楽しいカラ松ポエム初級講座 第一回 麻雀回から見るスルーされスキル

麗春の候いかがお過ごしでしょうか。新生活に伴い、不安な出来事や自分の存在の無価値さに向き合い、水辺があったらダイブインといった気持ちになる方も多い日々ではないかと思います。

そこで皆様にカラ松ポエムのご提案をいたします。カラ松ポエムとその精神性を身に着け、スルーされてもドヤ顔でいられるメンタリティを鍛えましょう。

 

まずカラ松ポエムの定義ですが、テレビアニメ『おそ松さん』に登場する松野カラ松くん(成人男性・無職)が繰り出すポエムを指します。代表としては「仕事のことはノープランだ」。そのほか資料といたしましてはテレビアニメ『おそ松さん』全25話(※24話しかないのが仕様です)をご参照ください。全話パックでなんと驚きの二千円を切っていて一か月見られます。驚異的に安い。Fuluの観放題そのほか観放題に入っている配信サイトもあるようです。

カラ松ポエムの基本理念ですが、「スルーされる」ないしは「呆れられる」ことが基本的な目的です。

カラ松ポエムが基本理念通りに機能していた時期が作中あまりにも短いので誤解されがちですが、カラ松ポエムはウケることを狙った構造のポエムではありません。スルーされスキルの高さを示すポエムです。

 

カラ松ポエムは2話釣り堀「魚に愛をしたためた」4話「まともじゃない、か……褒め言葉だ。バーン」、そして21話の怒涛のような麻雀解説以降における、「堂々とスベっているしなんなら誰も聞いていないしなんなら自分の胸の中で言っているだけ」の状態が常態です。

6話から14話までのあいだ、カラ松はスルーされると「えっ」という戸惑いを表明していたため、「ウケること」が目的化していると取れますが、6話から14話まではカラ松が5話で受けた痛手によってどう変質せざるを得なかったかを示す迷走のシーズンであり、この時期もたしかにカラ松ポエムは運用されていましたが、その運用方法をカラ松は見失っていたと言って良いでしょう。

 

カラ松ポエムの本質は、特に21話麻雀回において遺憾なく発揮されています。

麻雀回の構造に関しては玉木サナさんの精緻な論考をご覧ください。

こちらのエントリをご覧いただければお分かりのとおり、麻雀が「できていない」のが一松、かなり打てるがメンタリティの問題で勝負に出られないのがトド松、普通に強いのにポーカーフェイスができないのが玉に瑕のチョロ松、勝手にバカ勝ちして勝手にミスって死ぬ十四松、そして「計算して的確に勝つことはできるのに」あえてノーリターンに突っ走って気持ちよく負けるおそ松。

その上でおそ松の「あえて」の部分を理解しているか否かはともかく(文脈上理解しているのではないかと想定しているのですが)、これら兄弟の打ち筋を全て理解した上で「勝てないことを前提とした目標のもとに負ける」麻雀を貫いている、というかそれ麻雀やってないよね? ということをやっているのがカラ松です。

何故カラ松は麻雀を「やらない」のか。彼は何の意図を持って「勝てる勝負で負けている」のか。

その理由はこのエピソードを分析してみるとわかります。

 

まず卓を囲むのは一松とカラ松を除いた四人。おそ松が負けて抜け、一松が代わりに入ります。そして「普通に弱く普通によく負ける」一松の苛立ちが頂点に達して暴れて勝負を台無しにするまで、カラ松はずっと兄弟を見守っており、全く動きません。一松と入れ替わる形で入ったカラ松が何をしているかというと、黙って座ったまま防衛しながら手元に彼の目指す芸術を完成させることを目的に黙々と牌を集め、そして完成することなく負けている。

つまり、彼の手役を見ていない三人(おそらく一松も見ていない、おそ松は覗き込んで呆れているようにも取れる)は、「座ったままずっと静かにしていて、気が付いたら負けていた」「なにもしていない」ようにしか見えず、おそらく「座ったきり何もしていないようにしか見えない」が、松野家麻雀におけるカラ松の常態であることはトド松からかけられる「相変わらずクッソ弱いね!」という言葉に担保されています。

 

