「三門市、人口28万人。わたしたちの街」――ワールドトリガー読者の「実在」

ワールドトリガーが4巻までジャンプ+で無料で読めます。4/20まで。

ワートリ以外にもいろいろ読めてソーマお勧めですがとりあえずワートリを読んでくれというエントリを上げよう上げようと思っていてもう17日じゃないですか。まあいいやみんな一斉にワートリを読もうって言ってたから後追いで上げる人もいた方がいいよね!

というかワートリ民すごい勢いで一斉に「ワートリを読んでくれ」って言ってておかしかった。

アニメは終わっちゃいましたが仮にもニチアサ73話もあったし、パルコでなんか今度謎のコラボがあるみたい(なんでこの人選……)、スマホアプリは400万ダウンロードだし、アースミュージックアンドエコロジーとのコラボだってやったし、6月の赤ブーさんのイベントは900スペース募集で今サイト見たら79パーセント埋まってました。満了するんじゃないの。大手ジャンルかよ。

大手ジャンルかよみたいな雰囲気なのに、なんでいまだに草の根運動みたいなノリでみんな「頼むからワートリを読んでくれ」って言うんだよ。

ジャンル民の「900……?」というリアクションおよび「すごい! ワートリ流行ってるね!」と言われた時の「流行ってる……?」というリアクション、超わかるのですが、超わかるけどこれはなんなんだ。いや、葦原大介という作家は前作リリエンタール(名作です)の時代から熱狂的すぎるほど熱狂的なファンに支えられすぎて若干カルト化している傾向のある作家であり、なおかつリリエンタールもワールドトリガーも「いわゆるジャンプ的ではない、地味な話」なので必死で草の根活動をしないと続かないかもしれないという時代は長かったのですが、でももうそうじゃないじゃん、しかしみんな依然として草の根活動をしているし、流行っているという実感は正直ない。

そのへんについて昨日上原あい子さん(※ワートリで知り合った相方)と喋っていて気づきました。

「結局村なんだよ」

「うちの村、いまでも村であることには変わりがないのに、街みたいに言われてるけど、村なんだよ」

「人口は増えたけど村なんだよね」

「しかも異常に土地は広大な村だから、一軒一軒の間が超離れてて、村の端のほうのことは正直まったく分からない」

「でも村だから、村おこしはしなきゃみたいな……」

「そう、この村いい村だから、みんなちょっと寄って行ってほしいなって……」

 

村おこしなんですよ。

 

もうおこす必要はない程度に商業的に成功しているんですけど、「でもうちの村いい村だから……」と言わないではいられない。

 

というわけで「ワートリを読んでくれ」というエントリです。なぜ「読んでくれ」というかというと、おそらく「読んでくれ」と言っている我々は、イコール三門市28万人のなかの誰か、そして三門市外にいる関係者や、関係はないけれどあの街で何が起こっているのかを見つめている誰かなのではないか。わたしたちはあの世界に「住んでいて」、そして、「こういう街があるということを、見ていってくれないか」と言っている、ということのような気がする。もちろん面白い漫画なんだけど、面白い漫画だからということだけではなくて、「あいつらがあそこで生きてるということを、少し知ってやってくれないか」という気持ちが、少なくともわたしはある。

 

まず作品梗概ですが、カテゴリとしてはSFバトルアクション漫画です。

異界からの侵略を受ける地方都市に拠点を置いて異界への抗戦を続ける戦闘組織「ボーダー」に所属する少年のもとに、まさに敵対しているはずの異界からやってきた少年が現れ、加えて異界に消えた親友と兄を探す少女・ボーダーの重要人物である青年の四人を主人公として、130人を超える登場人物が次々に主軸を担いまた脇を固めながらストーリーを展開していきます。

SFとしての設定、バトルアクションに関しては、今回は触れません。SFとして特に面白いポイントは、「少年兵が主力であり、かつ、仮想戦闘体を使用して戦うため、戦闘中の肉体損傷に対する感覚が非常にカジュアル」という点が大きいと思います。バトルアクションとしても肉体損傷や自爆ありきで戦術を立てる傾向があり、かなり幅が広がっている上で、十代の少年がゲーム感覚の戦闘をすることを前提とした作中倫理の揺れ方もかなり攻めたことをやっていると思います。まあでもその話は今回はいい(というかその辺を突っ込んで詳しくレビューしている人はたくさんいるはず)。

 

わたしはワールドトリガーという漫画を読む上で最も重視すべきポイントはこのキャラクター数のわけのわからないほどの多さ、そして、これだけわけがわからないほど多いにもかかわらず、ひとりひとりがきちんとキャラクターとして作りこまれているという点です。

オフィシャルデータブックBORDER BRIEFING FILEが出たばかりなのですが、正直、漫画を読むより先に(あるいは途中で)これを読んでしまった方が楽しめるかもしれません(ネタバレもありますが)。まだほとんどスポットが当たったことのない登場シーンが少ないキャラまで全部きっちりパラメータが設定されており(葦原先生の作ったエクセルデータだそうです)家族構成が……載ってない子もいるな……ほとんど載っています。

