佐藤さんは酷暑に、やどり木の下でオルゴールにつけられたバレリーナの人形の話をしてください。
東京に異変が起こる。
僕たちは子供の姿に変わっていって、どんどん退行していって、いずれ消え失せてしまうらしい。もともと子供だった連中はもう消滅してしまい、僕たちも徐々に、消滅へと近づいている。あるいは、それは僕たちにとって消滅に見えるだけのことなのだろうか。皆どこかに行ってしまっただけなのだろうか。
知らない誰かのコテージにいる。交通機関も何もかも破綻してしまったので、東京からここまで、僕たちは歩いてやってきた。誰もいない海辺に建っている、誰かが避暑で使っていたらしいコテージには、食べ物はあまり残っていなかったが、屋根と壁と床と、何より寝具が残っていた。穏やかな時間が過ごせてよかった、と思っていたけれど、ぼんやりと、気に掛かっていることがひとつ、あった。
今日は暑くて、電気のつかない家の中にいるのが苦しくなって、コテージの庭に出た。見あげるとやどり木があって、やどり木の下でキスをするという外国の風習について思い出した。永遠に愛が続くという話だったと思う。もちろんそういう冗談だと思うし、今の状況で、そんなわけで僕とここでキスをしてよと田中に言うのも変だなと思って、でも、その選択肢に上がるくらいなんだけどなと思って、田中はどう思っているだろうと思った。ここまで一緒に歩いてきて一緒に過ごしていて、田中はどう思っているだろう。ここに来てから、田中はずっと寝転がったりブランコに乗ったりしてぼんやりしているばかりで、話しかけても反応がない。
やどり木の下に、何かが落ちていて、拾い上げるとそれは、薄いピンク色で彩った、パステルブルーの陶器だった。ふたをあけると、オルゴールだとわかった。陶器でできたバレリーナの人形が、くるくると回り始める。
気に掛かっていることがひとつある。
くるくる回る人形を、キスする相手なくやどり木の下で眺めながら、僕の人生って、ひとりでくるくる回る人形みたいだな、と思った。自分の人生にピン留めされていて、外側に行けない、どう頑張っても、誰にも接続できないで。
今この瞬間、田中がここに来てくれたら、僕はくるくる回る人形ではなくなるのかもしれない、と、急に思った。急に切実にそう思って、でもすごく暑くて昼日中に外に出ているべきではない状態なのにこんな場所にいて、田中は具合が悪いなら寝ていて欲しいと思ったし、今この瞬間にここに田中が来ることはない方がよかった。ない方がよかったからこそ、急に今、そう思ったのだと思う。
救いが来ない方がいいと思っていたのだと思う。