腹を括って無職をやっています

7時 起床 TLを追って昨日Twitterで何を喋ったか読み返して、家事

8時 やるべき作業をリストアップして、なにか文章を書く気があれば文章を書く

9時 野菜を炒める

10時 悶々と資料なり参考文献なりを読む

11時 「とりあえず今日も午前中に何かできたわけだから……」と自分に言い聞かせる

12時 pixivを眺めて拝む

13時 今後の展望などをうだうだとググったりサイト構成をどうしようか悩んだり文章を書いたり軽率にブログエントリを投げたりする

14時 眠くなってきた

15時 おなかすいた

16時 晩御飯について考えている

17時 八百屋を覗きに行く 蕪19円

18時 野菜を炒める

19時 関わってる企画関係の作業

20時 頭が痛くなってきた

21時 カラ松のことを考えて泣く

22時 就寝

 

というような生活を(BGMにおそ松さんを流しながら)送っています。

 

無職だという話は以前した気がしますが、どうして無職なのかという話はしたんだっけ……した気もするけど……。

25歳の冬に、パニック障害の発作を起こしました。

当時図書館の非正規雇用にありついていて、まあ非正規雇用ですが一応司書を志し(司書正規雇用は狭き門である)学生時代のアルバイトも司書だったわたしとしてはやった! と思っていて実際仕事楽しかったんですが、業務は古くて狭い事務所、基本的に電気を手元しかつけない閉架、地下倉庫、の移動によって成り立っており(カウンター業務もありましたが)、その業務に不満があったわけではないと思っていたんですが、ある日唐突に地下倉庫で「閉じ込められる!」という妄想に取りつかれて立っていられなくなりました。

以後図書館に限らず本がたくさんあるところは結構苦手です。あと窓のない部屋と狭い部屋と天井の低い部屋、出口が見えるところにない部屋がものすごくこわい。治療を始めて6年は経ってるはずなんですがいまひとつ良い方向に向かっていません。

でもこれは図書館がどう職場がどうという話ではなくて、そもそもがそういう傾向はあって、「杞憂」という故事がありますが、これは完全に不安神経症の人間の考え方だと思う。わたしが「空が落ちてくる」という感覚を得たのはたしか14歳の時です。14歳のわたしは、「空が落ちてきそうになったら、しゃがんで頭を抱えていれば大丈夫、そのうち収まるし、だいたい落ちてきたからって、別に死ぬだけ」という結論に至りました。そして空が落ちてくる恐怖に耐えていました。

「わたしの世界では空は落ちてくるもの」という前提はそもそもあって、十年後にそれがもっと具体的なかたちに焦点化しただけです。たぶん治療を始める前からずっと不安神経症だった。

 

というわけで選ぶべき職場がめちゃくちゃ限られるようになりました。

とりあえず図書館は辞めた(というか雇用が切れた)んですが、そのあとは飲食店で働いていて(飲食店は窓が多い店が多い)、前職の話はどっかでしたっけ……ブログではしてない気がする……ほとんど店をひとりで任されるみたいな状態になったりもしたんですがその店はなくなりました。そしてわたしは一念発起して飲食で何十年もやってけねーぞ! と思い、職業訓練校でMOS対策講座を三か月受けてきました。授業はすごく楽しかったです。

でも教室めっちゃ狭くて窓なかった。

 

わたしはクラスのあるビルの前で立ち尽くしているところを講師につかまり「すいません落ち着いたら上がります……」といいながら真夏の広島で途方に暮れ、結局欠席日数ぎりぎりまでそれを続けました。

 

いや事務員とか無理ではないか。

窓がない部屋がだめですとか面接で言っても通らなくないか。

というか事務員に限らず飲食の頃だってもっと言えばその前の工場勤務の頃だって仕事中唐突な発作に襲われて仕事にならなくなるということはしょっちゅうあり、結果ミスを連発してどんどん仕事にならなくなって鬱になり辞めるという悪循環のなかにいたのであり、閉所恐怖に蓋をして仕事につくところまではまあ別にできなくはないと思う、正規雇用かどうかはともかく、どうにか何らかの仕事にはありついて数万稼ぐのは不可能ではないと思う、でもそれ、根本的に何の解決にもなってなくないか。でも働かないと死ぬというか、家賃が三万三千円で光熱費食費込みでだいたい一万円くらい、あと通信費でまあ五万あればカツカツ生きていけるわけですが少なくともそれを調達しなくてはならない。

