3.自在 - 2/4

 戦争ごっこをやろうよ! と、言い出すのはいつでもミヒだった。自在の住む村には子供は四人きりいなかった、あとは全て、紫色の兎だった。どれが人間として生まれて兎になったのか、どれが大人で、どれが子供なのか、もはや区別はつかなかった。兎はどれも、同じ形をしていた。
 わずかに生き残った、……いやその言い方は正しくないかもしれない、元人間だった彼らも、たしかに、「兎として」生きていたのだから、とにかくわずかばかり残った人間たちは、きゃあきゃあと笑って駆け回る兎たちが時々自らを調理して差し出すそれを、無防備に受け取って、食い続けていた。
 ただ、自在の父だけは、違っていた。
 自在の父は、母が兎となったとき母を食べずに燃やし、そして、その後二度と兎を食べなかった。兎となる直前に母が産み落とした自在にも、絶対に兎を食べさせなかった。兎ならば潤沢にあったが、兎以外の食料は枯渇しつつあった世界において、自在の父は食べ物を求めて野山へと転居を続け、そして最後にはその村で畑を作り始めた。兎さえ食べていれば生きられるのに、兎以外の食物を、豆や芋やそんなものを、自在に与え続けた。そうして自在は兎の味を知らずに育ち、やがて純潔と呼ばれて船に召還された。……けれどそれはもっと未来の話だ。
 がらがらと、なにかがどこかへ落ちてゆく轟音。自在が物心ついた頃には既に、世界には崩壊の音が鳴り響いていた。その音は自在の脳裏に常に響き、この世界が崩壊しつつあるのだということを自覚させた。
 自在は、忘れ去られつつある小さな村で育った。ミヒは女の子でマツは男の子、それから自在―ジザ、と呼ばれていた頃の幼い彼女は、女だけれど男の子の格好をしていた。それから自在の家に住む血のつながらない姉、稲穂。子供は四人きり。きゃはははっ、と笑って駆けまわる兎ばかりがあふれる村。
『ねえなにかオシゴトない、オシゴト、なんでもやってあげるよぉ、なんでも、なんでもねっ』
『おなかすいてない? 食べて食べて! 新鮮なうちにはやく、食べてぇ』
「うるせえな、あっち行けよ」
 マツがしっしと兎たちを追い払う。ちぇー、なんだよう、あそぼう、あそぼうあそぼう、うるさく騒ぎ立てる兎たちを無視して、幼い三人は、戦争ごっこの計画を立てる。
「敵はだれ?」
 自在がそう尋ねると、ミヒは胸を張って、「こいつらに決まってるじゃん」と言って、兎を指さすのだった。けれど兎たちは従順だった。三人は様々な方法で兎に襲いかかり、はしから殺した。兎たちは無抵抗に、笑いながら殺された。食べて食べて、早くね、早く、そう言って、笑いながら。
「戦争じゃねえよ、こんなの。ただの、兎狩りじゃん」
 しまいにマツはそう言って、頭にかぶっていた鍋を放り出した。鍋はがらんと転がり落ち、兎たちはすかさずそれをつかんで、抱え上げてどこかに行ってしまった。
「兎狩り」
 その言葉になんだか自在が笑うと、マツは顔をしかめて、「なにがおかしいんだよ」と言う。
「戦争、練習しといたら、徴兵してもらえるかもって思ったのにな」
 ミヒが肩をすくめて、言った。
「こいつらが増えすぎでいいかげんヤバいから、戦争を始めるって、ラジオで言ってたよ」
「それほんとのニュースか? ドラマなんじゃねえの」
「わかんないけどさ、ほんとだったらいいじゃん。こんなとこいても、楽しいことなんにもないもん、兎殺して、兎食べて、それだけじゃん」
「そんで、いつか、兎になって」
「そうそう。それで終わりでしょ? それよりさあ」
 ふたりが、いっそ朗らかといえる口調でそんな話をしているのを、いつも自在は遠くから眺めているような心地だった。自在は、口数の少ない子供だった。兎を食べるなんて、狂っているんだ、自在の父は繰り返し、そう言った。この世界は、とうの昔に、狂っているんだよ。けれど自在だけは、賢い、聡明な人間になってくれ。そう、父は繰り返し、言った。
 兎は、昔は、もともと、は。
「ミヒはいいよな」
 マツがぽつりと言う。なに、とミヒがマツをみた。その言葉はその日、初めて口に出されたのだ。
「ミヒは女だから、魔法少女になるかもしれないだろ。兎じゃなくて、魔法少女になるかもしれない。そしたら、食べられなくてすむ」
「そんなの」
 ミヒは言いよどみ、けれどスカートを翻して、まっすぐに自在をみた。
「ジザだってそうだよ、そうじゃん」
「僕は」
「……あ、そっか、ジザ、女なんだっけ」
 マツがそのときはじめて気づいたというように目をみひらく。僕は兎にも、魔法少女にもならない。ならない、はずだ。父さんは言っている、兎を食べなければ、人間は、人間として、死ぬことができるって。けれどその言葉は、自在の口から出てくることはない。
「……そうだね、僕も、魔法少女になれるかも」
 いいな、とマツが息をつく。
 マツの足もとで、マツが投げ捨てた鍋が、ぐつぐつと煮えたぎっている。そのなかに兎は、自身の手をぽろぽろと切り落とし、最後には自分が入っていく。まわりをとりかこむ兎が、いっせいに拍手をした。
 死ぬ運命。
 魔法少女は死なない。
 ……人間は?