(BBFを読んでいて30分くらい経過)

……なんの話だっけ。

そうそう、キャラ数が異常に多い。作劇上こんなにいたらノイズだろというレベルで多い。実際「キャラが覚えられない」がワートリを勧めた結果言われる一番多い苦情であり、なんかもはや「キャラ覚えなくていいから! 話はわかるから!」と言って勧めるようになります。キャラ数が多い。そして「キャラ数が多い」ということ自体がこの漫画の最大のポイントだと思う。

 

群像劇なんですよ。

 

「世界とは無数の人間によって作られていて、世界のために人間がいるのではないし、組織のために人間がいるのでもない、ましてや作劇のためや主人公のために人間ないし人間以外のものが存在するのでもない、皆生きていて、たまたまこの物語に関わる部分を通り過ぎたのを、たまたまわたしたちが見ることができただけ」

ということをやっている漫画です。

だから主人公と言われている四人も含め全員がモブキャラのようなもので、全員が主人公のようなもので、いまスポットが当たってないキャラもいつ当たるかわからないし、実は当たったけどそのエピソードはお蔵入りになっただけなのかもしれない。話を推進するのはたしかに主人公四人ですが、話の主軸になっているキャラ、というか主軸になっている群像はその時々で違います。「今この街でそして世界において重要な部分を担っている人物」にスポットが当たるだけであって、そこに主人公がほとんど関係していないことも往々にしてある。

 

群像劇におけるキャラクター数のインフレは少なくともジャンプ漫画においてはよくあることですが、ここまできちんと端役(というかいま端役であってもいつか端役でなくなるかもしれないキャラ)まで丁寧に描かれている作品はなかなかありません、というか奇跡だと思います。彼らは物語の都合に合わせて動かない。ただ組織の一員である自覚を持って行動しているので自然と物語の要請と噛み合うことになる。そして各々思惑があって組織に所属しており(単に面白いからという理由が大半なのですが)その思惑がほかの人間や組織と衝突しない限り否定されることはないしかといって必要以上に称揚されることもない。

彼らはあそこで生きていて、人生をやっていて、たまたまそれが漫画になった。

 

ということを描いている漫画です。

なので群像劇というもの、そしてモブキャラの人生、脇役の人生というものに対して思い入れのない人には特別面白くはないかもしれない。でも「彼の人生の主人公は彼で、その物語を一瞬共有している」ということの美しさに何かを感じることができる人であれば、ワールドトリガーを読むことは、三門市に行って彼らに会うことは、とても楽しいことだと思います。

ようこそ三門市へ。矛盾や倫理観の欠如やハラスメントや暴力や思春期の暴走や青臭い上官やゲーム感覚のカジュアルな死のある日常を生きる少年少女と、決してすごく頼りになるわけでもないが世界を肩に載せる自覚を持って必死に頑張っている大人が暮らし、人間臭い敵対勢力が時々攻め込んでくる、戦下という日常を生きる街です。死ぬかもしれない人生を継続してゆく彼らのいる、わたしたちの街です。

 

なおわたしは主人公のひとりである迅悠一くんの元自担ですが「人生観を改めろ」と言いながら包丁を突き付ける生活に疲れたので元自担ですと言っています。登場するたびに遠い目をして「まあでももう元自担だから……」と言っています。推しは広報担当の嵐山准くんで、嵐山くんのいいところはハイスペックイケメンなのにそのハイスペックイケメン性がほとんど話に関係ないというか、正義感の強いイケメンがひとりいたところで世界全然救われないという絶望感です。あと完璧万能手育成計画という二流の人間のスペックを上げて兵士を量産したら効率いいからそのメソッドを確立するという野心を抱いている頭のおかしい18歳男子の荒船哲次くんも推しています。

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※パワポ元データもあるんだけどあまりにも力が入りすぎていて(アニメに)気持ち悪いので初見の人に見せるべきではないと思ったので印刷用に作ったデータだけ置いておくね! ちなみにこれは同人誌用に作ったデータでイベント会場ではパワポを流したよ!

頭がおかしくて超絶読みづらい穂荒シリーズ二巻、とらのあなにありますのでよろしくお願いします……。あとひどい迅嵐と厚いつつすわと米出を観察し懊悩し愛の定義とは……つって三輪くんがうだうだする本があります。そういえば当奈良本を委託に出し忘れている……出さないと……。

 

嵐山くんや荒船があそこで必死で頑張って何かを成し遂げようとしていることを、もしかしたら作中の人物すら知らない、読者だって全部のキャラの全部は知らない、でも、わたしは少なくとも彼らの分は知っている。

「ワートリを読んでくれ」って多分そういう、「あなたもあそこにいる誰かが誰も知らないかもしれない何かをやっているところを、できることなら、見つけてほしい」ってことなんだと思う。ここに三門市がある。みんな生きている。