6.かさね - 2/7

 私は中学校の中庭におり、花壇の手入れをする藤堂かさねを眺めている。藤堂かさねは園芸部員で、休憩時間のたびに学校のあちこちへ駆けていっては花がらを摘み花を眺めて手入れをかかさない。一度、入手しすぎたパンジーの苗をクラスメイトに配って回ったことがある。情熱はあるがすっとぼけたところもあるというタイプの少女だ、見ていて心地のよい、どこにでもいるタイプの少女だ。
 藤堂かさねは立ち上がり、満足そうにパンジーを眺めていて、そうして目の前に落ちてきた少女に、パンジーはぐしゃりとつぶされた。
「似鳥さん!」
 かさねは悲鳴を上げる。この学校で空を飛ぶ人間はひとりしかいない。そこには似鳥美波がいて、似鳥美波は目をぱちくりとさせて、「あれっ、落ちちゃった」と言う。
「あれっ、じゃないよ! ちょっと、やだ、あー、ひどい、ひどいよお!」
「え?」
「パンジー!!」
「あれっ」
 美波は立ち上がる。立ち上がった足が、またパンジーを踏んでいる。ぎゃあ、とかさねは悲鳴をあげた。
「似鳥さん!!」
「うわあ。ごめん」
「う、う、う、う」かさねは口をぽかんと開けて、しかし言葉を出すことができず、ぼろっと大粒の涙をこぼしはじめた。美波はあわててかさねにかけより、小柄なかさねの肩に手をおいて、「ごめん、ごめんね、なんでもするから、あと、それに、魔法の呪文を教えてあげるから!」
 奇妙な発言だった。かさねは目をまるくして、それからぎっと美波を睨んだ。なにを言っているのだ、ごまかされないぞ、という目つきだ。
「ほら、こっちきて」
 美波はかさねの手を引き、花壇にむかってしゃがみ込ませた。ぐしゃぐしゃになった花壇を見て、またかさねの目に涙がにじんだ。それには頓着せず、美波は「指、出して」とかさねに命じる。
「指?」
「ひとさし指」
「こう?」
「それで、魔法の呪文を唱える。パステル・デ・ナタ、だよ。言ってごらん」
 かさねはいぶかしんで美波を見上げた。「言って」美波に促され、舌先で転がすように、なにかを呟く。
 すると、あまい卵色の光が花壇をみたし、その光が消えたときには、花は元通りになっていた。
「ね」
 美波は自慢そうに言って、「ほんとごめんね!」言って駆けだしていった。美波の背中を追うように、機械仕掛けの鳥が飛んでゆく。
「……いまの、なんだろうね」
 それを見送ってから、おもむろに私は、かさねに話しかけた。かさねはびくりと顔をあげた。
「い、いま、いまの」
「見てたよ。不思議だね」
「夜長さんも見てたの!? え、なに、どういうこと!?」
「私に聞かれたってわかんないよ。ね、魔法の呪文、って言ってた?」
「う、うん」
「なんて」
 かさねはおびえるように口を開いてまた閉じ、もう一度小さく開いて、「……パステル、デ、ナタ」と言った。
 私は自分に向かって人差し指を向け、「パステル・デ・ナタ」と、はっきりした声で言った。
 卵色の光は現れなかった。もちろん、私の体にも、なんの変化もなかった。かさねは首を傾げて、「でも……」と言った。
「似鳥さんから直接教えてもらわないと、だめなのかもしれないね」
「……かなあ」
 かさねは納得できないように私の人差し指をつかみ、「わ、夜長さんの手、つめたい!」と、悲鳴に近い声をあげた。それから、どこかいたずらっぽい光を目にやどして、私をのぞきこんでくる。
「ね。夜長さん、どんな魔法、かけようとしたの?」
「空が飛べますように、って」
「やーだ」かさねはそこでようやく笑った。「そういうの似鳥さんだけにしてよ。もう落
ちてこられるのは勘弁」
「私は落ちません」
「どうだか!」
 くすくす、くすくす、とかさねは笑い、私も声を合わせて笑った。まるで生まれながらの少女のように。

