外マドレーヌ─哉村哉子いろいろ置き場

世界の終わりの話 第10話

田中さんは旅立ちに適した日、月のうらの砂漠で風で飛ばされていったものについての話をしてください。

東京の異変のおわり、そこには佐藤がいた。
「迷ってたんだ」と、俺の前に立って、佐藤は言った。
「何を?」
俺はあらゆる感情をこらえて静かに訊ねた。目の前がぼんやり曇って、ああもうじき俺は泣くな、というか、今もう、泣いてるな、と、俺は、他人事のように冷静に考えていた。
「このまま月の裏側まででも旅立って、失踪してしまった父親を見つけ出すまで帰らないことにしようかって。それか」
佐藤は、まだ現実の存在では無いかのように、おぼろげな口調で、ぼんやりと言いながら、俺に手を伸ばしてきた。頬に佐藤の手が触れた。熱い手だと思った。存在していた。
「田中のそばに、ただの風であっても、留まろうかって」
「……選択肢にあってよかった」
「選択肢にあってよかったと思えて貰えてよかった」
「どこまでが気の迷いでどこからが混乱でどれくらい吊り橋効果とかそういう奴なのか、自分でも判断がつかないから、今から言うことは一旦忘れて欲しい」
「うん」
俺の頬を伝った涙はそのまま佐藤の指を濡らして、濡れるから触らなくていいと思った。手を放していいと思ったのに、佐藤は俺の涙を拭った。俺はハンカチをポケットから引っ張り出した。佐藤はそれを取り上げて、俺の目を再度拭った。
「俺の人生において佐藤は最初から特別で今でもそうだ。最初から憧れでいまでもそうだ。でもそれはおまえが神様だからじゃない。俺の人生の主人公がおまえなんだ。おまえの物語のそばにいないと、俺は存在できないし、存在する意味も価値もない。人生に価値が、はなからひとつもない。だから俺を、おまえの人生のモブキャラにしていてほしい。ずっと、そばにいて、おまえの人生が旅立つなら、俺も連れていってほしい。返事は要らない。否定の言葉も要らない。田中の人生の主人公は田中本人だとかいう綺麗事も要らない。ただ、俺の人生を連れていくと、どこまででも連れていくと、そう、約束してほしい」
佐藤はいつだって都合の良い奴だった。残酷なほどに。
「田中の人生の主人公は田中だよ」
「うるせえ」
「でも、風じゃなくなれてよかった。戻って来れて、ここにいられて、佐藤省吾でよかった。風には、涙が拭えない。田中。僕を呼んでくれて、ありがとう」

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