カラ松が怒涛のように解説する彼らの打ち筋は「いつも通り」のものであり、一松が不機嫌になって卓をひっくり返して暴れて場の空気を乱すところまでが、「松野家麻雀における既定路線」です。そしてカラ松がクソ弱いと「思われている」、実際はきれいな手役を作りその上で振り込まず普通に打ったら相当強い、「ということを絶対に明かさない」麻雀をしているのも「いつも通り」。

と来れば、カラ松が一松のあとに入ることも「いつも通り」と取るのが妥当です。

卓返しは強いも弱いもなく普通にマナー違反ですし、一緒に卓を囲んでいた皆は当然心が乱れます。そこでカラ松はあとの三人を座らせ自分も座り、一局静かに打たせて神経質なチョロ松(が一番怒るのもいつも通りなのでしょう)の精神を落ち着かせ、一松がいない場合一番弱いトド松に「カラ松兄さんは僕より弱い」と思わせることによって、ゲームの秩序を保っている。

カラ松は「役満が作れるまで黙っている」ルール、そのうえでカラ松はこの松野家麻雀においてほとんど卓を囲んでいないので、「カラ松は弱いし、一緒に打ってあまり面白くもないし、どうも本人もあまり乗り気ではないようだし、基本的に見ているだけでいいみたいだ」という「空気」も「いつも通り」と思われます。つまりカラ松は負けたら抜けて、おそ松か一松に席を譲り、また続けさせるのではないか。カラ松が卓を囲んだことにより、一松が乱した空気はすっかり安定しています。

 

カラ松ポエムの神髄はここにあります。

2話釣り堀でカラ松がトド松の話し相手としてポエムで受け流したとき、トド松は結局愚痴が言いたかっただけ(このまま平穏に暮らしていきたいと漏らしている)、4話でチョロ松の「まともじゃない」をギャグにして流し皆に無視されたのも、チョロ松の追い込みをきれいに受け流したのであり、どちらもカラ松は特に傷ついていません。それが彼の「既定路線」です。

「何を言っているのかも何をやっているのかもよくはわからないが、カラ松が口を挟んだり、卓を囲んだりすると、なんとなく苛立ちが鎮まるというか、どうでもよくなる」という、無為さこそがカラ松ポエムの神髄です。

 

ご理解いただけましたでしょうか。

第二回からは実践といたしまして、カラ松ポエムのケーススタディに入りたいと思います。ご清聴ありがとうございました。寒暖の差が大きい季節柄、なおいっそうご自愛ください。

 

追記となりますが、松野家麻雀は、おそ松が華麗に吹っ飛んで場の空気を温め、弟たちに気持ちよく打たせ、場の空気が荒れたタイミングでカラ松が黙って静かに負けて場の空気を立て直すという構造で成り立っていたものと推察されます。おそらくおそ松が飛ぶのがスタートでカラ松が飛ぶのがゴールのワンセットであり、本来カラ松のあとおそ松がまた入って場のテンションを上げて以下エンドレスに続けるという構造で楽しくやっていたのではないか。おそ松もカラ松も本気を出さないのもそもそも麻雀が好きなわけでもなさそうな一松をのけ者にしないのも、「兄弟仲良くみんなで打つ」のが目的で「勝負云々よりスキンシップでありコミュニケーションの側面が強いから」と取るのが妥当です。

おそ松はそれに「飽きた」と言及し、「本当は強いおそ松麻雀」を披露する形で弟たちの夢を壊し、カラ松はそれを受けて無理矢理役満を作って(というか作れたと言い張って)幸福な甘い嘘の時代の終焉を確定的なものとした、というエピソード(なお一松が聖澤庄之助を作り翌週玩具にしている牌はおそらく勝負に使っている牌ではなくカラ松が役満を作るために何セットも余分に用意した牌ではないかと推察され、つまりおそ松がバカ勝ちしたタイミングで役満を無理矢理作るまでが今回の麻雀の「既定路線」として麻雀牌を買ってあったのではないかと推察しています)なのですが、24話で「傷つかなくて強くて何でも許してくれていつも笑っている彼らのリーダー長男おそ松」の夢の崩壊の瞬間即座にそれまで守り抜いてきた「兄弟最弱のカラ松」という甘い夢を放り出しておそ松に寄り添うかたちで「強いカラ松の提示という夢の終わり」を演じたことと響き合っており、二人が守ろうとしたものと二人の限界を示す意味で切なく美しい構造を織りなしています。