佐藤さんは枯葉が巻き上げられて踊る夕べ、放流するダムの見える山の中腹でわたしにだけ付いてこなくなった月の話をしてください。
今でも時々、風になったときの夢を見る。僕は一度神になって、それから風になったことがある。風になったときは、これでどこまでだって行けると思って嬉しくて、それは、父親を探すためなのだろうと、そう思った。
今でも、風になって父親を見つけ出そうとしていたという、記憶について、夢に見る。
でも、月の裏側には行かない。というか本当はもう気づいている。月の裏側まで行かないと見つからないと思うほどに、父親の発見を、もう、諦めているということ。それは悲しいことではなく、父親がいないかたちに、とっくの昔に人生は、変質してしまったのだということ。
たぶん、いいことなのだろう。
感情が決壊してしまったように泣く田中が、あの日、僕の前にいて、人間の形を取り戻した最初の姿がそれだったということも、僕の人生の変質を現していた。田中は、そういうんじゃなかった、人間との距離を、慎重に測っているタイプだと思っていた、暴走するとしてもそれはたとえばゲームのためで、自分が大事で、自分だけの世界に生きていた、と、思う。
お互いのためにお互いを変えるのが、一緒に生きる、ということかもしれず、それってあれだ。
「テセウスの船」
「ああ。全部入れ替える奴」
「かも。僕って」
「佐藤は、変わらないよ。いや……そうでもないのかな。大人になったのは、そうだし」
「大人になれたかなあ」
「ガキのころはいけすかなかった。いけすかなかったのは、俺もだけど」
「いけすかなかったかなあ? 消しゴム集めなんて、無邪気な遊びだと思うけど」
「無邪気な……遊びでは……ないけど……まあ、無邪気な遊びだったのかもな。そうかもしれない」
「田中と仲良くなれて嬉しかった」
「仲良くはなかった。なあ、記憶に齟齬がありすぎる。ちょっと細かいところまで詰めたい。おまえの見ていたあのクラス、いくらなんでも牧歌的すぎないか」
「学校は楽しかったんだよ。学校にあんまり行けなかったからだと思うけど」
「ああ……」
「別に、あのころはさ~。旅行も別にまあ……」
「もっと細かいところまで詰めて聞きたい。ていうか旅行とか行ってたんだっけ。親と微妙みたいな話は聞いた気がするけど」
「田中って僕に本当に興味がなかったよね」
「過去形になってよかった。覚えてるから、テセウスの船ではないんじゃないか。連続性がある。入れ替わっていたとしても、佐藤には違いないし」
「田中って今は僕に興味ありますか?」
「一〇〇点中一〇〇点」
「関心の量?」
「まあ、大げさな嘘だけど」