4.ミナミ - 1/3

終わらない日常という呪文さえ唱えていれば死なぬと思う

  • オーコーチ君 – 普通の青年。
  • ニトリミナミ – オーコーチ君の親友。かわいい女の子。

 オーコーチ君は仕事がなくなってから一年間、兎ばかり食べていた。オーコーチ君が仕事をなくしたそのころ、街には兎があふれ始めていたし、そしてそれらは誰彼かまわず、甲高い声を上げて、『なにか欲しいものはなぁい?』『おなかすいてるならカミサマを食べて!』と主張していた。
 それがどういった出自のものなのか真相は謎に包まれていたけれど、好きな真相を選んで信じることはできた。街でもテレビでもそれからインターネットでも、それぞれが勝手に、兎たちの正体について語っていた。自然発生したのだとか、公害だとか、外国からやってきたのだとか、はたまた宇宙からやってきたのだとか、人工的に作られたのだとか、どこかの企業が作ってばらまいたのだとか、あるいは兎たち自身が主張するように、彼らは、神なのだとか。ご自由にお選びください、理由はいくらでもあります、足りなければ、まだいくらでも作れます。
 どうだってよかった。奴らは食べてくれと言ったし、オーコーチ君は金がなかった。そして兎はたいへん旨い食べ物だった。
『ねっ、おいしいでしょっ? カミサマ、おいしいでしょっ?』
 オーコーチ君が兎をもぐもぐ食べていると、ほかの兎たちは嬉しそうにきゃあきゃあ言いながらオーコーチ君を取り囲んだ。兎は調理しなくても食べられたし、味付けをしなくても一口ごとに味が変わった。いくらでも、いいだけ食べられた。腹がいっぱいになると、兎たちはオーコーチ君をとりかこんで、『あったかくしてほしい?』『ほかにほしいものない?』と尋ねるのだった。あったかくしてほしい、と言うと、兎はあーんと口を開けて、『なかへどうぞ』と言った。兎の中は弾力があって暖かかった。
 家なんかいらないな、とオーコーチ君は思った。いい時代だ。食べ物なんかいらない、家もいらない、兎が守ってくれる。そして兎はいくらでもいるのだ。
 オーコーチ君はそれなりにまじめに会社に勤めて毎日仕事をしていたのだけれど、ある日突然仕事がなくなったのだった。会社の寮に入っていたので、家もなくなった。友達を頼ったり、実家に帰ったりしても良かったのだけれど、そうする前に、オーコーチ君は兎を覚えてしまった。
 オーコーチ君は公園で暮らした。その公園には、兎のなかに入って暮らしているホームレスがたくさんいた。青いシートにくるまれた古いあのようすより、兎のほうがずっと愛らしかったし、一般市民のウケもよかった。兎たちはきゃっきゃと笑い、子供たちに向かって、『遊びましょう、アソびましょう、カミサマあなたと遊びたいのよ、だいすき、だいすき、だいすきよっ』と言っては長くのばした手を差し出した。ぷるぷるとふるえる兎と子供たちは遊び、おなかがすくとそれを食べ、そしてまた遊んだ。
兎に飲み込まれると清潔な体が保てたし、兎を食べていれば太りも痩せもしなかった。とても健康なような気がした。すばらしいじゃないか、とオーコーチ君は思った。俺たちは新しい時代を生きているのだ、と、オーコーチ君は思った。
 たぶん世の中はこれからどんどん変わっちゃうんだろうな。オーコーチ君は兎を膝に乗せて、公園でひなたぼっこをしながら思った。だって食べ物はもう作る必要がない、兎を食べたらいい。家だってもう必要ない、兎のなかで暮らせばいい。仕事だってする必要ない、兎がやってくれる。人間は考えることだけやったらいいんだ。奴隷を使っていたローマの貴族みたいに、考えたり、遊んだり、愛し合ったり、それだけが人間の仕事なんだ。
 そういう時代なんだなあ。そう、オーコーチ君は思っていたのだった。