という状況下にいました。わたしは正直実家にいても発作を起こす段階にいたので家を出て一人暮らしを始めて(窓が多くて窓の前が開けていてかつ外から見えないという理由で部屋を選びました)、二か月くらいかけてようやく自宅に慣れてきちんと眠れるようになりました。ていうか今でも音楽なりアニメなり鳴らさずに寝られない、聴いてると楽しいからじゃなくて意識を飛ばさないと寝られないからです。いやこれマジ無理ではないか。自分ひとりしかいない自分のために作った環境ですら、建物の中に長時間いることに怯えずに生活するのに二か月。近所のTSUTAYAが薄暗くて怖いのでいまだに入ったことない。

就活をしていると、「いやこれ無理だろ」「まあでもここで一発キメさえすれば、適当なことを言って糊塗できる、口だけはうまいんだから」「嘘じゃん」「嘘ではないじゃんできるって言うだけじゃん」「でもこれ無理だろ、結局できないんじゃん」「できないできない言ってたらできることもできないだろ」「おまえもういいかげん働いてはメンタル病んで十年超えてんのに根性論でどうにかできるといまだに思ってんの!?」という、面接で何が言われるかとかそういうことではなくて、わたしはヘラヘラ笑って適当なことを言うのだけは(きちんと集中してさえいれば)うまいので面接自体はさほど怖くないんですが、まあ経歴考えたら落として当然の惨憺たる職歴なので落ちることももはやさほど怖くないんですが、「でもおまえ結局嘘言ってるじゃん」、こればっかりはどうしようもない。

嘘ではないよ。大卒なのは本当だし職歴も本当のことを書いている。

ただ職場で唐突にパニックになって泣き出したり、全く理由はないけど今日はビルに入れないという日が発生して仕事に穴をあける危険性があるということを黙ってるだけです。

黙ってたら駄目だろう。でも黙ってないでどうやって就活するんだ?

 

友人といろいろ喋っていて指摘されたんですが、わたし六つ子の中ではトド松に似ている。あそこまでドライにビジネスチャンスを狙う能力はないけども、口がうまくてヘラヘラしていて、そして末っ子で嘘つきです。いや経歴の詐称はしてないし嘘をついているわけじゃないんだ。ただ黙ってるだけで。

でもわたしの生活において「もはや建物が怖い」というのは根本的な問題でありたぶんそれを隠して職を得たらまた唐突に仕事に穴を開けてミスを連発しという状況になるのはわかりきっています。

じゃあどうするんだ?

 

とにかくとりあえず短期でもバイトを見つけて働くしかないという貯金残高まで到達していたのですが、新年に母に会ったら母が言いました。

「一か月何万要るの」

「五万」

「ここに税金対策の生前分与金のあなたの分があるんだけど、五万ずつ毎月そこから振り込めばいい?」

母よ。

 

この対話に至るまでには前後の文脈があり、わたしの兄という天衣無縫なキャラクターの長年にわたる行為があり、わたしの兄は結構面白い人なのですがその話はやめておきます。ポイントは「兄に三女が生まれて援助をするために金を渡すという流れ」「母は兄弟全員に金を平等に分配したいという前提」「そのへんの流れにおいてあった色々」を経て、「とりあえず一年、仕送り(という名前のついた生前分与)」が行われることになったということです。

31歳……。

仕送り……。

 

すいません……。

 

しかし今、わたしいまだかつてなく「文章が書けている」し、「読者がついている」状態なので、もちろんそれでやっていくのはめちゃくちゃ困難だということはわかっているんですが、チャンスがあるとしたら今年しかない。

というわけで開き直って閉所恐怖と就活のことは一旦棚上げし、一年間という約束でお金を受け取って、真面目に文章を書くことに向き合うことにしました。

頑張ります。