 男の子の服を着せられた。自分のことを僕、と言うようにと言われた。愛について考えるなと言われた。男の子を、小さな動物を、かわいいと、決して考えるな。それは死のメカニズムだ。そう自在の父は言った。母さんは父さんへの愛に殺されたんだ、と。
 母さんは兎になったんじゃない。
 母さんは兎に、愛を搾取されたんだ。
 父さんはそう言った。
 ……そんな話はどうだっていい。自在自身がどんな子供だったかなんて話は、どうだっていいんだ。ミヒやマツだってどうだっていい。父さんも母さんもどうだっていい。
 自在にとってその小さな村は、ただ稲穂がいて、そしていなくなった村だという、それだけが、重要なことなのだ。
 稲穂は、下半身を兎に食われたまま、上半身だけ生き残った女の子だった。父親の友人だったという彼女の親は兎に食われ、稲穂はひとり、自在の家に引き取られてきた。ぼんやりとした目の、ひとこともしゃべらない女の子だった。
 稲穂の下半身は機械化されており、稲穂はゆっくりと、その体を動かした。自在は、稲穂の機械の半身が動くところを見るのが、好きだった。稲穂が動き始めると自在はじっと動きを止め、食い入るように稲穂を見つめた。いまのように、その感動を明るく示す道化を、自在はまだ知らなかった。
 自在はイナに恋をしているのね。そうミヒは揶揄した。そう言われるたび自在はあわてて稲穂から目をそらし、父親が見てはいなかったかとおびえるのだった。自在は愛することを禁じられていたから。恋。そうだったのかわからない。ただ自在は、動く機械である稲穂が、とても美しいと思っていた。
 夜だった。
 父親は、都会から送られてきているはずの手紙を求めて、町まで出かけていた。稲穂と自在は畑に出てその日の青菜を摘み、自在は家に戻って、青菜をゆでていた。いつまで経っても稲穂が部屋にあがってこないので、なにか問題でもあったのか、転んでいるんじゃないかと自在は、畑に戻った。そしてそれをみた。
 月の光をあびて、稲穂ともうひとり、少女が立っていた。
 魔法少女、と、自在は、すぐに理解した。
 ふわふわと広がる髪が天使の羽のようだ。純白の、光そのもので作られたようなドレスが、ひらひらと風を受けている。穏やかなほほえみを浮かべた魔法少女が、きらきらと輝き、虹色の輝きが消えたとき、そこには、真っ白い兎が、一匹、いた。
 兎が大きく、口を開いた。
 ぽっかりとひらいた、闇そのもののような空洞。
 そのなかに。
「……稲穂!」
 悲鳴は遅れて上がった。自在は裸足のまま、畑に飛び降りようとした。それはぬるりと濡れた感触に防がれた。兎だ。ぬるぬると光る兎たちが、ぬめぬめといちめんに、畑いっぱいをうめつくすようにして、そこにいる。
『オリジナル』
 兎たちが、なにかを囁いた。
『オリジナル!』
 きらきらと、虹色の輝き。元の少女の姿に戻った魔法少女が、にっこりと微笑んで、兎たちを見おろす。『オリジナル!』『オリジナル!』兎たちがさざめいた。
「オリジナル……?」
「わたしのこと」
 ふわふわと髪を揺らして、魔法少女が言った。
「ほんとうはわたしのことではないけれど。わたしのなかにみんなはいるの。わたしの
なかから、みんなは生まれたの。わたしのカミサマはこうやって増えてゆく。人間を、
幸福にするために」
「稲穂を、どうしたの」
「食べちゃったのよ。見ていたでしょう?」
「どうして」
 兎たちの上にはいつくばった自在をみおろし、少女は慈愛に満ちたほほえみを返した。
「これがこの子の望みだったのよ。可哀想なイナホちゃんを、わたしは救いにきたの。……わたしは、人間を、救うのよ」
「どうして?」
 ふふ、と魔法少女は、声を漏らした。
「愛しているから」
 魔法少女が、口に手のひらを当てる。その口から、紫色の卵が吐き出される。魔法少女の手のひらの上に、紫色の卵がある。稲穂だ。自在は確信する。
「それを」
 自在は必死で、手を伸ばす。
「それを僕に頂戴!」
 魔法少女はにっこりと笑い、ステッキを手にした片手を、高くあげた。
 兎たちが、きゃははははははっ、と笑った。
 そうして兎たちは、一斉に、空へと舞い上がった。闇を塗り替えるように紫色が視界一面に広がった。
 自在は振り落とされ、踏み荒らされた畑の上で、空をゆく兎たちを、いつまでも、見ていた。

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