6.かさね - 4/7

 似鳥美波のそばを飛ぶカルラを、美波は、オーコーチ君、と呼ぶ。オーコーチ君の目は私の目として、見たものをそのまま、私に伝えている。私はオーコーチ君の目を通じて、美波を見ている。
 美波は首をかしげ、「なんだか最近、うまく飛べないな」と言う。手をオーコーチ君の細い足にまとわりつかせ、「こうしないと、バランスがとれないんだよね。オーコーチ君だいじょうぶ? 邪魔じゃない?」
『邪魔じゃないけどさ』オーコーチ君は答える。『ニトリが空飛べなくても、別に困らないと思うけど、それってなんか、ヤバい感じ?』
「ヤバい、のかも、しれない魔法が終わっちゃったら、困るなあ、いやだなあ」
 美波は、山に守られたこの街のなかで、カルラを弱体化し、ジャータカを閉め出した。けれどそれだけだ。美波が守っているのは、この小さな町だけだ。
 ねえ、とオーコーチ君が、私にむかって呼びかける。街の外では相変わらず、ジャータカたちは増え続けていますか、マスター。
 そうだね、と私は答える。世界はゆっくりと、ジャータカによって滅ぼされつつある。いつか人間は、ジャータカなしでは生きられなくなるだろう。そしてそのあとは、人間がジャータカになってゆくだろう。
 別に俺はそれでもいいけど。オーコーチ君は笑って言う。
 でもマスターはそれを止めたいんですね? そしてニトリも、それを止めたいんだ。
『ニトリは、どうして、姉ちゃんを、助けたいの』
 小さな体で、不安定に飛ぶ美波を引き上げながら、オーコーチ君は問いかける。美波は首をかしげ、「……かわいそうだから」と言う。
「あたしを殺さなきゃいけないって思った、きーこちゃんが、かわいそうだって、思ったから……でも、そうじゃないのかな。ほんとうはきーこちゃんだって、やりたいとおりになんだって、やっていいのかもしれない。だれだってみんな、やりたいとおりにやっていいのかもしれない。あたしはきーこちゃんを止める権利、ないのかもしれない。きーこちゃんが今、幸せなんだったら」
 たとえ、美波を殺したのだとしても。
 そうだ、似鳥美波は、すでに死んでいる。
 似鳥美波の体は山のおく深くに埋められて、腐りつつある。
『姉ちゃんを恨まないの』オーコーチ君は尋ねる。それはそのまま、私の問いかけでもある。
「恨まないよ。たぶん、あたしが悪かったんだ」
 美波は答える。
 美波は街を見おろす。
 小さな町の、中学校。山に守られてそれはそこにある。きらきらと輝くプールで、少女が泳いでいる。深閑とした美術室で、少女が絵を描いている。とりどりに咲く花を見おろして、少女が満足そうに笑っている。魔法の呪文を唱えるの。ちいさな幸せを、魔法の呪文で手に入れて。わたしたちは幸せだから、それでいい、それだけでいい。
 幸せな少女たちを見おろして、美波は笑う。
「きれいだね」
 美波は言う。
「ここで唱えられる魔法の呪文は、いつも、きれいだ。……あのさ、ここがとってもきれいだから、これがずっと見ていられたらいいのになって、あたしはそう思ってる。やっぱりきーこちゃんは可哀想だな。あたしのつくったきれいな世界に、きーこちゃんも、来られたらいいのにな。きーこちゃんはどうして、こんな世界を、願わなかったんだろう」
 美波は笑う。笑って、その小さな街を見おろす。大きな山が陰を作る、こじんまりとそこにある、そこにはなにもかもがある。美波はうっとりと街を見おろしている。
 でも、とオーコーチ君は/私は、口にしない。けれどおまえの魔法は終わりつつある。山の中でおまえの体は腐っている。おまえはいずれ空を飛べなくなるだろう。
 そうすればユートピアは終わりだ。

 似鳥美波は、山に住んでいる。
 似鳥美波は、カルラを従えて、空を飛ぶ。
 似鳥美波は、中学生だ。
 似鳥美波の通う中学校では、なにもかもが受け入れられる。
 この街には、魔法の力が満ちている。
 しかしこの街には、魔法少女もジャータカも、存在しない。
 この街は、私および似鳥喜多子の干渉から、自由である。

 この街の魔法は、似鳥美波が与えているものだ。
 似鳥美波は、魔法を、少女たちに教えている。
 この街は、似鳥美波の支配下にある。
 この街は、似鳥美波に守られている。
 この街は、似鳥美波の住む山に、守られている。

