おそ松さん感想のリタイアについてと架空の鹿のための追悼文

わたしが「何を」確認したのかの細部までは言いませんが、というか、「確認して介入するのは手に余る」と思っていたので極力視界に入れないようにしていたのですが、わたしの感想文を援用したかたちで、なんか、なんだ? 対立構造が発生している? というようなシーンを、まあいい加減見ないふりをしないわけにはいかなくなりました。

わたしはおそ松さん感想を、まず友人のために書き始め、それから「鹿のエントリを読むのが楽しみで松を観ているよ」と言ってくれる友人や知らない人々、そしてあんまりにも何が起こったのかわからなくて混乱しているカラ松担に寄り添う形で(結果的に途中から自分自身も当事者となって)書き続けてきて、わたしの認識としてはそれはあくまでも小規模なものでありあくまでも一個人の感想文のつもりでした。そしてそれは「おそ松さんはとてもおもしろいよ」「いろんな読み方ができるよくできた話なんだよ」ということを伝えてあのアニメをもっとたくさんの人に楽しんでもらいたいという気持ちから発したものでした。2000人のフォロワーのリアクションを常に気にしているのは荷が重すぎると思いながらもアカウントに鍵をかけなかったのも極力ブロックをしなかったのも、「そうか、わたしがおもしろがってることで、わたしをおもしろがりながらおそ松さんをもっとおもしろく観られる人がいるってことなんだ、それって松公式にわたしができる一番のお礼じゃん! だってこんな面白いアニメ観たことないもん、なんでもしたいよ!」と思っていたからです。

しかし、これは誇張ではなく状況は膨らみすぎて何故わたしはこれを扱わないのかこれにはこのような反証がある、おまえがこれを認めないと政治的に障りがある、被害を蒙っている、こういう文脈になってくると、もうわたしがあの作品に対して感想を書いて発表していくことには、あまりにも別の意味が乗りすぎています。

わたしはそもそもたくさんの人に読まれたかったわけではありませんが、たくさんの人の役に立てたのならうれしいと思います。しかし「わたし自身が」誰かを傷つけるのならともかく、「わたしの考え方を使って誰かが誰かを」傷つけるのだとしたら、わたしが「発言力を持ってしまった」ことに対する落とし前のつけかたはひとつです。

おそ松さんの感想を(少なくとも放送中は)発表することを控えます。それが最適解だと判断しました。16話について話したいことは本当にたくさんあります。でもそれが誰かの為になるのかわからなくなりました。16話以降の感想に関しては放送終了後にまとめていずれどこかで。

あいつらに、一緒に全力で走れなくてごめんと言いたい。ずっと観てるよ。頑張って。

そして5話から一緒に(わたしのなかのカラ松に対する感情がコントロールできなくなりそうだったのでTwitterフォローはしていませんでしたが時々拝見していました)カラ松の人生の悲哀に向き合って並走してきた人々に本当に申し訳ないと思う。ここまで一緒に来たのに梯子を外してごめん。

 

そして併せて、すでにTwitterID:bkydに対してあらゆる悪意が寄せられることに疲れました。あそこはもうわたしの静かな遊び場ではなくなりました。

「たくさん好意的なリアクションがあること」には、「たくさん悪意が寄せられること」を癒す機能はありません。少なくともわたしにとっては。それでも悪意を含めて向き合うべきではないか、批判されそれを受け止めることこそ、褒めてくれる人がいればいるほど、裸の王様にならない唯一の方法ではないかと思っていました。でも寄せられる言葉はあまりにも、内容以前の問題として見るに堪えないものでした。もはやわたしはあそこで愚痴ひとつ言えません。

もう限界です。

bkydから一旦ツイートを全削除し、日常的なツイートを全てやめ、ブログやnote、出版物の告知と、思想的にこれは言及しておきたいという種類の発言だけをあそこで行うことにします。要するに「告知垢」として使うことにします。併せて、二次創作を行い腐女子であるということに対してあまりにも面倒なリアクションを目にしすぎたので、おそらくもう二次創作をやることはないと思います。LDCへの寄稿を最後に、中澤ユーハイムという名前に幕を下ろします。

というわけでわたしの6年と少しのTwitterライフは幕を下ろしました。友人とやりとりをするクローズドSNSとしてのアカウントはありますが、インターネットの有象無象とリプライのやりとりをやる気は今後一切ありません。メールアドレス(knk.bkyd@gmail.com)は生きていますのでなにかありましたら昔ながらの方法でご連絡ください。

そのころ大好きだった漫画家さんのツイートを眺めたいために2009年に始めたTwitterで、そのころはまだ有象無象と楽しくつながることができたフォローミータグでよくわからない人とよくわからない親睦を深め、わたしは歌人たちと関わり、アニメ論壇と関わり、フェミニズムに片足を突っ込みながらぶつぶつ言ったり喚いたりして生きている元気の良い連中と関わり、たくさんの萌えを誰かと共有し、別名義というかたちでしれっと全く他人のような顔をして全く他人のようなアカウントを運用してリプライのやりとりをして遊び、唐突に短歌が作れるようになり、ハイスピードのツイートと二次創作更新で趣味の合う友人をいたぶり、神と親友と外部脳と出会い、躁鬱で泣きわめきジャンプ感想を喚きアニメ感想を喚き、たくさんの頭の良い人たちとたくさんの気のいい仲間に、おまえは面白い奴だ良い友達だと言っていただき、そして喧嘩も絶縁も無数のブロックも炎上を笑いながら薪をくべる悪趣味なインターネットしぐさもしました。

bkydはbackyardの略、裏庭です。わたしは裏庭に住む鹿で、そしてそこには気のいい動物たちとすこし疲れた連中がときにへらへらと時にさめざめと感情を吐露している、ただそれだけの場所だった。わたしはbkydが好きでした。そこにはもうだれもいません。誰が悪いわけでもないけれど、ただわたしはそのことを追悼しています。

6年と少しとても楽しかったです。たぶんTwitterがなかったら生きるのはずっと辛かった。

架空の鹿を害獣と呼んで可愛がってくださってありがとうございました。たぶんそいつは、実在していました。