佐藤さんは木枯らしの吹く日、暗い淵を覗き込んでちびた鉛筆が一本転がっていった話をしてください。
東京に異変が起こる。
僕は空の上を吹いている。風になったんだ、と僕は思う。僕って子供の頃から体が重い方で、どんくさかったので、空を吹き渡っていて嬉しい。僕は、冬の冷たい風になって、東京のあらゆる場所にいる、今は。
僕の好きな人がいる。僕の大切な人がいる。僕の上司がいる。僕の後輩がいる。僕の関わった依頼人や調査対象がいる。僕の友達がいる。僕の家族がいる。でも僕の父親はどこにもいない、少なくともこの街にはいない。いない、ということがわかってよかった、と思った。消しゴムを食べて神様になってよかった。このまま東京から出て行って世界中を回って、父親がどこにいるのか見つけ出そう、と思った。
田中は、ひとりで大丈夫だろうか。
それだけは気がかりだった。田中はかつて死のうとしたことがあった。ソシャゲのデータが失われたこととか、飼っていた鳥が死んだこととかが、トリガーになったと言っていた。僕は多分田中の人生の一部分になっていたと思うから、田中は僕がいなくなって、自分の人生からまた、失われた、と思うだろうな、と思った。五百万かけて得たデータや、青春をともにした鳥とは、重さが違うかもしれないけど。
僕たちは、それなりの期間一緒に過ごしたと思うし、お互いに大事だと思っていると思うし、お互いに、一番最初に連絡を取るくらいの間柄だと思っている、はずだと、思うし、一番仲の良い友達にいつのまにかなっていたと言ってもいいと思う。でも、ただそれだけだといいなと思う。田中がすごく傷ついて、絶対に幸せになれないと思っていないといいなと思う。
もう、思うことしかできない。
父親を探すのと、田中のそばにたとえ風としてでも留まるのと、どっちが大事だろう、と思ったとき、ふと、視界に、淵が見えた。
空間に淵がある。真っ直ぐな裂け目。空と、目の前と、地面を割って、真っ黒な裂け目が伸びている。地面の上、アスファルトを伝う裂け目に、小さなものが転がっていく。あれは、そう、鉛筆だ。ちびた鉛筆。小学生って鉛筆しか使わせてもらえない。小さくなった鉛筆を、アルミの軸につけて使って、最後まで使い切って、でも使い切れないぎりぎりの分。残った分。
が、暗い淵のなかに、落ちていく。
あ。