料理に手をかけたくない

薬飲んで暖房つけて湯たんぽ抱いてバカボン読んでたら腹痛は七割がた収まりました(日記)。電気代のことは忘れよう。俺も忘れる。というか暖房をつけるという習慣がなさすぎていつつけたらいいのかわからないんだけど健康のためにはつけておいたほうがいいんじゃないのか。

 

世の中には料理のメカニズムの深淵に踏み込んで延々と試行錯誤するのが好きなタイプと手間のかかった飯が好きなタイプと何も考えずに手をうごかしていたら美味い飯が食えるならそれでいいというタイプの料理好きがいると思うんですがわたしは何も考えずに手を動かしていたら美味い飯が食えるならそれでいいしそのうえで手間がかからないならもっと言うことはないというタイプの料理好きです。

具体的に言うと

  1. 切る
  2. 調理する
  3. 味の調整

これで終わりたい。終わるじゃんとお思いでしょう。実際のレシピは

  1. 切る
  2. 下ごしらえ
  3. 調理する
  4. 調理する
  5. 調理する
  6. 冷ます
  7. 調理する
  8. 味の調整

みたいな構成をしていることが多い。やってられっか。工数が多ければ多いほど偉いとでも思っているのかと思う。短縮しろ(工場労働者特有の発想)。いやたしかに工数をかけた方が微妙なことができるというのはあると思います。でも素人が家で一人で作って食う飯に味の厳密さとかそんなに大事なことか。わたしだって特別な日には餃子を作り(餃子は死ぬほど手間がかかる)コロッケを作り(コロッケは死ぬほど手間がかかる)牛筋の赤ワイン煮を作りますが(前者と比べるとさほど手間はかからない)特別感をエンジョイしますがたしかにそれらは非常にうまいんですがそれは工数をかけるということからスタートしている遊びであって作ったという達成感こみの祝祭であってコロッケなんか正直作りたくないあれガチでめんどくさいんだぞ。

そもそもが洋食は工数が多くて面倒くさい。ハンバーグのために玉ねぎを一回炒めて冷ますのがめんどくさい。パスタソースを作ったうえでパスタを茹でるのが面倒でパスタを食べない。そのレベルでめんどくさい。

揚げ物もめんどくさい。換気扇をがんがんに回して揚げ油を温めて衣つけて揚げて油を受けて熱いうちに食べて油が冷めるまで待って油を片づけて油まみれの鍋を洗ってとか考えるともういいファミチキ買おうと思う。

仕事でやってたから技術的にはできます。でもできたから何だというのだという気がする。仕事でやってたので寿司だって一応握れる。しかし握れたからなんなんだ。ひとりで酢飯作って刺身は適切な包丁がないから買ってくるんだけど(そもそも適当な包丁があってもそこはちょっと付け焼刃の技術でやるの微妙だけど)それをひとりで握ってひとりで食うの相当むなしくないか。銀のさらを呼ぶわ。

 

料理そのものは結構好きだが食べることが根本的にはさほど好きではないのでは? とは思う。

 

赤ん坊のころにアレルギー検査にひっかかってそれ以降厳密なアレルギー食を食ってきました。もちろんアレルギー食を食って育ったことで健康な肉体(わたしがぶっ倒れるのはメンタル由来が八割食あたりが一割)を手に入れられたことには感謝しています。過敏だったのは子供の頃だけで今はほとんど何食っても大丈夫です。

しかしなぜ人という生き物は、「この世には食っていい食べ物と食ってはいけない食べ物がある人間がいる」という知識を「化学調味料」とか「農薬」とか「地産地消」とか、のちになってロハスという便利な言葉が出てきましたが、そういう世界に拡大させてしまうのか。色のついたごはんが出てきたから炊き込みご飯だと思って食べたら玄米だった幼児の気持ちを考えてくれ。「今日のごはんはいつもと違うのよ」じゃねえよ。ギャン泣きするぞ。玄米はうまいよ。うまいと思うよ大人になったからね。栄養バランスを考えたいのはわかるんだけどなんにでも玉ねぎとにんじんを入れればいいというわけじゃないんだ一人暮らし始めるまでにんじん嫌いだったぞ。料理に常に醤油を足して悪かったよでも塩味がうまいと思えるほど大人じゃないかったんだよそもそも塩味すらしねーよ! 塩分過多で死ぬぞとか言われるほどかけてねーわこれくらいで普通だわ! 「友達のお母さんが作ったおにぎりの梅干しが甘くておいしいからうちもあれがいい」って泣きついたことがあったわ!

母も50の峠を越える頃には大分丸くなりまして、平気で「眠れない~」とか言いながらインスタントラーメン作って食うようになっていました。リンの話はどうしたんだ。まあそもそも母下町育ちでちょっと外食すっかっていうと迷わずお好み焼き屋入る人ですからね。中年のちょっとした暴走としてのロハスピープル。

 

食という概念がわからんよな。

 

甘いものがたまの手作りのホットケーキとなぜか時々買ってもらえるあんデニッシュとメロンパンとりんごジュースしか与えられず、というかろくに調味料の味がする料理が与えられなかった結果、わたしは小3になったら月300円もらえるようになった小遣いを全部チョコレートに突っ込み、まんまと腹を壊して病院送りになりました。小3のわたしは思いました。「知るか! チョコ食うか死ぬかだ!」もうじきバレンタインなのに腹壊しててカラ松くんにあげるやつしかチョコ買えてない(そもそも金はないけど……)。

そして中学生になったら塾へ行く交通費および晩飯代としていくらか貰っていたんですが、わたしは塾まで一時間てくてく歩いていって塾代を浮かせてそれで本を買い、晩飯は一応食うには食ってそしてよく吐いていました。わたしは既に知識として知っていた。「これ指突っ込んで吐くようになったらガチで病気だぞ、本で読んだ」

そして諸々すっ飛ばして大学出て就活から逃げた結果滑り込んで最初に勤めた工場がアイスクリーム工場の夜勤で、みんな検品から弾かれたアイスクリームを適当に食って床に捨ててました。夜勤やっぱきついなと思って動いた先が精肉工場、社員割引でソーセージが買えるので弁当箱をあけたらみんなソーセージ毎日食ってる。自社製品。

 

食という概念がわからんよな。それからも司書を挟んだ以外はおおむね飲食関係ですそれ以外の仕事もやったけど。「技術的にはできる」も「味がわかる」も「狙い通りの味に仕上げる」もそれなりにまあ、スパイスや調味料の使いどころとか工数の減らし方とかもわかるしレシピも読めるしアレンジもできる。料理はできる。できたから何だ。驚異的に金がかからない以外何だ。もちろん金は大事だけど。

 

でもうちで食べるごはんがいちばん美味いなと思う。

いやもちろん高い金を払って高い店で食う飯はうまいです。でもそういう話ではない。食という概念の話です。

もう自分で必要だと思う以上に工数をかけなくてもいいし食べたければ全食銀シャリが食える。調味料は塩砂糖酒醤油でだいたいどうにでもなるし化調はかえって飽きるとも思った、ひととおりやってみてそれはわかった。大事なのはダシの出る食べ物と香味野菜を常に置いておくことで乾物とかキノコとかが大事だということもわかった。おかずは一気にたくさん作って冷凍しておけば台所に立つ元気がなくてもしばらく生き延びられるということもわかった。なにより一食百円くらいだ。

おかゆを炊きます。おかゆおいしい。今は梅干しはしょっぱい方が好きです。

大人になったんだ。