2.5次元のBL創作の話題で腐女子が煽られてるとモヤモヤするという話

Twitterでうだうだ言ってた時は三次元と2.5次元つってたんですが、三次元というかリアルパーソンというかナマモノというか、そっちだといろいろと違ってくるんじゃねーかという気がしたので、2.5次元の話ということに限定しておきます。が、どっちにしろわたしは外野の人間で、2.5次元をふらふらすることはあるにしてもなんとなくめんどくせえなあと思ってあまり深くは触れてないという程度の立場の人間なので、区分が明瞭に体感できてないところはあると思います。あらかじめ謝っておきます。すいません。

あと怒られるかもしれないので事前に言っておきますがべつに当該ジャンルの人に対して喧嘩を売りたいわけではないです。ただの雑感ていうか、ナマモノ半生周辺を中心に腐女子の自浄圧力が出ると、腐女子は理屈が通ってないしおかしいし他人の発言の自由を制限するのは間違っているみたいな話が出てきて、それはわたしも思うんだけど、それはそれとして隠れたい人間が隠れていたい理屈も経緯もわかる部分もうっすらとではあるけどいろいろな歴史を聞いたような気もするしみたいなところがあって、なんかこう、いや、言いたいことはわかるんだよ、わかるんだけどさあ、あのさあ……みたいなところがあってこう……。

という文章です。

なにが言いたいのかっていうと、2.5次元のBL二次創作(特にBL二次創作に限定する)に関しては、「中の人に失礼でしょ!?」じゃなくて、「創作をやってる我々が、向こうとのあれこれにおいて、色々と微妙な歴史があるので、勘弁してくれ」つってくれないと、外野からしたらなにがそんなあれなのかわかんないんですよ。BLじゃなくて男女のあれこれに関しては完全にオープン(たとえば朝ドラのメインカップルのファンフィクションがばんばん流れてくる)であるという印象が、あくまでも外野からではあるけど外野から見てると感じられるので、BLに限定する、ナマモノ百合のことはよく知らない。

この話題に関しては、「中の人に失礼だから」「中の人が傷つくから」「中の人に敬意を払うべきだから」その問題はアンタッチャブルだ、という言説を、ほんとよく見かけるんだけど、「中の人が本当に傷つくのかどうか」ということと、「傷つけることをどうやって回避するか」ということと、「回避策を全員が守らなくてはならないかどうか」ということは全然別の問題なわけで、「中の人が傷つくかもしれないから、傷つくことを回避するために、生身の人間で、BLの妄想をしているということを、表に出してはいけない、それをあなたも、みんなが、守らなくてはならない」というのは理屈としては通らない。 「本人を傷つけるからおまえは引っ込め」「作者を傷つけるからおまえは引っ込め」って話題になると「傷つけるリスクを負うのはおまえじゃねーんだよ!一人で加害者意識背負って創作やってろ!」としか言えない、論点は確実にそこじゃない、なんで加害者意識が前提になってんだということになる。

これが「実際に中の人が、傷ついた、とても不愉快だと声明を出した」とか、「不利益を蒙っているので問題があると声明が出た」とか「同人誌を実際に中の人が買ってイベントなり番組なりに持ち出されてしまった過去があるので慎重にふるまった方が良い」とか、そういう歴史があるから、という前提があるのであれば、あるいは「とくに何かもめたわけではないけど、中の人とは距離をおいて、穏やかに創作をやりたい」っていうのもあるだろう、それなら話は別で、べつに理屈は通る。ていうか、だいたいそういう、具体的によくわかる事例が前提としてあって形成されていった文化なんじゃねーかなと外野から見てる範囲では、思います。違ったらごめんね。

誤解のないようにしたいんですが、これは「だから公式に問い合わせてBLやってもいいか聞け、白黒はっきりつけてこい」って話ではありません。しなくていいです。公式も聞かれてもわりと困ると思います。

「俺らもいろいろあってしんどいんだよ、色々と微妙なんだよ、静かに楽しく創作やらせてくれよ、勘弁してくれ、外野は黙ってろ」ってんなら、悪かったよ、頑張れよって話でしかないわけで、ただ持ち出す理屈があまりにも意味わかんないと、いや、中の人間には意味わかるのかもしれないけど外野から見てあまりにも意味わかんないと、「おい相変わらず意味わかんないルール守ってるぞ、馬鹿だよなあいつら」って話にさあ……なってさあ……盛り上がるんだよ……インターネットが……。

