朝ごはんと和解せよ

七時に起床してカーテンをあけて窓をあけて湯をわかしピッチャー二本分のお茶を作り(任意のハーブティーと麦茶、今日はクリッパーのレモン&ジンジャー)トイレに行って戻ってきてパソコンを開いて仕事をしているうちに昼になるという生活をついうっかりやってしまうのですが、

朝ごはんという概念が定着しない。

 

寝起きが悪くなかった覚えがない人生だったのですが、一人暮らしを始めてから唐突に朝七時(早いときは六時)にぱちっと目が覚めるようになりました。いわゆる「実家を出さえすれば全て解決する」案件だったということになりますが、記憶する限り6歳くらいの頃には既に寝起きが悪くしかも登校時間が長いために学校の近くに住んでいる子より一時間くらい早く起きなくてはならないし通勤時間となると片道二時間は当たり前だから起(略)という生活をしてきて、「だめだ! 通勤片道二時間はわたしには無理だ! 引っ越そう!」と思うまで十年の年月を経て引っ越したにも関わらずいま在宅で必死でパソコンを叩いたり資料の山をあっちへやったりこっちへやったりするのが仕事で別に昼夜逆転しても何の問題もないのに、たかが一人暮らしを始めたくらいで全て解決し朝七時に起きているのは理不尽ではないか。

別に誰が悪いということもない(しいて言えばさっさと家を出なかったわたしが悪い)んですが、理不尽ではないか。

それはともかく朝七時に起きています。夜十時には寝ていたい生活だしだいたい九時には寝ています。勤め人のみんなとSkypeのタイミングが合わない。いやそれも別にいいんだけど、わたしが起きていられそうな時に行くけど、この文章の議題は早起きができるようになってしまった理不尽さでもなく夜更かしができない弊害でもなく、それはどっちも別にいいよ、問題はどのタイミングで朝食を摂ったらいいのかよくわからないということです。

 

学生時代は当然朝起きていました。ろくに寝ていない(寝つきも悪かった、というか今思うと不眠症気味だった)ので食欲がなく、加えてうちの味噌汁はいろいろな点で雑なので、作ってもらっておいて文句を言うのもなんなので言いませんでしたがわたしはアサリの砂を噛むのが何より嫌いで次に出汁を取ったいりこがそのまま入っているのが嫌いだった、つまり頭がボーッとしているときにじゃりじゃりしたものが口に入ると自動的にエラーとして処理してしまうので味噌汁が飲めなかったのですが、今思うといちいちいりこと昆布で出汁取ってわざわざアサリの味噌汁作ってるのすげえな。飲んでなかったわけですが。アサリの砂を噛むのがめちゃくちゃ嫌いだったせいでアサリが嫌いでもっと言うと味噌汁が、そしていりこ出汁全般が嫌いな少女時代を過ごしましたが、大学生くらいで外食をするようになって全部和解しました。

のちに和解するわけですが、それはともかく外食を自発的に行うようになる以前、とにかく味噌汁が飲めないのです。そして選択肢として提示されたのは納豆ごはんでした。別に納豆は嫌いではないのですが、寝不足なので、納豆の匂いもエラーとして処理してしまって食べるには食べるんだけどよく通学中に吐いていました。

パンという選択肢がなかったわけではありませんが、常備されてはいませんでした。あとうちには大抵マーマレードしかありませんでした。マーマレードの苦みも(略)

というわけでわたしは朝食を諦めました。

 

わたしは食べ物についての文章を小説にしろノンフィクションにしろその中間くらいの文章にしろしょっちゅう書くわけですが、別にわたしは食いしん坊でも食べるのが大好きなわけでもなく、どちらかというと憎んでいる方だと思います。あいつらとの適切な付き合い方が分からない。栄養素というデータと味というデータの他に、記憶、憧れ、嫌悪、様々な感情的なデータが載っているものを、選択できるときは選択するし、選択できなくても何かを食べなくてはならない、適切なタイミングで、常に。毎日。作ってもらったごはんに文句を言ってはいけないことになっているし、養われている意味も考えなくてはいけないし、栄養バランスを考えなくてはいけないし、思想的な側面もくっついてくる。売れ残りの残飯を食うまでが仕事だと言われていた時代もあるし、よく食べれば褒められるから食べていた時代もある。よく食べるということや何を選んで食べるかということがセルフブランディングの側面すら持っている。

子供の頃はインスタントフードに憧れていました。バランス栄養食品にも。コンビニエンスストアにも憧れていました。文脈がなくて自由だからです。そして我が家はインスタントフードとお菓子は禁止でした。中学生になるまでコンビニで買い物をしたこともなかった。今は時々深夜にコンビニに行きます。深夜のコンビニは救いだ。どんなに不安でも社会は継続していることを教えてくれる。

 

おそ松さんの2話でチビ太とおそ松がディスコミュニケーションしていたことを思い出す。だから何だというわけではない。だから何だというわけではないが食べることの前提的な価値がどこかへ行ってしまってわたしはいまだにそいつを確保できない。朝食との適切な関係性が持てなかった人にはたぶんわからない。誰が悪いわけでもない。

 

朝ごはんを食べた方が全体的にシャキッとするのは知っている。朝食に重きを置いてだんだん軽くしていって夕食は軽めに食べるほうが睡眠状態が良いということも知っている。それなら実行できるかというとこれができずに四苦八苦している。

まず、空腹時のほうが文章が書けるので、起床時の空腹状態を阻害したくない。とりあえず一個片づけてから朝食を取ろうと思う。そうすると忘れていて十時くらいになっているのでどうせあと二時間でしかないのでもういいかと思う。さすがに頭がふらふらしてくるので昼食はどうにかする。オールブランフルーツグラノーラを2:1くらいで混ぜてヨーグルトをかけて食べると腹持ちが異常に良いのでそればかり食べていて、食事を摂ったというノイズが発生しなくていいんだけど、ほとんど空腹から逃げて時間を稼ぐくらいの感覚で食べてどうにかしている。先月末に浮かれていてペンネを四キロ買ったので、昼食の用意のついでにペンネを一合桝に二杯計って水につける。夕方になるとキャベツと豚肉に塩コショウをしてレンジで回して、水で戻したペンネを電子レンジで十分回して、合えて食べる。野菜や肉を触る気になれない時はレトルトのスパゲッティソースをかけて食べる。

朝食に限らず、食べることからどうにかして逃げようとしている。

食べることから逃げれば逃げるほど人間ではない何かになれるような気がしているのは知っている。

自由になりたいと思っている。

 

まあでも人間ではないふりをしている先に待っているのは必ず破綻だ。自分が地上に縛られており歴史と文化を背負って生きているということを認識するために明日こそ味噌汁を作ってごはんですよで米を食べます。朝ごはんと和解せよ。

 

料理をするという作業自体は好きなんだけど、いま(多分地震の影響で)野菜が高いんだよねえ。