 あまりにも簡単に、私は学校に馴染んだ。
 私は今、夜長映子という名の少女として、その中学校に通っている。かつて似鳥喜多子が通った、そして私が教鞭を執り似鳥喜多子と出会い、彼女と恋に落ちるに至った、その、中学校だ。この経緯からもわかるとおり、私は現在少女と呼ばれるべき年齢ではないし、そもそも、かつて少女であったこともない。そして先に語ったとおり、私の人間としての生はすでに終わっていて、私は似鳥喜多子に殺され、ジャータカとしての生を受けている。
 にも関わらず、私はずっと少女であったかのように自然にこの学校に存在している。
 これは、この学校が、のみならずこの街全体が、魔法に包まれていることを示している。
 学校からは大きな山が見える。けれど私がこの学校で教師だった頃、この街に山などなかった。
 そして学校の少女たちの語る噂話。
 似鳥美波は、山から飛んでくる。
 似鳥美波は、学校で唯一、空が飛べる。
 似鳥美波は、山に捧げられた、特別な存在だ。
 そして私の知る限り、似鳥美波もまた、現在少女ではないはずの存在である。似鳥美波とは、似鳥喜多子の妹の名なのだ。そして似鳥美波は、かつて似鳥喜多子と同じ学校に通っていたあのころとまったく同じ姿をして、学校の上空を飛んだり、時々落ちてきたりしている。
 そして似鳥美波は、カルラをつれている。私の作ったカルラを。私の作ったカルラは、私の命に従わず、こんなところでなにをしているというのか。
 少し語りすぎたようだ。順を追って話そう。
 私は似鳥喜多子の生み出したジャータカに飲み込まれ、ジャータカとなった。喜多子はかつて彼女の恋人であった男たちを、まず最初にジャータカとして生まれ変わらせることにしたようだ。そこから憎悪を感じとるか、あるいは彼女の語るとおりその行為は愛なのだと理解するべきか、私はまだ判断できていない。
 ジャータカは知能の低い存在だ。かれらは人間に隷属すること、そして補食されることだけを求めている。喜多子の弁を借りれば、「愛を示すことだけ」のために、かれらは存在している。かれらは口々に言う。『カミサマを食べて』
 しかし私はそのような感情を持たない。私はジャータカの形をとってはいるが、誰に食べられることも望まない。私は人間に隷属することを望まない。かつて、私が、喜多子に隷属することを望まなかったように。
 私は生まれてから一度も、なにかを愛したことも、愛されていると感じたこともない。おそらくはそれが、私が正気を保ったジャータカとして、唯一の存在として、ここに存在した理由だろう、そう私は考えている。
 ジャータカとは愛の増幅装置だ。あるいはそれは、承認欲求の増幅装置と言ってもいい。
 ジャータカにジャータカと名をつけたとき、私の念頭には、ジャータカ神話におけるある有名なひとつの物語があった。兎の話だ。兎と狐と猿が一緒に暮らしていた。彼らは自分が罪人であると認識していた。そしてその罪を禊ぎたいと考えていた。ある日、神が餓えた老人に化けて、彼らのもとにやってきた。狐は魚介をあつめ、猿は果実を集めて、老人に与えた。しかし兎は何も持たなかった。兎は火に身を投げ、その身を老人に与えた。―早く食べて、ワタシを。そうすればワタシはカミサマになれる。
 愛を与えれば、許される。それは、許されるために愛する、ということだ。
 似鳥喜多子は承認欲求の固まりだった。それゆえに彼女は私とのセックスを求めたのだ。そして私は犯罪を犯し、職を追われた。私は喜多子が好きだった。少なくとも関心を持っていた。しかし愛しはしなかった。私は誰を愛することもできない。
 それゆえに喜多子は狂い始めたのかもしれない。
 ……ジャータカとなったが知性を失わなかった私の話だ。私は私が私であるという認識を失わなかったし、喜多子の行いは狂気であるとも認識した。しかしそれが、私の正気を担保するとは思われない。私も人間でなくなったとき、正気を失ったのだろう。
 私は喜多子を止めなくてはならないと思った。
 人間を、ジャータカにしてはならないと思った。
 私にも、魔法の力は宿っていた。願いを叶える力だ。私はその力を使い、ジャータカになりかかっている人間を集めて、カルラを作った。
 仕事を追われたあと私は、工場で働きながら、機械工作の鳥を作っていた。ただの手慰みだ。作りためたその鳥たちに、私は、ジャータカになりかかっている人間たちの意識を移植した。私の鳥は生命を持ち、自律的に羽ばたくようになった。私は彼らにカルラと名をつけた。地を這う蛇を補食する鳥の名だ。
 ジャータカを破壊せよ、と私は彼らに命じた。ジャータカと、魔法少女を、破壊せよ。似鳥喜多子を、破壊せよ。似鳥喜多子は、破壊されねばならない。彼女にこれ以上、罪を重ねさせてはならない。私はかつて教師として誤った行いをし、彼女を闇の中へ取り残した。その償いをしなくてはならない。
 カルラは空を飛んだ。カルラの目は私の目、カルラの意識は私の意識だ。私はカルラが見たものを見た。カルラが感じたことを感じた。カルラたちは魔法少女を見つけ、魔法少女を業火で焼いた。魔法少女たちはそうして灰となって死んでいった。しかし彼女たちは既に死んでいるのだ。私は彼女たちを、あるべき姿に戻しただけだ。
 それは戦争だった。私と喜多子の。
 そしてカルラのひとりが、山のある街にたどり着き、山に住む何かの干渉によって、攻撃のための能力を無力化されたことを知った。
 山のある街にはジャータカはひとりもおらず、魔法少女もひとりも、いなかった。その街に飛ばせたカルラはすべて無力化された。そしてジャータカである私は、その街に入り込むことができなかった。
 私は魔法によって姿を変え、夜長映子として、街にやってきた。
 似鳥美波が支配する、その街に。

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