今後の展望のようなもの

いろいろなことをどうとかしてこの手の話題に強い友人をおそ松さんに引きずり込みまして、色々と知見があったんですが、年始寝込んでいたせいでなにひとつ捗っていません。

あと冬コミもありましたなにひとつ捗っていません。

あと、ばたばたと赤塚不二夫作家史をつついたりしていて、色々と知見はあったんですが、捗っていません。

捗っていないうちに大晦日、監督の藤田さんが爆弾を……。りんごとざくろといえばキリスト教における禁断の果実です。えっりんごってそういうこと!? なんで一松!? なんで一松ひっくり返ってんの!?

とか言ってるうちに翌1日には公式サイトのお年始イラストがアップされ、七福神でした。

えっ宗教ネタでつつくの解禁なの!? と言いながら風邪で寝込んでるついでに必死でググってるうちにおそ松さん新オープニングが来ました。

 

神話だった。

 

とにかく神話からつつくのが解禁になったということはわかったんですが(いくらでも恣意的なことが言えるので今まで我慢してたんですけど解禁になったと言っていいと思うんですが)、神話からつつくのが解禁になったとなると死ぬほど資料を読まなくてはならないのでそのへんをつつくのは、えーと間に合ったときに随時上げます。

 

資料ちゃんと読めてないのでうろ覚えの記憶とネットから拾った情報で喋ってますけど、雑感としては、

・冬コミ

イヤミセンターやトト子ちゃんを端に含む場合の六つ子並び絵で、一松チョロ松カラ松おそ松十四松トド松という並び(上ふたりがイヤミを挟んでセンターに並んで脇に真ん中ふたり・下ふたりが続く)になる場合、ひとり外部の人間を含めばセンターが作れておさまりがよいところを、冬コミでは外部の人間を外した状態で使われていて、おそ松をセンターに一松が漏れる(シェー!のポーズは一松だけ小さいので、ますます漏れているように見える)→13話でチョロ松が「6はセンターが作れなくておさまりが悪い」と発言、しかもチョロ松は「自分より下がひとり減れば自分がセンター」とイメージしている

 

・赤塚史

1、『おそ松くん』は『ひみつのアッコちゃん』と並ぶ赤塚不二夫最初のヒット作とされるが、そのタイトルロールである松野兄弟は『おそ松くん』の主人公としては次第に追いやられ、イヤミとチビ太がメインキャラとして扱われるようになる。更に、赤塚不二夫のキャラクターで最も有名なキャラクターといえば『おそ松くん』のあとに始まった『天才バカボン』のバカボンのパパであり、『おそ松さん』作中においても、赤塚不二夫自身バカボンのパパの服装を模した姿で描かれている。六つ子のキャラクターとしての歴史はそもそも転落の歴史であり、彼らはずっと「モブキャラ」としての生を生きてきた。

2、おそ松がたびたび引用する「これでいいのだ」はバカボンのパパの台詞であり、カラ松の手鏡はアッコちゃんのコンパクトを想起させる。兄弟にとって大切な存在として描かれる「猫」は『もーれつア太郎』のニャロメであり、つまり六つ子は(少なくともその中の数人は)、これまでヒットメーカーとなった赤塚キャラクターの模倣をすることで生き延びようとしている可能性がある。

 

・キリスト教

りんごおよびざくろはキリスト教における禁断の果実、魚はキリスト教徒を示すモチーフ、ワインは聖書において多用されるが風呂上がりのカラ松とともに想起されるのは「キリストの血」であり聖餐式、つまり「洗礼」と「祈りを与える」「感謝する」こと。鳥は「聖霊」。猫は「異教徒」。これまで災厄の形をしていると思われた「鳥」たちが「聖霊」であり、磔刑に合い追放を受けたカラ松が「子」であるとして、「父」は赤塚先生か。「猫」という「異教徒」であるはずの一松が「鳥」を吐くのは、また一松が「禁断の果実」であるとして、それがひっくり返っているのは何故か。

 

・七福神

おそ松=大黒天、カラ松=毘沙門天、チョロ松=福禄寿、一松=寿老人、十四松=布袋尊、トド松=恵比寿、トト子ちゃん=弁天。

1、弁天は財産を司る女神であり、水辺の神。2話で釣り堀から登場した女神は「家宝」を与え、カラ松が2話でカラ松ガールを待っていたのが井の頭公園(井の頭弁財天がある)、繁盛している魚屋の娘であるトト子ちゃんは魚アイドルを目指す。この物語において女と金と水は同一視される。

2、毘沙門天(財宝神に武神の意味が加わり、その後無病息災を願う意味も加わる)と恵比寿(「漂流し流れ着く富」の神格化)は同一視され、恵比寿は七福神中唯一の日本古来の神。

3、福禄寿と寿老人は同体異名とされることが多く、寿老人を外して全く違う神を七福神に数えることが多くある

突っ込んだらきりがないんですけど気になっているのはこのへんです。

 

・全力バタンキューアニメーション

9話で語られた「おでんの歴史」の神話的描写、および、「原始人の六つ子がF6モーションを経て火を得る」神話の描写。「火を得る人類」は全世界にある神話類型で、しばしば「人類は神から火という文明を手に入れたが、神からの寵愛を失う・争いを起こし戦争に至るといった代償も得た」という形態をとる。

 

・あと宿題

おそ松さんにおける猫の解釈と一松、にゃーちゃん、エスパーニャンコ

青色主線と死後の世界、カラ松のドクロとの関連性

なんかほかにもあったような気が……。

 

というようなことをうだうだつつきながら雑誌と資料の山を崩して呻いています。なんか思い出したらこのページにしれっと追加しておきます……。楽しいです。ワイワイ!

しかし「情報量! 情報量ー!!」という感じだ。

 

まああの、とりあえず、7話で返り咲いたと思ったら8話以降カラ松にほとんどスルーされ(確認したら9話でちゃんと喧嘩をしていたんですが、逆に言うと5話以降カラ松のマウントが取れたことがない)、11話ではもはやカラ松の「ある種の暴力」に対して震えて泣くしかなくなっているという弱体化の一途を辿って、すっかり機能しなくなっている一松ですが、13話でトド松の追放を補強しようとしたら逆に蹴り返されてろくにマウントが取れなかったこともあり、このへんの情報をざっと見ただけでもどうも「一松追放は既定路線」という風に見える。

しかし9話あたりでようやく「この兄弟を支配しているのは本当は一松で一松の武力制圧によって松野兄弟は成り立っている」という文章を書けたというのに、11話ではもう転落が始まり13話でついにあの日きっちりシメたはずだったトド松にエスパーニャンコのことを持ち出されてしまい、展開の早いアニメだ……。

 

あとこれは普通の感想なんですが(ふだんのも普通の感想ですけど……)、「不満があれば言っていいんだぜ」からの、喧嘩に加わらず片目で兄弟の喧嘩を眺めて目を閉じて微笑むカラ松に「せ、成長したな……!」と思いました……。というか他の兄弟が2話の頃からろくに進歩していないのに比べて(一松は仮面が剥がれてしまったせいで丸くなりすぎでむしろ退化している)カラ松ひとりだけ成長しすぎでは……。「平等神話」が壊れて、カラ松から世界が崩壊するのでは……。

 

バタンキューのアニメーションめちゃくちゃよかったです。50回くらい観ました。めちゃくちゃよかったです。泣いた。