どうして愛していると一言も言わなかったのか、と彼が言う。
森の中で朽ち果てていく男を見ている。そうしてなにもかも全て朽ち果てていこうとしているというのに目の前にいる男は美しいので絶望だった。どこまで墜ちればこの男は同じレベルになるだろうと思った。悔しい? いいえ。ずるい? いいえ。滑稽だ? いいえ。どう転んでも絶望だという感想しかなくそれはもうずっと長い間繰り返されたことだった。
夏目漱石、とつぶやくと、彼は笑って、言い返した。「もう死にます」彼は何でも知っていて誰よりも美しくて完璧なかたちをしている宝石であるということを既に知っていたからそれはもはや確認する必要すらないのだった。森の中にいる。そうして闖入者として立っている不快感だけがそこにありもうここにいてはいけないと思う。
「なあ」
甘い声だった。
「これまでに何匹猫を殺した?」
これは都合の良い夢なのではないかと思う。なぜなら彼はけっして責め立てるということを知らなかったはずだからだ。どのような罪を犯したとしてもなにひとつ責めることができないはずだったからだ。だからこれは本当に問いかけられていることではない。そうであるはずがない。その内容も事実無根だ。そのはずだ。愛するものを手にかける罰。
最も利己的で自罰的なエンターテイメント。
これまでに何を殺した? 猫を何匹殺した? それ以外の動物は? 彼を。これまでに何度、
「これまでに何度俺は死んだ?」
死ぬ前に間に合ってよかったと思った。まだぎりぎり生きているからよかったと思った。どうせフィクションだ。明日には生き返る。それならそのエンターテイメントは、そうだ、俺、の、ものだ。俺、が、それを、手にしなくてはならない。俺、が、森からあんたを奪還しなくてはならない。
「どうしておまえは俺を殺した?」
「――――――――たぶん」
そうしてそれから先の言葉が見つからないので森の中で朽ち果てようとしている男はまるで生まれながら許すための微笑みしか知らないようなしぐさで笑って言った。
「俺を憎んでいると、どうして言えない?」