外マドレーヌ─哉村哉子いろいろ置き場

のぞまれたくうはく

親戚が整理してくれていたいくらかの金が手元にあって、家を買った。弟には黙って買った。
地方の片隅にある、古い小さな、平屋建ての一軒家。安かったけど不便で、まあ、不便なのは別にいい。車があるから。
買う前に、ひとり車を走らせて、家を見に行った。案内されて奥まで部屋を進んだときに、手触りがあって見下ろしたら、そこに闇が広がっていた。
闇は、わたしは神、と言った。
と思う。
その家を買うことにしたのは、そこに神が棲んでいたからだ。神、あるいは、そう名乗っているもの。
よりしろがほしい、と神は言っていた。多分。
それは言葉ではなく、思い込みに近しい感覚で、自分の頭の中に神が語りかけてきているのか、自分がそう思っているのか、境界は極めて曖昧だった。
うつわがほしい、と神は言っていた。多分。
弟は警察の勤務を続けていて、多分それは楽な勤めではなかった。おれはのぞんであやまちをおかし、弟の肩にあやまちをのこして、ほかの道をうしなっていた。おれの家とおれの神について、おれは弟に打ち明けなかった。そうして黙ったまま、おれは弟を、その家に連れて来た。
夜中眠れるだけの酒と薬を。夜中走れるだけのガソリンを。夜を徹して見つめるだけの洪水のようなヘッドライトを受けて、後部座席に寝かせたまま、おれは弟を拉致した。
そうして今、家の奥の部屋、床の間の前に弟を転がして、おれは神と話している。
「うつわを持ってきた」
言葉の通りに、からっぽだったらいいなと思う。
おれの弟が、そう見えているとおりに、からっぽだったらどんなにいいかと思う。そうであれば奪われたものはなにひとつないのだから、おれが勝手にこの肉体をあつかっても何の罪にもならないはずだと思う。けれどそれは、ただおれの願ったこと、おれがそうであれと弟に教え込んだことにすぎなかった。ほんとうはからっぽではないこの肉体を、おれはしかし、うつわと呼んだ。
そうではないと知っていて、そう呼んだ。
そうめんを茹でている。透明な皿に、ふたりぶん盛る。刻んだ薬味をそろえて、おれは弟の名前を呼んだ。ただひとつ、残されたおれの家族だった。そしてこれは、おれがのぞんでおれが用意した、おれのための家だった。
弟が身を起こす。おれを見上げて笑う。口が動く。言葉は漏れなかった。自分が何者だとも、弟は言わないまま、ただ静かに、笑っていた。
ようやくおまえを素直に愛せる。

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