ここにいるのは辻菜摘さん(腐女子歴16年)と、その大学の先輩こと大学二年生の時同棲していた相手である山口菜種くん(脱サラパティシエ見習い)であり、場所としてはパティスリーが経営する洒落のめした創作料理レストランだった。馬鹿かと辻さんは思った。
・なんでこういう話をする場所としてこういう静かな空間を選ぶのか
・なんでこういう話をする場所として仕事に関係ありそうな場所を選ぶのか
・なんで唐突に爆弾を落とす場所に以上の二点を選んだのか
・わたしになんのうらみがあるのか
辻さんは今すぐにでも席を立ちたかったのだが、全体的にぱっとしなかった料理のしかしラストにやってくるはずのデザートだけはピシッとキマッていることが予想される以上、一瞬判断が遅れた。その間にビビッて浮かべた涙をひっこめた山口くんは、非常に真剣な顔で言った。
「辻ちゃん、オタクアカウント分けてるでしょ」
「あれもオタクアカウントですけど」
Twitterの話である。
「シーピーの話をするためのアカウントがあるよね」
「なんでいまコンテンツプロバイダの話がでてくんの?」
「いや、文脈」
「……! ……カッ……プリン……グのことか!」
タイムラインのことをティーエルって言う人かおまえは! なるほど実際TwitterではCPと書くのだから(カプとも書く、というか、辻さんは音に出してはCPをカプと読む)その通りに読めばそういうことになる。辻さんは高校生の頃BLという言葉をボーイズラブと路上で発声してオフ会でひんしゅくを買ったことがある。いやそんなボーイズラブくらいで大げさな、ちんこって言ったわけじゃねえんだぞ、と思ったがいまでは辻さんもBLをビーエルと読んでいるのだった。
「辻ちゃんのTwitterアカウント、あれどうせ僕らと話を合わせるためのやつでしょ? ――とか一応観たってだけでしょ」
「おい女オタクには戦車はわからんとか馬鹿にしてんのか」
「あっすいません」
「してんのは否定しないの」
「戦車わかるの!? 僕はわからないけど……ごめん話がそれた。だからさTwitterアカウント別にあるんでしょ、教えてよ」
「やだよ」
ちゃんと話が逸れそうになったのに山口くんという男はこういうときたいへん気働きのきちんとした男でありそしてしつこかった。ごめんとは言うが納得をするまで撤回しないことも辻さんは知っていた。そういうところが面倒でかつて辻さんは山口くんを切って別の男に移ったのである。面と向かって言われたことはないが辻さんは陰で合法ロリビッチと呼ばれていたことをちゃんと知っている。「盛りすぎじゃね?」と思った。事実なんだけど。
「じゃあCPだけでも……」
「ぜったいやだよ」
「なんで。僕言ったじゃん」
「知りたいとは言ってない」
さっきはテンパって大声を出してしまったが辻さんはちゃんとその日清楚なワンピースを着て髪だって超珍しく巻いて来ていたしTPOがわかっていないわけではなかった。声を低めて返事をしながら、こいつどこまで計算でやってんだろう、と辻さんは思った。大声が出せなくて強気に出られないのでこのままではずるずる言われるままになってしまう。辻さんの最も不本意とするところだった。そうだ。不本意なのだ。ということはだ。
辻さんはスッと顔を上げた。目を細めて山口くんをじっと見返した。肉をせっせと切っていた山口くんは手を止めて顔を上げて若干たじろいだ。辻さんは十分に間を持たせて、ていねいに口角をあげて微笑み、甘い声で静かに言った。
「▼△」
「……この話はなかったことに……」
「ほらァ! おい待て席を立つな肉を食え」
「ウワッ辻ちゃん▼△なんだ!? ウワッ、ウワーッこわい」
「おい失礼だぞ」
「なんていうんだっけこういうの、専門用語で」
「地雷です?」
「あれってスイッチどっちにあるの? 僕? 辻ちゃん?」
「知らねーよ。いやごめんって。気持ちはめちゃくちゃわかるよ。いまの▼△の人たちついてけないしわたし超浮いてるもん。なんならハブられてるもん。ていうかわたし女の子の友達いないもん。いないもん……昔から……できたことない……」
「辻ちゃん……」
「△○、いいよね……わかる……わかりがある……わかりしかない……わかる……」
「辻ちゃん……!」
彼らはしばらく無言でメインディッシュを食べた。イカはちょっと硬かったし、こういうシーンでイカ、完全にどうかと思うと辻さんは思った。言えよ。おまえも。ちょっと今からの話題にイカはどうかと思うって。
「……アカウント教えてよ」
「先週消しました……」
「新しく作ってよ……」
肉を見つめながら山口くんは言った。そう、こういうとき目を合せないところがわりと気にいっていたのだった、と辻さんは思い出した。
「それで僕と△○の話しよう」
ダメ押し。
「▼△の話も聞くから……」
うん、って言っちゃうよね。
教訓:
辻さんも山口くんもそれなりに偏見を内面化していますが、それはともかくお互いへの敬意を持つことはとても大切なことです。