そして、誰が松野カラ松を殺したか

昨日昼に配信を観てからずっと泣いているので文章が多少ウェットになることをお許しください。

松野カラ松さん、ご結婚おめでとうございます。おそらく長くはない結婚生活であろうとは察せられますが、ご多幸をお祈りいたします。

 

15話Cパート「チビ太の花の命」はいわゆる「隣の爺型民話」です。瘤取り翁や花咲爺といった有名な作品形態に見られるように、「善人の主人公が善意からの行いから幸福を授かり、それを見ていた隣の爺が真似をした結果、破滅する」という形態を取っています。

しかしこの物語は、というか、ここで「隣の爺」として登場するカラ松はこれまで、「なぜ、純粋な善意と愛の世界に生きられなかったのか」というところを突っ込んで描いている、というか、描いてしまいました。

 

おでんを自分の人生の全てとして情熱を注ぎ、そしておでんの製作に煮詰まったチビ太はふと道端に咲く枯れかけた花に目を止め、「なんでこんなところに咲いちまったんだ」「でもおいらもおんなじ、ずーっとひとりぼっちさ」と言いながら花に水をやります。

翌日チビ太のもとに美しい少女が現れ、「自分は花の精だ」と名乗り、チビ太をデートに誘います。彼らは幸福な時間を過ごし、そして彼女は消えてゆきます。

消える間際チビ太は「おまえがいればおでんなんかもういいんだ」と言い、そうして彼女は「やった、おでんに勝った、でもチビ太さんは銀河一のおでんを作るんだから」と言って消えました。チビ太が走って見に行くと、花はもう枯れていました。

そしてチビ太のおでんは「少ししょっぱくなった」。

 

一方、チビ太の迷走に共感を抱きそのことをおそらくチビ太に伝えようと兄弟を離れてひとりでチビ太を追ったカラ松はチビ太の「ずっとひとりぼっち」という述懐を聞いてしまい、そしてそのあともチビ太の様子をうかがっていた結果、チビ太が「花に親切にしたら、愛された」ということを知ってしまいます。

それにかつてないほどのショックを受けた(おそらくそこには嫉妬と憎悪が含まれているというふうに読み取れます)カラ松は、自分も枯れかけた花を見つけ、それに酒を注ぎました。

その結果、カラ松は「ずっとそばにいてくれないと死ぬと喚く醜い女」を手に入れ、彼女との関係に完全に充足し、結婚に至ります。

兄弟たちは動揺し、一応それを止めようとします(ものすごく珍しくカラ松に話しかけました)が、カラ松が「寂しがり屋だから守ってやらないと」と言って彼女のために奔走する姿を見て、それ以上関わることをやめ、結婚式には列席していません。

そしてカラ松の選んだ花はおぞましいモンスターとして咲き誇り、近隣住民に被害を与えました。

 

かつて「女」は「客体」でした。しかしこの物語において、「女」はもはや「鏡」です。それは当然で、ここにいる彼女たちは「彼らに吹き込まれた命」を生きているのであり、花の精たちは、彼らの自覚すらしていないレベルでの「求めていること」です。

チビ太が欲しかったのは本当は完璧なおでんではありません。彼が完璧なおでんに見出していたのは「子供の頃彼を救ってくれたのはおでんだったから」であり、彼が欲しかったのは友達であり恋人であり家族であり共に過ごしてくれる仲間でありおでんで救うことができるはずのかつての自分であり、彼の孤独を癒してくれる誰かです。だからチビ太の花の精は「チビ太が言うことができないチビ太のための言葉」を紡いでくれる。そうしてチビ太は言ってしまった。あれほど縋ってそれ以外なかったはずのおでんを、「おまえがいればおでんなんかなくてもいい」と言ってしまった。

結局作り物の命は作り物の命でしかなく、消えていくのに。

孤独であることにもう耐えられないということに今更気づいたって、どうしようもないのに。

そうしてチビ太のおでんはもう「完璧」を目指すことはなくなり、「腕落ちたな」「そうかもな」。チビ太はおでんへの情熱を失いました。本当に欲しいものに気づいてしまったから。

 

そして花の精が男の願望を吹き込まれた鏡の向こうの彼である以上、寂しい、死ぬ、もっと愛してと喚く、カラ松の花の精ももちろん、そのままカラ松の欲望そのものです。

そしてそのことはもうずっと、示唆されていました。

15話は、ずっと兄弟をそしてそれ以外の全ての人間、かつて泣きわめくところを見せざるを得なかったチビ太以外の全ての人間を相手取ってカッコイイ演技を続けていて愚痴ひとつ言わず涙をこぼさずなにを欲求することもなかったカラ松が、ついに舞台から降りてひとりの青年として兄弟に向き合った話です。

かつて五話で顧みられることがなかったカラ松は、それまで無根拠に信じていた「なにをしても愛されるはずだという確信」を捨て、「適切な振舞い」を模索しました。そしてそれでもだめだとわかったとき、10話でカラ松はおそ松に「どこを直したらいいのか言ってくれ」と頼み、また13話でも「不満があったら言ってくれ」と言った。そしておそ松は「別に変わらなくていい」と言い、兄弟は彼に不満を伝えることはありませんでした。14話では「欲しいものがあるなら用意する」と言い、その返事もなく、「怪我をした」「ちょっと前には実はもっとひどい怪我もした」とアピールしてもスルーされ、勇気を出して「兄弟ランキングの順位を教えてくれ」と言って「一位だよ」というあからさまな口先だけの答えを貰ったのが、彼のこのアニメで最も顧みられた瞬間です。