 美波は風を受け、体をふわりと浮かび上がらせる。そして、すとんと落ちかかって、オーコーチ君の足を支えになんとか、空中にとどまる。美波の体は心なしか、薄くなっている。色が、薄くなっているのだ。
「みんなが魔法の呪文を唱えても、やっぱりおしまいはいつか、くるみたい。みんなが魔法の呪文を唱えたら、もっと卵色が強くなるかもしれないって思ったけど、そういうわけには、いかないみたい」
 ささやかな、少女たちの願い。ささやかな、幸福。幸福だけが満ちている世界。少女の願いは叶う。
『なあ、なんで、女の子だけが、魔法の呪文を使えるんだ?』
 オーコーチ君は/私は尋ねる。
「……たぶんね、怖いから、あたしがじゃなくて、きーこちゃんが、男の子を、怖がってるから、だよ」
 美波は答える。美波の体はふわりと浮かぶ。そうしてまた、すとんと落ちる。
「だってあたしが魔法を使えるのは、きーこちゃんがあたしを殺したから、きーこちゃんの魔法なんだよ、きっと。だってあたしは男の子にだって呪文を教えたもの。あたしはみんなに、呪文を教えたもの」
『本当に?』
「なに?」
『本当にこれは、ニトリの姉ちゃんの魔法なのか?』
「……そうじゃ、ないとしたら……。そうだね。……そうだなあ」
 美波はぼんやりと首をかしげる。小さく笑う。
「そしたら、これがあたしの魔法なんだとしたら、あたしは、あのね、考えてるかもしれない、思ってる、かもしれない、きーこちゃんを傷つけたみんなは、罰を受けるべきなんだって、きーこちゃんが好きになったのにきーこちゃんを助けてあげられなかったみんなは、罰を受けるべきなんだって。きーこちゃんは、男の子が好きだった。そしてね、……きーこちゃんは、たぶん、あたしのことが、好きだった」
 だから。ふわり、ふわりと飛びながら、美波は空のかなたを見つめる。
「だからあたしの願いだって、叶っちゃいけないんだ。あたしはきーこちゃんを、助けてあげられなかったんだから」
 ニトリ、と、オーコーチ君は呼んだ。
 ふわり、ふわりと、美波は空をとんだ。
 そして、すとん、と。
 すとん。
 美波は落ちてゆく。どんどん落ちてゆく。美波は実体を失いつつある。世界を包む卵色の光が薄れてゆく。守られた世界が終わってゆく。美波は白い光のように、ぼろぼろと落ちてゆく。
 そして、その先に、ひとりの少女がいた。
 少女を目にした瞬間、美波は、りんかくを、取り戻した。
 美波はすとんと少女の前に降りたった。美波はふふっ、と笑い、少女を見返す。
「ほらね、今度は、だいじょうぶだった!」
「……そうね」
 かさねは呆れたように言った。パンジーはしかめっつらを美波に向けて、じっと見上げている。水を与えられたばかりの、みずみずしいかたち。
「空なんか飛ばなきゃいいのに。似鳥さん」
 かさねは美波の名を呼んだ。そうすると美波は、くっきりと色を取り戻し、人間のかたちをして、少女のかたちをして、彼女の目の前に立つのだった。
「お花、きれいだね」
 美波はそう言い、ふふふっと笑った。卵色の声で、ふふふっ、と、笑った。
「あたしは空を飛ばなきゃならないんだよ。あたしはこの町を守るために、空を飛ぶの」
「守らなくたっていいじゃない。みんな、幸せだもの」
「それは、あたしが、この町を守ってるからなんですよ、藤堂さん」
「……そんなの、なんだか、いやだな。空なんか、飛ばなくていいよ」
 かさねはなんだかむっとしたように、美波を見つめる。かさねは美波に指を伸ばし、「パステル・デ・ナタ」と言う。
 ぽん、と、そこに、小さなケーキがあらわれた。卵色のケーキ。それを手のひらにのせて、美波は目を丸くする。かさねは首をかしげた。
「あれ。……あれっ、似鳥さん、くいしんぼうだねえ。あたし、似鳥さんが欲しいものが手に入りますようにって思っただけだったのに」
「……ありがとう」
「ね、似鳥さん。あたし、友達に、魔法の呪文を教えちゃった。いけなかった?」
 かさねは首をかしげて美波を見る。
「いいよ! 全然いいよ、魔法、すてきでしょう?」
「ふふ」
 かさねは笑う。手を伸ばして、かさねはオーコーチ君をてのひらのなかに捕まえる。オーコーチ君を撫でながら、かさねは言う。
「みんなが幸せになれるといいなって、そう思ったんだよ。誰かを好きなあの子も、それを知らないあの子も、みんな幸せな気持ちで生きていけるといいね。そういうのがいちばんいいよ。誰かに守ってもらうとか、そういうんじゃなくてさ。……似鳥さんも、幸せじゃないと、いけないんだよ」
「ふふ。……うん。ありがとう」
 美波は笑う。美波は少し悲しい、と、そう思っている、と、オーコーチ君の目は感じ取る。美波はこの町を守っている。
 そしてその魔法はいずれ終わる。
 似鳥美波の体は、山のなか、冷たい土に囲まれて、腐りつつある。

 高梨瑞季は、魔法の呪文を唱えている。誰もいない美術室で、彼女は絵筆をつかみ、魔法の呪文を唱える。彼女はプールを見る。そして、首を振る。きらきらと光るプールはあまりにも遠い。彼女は絵筆の先で、自分の描いた絵を指さす。きらきらと光るプールの絵を。そこに書き込まれた、背筋を伸ばした少女の姿を、瑞季は指差す。
「パステル・デ・ナタ」
 絵は緑色の美しい光を放ち、めらめらと燃え上がって、あとかたもなく消える。
 瑞季はしゃがみこんで、少し泣く。

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