7.アザミ

神様がやってきて名前を呼んだ そうして私は死んでしまった

 とある朝、目覚めたアザミは、自分はもうじき死んでしまうのだ、ということに気づいた。
 アザミは長い夢を見ていて、そうして目覚めた。夢の中でアザミは、知らない、きれいな女の人と、いっしょに暮らしていた。そしてふたりは、魔法少女だった。アザミともうひとりの魔法少女は、悪い人間を兎に変えたり、良い女の子を魔法少女にしたりした。そうして最後にはみんな兎になってしまって、もうひとりのだれかと兎たちは、地球を離れてみんな、……きっと月に行ったんだね、とアザミは思う。兎は月にいるんだから。
 そうしてたったひとり残ったアザミは、ひとりぼっちなのになんだか幸せで、アザミは一面に咲いたアザミの花のなかで、うまれてはじめて、わたしはきれいだ、と思ったのだった。
 目覚めたアザミはただのアザミで、きれいでもなんでもない。でもアザミはその朝、自分はきれいなんだ、と思った。やせこけた小さな、骨と皮ばかりみたいな女の子でも、それでもアザミは、自分はきれいなのだ、と思った。
 そして自分はもうじき死ぬのだ、アザミはそう思った。
 夢の中とは違って、アザミの家族はアザミのことを大事にしてくれていて、でもアザミはやっぱり病気で、それは変わらなくて、夢の中みたいに魔法少女が現れることもなくて、アザミが千年も万年も生きることもない。でも、それでも、いい、アザミはそう思った。あたしはあたしがきれいだって知っている。だから、それで、いい。アザミは、そう思った。
 そうしてアザミはもう一度布団に潜り込み、眠った。
 夢のなかでアザミは、あざみ野をひとりでどこまでも歩いていった。そうしてしまいにアザミはあざみ野に座り込んで、手のひらのなかに、つるんと白い卵を取り出した。それをなでながらアザミは、小さな声でしゃべった。
「あのね、あたしはずっと、好きなものなんてなんにもなくて、自分のことも嫌いで、世界のことも嫌いで、家族のことも嫌いで、みんな嫌いで、キタコちゃんだけが好きだった。キタコちゃんだけが、あたしのあこがれだった。あたしはキタコちゃんになりたかった。でもそれは、キタコちゃんだけを、特別にして、なにもかも嫌いなのは全部、あたしがキタコちゃんじゃないからだって思って、それは、キタコちゃんが嫌いだっていうのと、同じだったのかもしれない。だからあたしは、キタコちゃんになれなくてもいいよって思えるようになって、よかったんだよ。ねえ。あたしは、これで、よかったんだ」
 撫でていると、白い卵は次第に、ピンク色に染まっていった。そして赤に。それが完全な赤色になったとき、アザミは卵を抱きしめて、あざみ野で眠りについた。
 そして病室の白いベッドの上に、赤い卵が転がっている。深い赤、紫色に近い赤紫の卵に朝日が射すと同時に、卵は割れて、中から、あざみ色の兎が飛び出す。兎がぱちんと手を叩くと、病室の窓は開く。兎は耳をぱたぱたと動かして、空を、飛んでゆく。

 ケーキ屋で、後ろに並んだ女の子が、あ、と言ったので、喜多子は振り返る。
「あの、もしかして、抹茶のケーキ……」
店員が、はっと気づいたように眉を下げた。「申し訳ありません、こちらのお客様で最後でして……」
「あ、それならわたし、いいですよ」喜多子は手を振る。
「どうしてもそれじゃなきゃってわけじゃないから」
「え、いいんですか!」
 後ろに並んだ女の子、大学生くらいかなと喜多子は思う、そして、その女の子を知っていることに、喜多子は気づく。喜多子はその子を知っていて、でも向こうは忘れているかもしれないから、あなたのこと知ってるわとは言わずに、微笑む。
 喜多子のうしろに並んでいたのは、櫻庭鈴緒だった。
「誰かへ、おみやげ、かしら」
「ええ、弟が……しばらく良かったんですけど、また入院することになって」
「お気の毒」
「ふふ。でもケーキが食べたいなんて言うんだから、まだ元気な証拠です」
 二人並んで、喜多子は新しく、鈴緒はいくつかのケーキを、選ぶ。
「ねえ、ここ紅茶がおいしいのよ。よかったら一緒に召し上がらない?」
 喜多子が鈴緒を見つめて微笑んでそう言うと、鈴緒は目をしばたたかせて、「でも、弟が……」と言った。やっぱり、と喜多子は思う。しょうがないお姉ちゃんと弟ね、私は魔法の力をなくしてしまって、もう魔法少女にも兎にも、してあげられないのに。
「ね、これから看病でたいへんなんじゃないの? 英気を養わなくちゃ。よかったら、奢らせて。……ご迷惑でなければだけど」
「……ふふ、じゃあ、お言葉に甘えちゃいます」鈴緒はにっこりと微笑んだ。おや、と喜多子は思う。
「これ、パステル・デ・ナタっていう、ポルトガルのお菓子ですって。ね、そうでしょう?」
 喜多子がそう言うと、店員は、そうです、お詳しいんですね、と答えた。
「ポルトガル? すてき。行かれたんですか?」
「いいえ、妹が行ったの。ここで食べられるって教えてくれたのも、妹なのよ。おいしいんですって。これをふたつ、テラスで頂きます。紅茶もいっしょにね」
「すてき」
 鈴緒はにこにこと微笑み、喜多子も、微笑み返す。
 静かに微笑んで会話ができて、弟以外の話もできる鈴緒は、もしかしたらずいぶん、ましな状態なのかもしれなかった。
 喜多子はいま、夢のように遠い記憶の中で出会った鈴緒よりも明るい鈴緒を見て、安息している。
 喜多子が魔法を使わなくても、世界はたぶん、幸福なのだ。
 それが喜多子にとって幸せなことなのか、それとも悲しい事なのか、喜多子には、わからない。
「……あら」
 紅茶のカップをソーサーに置いて、鈴緒が、声をあげた。机の下をのぞきこむ。
「なあに?」
「この子」
 鈴緒は、テーブルのしたから、柔らかな毛皮をまとった動物を抱き上げた。不思議な色の動物だった。深い赤色の毛皮をした、それは耳の長い兎だった。
 喜多子はそれを見、突然、目が熱くなるのを感じた。ぼろぼろと突然泣き出した喜多子を見て鈴緒はあわて、「ど、どうしたんですか」と尋ねながら、ハンカチを差し出した。喜多子は首をふり、手を伸ばして、その兎を腕の中に抱く。
 昔、ずっと昔、あなたの絵を描いたことがある。昔、ずっと昔、あなたはわたしの胸から生まれた。昔、ずっと昔、あなたはわたしだった。そして昔、ずっと昔、わたしとあなたは一緒に、何千年も何万年も、一緒に暮らした。
 兎の首に、華奢な飾りが巻きつけられている。それはこっくりと濃い、あざみ色をしている。
「あなたは、誰?」
 喜多子は問いかける。
 やわらかくやさしい、甘い声で、兎は答える。
『あたしは、アザミ』

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