「一緒にいてくれないと死ぬ」「俺がそばにいてやらないと、寂しがり屋なんだ」「絶対に別れない」

「最後まで実家から離れないぜ」

カラ松のファッションセンスは多少微妙であるとしてもそれはそれでひとつの世界観として完結していました。10話で彼が着ていた彼の顔のついたタンクトップは違います。あれは完全な逸脱であり狂気でした。その完全な逸脱のなかにある「俺を見てくれ」という絶叫は誰にも聞こえない。もう誰も彼の言葉を聞いてなどいないからです。

「俺を見てくれ」「俺の態度が悪かったのなら改める」「もっと面白いことを言うから」「悪いところがあるなら直すから言ってくれ」「欲しいものはないか」「怪我をしたんだ」あらゆる彼の声はもう誰にも聞こえないか、聞こえていても罵倒されて否定されるだけです。たしかにトド松は彼に向き合っている。一松だってずいぶん寄り添った。でもカラ松には彼らが何を言っているか理解できない。「わかるように言ってくれないから、ひどいことを言われているようにしか聞こえないから、愛されていると思えないから」。

カラ松は14話で、風と空と日光を賛美しそれを愛することができる自分を肯定し、音楽を作ろうとしました。

カラ松は「世界の全ては全て存在しているだけで美しい」という場所に、14話で至っていた。クズの兄弟を絶対に否定することがなく愛し続けた彼が至る境地としては極めて自然です。そして彼はそれから音楽を感じ取ることができる「芸術家」になりました。

だからもちろん、兄弟たちには見るもおぞましい存在として映るカラ松の花の精は、カラ松にとってなにひとつ醜い部分のない、完璧に美しい理想の女だったのです。

 

追い詰められたチビ太は兄弟たちに空の皿をわたし、言いました。

「最高のおでんはみんなの心の中にあります」

そしてカラ松はただひとりそれに「なるほど」と答えた。

 

花との恋、心の中にあるおでん、ここから『星の王子さま』を引くのは自然な流れと言ってもよいのではないか。本当に大切なものは、目には見えないのです。カラ松の愛が外側から見てどれだけ歪んで醜く間違っているとしても、そもそもカラ松の言葉を聞くことができずカラ松から目を逸らし続けてきた兄弟たちに、彼女が「見える」わけがない。

本当に醜いものはいったい何だったのか。

少なくともカラ松が必要だと声高に言い続ける花の精と、カラ松を無視し続けてきた兄弟の、どちらが醜いのか、少なくともカラ松にとって、どちらが本当の愛だったのか。

 

そして同時に、カラ松のなかで吐き出されることなく閉じ込められてきた出口のない愛と承認欲求が、醜い形で噴き出したとしてもそれは当然のことです。抑圧されて傷ついたままずっと聖人のように振る舞ってきたカラ松が、ようやく、兄弟に反論をした。いつも兄弟に流されるままで、ファッションくらいしか押し通さずに来たカラ松が、ようやく兄弟と、ごくふつうに、演技をせずにあたりまえの青年のように会話をした。

「そばにいてやらないと。さびしがり屋なんだ」

あの子には俺が必要なんだよ。おまえたちには全然必要ない俺が。

 

枯れるしかなかったチビ太の花の精の本体はチビ太が孤独を受け入れて愛を諦め続けてきた結果注げなかった愛の量であり、そしておぞましいモンスターのかたちに成長したカラ松の花の精の本体はカラ松の暴走する愛の全てです。カラ松の中に出口なく蓄積された膨大なカラ松の愛を花の精は全て吸い上げ、結婚式場でカラ松は白目をむいて我を失っています。カラ松の中には愛しかなかった。そしてそれは全部花にやった。なにもなくなった。これをもって松野カラ松を終演いたします。見てくれ、これが俺の愛だ、とても醜くて、手に負えないだろう?

おまえたちが受け取ってくれなかったからだよ。

 

そして、チビ太の花の精の振舞いから察するに、「水」しか摂取できないらしい花の精に対して、「酒」と「一時間ごとに与えるバーゲンダッツ」という「過度の栄養」を与えているカラ松は、おそらく近い将来、根腐れを起こして花を枯らせるでしょう。

カラ松の愛はもうじき枯れます。からっぽのカラ松だけが残りました。もうカラ松は家族に愛されない自分を、自分が本当は何を求めているかを、知っています。舞台は終わりました。劇場に誰もいなかったことを、カラ松はいったいいつから知っていたんだろう。

 

さようなら、わたしたちの舞台俳優、顧みられないヒーロー、松野カラ松。おまえは自分に対する無根拠な過度の評価と現実のずれにも、愛とは前提的に与えられるものではないという現実にも、自分の中にある愛されたいという醜い欲望にも、暴走する愛にも、ちゃんと向き合った上で世界を肯定したまま彼岸に嫁いだ。もう松野家の人間じゃない、彼岸の眷属だ。おまえは世界がこれ以上醜くなる前に自分で自分の愛に向き直ってその醜さも含めて抱きしめて、誰にも「おまえが憎い、おまえのせいだ」なんて言わずに、ひとりで自分を抱えて、俳優としての自分を殺した。おまえはちゃんとスーパースターだったよ。

これは自殺です。彼は彼の愛と心中しました。誰もいない教会で。

 

 

というわけで、来週から、愛なき松野カラ松を期待しているのですが、6話という前例があるので、ここまで来ても来週しれっと元通り愛してるぜブラザー☆って言ってたらそれはそれで地獄だなって……。

わたしはいいかげんカラ松の復讐が見たい。5話からずっと見たい。8話で見せた血も涙もないマジレスで兄弟を殺していくところを見たい。