田中さんは夜通しDVDを見た翌日の朝、綿菓子の香りがする泡で満ちたバスタブで不注意でガラスを割ったことについての話をしてください。
「眠かった?」
「眠かったわけではない……」
「ぼんやりしてたけど。疲れてた?」
「疲れてたわけでもない」
壁に映像を映せておもしろいからという理由で、いわゆるラブホテルと呼ばれている場所で一晩過ごした。誘ったのは俺で、ずっとそわそわしていたのも俺だった。
いつからだろう。佐藤のことが俺は、多分、好きなのだと思うけど、それが特別な意味を持つようになったのが、いつからなのかよくわからない。俺の人生には俺がいて、他の者は要らない、というのが、俺にとって普通のことだった、と、ずっと、思っていたのに。
だからホテルで、ひとばん一緒に過ごしたら、自分の感情の正体が分かるのだろうかと思った。もっと切迫した気持ちに、もっと切実な気持ちに、たとえば佐藤に告白をしてみるだとか、そういう心情になるのかと思ったが、別にそうでもなく、単に朝が近づいている。
アクション映画は大きな画面で観るのが一番、と佐藤は楽しそうに言って、最後のDVDをぬきとった。
「せっかくだから風呂入って帰ろう」
「泡のがついてた」
「泡の風呂ってやったことないな」
「水入れる前に浴槽にいれとかないと泡が立たない」
俺が指摘すると、佐藤は少し笑って、「何でも知ってる」と言った。何でもは知ってない。
「なんか田中、ぼんやりしてたけど」
それより俺は、佐藤が意外と人の顔色を窺ったり、態度を読んだり、そういう機微があるのが不思議だと思っている。何も考えていないように見えるのに、別にそんなこともないんだよなと思う。俺が映画に集中していないということに気づいたりはするんだよな。
だから、気をつけないと、と、思う。
俺が佐藤のことをどう思っているのか、どうしてここに連れてきて、どういう目的があって、どういう下心を抱えているのか、少しでも漏らしたら佐藤はちゃんと理解すると思う。それは、多分、俺が望んでいる通りのことにはならない、はずだった。俺は佐藤に、少なくとも嫌われたくなくなかった。この距離のままでも全然構わないと思いながら、しかし、好意を持っている相手とラブホテルに入ってみるのはどう考えても踏み込みすぎだった。踏んだら割れて足の裏を傷つけるガラス程度の強度で、俺はぎりぎりを攻めて、この関係を壊したがっている。
試している、と思う。
俺は試していて、佐藤はその俺の感情には多分気づいていなくて、あるいは、気づかないふりをしてくれていて、やたら無邪気な声で、「ホントに泡が立つ」と言って、バスタブを覗き込んでいる。