久しぶりにそういうネタで盛り上がってるところをTwitterで数日間眺めていたのでしんどいなーって思って、よせばいいのにこの文章書いてます。ナマモノ半生にかみつくとあとあと面倒臭いのは知っています。でもなんかあまりにもやりきれないのでこの文章を書いています。

「ルール」というものが、どういう経緯で発生して、どういう歴史があるからそれを守らなくてはならなくて、それを守ることでなにが守られているのかということ、大事に守ってきたものがある、これからも守っていきたいと思っている、それはわかる。わかると思う。でもですね、めんどうだとは思うけれどそれを都度、都度、歴史と文化と経緯を冷静に説明していかないと、その文化は継承されません。ていうか、説明しても、継承されるとは限りません。その理屈で通るのか、どうやったらわかってもらえるのか、わかってもらって自分の大切な楽しい空間をどうやって守っていけばいいのか、その都度考えて伝えていかないとそれは守られないと思うんだよ。

そして同時に、時代が移り変わっていくということ、情勢が変わっていくということを、ある程度受け入れていくしかないと思うんだよ……。これはあくまでも外野からの意見ですけど、三次元のことはまあともかく、こんだけブロマンスはやってて作品ばんばん作られてんのに半生隠れようみたいなの、そろそろもう時代遅れなんじゃねえのかなあとははたからみてても思うぞ……。

 

ただ、こういう文章を書いたから「フーンなるほどね、考え改めるわ」ってことにはなんねーだろうなっていうのはわかってて、これからもしばらく(半生がどうこうに限らず)一定量の腐女子は隠れていくし隠れる権利がもちろんあるし、でも「隠れないことで生じるリスクがまだあまりにも多い」っていうのは実際あるんだろうな、悲しいことだなーと思います。べつに「BLが好きで、男二人のイチャイチャを考えるのが好きで、エッチな妄想が含まれることもあるよ」っていうだけのことで、無害なのにね。

結局のところ「腐女子という生き方」ってまだまだぜんぜん差別されてて、それは非腐がどうこうってことだけじゃなくて、当人の側にもそれは明確にあるんだよなっていうのはいつもすごく思います。BLはやばくて男女は全然問題にならない、っていうのは、結局のところホモフォビアの問題じゃねーかと思うし……。

「腐女子という生き方」に対するノイズ、ホモフォビアと、ミソジニーと、貞女幻想と、あとモノガミーとか儒教とかもたぶん絡んできててめちゃくちゃめんどくさそうだなというのは、それについて六年くらい考えてて思うことです。

「同性愛は気持ち悪い」「同性愛を面白がる女気持ち悪い」「同性愛をおもちゃにしてる女気持ち悪い」「セックスの話をする女気持ち悪い」「女は自分を愛してくれる男にだけ欲望すべき」「女らしくない女は気持ち悪い」「セックスの話をしてるくせに高尚ぶるな」「セックスの話をでかい声でするな」

そしてそれが内面化されて「わたしたちは気持ち悪い」になり、更に「気持ち悪いほうがカッコいい」になってる人もいれば「おまえも一緒に気持ち悪くなろう」になる人もいて、でかい声でセックスの話をすることの是非と、セックスの話をしていないのにセックスの話じゃねーかと言われる混乱がある(BL、やおい、カップリング、っていうものはべつにセックスや性愛を必ずしも含みません)。めちゃくちゃややこしいまま文化としてはどんどん拡大してどんどん変化して、「腐女子べつに気持ち悪くないのでは?」という層も「BLはふつーにおもしろい」という層もどんどん出てきている上で、迫害の歴史に怯えたまま「こんなんじゃだめだ」と言い続けてる人もいて、ややこしい現状だなあと思うし、一朝一夕には変わらないだろうな、ずっと揉めながら、やりあいながら、笑いものにしたりされたり、キレたりピーキー言ったりしながら、やっていくんだろうなと思う。

だからといってべつに腐女子が被差別層で底辺だから可哀想だとは言わないしたとえば文芸部や漫研が腐女子の巣窟でそのセックスファンタジーにハラスメントを感じて辛かったみたいな話もそれはそれとしてあるわけです。「腐女子が気持ち悪い」と言っている側にもそれはそれで言い分があることもある。

だから何だって、どうしようもない。

ただひたすら、歴史を喋って、現在を喋って、理想を喋って、ここが、よりよい場所になっていく日を夢見て、言葉を重ねて、コミュニケーションして殴り合って泣いてキレて、それでもやっていくしかないというだけの話です。

 

でもそれでも、世の中はすごくよくなっていっているとわたしは思うよ。ブロマンスはやってて嬉しいですね。バクマン観に行きたいです。