菊池成孔『レクイエムの名手 菊地成孔追悼文集』

菊池成孔『レクイエムの名手 菊地成孔追悼文集

きたさきさん(友達)から菊池成孔の正しい教育を受けています。(cf.正しい教育 転じて綿密な布教活動を受けること)

というわけで菊池成孔のことはこの本と『スペインの宇宙食』、あと『VENDOME,LA SICK KAISEKI』しか知りません。全てきたさきさんの犯行です。で、自発的に買ってないからといって面白く読んでいないかというとそんなことはなくてわたしはこの二冊をずーーーーーーーーーーーーっとこの五か月間ごはん時に読み続けていました。

ごはん時に本を読む習慣があります。人と喋りながらご飯を食べるのが苦手です。Twitterも見ない。本を読んでいます。そういうとき読む本は武田百合子とか庄野潤三とか、なんというかプレーンな文章で均一なテンションで生活について極めてシンプルに描いてあるという種類の文章だったんですが、要するに「安心したい」から「安心できるような文章を読んでいる」、何故そこに菊池成孔が入るのかというと、

「ワアー知ってる人だーいや知らない人なんだけど不安神経症の人の書く文章だー」

と思うからだと思います。失礼に当たったら(とくにファンの方に)すみません……。

 

というわけで書いてあることの内容の九割は知らない情報なのですがほとんど、単に似たようなテンションで生きている似たような人が似たような言語を使って喋っているというのを確認するために読んでいます。なので内容がほとんど頭に入っていません。不安神経症の人は読むといいと思うよ……。

 

〈完全に愛されたら死ぬぞ談志。自殺願望さえ押さえつけられたままで〉と思っていたからでしょうか。しかし、ホッとしたりする等という事自体、そもそも愛する外野の営為であって、つまり結果愛しているわけですから、こんな絵に描いたようなアンビバレンスはありません。(「立川談志死す」)

ほとんど知らない人の追悼文なのに結構泣いたんですけど一番泣いたのはここなのはまあわたしの現状の問題ですが、「フィクションで泣く」とか「文章で泣く」というのは「ショックを受けて泣く」と「触れてほしい場所に触れられたから泣く」というのがあってわたしには菊池成孔を読んで泣くのは後者です。