一切知らぬまま)カラ松ガールであり、しかし本人たちの六つ子との関係性としてはトド松の元同僚で多分友達なんでしょう。別に六つ子に性的な関心は持ってなさそうだけど、トド松に合コンに呼ばれたら結局来てくれるし、面白い連中だとは思ってるんじゃないのかな、宇宙まで一緒に来てくれるくらいだし、そもそも主人公争奪レースに参加するくらいだし、彼女たちもそこそこ「バカ」なんでしょう。天上人、リア充、勝ち組と呼ばれ恐れ憧れられていた彼女たちだって、実は全然フツーの、バカやって笑いたい現代の青年に過ぎないんだよ。

2016年です。ろくな仕事はないし仕事についてもブラック企業ばっかり、メンタルを病んでもたいした保障もない、親の老後をどうにかする金だってない、働きたくないし一生遊んで暮らしたいし誰かに養われてぬくぬく楽しいことだけやりたい、というか、必死に生きるか何もしないかの二択しかないみたいな時代だ。外の世界がこわくてしかたないのはみんな一緒、金持ってる連中は金持つために必死で働いてるだけ。でも「外の世界」なんてどこにあるんだ? みんな怖くて卓返しがしたいだけだよ、きゃんきゃん喚くのも怖いだけ、宇宙レベルで言ったらささいなこと。

バカでいいよと言ってくれたおそ松さんは現代の処方箋のように誠実なアニメでした。バカの人生は割りを食うかもしれないけど、でも、楽しきゃそれでいいじゃないか。逃げても逃げなくてもいいよ、でも、逃げなかったらもしかしたら、すごくいいものが転がってくるかもしれないよ。

少なくともおそ松さんを作った人たちはたくさんお金が儲かって、我々は24話楽しく観たご褒美に、最高の最終回がもらえたわけです。

 

本当に楽しかった。ありがとうございました!

 

なお作品分析の突っ込んだやつはうまく書けそうならnoteあたりに有料で投げる予定です。有料で投げるのはたかがアニメの感想ごときでサイコパスとか言われるのうんざりだからだよ! せめて金払ってから言え! その時はよろしくお願いします。あまりにも情報量が多いアニメでどこから手をつけたらいいかさっぱりわからない! たぶん十万字くらい書いてしまうと思う! こわい!

 

あ、あと両親が「こんなんもうどうでもいいや、家帰ってセックスしようぜ」つって子離れしたのもすごくよかった。最高。松代と松蔵だって四十そこそこでしょ、人生これからだよ!