芸術をやり直そうと思ったんだよね

人の文章を読んで懇切丁寧に褒めるという商品を、お店でやってるんですけども(いつでも請けてますのでお気軽にどうぞ、お店の収入はわたしのお小遣いの範疇なのでお小遣いが増えます)(お小遣いの範疇なのは単純に支払いが早いから便宜が利くという理由です)、「インスタレーションアートですね」と言っていただいて、

ああー

みたいな、

これまで全部腑に落ちたというか、

ああー

みたいになったんですよね……。

 

インスタレーションアートというのはざっくり言うと展示方法と空間それ自体を芸術として扱う芸術手法です。

htmlでやっていたことにしろ携帯サイトでやっていたことにしろ同人誌にしろ即売会でパワポ流すにしろTwitterbotにしろnoteにしろ、もちろん萩の原も、そうじゃないですか。

 

わたし幼年期の愚痴ばっかり延々と言ってる気がするけどなんかわりとあんまりだった気がするから延々と言わせてくれ。貧乏だった話をよくしていますが、貧乏だったのかそういう教育方針だったのかよくわかりません。とにかく時代が子供に習い事をさせるように要請していたのはたしかです。というわけで我が家にはピアノがあり、兄と姉は習っていました。そして子供に家で復習させるのがすごくめんどうだった母は、絵画関係の賞をふたつ取ったことがあったわたしを絵画教室に入れました。絵画教室なら絵画教室内で完結するはずである。多分。

劣等生でした。

8歳から16歳までやっていたのに、特に何も描けるようになっておらず、身についたのは色相環がそらで言えることだけという、わたしはいったいなにをしにあそこに行っていたのだろう。ものを子細に見るということがうまくできないのでデッサンができず、小説の書きすぎで腱鞘炎で細かい作業ができなくなり色がうまく塗れなくなってますます劣等生の一途をたどりました。先生はデッサンがすべての人でした。ピカソはデッサンができるという話をよくされたものだ。わたしが好きだったのはキュビズムとマグリットとゴッホです。そりゃデッサンできないとなれないだろうけどなりたいってんじゃなくて好きなのはブラックとマグリットとゴッホです……。

広島には現代美術館があって、高校生の頃にはもうどうにかして金を捻出してなにかっちゃ行ってた記憶があるから好きだったんだと思います。市立美術館も県立美術館も行きましたがそれは「教養」の範疇で、現代美術館は「救い」でした。自由になれる気がしたからです。

でもそのころにはもう自分の絵筆を全部捨てたあとだったんだよな。

デッサンができないことに疲れた。描いても描いても褒められないことに、自由な題材を選べないことに、金に気を使って油絵どころか透明水彩もねだれないことに、中学で美術部に入ったら上下関係がやたら厳しいポスターコンクール専門部だったことに、精密でリアルな絵がよくて商業主義も抽象画も違うみたいな権威主義に、美術の専門の高校に通っている子が絵がうまいだけではなく気も使えるみたいなことで比べられるのに、全てに疲れた。何を描いても褒められなくて展覧会に間に合わないから先生がどんどん手を入れた。わたしの絵ではなかった。

中学では技術工作の授業がわたしの創造意欲を満たしてくれて、高校の授業で抽象画っぽいものを一枚だけ描けた。あとは編み物をしていた。編み物は編み上がったらほどけばよかったから材料費がかからなかった。編み物だけは誰にも叱られないし自由にできるからよくてわたしはひたすら編みぐるみを作って欲しがる人にはあげたので何も残っていない。

 

いやだね。

どこかで掛け違った。わたしは最近まで自分の文章にすら自信がなかった。7歳の時雑誌の賞をもらって学年で一番良い絵を描いたと表彰されたときのわたしはそれが楽しくて仕方なかったはずだ。そして絵が好きだから絵を習いに行けばいいだろうと母は言った。好きだったんだと思う。もう思い出せない。

何が好きだったのか思い出せないんだ。

あれだけ劣等生だったのに先生はやめますと言ったとき引き留めてこういったのをずっと覚えている。「創作を多方面に続けることは視野を広げる、小説のためにも絵をつづけた方がいい」

中学でわたしの美術部から演劇部への転部を蹴った先生はこう言った。ずっと覚えている。「ひとつのことを続けられない人間はどうせすぐやめる」

絶対に忘れないんだよ。

わたしはひとつのことをつづけた。絵は描かなかったけどたくさん見に行った。上京するときはなによりも美術館に行くことを優先していた。執念のように絵を見ていた。

全部忘れていた。

言われた言葉は覚えているのに、そこに付随する感情を忘れていた。

 

そして(笑うところ)わたしの人生に閃光のように松野カラ松くんが表れて、「芸術とは理解されないこと!」と言いきったのです。

厳密には違うな。

「芸術を理解するかどうかは受容する側の問題であって芸術が芸術であるということは誰かに規定されるものではない」って言ったんだと思う。多分。

 

 

絵筆を買うかーと思いました。インクは(万年筆用が)いっぱいあるしなー。編み物も再開しようと思いました。

あと最近こういうのやっています。

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これはお友達の待ち受け画像を作ったやつ。短歌をグラフィックにしています。tumblrに上げてるよ。

楽しい。

本を作りました。来月展覧会があります。楽しい。ただいま。

帰ってきたんだ。