「ばかなんじゃないの」
 ニトリさんはそう言って顔をしかめた。
 オーコーチ君とニトリさんは小学校の同級生で、ふたりはずっと親友、そんな言葉を使うとふたりは恥ずかしがったけれど、そう呼んでもいいなにかだった。十代で男女で、しかもニトリさんはクラスでいちばんかわいい女の子で、オーコーチ君はぱっとしない平凡な男子で、それなのに親友だなんて、とても珍しい話だ。でもふたりは小学校で知り合ってから十年以上、ずっと仲良しだった。
『俺はどうせ馬鹿ですよ』
 機械化された声でオーコーチ君が答えると、ニトリさんはつくづく呆れたという声でもう一度、「オーコーチ君は世界というものに、楽観的な認識しかしてなさすぎる。渡る世間は敵ばかりなんだからね、今更言っても遅いけど」と言うのだった。
 ニトリさんは夜風に吹かれながら、遠くで光る花火を見ている。音はほとんど聞こえない、ぱっと広がる花火のまるい形が、炎でできたコースターみたいに見える。
『ともあれ、ニトリともう一回会えて良かったと思う』
「そうねえ、わたしも会えてよかった。ほんとに心配してたんだから」
『あんたのことだからたいして気にもしなかっただろうとは思うけど、ありがとう』
「よくご存じですこと!」
 ニトリさんはもうひとつ上がった花火をじっと見つめた。それから、ぱたぱたと羽ばたいて中空にいるオーコーチ君を見上げて、言った。
「それで、もう一回、ってどういう意味?」
 うん、とオーコーチ君は、頷く、頷くかたちに、首を回す。
『俺はあんたを殺すか、あんたに殺されるか、しなくちゃいけないみたいだよ』
 オーコーチ君は、ニトリさんを見おろす。ニトリさんは、クラスでいちばんかわいい女の子だった。そしていまでも、ニトリさんはたぶん、とてもかわいい女の子だ。でもオーコーチ君には、それはあんまりよくわからない。オーコーチ君には昔から、女の子がかわいいとかかわいくないとか、よく、わからないのだった。
『ニトリは、魔法少女なんだろう?』
 しかしオーコーチ君とニトリさんが再会するまでには、いくつかの物語がある。まずはその話をしよう。

 オーコーチ君とニトリさんは小学校で同じクラスだった。小学校三年生の時、ニトリさんは宿題の作文に、週末テレビで見た映画について書いた。映画に出てきた刑事の眉毛がとても太くて、それからずっと目が離せなかった、というだけの、ほとんど内容のない作文だった。でもオーコーチ君はそれが気に入った。休み時間にオーコーチ君は、ニトリさん、と声をかけた。みんながオーコーチ君をびっくりしたように眺めた。だってオーコーチ君は、女子に進んで声をかけるような男子ではなかったからだ。オーコーチ君はクラスで目立たない方で、教室のすみで似たような男子と静かにしゃべっているような男子だったからだ。でもオーコーチ君はべつに気にしなかった。オーコーチ君は昔から、鈍感な男の子だった。
 ニトリさん、僕もその映画、みた、たしかに、眉毛が気になった、あと、洗面器、気にならなかった? そうオーコーチ君は言った。ピンク色の洗面器。僕はあれがすごく気になった。
 そうしてふたりは友達になった。オーコーチ君の一人称がやがて俺になり、中学生になり高校生になりふたりが大人になってからも、ふたりはそうやって映画の話を続けた。二人はお小遣いを切り詰めて映画を見続けた。そうしていつだってくだらない細部について何時間も語り続けた。小道具、役者の表情、食べていた食事、彼らはそんなものについて、いくらでも話ができた。
 オーコーチ君は小さな会社に勤めて、コンピュータに構文を書いて日々を送った。仕事はやみくもに忙しく、休みはほとんどなかった。休みがあると、俺は休み、とニトリさんにメールした。ニトリさんは、平日でも祝日でも夜でも昼でも、いいよ、と返事をくれて、そうしてふたりは映画を観に行った。
 ある日ニトリさんとオーコーチ君が道を歩いていると、本屋があった。ニトリさんは本屋の前で立ち止まり、「これ、あたしの本」と言った。オーコーチ君は本屋をみた。店頭に大きなポスターが貼ってあった。
 小説を書いたの、とニトリさんは言った。へえ、と言って、オーコーチ君はそれを買った。ニトリさんはにやにや笑った。
「好きな映画以外のこと知られるの、気持ち悪いわね」
 ニトリさんはそう言った。

送信中です

×

※コメントは最大1000文字、5回まで送信できます

送信中です送信しました!