佐藤さんはけだるい五月の昼前、まばらに人がいるファミリーレストランで足りないものをごまかした話をしてください。
だめだこれ、きれいに割れない、細かいのがないから、と言って、田中は机の上に、百円玉をひとつ、置いた。午前十一時半、ファミリーレストランにいる。田中は会社の昼休みだと言っていた。昼休みにわざわざ会うくらい、面白い話ができたかどうかは、定かではない。
「綺麗に割れないがすぎる。いくらなんでも百円は多い」
「言うほどか」
「待ってホントにない? 崩せるかも」
「そもそも今時何で小銭でやりとりしなきゃいけないんだ」
「PayPayやってないから……」
選択肢がある。
▼今すぐアプリを入れる。
▼小銭のやりとりを通じて、ぬくもりを感じ続ける。
たぶん②を選びたかった。選んだ方がいいとかじゃなくて、選びたかった。そのとき急に、選択肢って、選んだ方がいいから選ぶんじゃなくて、選びたいから選ぶのかもな、と思った。もちろん、選んだ方がいいことが、ふたつあることも、あるんだけど。
「じゃあ次」
ぬくもりを感じたいという感情の底に、なにが眠っているのかよくわからないまま、細かい分析を後回しにして、僕は言い募っている。
「次会ったら、えーと、三十二円渡す」
「それはリソースを割くべき記憶なのか?」
「メモしとく」
「リソースの意味では大差ない」
「僕は田中にリソースを割きたいの!」
売り言葉に買い言葉みたいなタイミングで言うことではなかったかもしれないが、選択肢は急にポップするものだし、僕はそのルートに行った。田中は少し、固まった。
一般的に昼休みは十二時からだから、客はまばらで、机を叩いて立ち上がった僕を注視する人は誰もいなかった。いや、正確には、田中以外、いなかった。田中は立ち上がった僕を見上げて、瞬きをして、「座れよ」と言った。座った。
「じゃあ」
「うん……大きな声出してごめん……」
「じゃあこの端数、佐藤が持てば、記憶はしなくていいと思うけど」
「いや何にも分かってない。おまえはさ、何にも分かってないんだよな。何にも分かってないよ。次いつ会えますか⁉」
「どういう……ああ」一拍置いて、田中は、俺を注視した。「ええと。はい」
僕はまた立ち上がっていたのでまた座った。入ってきたばかりの客と目が合って気まずかった。
「残業なかったら連絡する」
「今日? いや今日じゃなくてもいいんだけど」
「今日連絡する」
「リソースをさあ」
「持ち越すな」
「残業あっても連絡欲しいですけど……」
田中は百円玉を財布に戻した。やたら小さな財布だった。PayPayとか使う人は財布って要らないのかもな。
返事はなかったが、しないとも言わなかったので、今日の夜は、まあ、終電までは待つ。