田中さんは胸がしくしく痛むほど寒い月曜日、まだ少し湿ってる運動場でわけもなく感じた辛さについての話をしてください。
子供の頃、これを忘れないようにしよう、と思ったのを覚えている。なんてことのない風景だ。体育の時間で、俺は校庭に立っている。朝立っていた霜がそろそろ日に溶けて、運動場は少しだけ、湿った匂いを漂わせている。マフラーを巻いた佐藤が、校庭の隅にしゃがみ込んで、ぼんやりとこちらを見ている。
体育は好きではなかった。うまくいかないことが多いからだった。俺はまだコンピュータゲームを始めていなかったが、あの頃から、やればできるぎりぎりを管理される心地よさが好きで、人間の身体能力に強く依存するゲームはクソ、と思っていたと思う。それはたとえばジェンガだし、たとえばドッジボールだった。ちなみにものによっては音ゲーも含まれるが攻略法があるので、ゲーム性自体はそんなに嫌いではない。ギャラリーの前で叩くのは嫌いだが。いや、これは現在の俺の話だ。
俺はだぶだぶに着込むのが嫌いな子供だったので、冬はいつも曖昧に具合が悪かった。ことにその日は胸にかなしみを抱えていると錯覚するほどの寒さで、今なら冬季鬱、という言葉がふさわしいと思ったかもしれない。そのときの俺は、ドッジボールが嫌で、あと、外側にもう出ていたから暇で、だから佐藤を見ているのだと思っていた。
佐藤は風邪を引いていて、一応学校には出てきたがまだ治っていないので、見学をしていた。佐藤というのはそのころ、とにかくしょっちゅう親に連れられて海外に行っていて、今思うと海外で貰ってきた風邪だろうし学校に出てくるのは感染症的な観点からもどうかと思うが、とにかくその日、佐藤はぼんやりと赤い顔をして、校庭の隅から俺たちを見ていた。
佐藤に対する憐れみではなく、胸のかなしみ、ただ寒いというだけの理由からくるかなしみのために、俺は校庭のぜんぶを恨んでいた。佐藤に対する憐れみは、なかったと思う。わからないが。
ただ、今この瞬間を、覚えていようと思ったのを、今でも覚えている。
世界の外側に佐藤がいて、かなしそうな顔をしている。苦しみながら俺たちを見ている。俺は世界のぎりぎり内側にいて、俺もここでかなしい。世界の縮図、と今なら言えるがそんな語彙もなかった。そんな陳腐な語彙は、手に入れない方が、でも、ずっとよかった。
校庭に立っていた。今胸が痛むのは、大人になったら、錯覚としか思えなくなるのだろう、とも。