あらゆるわたしの可能性の世界――こうの史代『この世界の片隅に』

※映画は観ていません。

というのは、わたしは閉所恐怖症を患ってそろそろ十年近いんですが、その結果として映画館は閉所で窓がないので基本的に行けません。時々行くけど体調は悪くなる。そして去年は閉所恐怖症の具合が極端に悪かったので全く映画を観ていません。という理由で観ていないのであって、なにか含むところがあるわけでは全くなく、逆に観といた方がブログ書くのもまあいろいろとアレだろうなとは思うんですが、逆に観ていないほうが書けるものもあるだろうと思って、迷ったんですが書いとくことにしました。

書こうかなーと思ったのは、映画観れないからという理由でこうの史代作品をしばらく封印していたのをそろそろいいかと思って解いたからです。なんで封印していたかというと「そこは原作ではこうで」とか言うめんどくさいオタクになりたくなかったからです! 映画観れないし!

やっぱり滅茶苦茶面白いし、あとわたしは(こうの先生が舞台にする広島は海寄りなので若干違うんですが)広島弁方言圏なのでまず音読ができてしまうしキャラクターの細かいメンタリティもすごくああ~という気持ちになるのでたぶん思い入れ方がちょっと違うだろうなと思う。ここで描かれる「戦争」とはいったい何であったのかを知っている、というより、「ここで描かれる戦争というものとおそらくあまり差分のない戦争教育を受けている」環境を知っている。広島の戦争教育はかなり特殊なものであり、かつ、ある程度抑圧的に「平和賛美的」なものです。それを踏まえて『夕凪の街桜の国』が生まれ『この世界の片隅に』が生まれたというのはこうの先生のある種の純粋な無垢さの表れだと思う。純粋な無垢さという言い方は妙にきれいであれですが、今年カープ優勝から連勝に至った際の広島県民の「純粋な無垢さによって永遠に興奮している」あれ、あれが広島の「平和教育的な側面を除いた」本来の県民性だと思います、多分。こうの史代という人物は極めて「広島っぽい」、そして、「ヒロシマ」、いわゆる戦争の跡地として平和の聖地として語られる方の当地のことです、「ヒロシマっぽくない」。

そういう人が稀有な才能を発揮して暴力もあれば幸福もあった、「不幸な」ヒロシマではなく「不幸にならされた」広島を描いた、「日常四コマ」の漫画家が描いた、というのは『夕凪』の頃大学生だったわたしやわたしの友人の間ではかなり話題になって熱心に読みふけっていたのを覚えています。こうの史代というのはわたしにとってそういう作家です。

 

※ネタバレがあります。

すずさんの「右手」の話をします。

『この世界』という漫画は「実際に起こったこと」と「すずさんの絵のなかで本当のこと」が繰り返し描かれる漫画です。その境界は、たとえば『長い道』で明確に扱われたペンタッチの違いで分けられているとはいえ、時として曖昧で現実をたやすく浸食します。人さらいは本当にあんな形をしていたのか。座敷童は本当に存在したのか。わたしたちはそれを見分けることができない。なぜならそれは「すずさんの世界において」本当のことだからです。

そういう意味で『この世界』はメタフィクションです。あれは『すずさんの見た世界」をそのまま映し出す「すずさんの右手」が描いた世界です。漫画の中で前置きなく何度も「たぶんこれはすずさんが描いた絵なんだろう」とわたしたちが認識できる、ペンタッチの違う絵は、しかしすずさんが「本当に」「帳面に描いた」絵なのかどうか、わたしたちは確認ができません。わたしたちはその瞬間、すずさんの絵(のようなもの)を通じてしか世界を認識できない。つまりそれはここで描かれる「この世界」とは「すずさんの右手が作っていた世界」だということを示します。

 

それが奪われるということは、すずさんが飲み込んで咀嚼し「描いた」「この世界」に、今度は「戦争」が侵食し、破壊したということです。

「世界の終わり」です。

 

すずさんの右手が奪われたことをすずさんが「知った」とき、すずさんが描いていた「世界」は「この世界」から切り離され「クローバー畑」という「架空」に行ってしまう。それはもう描かれることがない世界です。そしてすずさんに残されたのは「歪んでいる」「左手で描いた世界」。漫画の背景は実際に震える線で描かれ始める。

 

すずさんから切り離されたすずさんの右手、つまり「すずさんの世界」は、最初、晴美さんを象徴するものになります。つまり、「もう失われたもの」それは双葉館の死んだ娼婦に接続し、次いで右手が現れるのは「売られた子供」そして「座敷童」さらに「リンさん」を「右手が描いているという架空」。「思い出」「失われたもの」。そしてコマの隅に小さく描かれる楠木公に至り、「もう今は描くことができないけれど、かつて描くことができたもの」を取り戻します。架空の水原哲さんと軍艦を経て、そして、おそらくこれはかつて描かれたものではなく、しかし「すずさんの中ではいまでもありありと描くことができる」『鬼イチャン冒険記』はすずさんにとってはこれもまた「本当にあったこと」「起こるべきだったこと」です。

 

「貴方などこの世界のほんの切れつ端にすぎないのだから」

「しかもその貴方すら 懐かしい切れ/〵の誰かや何かの寄せ集めにすぎないのだから」

そう語られる最終章はほとんどが「誰かによって描かれた」ものです。それを描いたのが「誰」であるのかはわかりません。

「いま其れも貴方の一部になる」

すずさんの人生にはいくつかの分岐点があります。「さらわれた子になる人生」と「ならなかった本当の人生」。さらわれたすずさんはもしかしたら浮浪児になっていたかもしれないし、娼婦になっていたかもしれません。「死んだ人生」と「死ななかった人生」。死んだのは晴美さんではなくすずさんだったかもしれません。「原爆にあった人生」と「あわなかった人生」。北條家に嫁いだのはすずさんでしたが、妹のすみちゃんである可能性だって十分あり得ました。そして嫁がなかったらすずさんは広島にいたのです。

すずさんの人生を通り過ぎていくあらゆる可能性。すずさんが描く「この世界」は「現実」を超えて「可能性」に接続し、「起こるはずだったこと」は「現実」の一部分に静かに収束していきます。その結実として最終章があり、鬼イちゃんの幸福な人生があり、そうしてここにいる「すずさんの可能性、すずさんの可能性たちの可能性」としての孤児が、すずさんと接続します。

「すずさんの可能性たちの可能性」たる孤児の目にうつるすずさんと周作さん、そしてベンチも電車も呉も、「右手で描いたような」線で丁寧に描かれています。すずさんとすずさんの可能性が静かにたどり着くその場所がまさしく「この世界」であり、それは「起こりえなかったこと」も含めて彼らの「現実」です。

「世界は回復した」のではなく、「終わらなかった」のです。

 

そしてその「現実」から書かれた「あとがき」に「のうのうと利き手で漫画を描ける平和」と書くこうの史代という作家は本当に胆力のある作家である。「世界は終わってなどいない、一度も終わってはいない」は『夕凪』でも強烈に打ち出されていたテーマでした。それはそもそも日常を描くことを主軸として漫画を発表してきた作家にしかできなかったことだと思う。

というわけで、漫画に絞ったレビューということでかなり今更なものでしたが、おつきあいいただきありがとうございました。